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○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○

1 :神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 21:47:50 ID:IAyvcORH
前スレ
○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157628310/
 が512kを超えて書き込み不能になったので、新スレを立てます。

 親鸞の考え方は、仏教全体の考え方でかなり特異です。
 親鸞仏教の考え方に対する質問を書き込んで下さい。回答できそうなものからできるだけ分か
りやすく、試行的に答えてみたいと思います。
 渡海難は、一介のアマチュアです。時間の許す範囲で、自己の独自の仮説的立場から答えさ
せていただきたいと思います。2ちゃんねるには、本派、大谷派の坊さんも常駐しています。教派的
な回答は、おそらくそういう方々から、積極的に寄せて頂けると思います。
 なお、渡海難のカキコは、かなり不連続、不定期になるかもしれません。それでも、私宛の質問
は、遅くなってもできるだけ答えさせて頂きたいと思います。
 宗派が決めた儀式、慣習関係の質問はご遠慮下さい。ここは、あくまで教義に関する質問に限
定したいと思います。

 地球は丸いのに、極楽浄土はどうして西にあるのか。阿弥陀仏は天の神様か。極楽浄土には、
どうして菩提樹があるの?。極楽浄土には門があるが、塀が無いというのは、本当か。死んだら
極楽浄土に行って仏になるって、本当か。念仏だけでどうして仏になるのか。お釈迦様の悟りって
何。お釈迦様は2回悟っている?。念仏はどうしたら称えられるようになるのか。「南無阿弥陀仏」
は嫌だから、「いろはにほへと」と念仏しら地獄に墜ちるか。親鸞は本当に極楽浄土に行ったのか。
極楽って何?。地獄って何?。阿修羅って何?。死んで地獄に行きたいとは思わないが、極楽浄
土に行きたいとも思わないんだが、それじゃいかんのかね?。

 今更聞けない真面目な質問、簡単な質問に可能な範囲で回答していきたいと思います。本派、
谷派のお坊さんも、回答者として積極的にご参加ください。

2 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/14(月) 21:50:25 ID:IAyvcORH
前スレの>> 627の続きです。

 輪廻論というのは、釈迦の十二因縁の原理と、考えの本質は同じである。人はなぜ輪廻するの
か。なぜ生死生死を繰り返すのか。これに対し、多くの人は、「欲があるからだ」という。欲を起
こすのが間違いの本であるという。釈迦は反論する。欲を断ち切っても輪廻は続くと。欲を断っ
ても、迷いはあると考えたのだ。釈迦は、無明という概念を立てた。それが十二因縁の原理であ
る。理想主義も破壊主義も何一つ真の解決にならないことを、釈迦は説いている。
 釈迦が悟りとを開くと、梵天と帝釈天が教えを請いに来る。梵天や帝釈天ともなると、世の中
に仏陀が出現したとなると、いち早くそれを察知する超能力を持っている。まさに、梵天や帝釈
天たるゆえんだろう。

 梵天や帝釈天ともなると、人一倍優れた能力を持つ。人並み外れた深い智慧と洞察力をもって
いる。その実力は、釈迦と比べても恐らく遙かに勝っているだろう。しかし、その梵天や帝釈天
でも、釈迦に唯一劣っていることがあった。どうしても釈迦に決定的に劣っている点があった。
それは何か。梵天や帝釈天は、外のあらゆる点で釈迦に勝っていても、実は、自分は何一つ本当
のことを知らないということ、この智慧だけは全く持ち合わせが無かったのだ。あらゆることを
知っている者は、自分が何一つ知らないと言うことを知らない。この事実の認識おいて、梵天や
帝釈天は決定的に釈迦にかなわなかった。自分は真実を何一つ知らないと言うこと、釈迦はその
一点の認識で梵天や帝釈天に決定的に勝り、梵天や帝釈天はその一点で釈迦の前に跪き、教えを
乞うこととなった。僕はそう考えている。釈迦は、三十五歳のとき、十二因縁の原理を悟った。

3 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/14(月) 21:51:56 ID:IAyvcORH
 <十二因縁>ああ、俺は馬鹿だった。馬鹿だったんだよ(無明)。馬鹿だったからあんなことを
したんだ(行)。あんなことを考えたんだ(識)。思わずあんなことをしたからこそ、あんな心が
わき起こってきた。そして事物を意識した(名色)。そんな思いが湧いてくれば、ものごとはみん
なそっちの方に見えてくる。耳に心が宿って聞こえてくる。目に心が宿って見えてくる。感情に
心が宿って感情が動いてくる(六処)。耳に不快なものは避け(触)、耳に快い方に向かう(受)。
物事に執着が現れる(取)。それがずっと積み重なる(有)。再起(生)、彷徨・疲弊・挫折(老病)
はそのようにおきてくる。

 挫折(死)・再起(生)・彷徨(病)・疲弊(老)・挫折(死)・再起(生)。人は限りなく、限り
なく迷いを繰り返す。けだものの心でけだものの行為をする者をけだものという。鬼の心で鬼の
行為をする者を鬼という。人は、鬼となり、けだものとなり、有頂天になったかと思えば、地獄
の底に墜ちていくこともある(輪廻)。そのたびに、古い自分が死に、新しい自分が誕生する(転
生)。けだものが人に変わっても、けだものの時(過去世)の自分の行為が、人になったとき(現
在世)で消えているわけではない。今(現在世)、有頂天になっていれば、やがて(未来世)それ
が地獄の苦しみの引き金にならないとも限らない(三世両重の因果)。

4 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/14(月) 21:52:44 ID:IAyvcORH
 <悪因悪果>
 再起・挫折・再起・挫折の原因は、実に、我々自身の愚かさにある。無知にある。その愚かさ、
無知は、私の誕生で始まったものでなく、私の死で終わるものでもない。現在の私の再起・挫折
・再起・挫折は、過去の無数の人々が繰り返し、繰り返し重ねてきた再起・挫折・再起・挫折と
いささかの違いもない。現在の私の再起・挫折・再起・挫折は、将来の無数の人々が繰り返し、
繰り返し重ねていくであろう再起・挫折・再起・挫折といささかの違いもない。今の私の愚かさ
は、無限の過去から無限の未来に向けて連鎖している無限の愚かさの中の一瞬である。その一
瞬の再起・挫折・再起・挫折において私は生まれ、病み、老い、死んでいく。

 <善因善果>
 無明を断てば(因)、輪廻が切れる(果)。一度切れれば、迷いは尾を引かない。さあ、互いに
学びあおう。互いに教えあおう(大乗)。正しい認識(知恵)を、互いの共有財産として利用し、
享受しあおう(布施)。正しい認識(知恵)を得るように努力しあおう(持戒・精進・禅定)。多
少の苦しみは我慢しあおう(忍辱)。そうすれば、必ず輪廻が切れる。迷わなくて済むようになる
だろう(断四流)。

5 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 09:54:10 ID:m/XbY6hn
 議論がいきなり>>2に入るとわかりにくい。前スレの>> 627まで重複的に紹介する。前スレでこれは
往生の本質を考える前段の議論として提起している。

615 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/09(水) 17:52:39 ID:uqYvccsE
 往生は、輪廻を断絶する。まず、分かりやすい輪廻から考えよう。
 獣の心で獣の行為をする者を獣という。鬼の心で鬼の行為をする者を鬼という。人間の心で人
間の行為をする者を人間という。生きとし生けるものには、意思と行動がある。意思を「願」と
言い、行動を「力」という。
 昨日まで人間の心で人間の行動をしていた者が、今日は鬼の心で鬼の行動をしだすことがある。
さっきまで有頂天でいた者が、突然に獣となり、さらには地獄にも堕ちる。地獄の底で真人間に
なることを誓ったものが、ほとぼりが冷めると再び獣となることもある。
 馬鹿だった。馬鹿だった。人はしばしばこのように後悔する。後悔して、後悔して、後悔し、
舌の根の乾かない内に、次の瞬間には鬼の手下になって鬼となる。鬼になって有頂天になること
もある。

6 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 09:56:16 ID:m/XbY6hn
616 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/09(水) 17:53:10 ID:uqYvccsE
 鬼となり、獣となり、あるいは真人間になり、そして地獄にも堕ちる。節目節目で人は意思と
行動が変わる。意思と行動が変われば、人は人格が変わる。人間が変わる。古い自分が死に、新
しい自分が誕生する。新たな人格を持ち、新たな決意で再起し、新たな行動を起こして新たな人
生をスタートしても、やがて人は彷徨する。心は急ぐが、行動が言うことを利かない。何をして
いいのかわからない。あるいは人は疲弊する。行動は惰性で続いていても、心は早々と変わって
しまう。意思が変わり、行動も継続を放棄すれば、挫折する。
 人は、生(再起)・病(彷徨)・老(疲弊)・死(挫折)を繰り返す。再起と挫折を繰り返す。
生・死・生・死を繰り返す。中途半端に再起すればやがて中途半端に挫折する。中途半端な挫折
は、中途半端な再起を生み出すだろう。仏教ではこれを迷いという。

 釈迦の十二因縁の法則は、無明を原点にして生老病死に至る。人は生死・生死を繰り返し、生
死・生死の一こま一こまの中で獣となり、鬼となり、有頂天になったかと思えば、地獄にも堕ち
る。獣が鬼になっても、獣の中の霊魂だけが鬼になったのではない。獣の全人格が鬼になったの
だ。鬼が天を舞うように有頂天になれば、鬼の霊魂だけが有頂天になったのではない、鬼の全人
格が鬼になったのだ。

7 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 09:57:41 ID:m/XbY6hn
617 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/09(水) 17:54:30 ID:uqYvccsE
 人は、自らの無知と無能を本質とし、再起・挫折・再起・挫折を繰り返す。今のこの私の再起
・挫折・再起・挫折、生・死・生・死は、私の肉体の誕生で始まった物ではない。肉体の消滅で
終わるものでもない。今のこの私の再起・挫折・再起・挫折は、無明を本質とし、過去、無数の
人々が始めなき始めから繰り返してきた再起・挫折・再起・挫折の無明と寸分の違いもない。今
のこの私の再起・挫折・再起・挫折は、無明を本質として生・死・生・死を繰り返す。無明は霊
魂だけの問題ではない。精神だけの問題ではない。肉体だけの問題でもない。これは、私の意思
と行動の全ての本質である。その同じ無明をもって、やがて今後も無数の人々が寸分の違いもな
い同じ再起・挫折・再起・挫折を経験していくだろう。今、この私が無明を本質として、鬼とな
り、獣となり、地獄にも堕ちていくこの道は、かつて、無数の人々が、私と同体の無明(霊魂で
はない)を本質とし、繰り返し繰り返し浮沈を繰り返してきた同じ道である。今後も無数の人々
が、私と同体の無明(霊魂ではない)を本質として繰り返していく同じ道である。

 私の無明は、決して私で始まった物ではなく、私の死で終わるものではない。無限の過去から
無限の未来に向け、とどまることなく続く同体の無明の一本道の一部を、今、私は私の生老病死
として経過しているのにに過ぎないのだ。

 千年の暗室であっても、一本の蝋燭の火で破れる。無明は一度破れれば、二度と戻ることはな
いない。さあ、光に向かおう。浄土教はこのように、光の世界への移行(往生)を勧めてくる。

8 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:26:53 ID:m/XbY6hn
623 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/12(土) 10:52:27 ID:1+S6sTBS
□□□┃意思│行動│知見│休息│欲望│無明│我│悟┃仏界〔輪廻がない〕
━━━┃━━│━━│━━│━━│━━│━━│━│━┃  (仏・菩薩・二乗)
仏□□┃○□│○□│○□│○□│×□│×□│×│○┃三乗(菩薩・声聞・縁覚)
菩薩□┃○□│○□│○□│○□│○□│×□│×│○┃一乗(菩薩)
声聞□┃○□│○□│○□│○□│○□│×□│×│○┃二乗(声聞・縁覚)
縁覚□┃○□│○□│○□│○□│○□│×□│×│○┃三界(欲界・色界・無色界)
━━━┃━━│━━│━━│━━│━━│━━│━│━┃六道〔輪廻がある〕
無色天┃○□│○□│大□│×□│×□│○□│○│×┃(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)
色天□┃○□│×□│大□│○□│×□│○□│○│×┃天界(無色天・色天・欲天)
欲天□┃○□│大□│大□│○□│○□│○□│○│×┃無色界(無色天)
人□□┃○□│小□│中□│○□│○□│○□│○│×┃色界(色天)
修羅□┃×□│大□│中□│○□│○□│○□│○│×┃欲界
畜生□┃○□│○□│×□│○□│○□│○□│○│×┃(欲天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)
餓鬼□┃○□│○□│×□│×□│○□│○□│○│×┃三悪道(畜生・餓鬼・地獄)
地獄□┃○□│×□│×□│×□│○□│○□│○│×┃

 悟(十二因縁)  知見(悟を除く智慧)     ○(あり) ×(なし)  □(余白

9 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:27:49 ID:m/XbY6hn
625 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/13(日) 09:57:37 ID:Cu6sT2aX
 仏教の輪廻論は六道の本質が分かれば理解しやすい。六道は畜生道から理解していくのが一番いい。
畜生とはなにか。畜生には意思がある、行動がある。特に野生の動物には必ず意思がある。この場合
の意思とは、複数の選択肢を考え、その選択肢に対する選択的思考だ。ライオンは目の前に獲物がい
ても、それを追うか追わないか、必ず選択する。選択して、追うと決めるとそれを追いかける。追わ
ないと決めたのに体が勝手に追いかけるということはない。
 畜生と人間との違いは知見の有無だ。人間には合理的な判断、理性というものがある。畜生にはそ
れがない。裁判所の傍聴席から、被告席に向かっていきなり罵声が飛ぶ。「ケダモノ!」と。一人娘
を殺された親にとって、娘を殺した犯人は人間ではない。人間であれば理性がある。道徳がある。考
えるということがある。既に人間的な知見を忘れた被告席の犯人は、ケダモノ以外の何者でもない。
合理的にものごとを考えることを忘れれば、人はそのまま畜生に転落する。

 畜生には休息がある。ライオンでも、腹が満腹になれば休む。魚でも眠くなれば寝るそうだ。しか
し、人間的な知見もなく、一寸の休みもなく執拗に自らの欲望を追いかけていく者がいる。食っても
食っても常に腹を空かせ、休むことがない。その存在はまさにライオン以下。これを餓鬼という。
 子供を餓鬼と言うことがある。これは、大人にとって、まつわりついてくる子供をうるさいと感じ
たとき、その不快感を込めて言う言葉であり、本当は子供が餓鬼であるはずはない。

 欲望のまま、休み無く動いていけばやがて動きたくても動けなくなることがある。欲望は紅蓮の炎
のように燃えさかり、雪だるまのように膨張していく。しかし欲望実現に向けて体は微動もしない。
これを地獄という。衆生界で行動がないというのが地獄の特徴である。

10 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:28:59 ID:m/XbY6hn
626 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/13(日) 09:58:22 ID:Cu6sT2aX
 人間には意思がある。行動がある。知見がある。休息も欲望もある。まさにそういう存在である。
これに対して阿修羅という存在がある。最古の仏典には阿修羅はないそうだ。もともとは人間の一形
態であったが、後に独立した一形態になった。阿修羅と人間との決定的違いは意思の有無である。阿
修羅には意思がない。通常、衆生界は自らの意思で行動する。行動の裏には必ず意思がある。しかし、
その意思を奪われている存在がある。分かりやすく言えばこれは軍人である。行動は他人の意思に支
配される。命令あれば嫌でも戦地に赴き、人間兵器となって敵艦に体当たりしていく特攻攻撃もしな
ければならない。興福寺には阿修羅像がある。阿修羅像は顔が三つある。阿修羅には自分本来の固有
の意思が存在しない。高級軍人は海底の奥深くに住み、下級軍人は山間僻地あり、常に雷鳴に脅かさ
れている。往生要集はそう説いている。高級軍人は通常、ほとんど社会に顔を出すことがない。人民
に顔を出すのは政治家である。下級軍人は国境で警備に当たる。軍人は、命令があれば命に代えて外
敵軍と戦う。

 人間は通常、自らの意思実現に向けた行動に大きな制限がある。しかし、その制限がほとんど無い
者がある。天才は、しばしば意のままに自在に驚異的な絵画を描き、彫刻を表現する。政治家は軍事
力を発動し、圧倒的な力で人民を支配する。これはすべて天である。天の最高位を有頂天という。

11 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:50:01 ID:m/XbY6hn
627 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/13(日) 09:59:40 ID:Cu6sT2aX
 人はしばしば、この六道を廻る。昨日は有頂天であった者が、今日は地獄の底で塗炭の苦しみを受
けることがある。ケダモノとなり、あるいは鬼となる。これを迷いという。
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天、ここには共通点がある。全て欲望を持つ。欲望を断てば迷い
はなくなるだろう。欲を断とうじゃないか。そういう提案がなされる。しかし、欲を断って清らかな
生き方をしても、所詮それは現実性がない。これを絵に描いた餅という。理想主義は現実味がない。
このような理想主義を色天という。形はあるが実行性がない。つまり行動がない。これでは物事は動
かない。色天は、無欲でかつ思考がある。知見がある。意思もある。しかしそこには満足な行動性が
ない。本質的にはこれも地獄・餓鬼・畜生界、つまり三悪道とつながっていた。

 理想主義ではだめだ。理想主義は結局絵に描いた餅。三悪道とつながっている。当然そういう批判
もあるだろう。こういう主張は、しばしば無政府状態になる。反理想主義は破壊主義に走る。そこに
は計画がない。つまり一定の形がない。これが無色天である。理想主義はだめと言って、それでは形
をなくす破壊主義に走れば何か解決があるのか。そこにもなんら解決はない。破壊の限りを尽くして
も解決はない。これも三悪道とつながっている。

 人は、再起・挫折・再起・挫折を繰り返す。今のこの私の再起・挫折・再起・挫折、生・死・生・
死は、私の肉体の誕生で始まったものではない。肉体の消滅で終わるものでもない。今のこの私の再
起・挫折・再起・挫折は、無明を本質とし、過去、無数の人々が始めなき始めから繰り返してきた。
 自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あ
ることなき身である。

 輪廻とは、霊魂が生まれ変わることではない。まさにこのようにして無限の過去から、無限の未来
に向け、とどまることなく再起・挫折・再起・挫折を繰り返すことをいうのである。
 再起・挫折・再起・挫折を繰り返すこの迷いから脱出する道を探そう。これが仏道である。

12 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:51:24 ID:m/XbY6hn
 思わぬ所でスレの切り替えがありました。順序は、>>5-10>>2-4になります。>>4の続きは後日書きます。

13 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:53:37 ID:m/XbY6hn
>>12
誤 >> 5-10
正 >>5-11

14 :南無大師遍照金剛:2007/05/15(火) 19:08:31 ID:Z60N+B4w
ヽ(´∇`)ノ

15 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/17(木) 00:22:48 ID:LP7eGJ1x
双樹林下往生・難思往生・難思議往生            (化身土巻)
諸行往生・念仏往生                    (末燈鈔)
正念往生・狂乱往生・無記往生・意念往生          (安心決定鈔)
即得往生・臨終往生                    (浄土真要鈔本)
体失往生・不体失往生                   (口伝抄)
辺地往生・報土往生                    (歎異抄・口伝抄)
即往生・便往生                      (化身土巻)

 親鸞は往生という概念を様々に説明している。親鸞の考えに即して往生を考えてみよう。

 さあ、生死を超えよう。親鸞仏教も、釈迦以来のこの提案を踏襲していることは当然で
ある。再起・挫折・再起・挫折というこの果てしない連続を根本から断とうじゃないか。
そのためには無明を断てばいい。釈迦はそう教えている。さあ釈迦に学ぼう。仏弟子にな
ろう。仏陀にその道を教わっていこう。親鸞はそう提案している。

 人は千差万別である。従って、仏道の参加方法、仏弟子の成り方もひととおりではない。
親鸞は仏弟子の器を二種類に分けている。一つを邪定聚の機とよぶ。もう一つを不定聚
の機とよぶ。聚とは集という意味だ。人々という意味である。機とは器つまり器という
意味だ。器量という熟語に通じる。頑迷牢固に自分の意見に固まってしまっている者、こ
れを邪定聚の機という。自分の意見には決して固まっていないが、何が真実かは見えてい
ない者、これを不定聚の機という。邪定聚の機には、邪定聚の機なりの仏道への入り方が
用意してある。不定聚の機には、不定聚の機なりの仏道の入り方が用意してある。邪定聚
の機は双樹林下往生という形で仏道の世界に入る。不定聚の機は、難思往生という形で仏
道の世界に入るのだ。

16 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/17(木) 00:25:11 ID:LP7eGJ1x
 ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸
善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに
難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、
速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるか
な。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡
要を拾うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴す
るなり。(化身土巻)

 (私もかつては双樹林下往生しました。しかし)私は、曇鸞大師が書かれた浄土論註を
拝読し、善導大師の勧めにより、ずっと以前に万行諸善を積む(その)双樹林下往生を離
れ、善本・徳本つまり南無阿弥陀仏を称えようという真実の門に入り、永くここに親しみ、
難思往生の心を抱いてきました。しかし、今、方便であった真実の門を抜けだし、選択の
願海に転入しました。真実の門という方便の難思往生の心をできるだけ速やかに離れ、難
思議往生の世界に到達しようと思います。阿弥陀仏は、20願で果遂の誓いを起こしていま
す。必ず成し遂げよう、もし成功しなければ、自分は大乗の仏になったとは思うまい。
そのように誓っています。選択の願海に転入し、先人達の深い心が見えてきました。先人
達の親切と優しさとご苦労に報いるため、真実の宗の核心部分を抜き出し、永遠の偉大な
る世界を称賛し、心に念じたいと思います。

 九歳の春の比(ころ)、阿伯従三位範綱卿 〜、前大僧正〜の貴房へ相具したてまつり
て、鬢髪を剃除したまいき。範宴少納言公と号す(御伝抄)。

 親鸞は9歳の時、養父に連れられて慈鎮和尚の元で出家し、剃髪したようだ。親鸞が、
双樹林下往生したのはこの時のことを言っている。親鸞は、仏教というものを皆目何も分
からない状態で9歳の時に仏教の世界に入ったのだ。

17 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/17(木) 00:27:04 ID:LP7eGJ1x
 何よりも、殿の御往生、〜 山を出でて、六角堂に百日籠もらせ給いて、後世を祈らせ
給いけるに、九十五日の暁月、聖徳太子の文を結びて、示現にあずからせ給いて候いけれ
ば、やがてそのあか月、出でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、訪
ねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、又、六角堂に百日こもらせ給いて候いけるよ
うに、又、百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに、ただ、後世
の事は、善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべき道をば、ただ一筋に仰せられ
候いしをうけ給わり定めて候いしかば、上人のわたらせ給わん所には、人はいかにも申せ、
たとい悪道にわたらせ給うべしと申すとも、世々生々にも迷いければこそありけめ、とま
で思いまいらする身なればと、ようように人の申し候いし時も仰せ候いしなり(恵信尼手
紙)。

 親鸞は、あるとき比叡山を下り、六角堂で百日籠もった。恐らく常行三昧という荒行を
やったのではないかと思う。現代では、酒井雄哉さんが行っている。このとき、親鸞は聖
徳太子への願文を書いていたようだ。常行三昧では、行者は死の淵まで行く。そこでしば
しば幻覚を見るようだ。示現にあずからせ給うとは、幻覚を見たのだろう。その後親鸞は
いったん法然に会いに行く。しかしそこで決心が付かず、もう一度百日常行三昧を行う。
さらに、その後も六角堂に通う行をやっという。酒井雄哉さんは常行三昧の後、千日回峰
行を行ったようだが、どうやら親鸞は100日間の回峰行をやったようだ。これによって、
比叡山での修行に終止符を打つ決心が付き、法然の下に正式に弟子入りした。
 当時、法然上人はただ念仏せよと教えていた。親鸞は、専一に念仏だけを称えていく善
本・徳本の真門に回入し、難思往生を遂げた。         続く

18 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/18(金) 01:03:11 ID:QdNLEn6d
 往生という概念を知りたければ、双樹林下往生の概念を基本に考えればいい。従来、真宗学で
は、双樹林下往生を釈迦の死と結びつけ、双樹林下往生とは、釈迦のような立派な死に方すると
いうような風に解釈してきていると思う。これでは九歳の時の親鸞の出家と結びつかない。双樹
林とは、祇園精舎の別名だろう。平家物語の書き出しは、祇園精舎が沙羅双樹林の中にあったこ
とを教えてくれている。つまり、双樹林下往生とは、祇園精舎に入学することを言う。親鸞は、
九歳で青蓮院に入学し、その後は延暦寺に登っている。青蓮院も延暦寺も祇園精舎の分校である。
青蓮院で剃髪したと言うことは、このとき親鸞は祇園精舎の分校に入学したのだ。ここで入学し
たのは、親鸞の霊魂だけではない。親鸞は肉体も、精神も、まさに全人格をもって祇園精舎に入
学したのである。往生は、親鸞の霊魂だけが親鸞から離れて入門したと思ったなら、これは大き
な間違いである。
 親鸞はなぜ祇園精舎に入学したのか。親鸞に言わせれば、当時、彼も彼の回りもみな、邪定聚
の機だったからである。まさにここがいい、つまり青蓮院がいい、延暦寺がいいと、邪に確信してい
たからである。青蓮院も比叡山も、そこがいいと信じる人のために仏道の門戸を開いていたのだ。

 釈迦は、三五歳の時、十二因縁の原理を悟った。同時に四諦を悟った。実体を知り(苦)、そ
の原因(集)を知り、原因を克服する方法論(滅)を実践(道)すれば、無明を断てる。互いに
学び合おう、教え合おうと提案した。
 学則(戒律)を守ることを誓った者は入学を許し、有形の真理は智慧という形で、文字で、言
葉で、絵画などで教えた。無形の真理は、禅定法を教え、これによって誰でもがいつでも身近
に手に取れるようにした。釈迦は戒・定・慧を三学と呼び、これを教育の基礎においた。祇園精
舎は釈迦の教育理念をそのまま実践し、祇園精舎の分校もまさにそのように釈迦の理念を実践し
ていた。双樹林下往生とは、まさにそのような釈迦の学校に、霊魂だけでなく、全人格をもって
入学することをいうのである。

19 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/19(土) 00:25:19 ID:QmgtySWY
 親鸞は、延暦寺という双樹林下学校(祇園精舎)の分校に入学した。なお、断っておくが、実
は延暦寺という寺は、本当は存在しない。比叡山一帯にある寺々を延暦寺と仮に総称している。
親鸞は、比叡山のどこにいたかは、現在では分からなくなっている。
 9歳の子供がいきなり青蓮院や延暦寺に放り込まれれば、世界が変わる。このとき親鸞は全く
別の世界に往った。
 それまで、例えばクレヨンしんちゃんごっこをしていた子供が、いきなり戒律を与えられ、こ
れを守れと言い渡されれば、自分の立ち居振る舞い、つまり行動を大きく変えなければならない。
行動を変えるには心も変えなければならない。心と行動が変われば、人は人格が変わる。このと
き古い親鸞が死に、新しい親鸞が生まれた。まさに双樹林つまり祇園精舎の世界に、霊魂だけで
なく全人格をもって往き、生まれた。

 親鸞は、延暦寺では堂僧という地位にあったらしい。堂僧というのは、かなり低い地位のよう
だ。恐らく弁慶などと一緒で、緊急時には長刀を持って強訴する僧兵の一人だったんだろうと僕
は想像している。僧兵には、有髪の兵士と出家兵士とがいた。親鸞は出家兵士の一人だったんだ
ろう。
 僧兵であっても、普段は学問をしている。親鸞が、曇鸞や善導に最初に会ったのは延暦寺での
ことだ。延暦寺で曇鸞や善導に会っているということは、親鸞は浄土系の学派に属していたとい
うことだろう。親鸞は釈迦の教育哲学に基づき、戒律を守り、智慧を学び、禅定を修行していた。
普段修める禅定は、円仁大師が唐から持ってきた五会念仏を修めていたのだろうと思う。僧兵な
らば、恐らく武闘訓練も日課に入っていただろう。

20 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/24(木) 00:46:27 ID:zRfGhVqi
>>19
続きは近日中。

21 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/26(土) 13:18:05 ID:Cz0ClXwT
 親鸞はなぜ法然の下に走ったのか。好きな女性がおり、女の尻を追ったのか。玉日姫の伝説な
どを信じれば、まさにそういうことになるんだろう。親鸞は、女の尻を追っかけて学校を退学す
るような人間だったのか。はたしてそうだったのか。行者宿報などの偈文を信じればそんな話にも
なるんだろう。しかし、玉日姫の伝説は大正時代に恵信尼公の手紙の発見で消滅した。偈文の件
については、僕は確かな証拠がない限り信じない。根も葉もない三流の馬鹿話の類だろうと思って
いる。

 釈迦は教育者であり、大乗仏教は教育学である。教育には様々なジャンルがある。大乗仏教の
先人達は、個人教育と学校教育を重要視した。法然は社会教育の重要性を訴え、親鸞もその社会
教育の重要性に共鳴した。これが比叡山教育学と法然教育学との根本的な違いであり、親鸞は、
比叡山になかった新興の社会教育論に惹かれ、比叡山を下りた。僕はそう思っている。
 法然以前にも社会教育の重要性を感じ、その実践を行おうとした人はいただろう。しかし、そ
の人一代で終わったり、あるいは確固とした哲学がなく土俗の慣習世界に埋没していった。法然に
は哲学があった。親鸞は哲学のある社会教育学に惹かれていった。

 伝教大師・弘法大師はいずれも学校教育学の確立を目指した。伝教大師は延暦寺、弘法大師は
金剛峰寺をその教育の現場に据えた。釈迦以来の戒律と智慧と禅定とを全寮制という枠の中に若
者に教え、次の時代の教育者も育てようとしていた。この考えは、基本的には釈迦の考えと同じ
だ。釈迦は祇園精舎を建設している。

22 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/26(土) 13:21:14 ID:Cz0ClXwT
 全寮制とか学校という枠を出よう。広く社会の人に直接真理を伝えよう。真理を一部の特権階
級の独占物にしてはいけない。これが社会教育の基本的考えである。かつては鑑真和上も同じよ
うな考えを持っていた。鑑真和上は東大寺・唐招提寺との関連が強いが、あの人はかなり全国を
回り、各地で大衆に授戒を行い、倫理・道徳という概念を知らなかった日本の大衆に、仏教の先
進の倫理を伝えている。ただ、日本の律宗は鑑真和上以後、殻の中に入り込み、大衆に仏教倫理
を伝えるという努力を怠ってきているように思う。なお、東南アジアの現代仏教は、大衆に仏教倫理
を伝えるということが重要なテーマになっているようだ。

 釈迦の教育学は、戒律と禅定と智慧とが三本柱である。これは、学校教育では重要なテーマと
なるが、社会教育でもそれが言えるのだろうか。鑑真和上は、日本で最初に社会教育を実践した
高僧だが、そのとき民衆に伝えたのは、戒律だけである。仏教の基本である五戒を伝えたんだろ
うと思う。三学は戒律と禅定と智慧であると言っても、大衆に禅定や智慧まで教えようとしたわ
けではない。

 大衆に仏教を伝える場合、あれもこれもなどということは不可能である。大事なこと一つだけ
を伝えればいい。それならどうするか。社会教育学は、教える側にそのような選択が迫られてく
る。

23 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/31(木) 12:26:53 ID:yqP4Dh/L
 しばしば、バスや電車内には市民講座という案内が掲示されている。「市民のための一日源氏
物語講座」などというのは、ラーメン屋さんやパン屋さんなどが簡単に受講でき、非常に便利な
ものだ。一般に、源氏物語などというとラーメン屋さんやパン屋さんには敷居が高いが、大学の
先生などが大学の一角を市民に一日だけ開放して教えてくれるという機会は意味のあることだろ
う。
 源氏物語を勉強しようと思えば、普通は大学などに入学する。入学するには試験がある。源氏
物語を勉強しようと思っても、入学のためには、数学も物理学も勉強しないといけない。入学し
てからもいろんな勉強が待っている。源氏物語だけではなく、シェクスピアもギリシャ悲劇も勉
強しないといけない。そうやって幅広く勉強していって初めて源氏物語が分かってくる。しかし、
そんなことはラーメン屋さんやパン屋さんには不可能だし、ラーメン屋さんやパン屋さんが源氏
物語を勉強しようと思えば、そこまでは必要はないだろう。大学の先生などが半年か一年に一度、
不定期に市民講座を開いてくれれば、それだけでもう十分なんじゃないだろうか。
 半日、一日の市民講座を受講し、それだけで源氏物語が分かったなどと思えば、それは噴飯物
だろうが、それを受講しなかった場合と比べれば、ラーメン屋さんやパン屋さんのレベルで考え
れば、月とすっぽん、雲泥の差があるだろう。
 市民のための一日源氏物語講座では、シェクスピアの話は出ないだろう。ギリシャ悲劇の話題
も多分無いと思う。源氏物語講座全巻に及ぶ話もない。例えば桐壺の巻だけでも詳しく教えて貰
えれば、市民講座終了後は、源氏物語を自分一人で多少はめくれるようになるだろう。日本の古
典文学に触れるというのは、ラーメン屋さんやパン屋さんの人生にとっても意義あることだろう。


24 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/31(木) 12:28:39 ID:yqP4Dh/L
 親鸞仏教も実はそれと同じだ。仏教を勉強するとなると、頭を剃り、衣を着替え、戒律を授か
り、全寮制の延暦寺や金剛峰寺に入学する。こうした道は、ラーメン屋さんやパン屋さんに簡単
にできる話ではない。
 学校式仏教学では、戒律と禅定と智慧の学習が三本柱になる。戒律は価値観である。二千年も
三千年も昔の赤道近くのインドの価値観が、二千年も三千年も経て、雪降る北方のジパングでそ
のまま妥当するとも思えない。智慧は、真理を有形的に示してある。形を持てば真理と雖も時間
と共に古くなる。パソコン会計ついても、簿記についても何一つ解説していない仏典を、今更ラ
ーメン屋さんやパン屋さんが一生懸命勉強しても意味がないだろう。
 ラーメン屋さんにはラーメン屋さんの勉強がある。仏教の智慧はどんなに深くても、パソコン
会計についても簿記についても解説していないものを勉強する必要はないだろう。ラーメン屋さ
んはラーメン屋さん学校の勉強をすればいい。戒律もいらない。国には憲法があり、法律がある。
ラーメン屋さんとして他人から後ろ指さされない生き方をしていけば、もうそれでいい。仏教か
ら正邪の価値観を教わらなくても、正邪の価値観はラーメン屋さんの世界で教わればいい。ラー
メン屋さんには仏教からは禅定だけ教えよう。禅定と言っても全部ではない。市民講座源氏物語
が入口の桐壺だけ教えてくれるように、ラーメン屋さんは禅定の入口だけ教わりなさい。それは、
禅定ではなく、称名念仏という形で教えよう。ラーメン屋さんが源氏物語を教わろうすれば、桐
壺の巻だけ少し突っ込んで教われば十分なように、ラーメン屋さんが仏教を教わろうすれば、称
名念仏だけ教われば十分だ。


25 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/31(木) 12:30:19 ID:yqP4Dh/L
 源氏物語の学習には大学に入学して教わるという方法と、市民講座に入学して教わるという方
法とがある。仏教にも二つの方法がある。祇園精舎又はその分校に入学するというありかたがあ
る。それが一つだ。これを双樹林下往生という。双樹林下往生では、戒律と智慧と禅定とを必死
になって勉強しなければならない。シェクスピアもギリシャ悲劇も勉強しないといかんだろう。
しかし、善導大師が市民講座用のもう一つの入り方を開いてくれた。それを難思往生という。ラ
ーメン屋さんやパン屋さんなどが仏教を勉強するための方法である。源氏物語難思往生市民講座
は、半日・一日程度、桐壺だけ解説してくれる。後は、自分で好きなとき、暇があればぱらぱら
と源氏物語をめくりなさいな。仏教難思往生市民講座は、禅定のうちの入口部分、称名念仏だけ
を教えてくれる。後は好きなとき、暇があれば称名念仏を繰り返していけばいい。親鸞仏教は、
まさにそういう市民講座仏教なのだ。

26 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/05(火) 11:17:20 ID:6Ps/IbRq
 親鸞会系のスレは流れが速いから今の内にメモしておく。

 信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も
如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし  (和讃)

  称名念仏励 めよ」なんどの教えは、如何に間違っているかが判るであろう。若し、この
ような称名正因の教えを許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしま
うのだ(白道燃ゆ)。 

 高森さんのこの議論に対し、僕が批判したところ、詳しく教えて欲しいという要請がありま
した。往生論に続いて、いずれここで解説します。

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179066040/385
名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/06/04(月) 01:03:15 ID:dj2o0eB/

「親鸞聖人が聞けばそれこそ転覆してしまうようなデタラメを教え」
どこに根拠があるの?(私、頭悪いから分かりやすく書いてね)

金集めて何が悪いの?
出させて頂く側は好きでやっているんだから。
仮に、ぜ〜んぶ、先生のところへ行っても、いいですよ。
親鸞聖人の御教えを明らかにして下される方のところであれば。。

浄財が、除名者や除名者候補のところに行くのは気に入らないけどね。
(浄財で生かされている本会の職員でありながら、
親鸞聖人の教えを曲げるから除名になるの!)


27 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/06(水) 09:17:51 ID:MmLn3Y9t
 市民講座などで大丈夫なんだろうか。自分は源氏物語全体を知りたいんだ。ところが、市民講
座は桐壺しか教えてくれない。桐壺だけで源氏物語全体が分かるんだろうか。ラーメン屋さんは
そんな風に疑問を持つ。
 考えてみよう。ラーメン屋さんは、別に、源氏物語で学位論文を通したいと思うんじゃないん
だろう。平安朝貴族の雅な精神に少しでも触れ、その豊かな心が少しでも自分の日常の中で生き
るなら、それで十分なんだろう。平安朝貴族の雅な精神は、源氏物語全体に流れているからこ
そ、桐壺の中にも十分流れている。全編の解説を聞けなくても、桐壺の解説だけで、源氏物語の
精神には十分に触れることができるだろう。
 源氏物語は普通、大学で教わる。しかし、微分・積分も分からない。三角関数もチンプンカン
プン。中国史の義和団の乱も、朝鮮の東学党の乱もチンプンカンプン。そんな人には大学入試は
受からない。大学に入れない。罪悪深重、煩悩熾盛とまでは言わないが、ラーメン屋を切り盛り
していれば、大学などには通えない。市民講座はそんな人のために開かれている。
 市民講座の先生は、大学の学部学生・院生などと市民講座の生徒を区別しない。ラーメン屋さ
んでも、パン屋さんでも、警備員さんでも、源氏物語を教わりたいという人は大歓迎してくれる。
学部学生や院生などは、三角関数を知らないと言えば「なんだお前は三角関数も知らないの
か」と眉をひそめられるが、パン屋さんにはそんなことはない。三角関数を知らないパン屋さん
が「私は光源氏が大好きだ」と言えば、市民講座の先生などは「そうだ。そうだ。私も大好きな
んだ」と言ってくれるだろう。パン屋さんやラーメン屋さんの源氏物語の勉強は、市民講座で十
分だ。パン屋さんやラーメン屋さんの仏教講座は、難思往生だけで十分なんだ。

 難思往生市民講座で、ただ念仏しなさいよと教えてくれているは、天の神様ではない。宇宙の
中心の万物の創造主でもない。善導大師という、中国、唐の時代の高僧だ。パン屋さんやラーメ
ン屋さんの源氏物語講座は桐壺だけで十分。パン屋さんやラーメン屋さんの仏教講座は、念仏だ
けで十分だと教えてくれている。

28 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/06(水) 09:18:33 ID:MmLn3Y9t
 ところがどうだろう。ただ念仏しなさいよと言ってくれているその背景には、先生の心がある
はずだ。大学学部でも、大学院でも、生徒と先生の間には師弟関係がある。市民講座にでも師弟
関係があるだろう。そこには、本物の生徒と、仮の生徒がいるはずだ。念仏申せと言われたとき
だけそれを実行する生徒は、先生の真の心が見えていないロボットのような仮の生徒ではないの
か。それをもし仮の生徒と呼べば、それ以外の生徒もいるだろう。
 市民講座の生徒が、念仏しなさいよと言ってくれている先生の真意が感じられたとき、人は初
めて市民講座の本当の弟子になる。市民講座の先生の生徒になる。市民講座の生徒が、市民講座
の生徒としてやることは念仏だけだけど、その念仏をする中で、先生から拈華微笑され、我が意
を得たりといわれたとき、人は初めて市民講座の本当の生徒になるのではないか。それまでは、
仮の生徒と言うべきだろう。先生と肝胆相照らすそんな生徒になる。親鸞はそれを、難思往生と
区別して、難思議往生と呼んでいる。

 源氏物語市民講座の生徒は桐壺だけでいい。しかしその桐壺を学ぶ中で、先生と肝胆相照せる
そんな精神世界を模索してみようじゃないか。仏教市民講座の生徒は、禅定の入口、称名念仏だ
けでいい。しかしその称名念仏を実践する中だけで、念仏せよと教えてきてくれている先生と肝
胆相照らすそんな関係を模索してみようじゃないか。そのとき生徒は、先生と同一の精神世界を
共有する。市民講座の仮の生徒の枠を越え、本当の生徒になる。人は難思往生を越えて難思議往
生を達成する。

 難思議往生は、別に霊魂だけが肉体から抜け出てどこかにふわふわと流れていくことじゃな
い。まさに身も心も全身全霊をもって先生と肝胆相照すそんな関係を持つようになる。難思議往
生は、肉体から抜け出した霊魂だけの話じゃない。肉体も精神も、あらゆる価値観・世界観にお
いて先生と肝胆相照す先生と同一の精神世界に参入する。これを仏教市民講座の難思議往生と呼
んでいる。

29 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/11(月) 09:16:53 ID:CALheV5F
 先生の弟子となって先生の下に入門するなら、形ばかりの生徒じゃなくて、実質のある生徒に
なろう。仮の生徒じゃなく、本物の生徒になろう。本物の生徒とは、自分の方からもこの人こそ
自分の本当の先生であり、先生の方からもこの人は自分の本当の生徒であると、そんな風に言っ
て貰える生徒になろう。先生と生徒が、共に肩を抱き合い、肝胆相照す同一の精神世界を共有す
るそんな世界を求めようじゃないか。
 先生の指示だから、それじゃまあ、言われるままにやろか。そんなんじゃなく、先生の真意が
本当に汲み取れて、先生の心が見えてその教えを守るそんな弟子になろう。難思往生を越え、実
体のある難思議往生を求めよう。

 源氏物語は、桐壺以外にも、帚木、空蝉、夕顔などもやはり読まないと駄目なんじゃないか。
そんなことはない。市民講座の先生が、桐壺だけしっかり読んでご覧と仰っている。ラーメン屋
さんやパン屋さんは、桐壺だけしかり読んでみればいい。そうすればきっと分かるものがあるだ
ろう。ああそうだったのかと、きっと見えてくるものがあるだろうと言っている。それなら、先
生の真意は、桐壺だけをしかり読ませようというところにあるんだろう。

 善導先生は念仏だけ称えてみなさいと仰っている。念仏だけでいいんだと言ってくれている。
しかし本当は念仏以外、いろいろな行をやってみないとだめなんじゃないか。いやいや、そんな
ことはない。念仏だけしっかり称えていけば、必ずやきっと分かるものがあるだろう。親鸞先生
は、善導市民講座でそう仰っている。

30 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/11(月) 09:17:59 ID:CALheV5F
 親鸞聖人の時代、先生と肝胆相照すような精神世界に到達した人という人は幾人もいたようだ。
「また、真宗の聞き書き、性信房の書かせ給いたるは、少しもこれに申して候様に違わず候えば、
嬉しく候」。親鸞は性信房の信心について全幅の信頼を寄せていたようだ(血脈文集)。こうい
うお弟子さん達は性信房以外にも、関東にたくさんいたようだ。おそらく真仏・顕智などのよう
な人も、先生とは肝胆相照すそんな世界に入っていた人だろうと思う。だからこそ、親鸞は後顧
の憂い無く関東の多くのお弟子さんを彼らに預け、自分は法然一門の再興を目的に単身で京都に
向かったんだろうと僕は考えている。

 ところが、肝胆相照すようになるそんな人ばかりではない。念仏を称えても称えても、なかな
か「ああそうだったのか」と、膝を叩いて合点がいくようにならない人もいる。なかなか実感が
持てない。実感が持てなければ、様々なさまざまな疑問、疑いがでてくる。先生と肝胆相照す同
一の精神世界にはいたらない。こういう人は、しばしば、念仏が続かなくなる。しかし、それで
も、疑いながらも、疑いながらも、なお生涯、念仏を称えていけばどうなるか。

 先生はきっとこういうだろう。「まさに貴方も、私の心を本当に理解してくれた一人だった
と」。生きているとき、互いに実感を持って肩たたき合い、「そうだ、そうだ」といいあえなか
った。必ずしも肝胆相照すことはできなかった。しかし、念仏の世界というのは、けっして肝胆
相照す世界だけじゃない。念仏を称えようじゃないかという、先生のこの提案を受け、生涯念仏
を称え続けた人は、「そうだ、そうだ、貴方こそ、私の心を本当に理解してくれた一人だった
と」、先生はきっとその生涯を称賛するだろう。念仏を死ぬまで称え続けた人は、その人も、先
生の精神世界と同一の世界にあった人として、その生涯を喜んでくれるに違いない。この人こそ、
まさに、現代における目蓮に同じ、舎利弗に同じ、弥勒に同じだった、そう称賛するに違いない。

31 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/11(月) 09:18:55 ID:CALheV5F
 念仏は、疑いながら、疑いながら称えてもいい。疑っては駄目だと言ってもそれは逆に無意味
なことだ。疑う人は疑えばいい。疑いながら、疑いながらも、生涯称えていけば、まさにその生
涯は、全生涯をもって先生の精神世界と同一の世界に立つだろう。先生の精神世界と同一の世界
に立つのは、肉体から抜け出た霊魂だけの話ではない。生涯を全うした全人格が、身も心も先生
の精神世界と同一の世界に立つことになる。
 難思議往生とは、生涯、死ぬまで称え続けたというその事が、仏陀の称賛をベースに、その人
の全生涯、身も心も、霊魂も肉体も、全てが、仏陀の精神世界と同一の世界に立つことを言う。

32 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/20(水) 00:35:53 ID:tWk4nw+b
 極楽浄土はどこにある。阿弥陀仏は、釈迦の教師像を理想化したものだ。教師は生徒の未来を
信じて教育に当たる。生徒は未来を信じて努力する。
 太陽は東から西に移動する。時計の無かった時代、人々は太陽の位置で時間を知った。東は過
去、西は未来を象徴する。
 釈迦は、四つの姿を持っている。釈迦は三毒を抱える病人を直す医師である。人々に未来に向
かって歩ませる教師である。人々に働くことを教え、富をもたらす生産者である。人々に安らぎ
を与える休息所である。釈迦の四つの人格は、それぞれ独立した理想の仏陀像を形成した。東に
薬師仏、西に阿弥陀仏、南に宝生如来、北に不空成就如来を配する。
 阿弥陀仏は、釈迦を理想化した教師である。釈迦は祇園精舎を創建した。極楽浄土は祇園精舎
をモデルとして理想化した阿弥陀学校である。祇園精舎は釈迦の精神界を具現化した。阿弥陀学
校は阿弥陀の精神界を具現化している。
 釈迦の時代から二千年も三千年も経て、しかもインドからは遙かに遠く、ヒマラヤを越え、冬
には雪降る北方のジパングで、三学の内の一つでも、すなわち称名念仏だけでも称えている者は、
その尊さは釈迦の時代の目蓮に等しい。阿難に等しい。釈迦の精神界と同一の精神界を共有する。
それは、釈迦の教育者像を理想化した阿弥陀の精神界も共有するだろう。
 称名念仏する者は、西方極楽浄土に往生する。親鸞の確信は、極めて自然な考え方だと僕は思
う。

33 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/20(水) 00:37:10 ID:tWk4nw+b
 先生は念仏を称えよと教えてくれる。二千年も三千年も昔、灼熱の太陽の照りつけるインドで
妥当した価値観で作られた戒律などは、二千年も三千年も後、雪降る北方のジパングのラーメン
屋さんが守らなければならないような内容のものではない。ラーメン屋さんは、ラーメン屋さん
の学校で教えてくれるルールを守ればいい。
 二千年も三千年も昔のインドは、確かに世界の最先端の国だった。あらゆる最先端の知識があ
った。しかし、パソコン会計法も、簿記法も載っていない経典などは、駅前で一杯500円のラ
ーメンをサラリーマンに売っているラーメン屋さんが読まなければならないようなものではない。
500円のラーメン屋さんは、経典など読まなくても、読むものはたくさんある。新聞でもいい。
インターネットの記事でもいい。たまには遠くに遠足に行くのもいいだろう。経典を読む前にす
ることはいくらでもある。
 ラーメン屋さんは、禅定だけ仏教から教わればいいのだ。それも、禅定のごくごく入口だけで
十分だ。禅定のごくごく入口と言えば、それは称名念仏だ。先生はそう思って、駅前のラーメン
屋さんには称名念仏を勧めている。
 これに対し、先生がやれと言うから、先生の指示のまま称名念仏を実践し、言わなくなればや
らなくなるラーメン屋さんがいる。あるいは、先生の指示が休んでも自主的に称名念仏を続ける
ラーメン屋さんもいる。二人は同じだろうか。先生がやれと言うから実践するが、言わなくなれ
ばやらなくなるラーメン屋さんは、まだ先生の本当の気持ちが分かっていない。先生の指示が休
んでも自主的に称名念仏を続けるラーメン屋さんは、先生の本当の気持ちが分かったラーメン屋
さんだ。
 念仏が続かなくなるラーメン屋さんは、本物のお弟子さんではない。先生と価値観を一部では
共有しているが、完全な共有はない。精神界は隅っこで共有しているが中心は重なってない。だ
からこれは本物ではない。借りものだ。だからこれを仮土往生という。
 先生の指示が休んでも、自主的に称名念仏を続ける駅前のラーメン屋さんもいる。これは先生
と価値観が完全に一致している。こういう駅前のラーメン屋さんは報土に往生しているという言い
方を、浄土真宗ではするのである。

34 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/20(水) 00:39:30 ID:tWk4nw+b
 以上をもって往生論は一応完結したと考えます。
>>15の様々な往生概念は、上記の往生観から、その真意も容易に類推できると思います。

35 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/29(金) 12:48:10 ID:HFnIhLL4
>>26
  多忙。 近いうちに書きます。

36 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 12:35:24 ID:L8KWK8YK
>>26
 「白道燃ゆ」の転覆理論を紹介する。発行所 浄土真宗親鸞会 著者 高森顕徹 初版昭和4
9年8月25日、第65版平成9年9月1日
 この本は、つい最近まで親鸞会会員の必読書だったそうだ。

 「念仏か信心か」
 親鸞聖人の御教えは、釈尊出世の本懐である、阿弥陀仏の本願を開顕せられたものである。阿
弥陀仏の本願を離れて、浄土真宗はあり得ない。では、阿弥陀仏の本願とは何か。
 「総ての人々を、必ず救いとる」と言う御約束であるが、それについて三信(信心)と十念
(念仏)とが誓われているので、「信じての救い」なのか、「念仏称えての救い」なのか、本願
だけでは判然としないのである。 こんなところから、本願の真意の判らない人達は「念仏さえ
称えていれば、助けて頂けるのだ」と信ずるようになるのである。
 親鸞聖人、三十四才の時、法然門下に於いて、信行両座の諍論がなされた時に、行の座に迷っ
た連中も、そのように思い込んでいたのである。そこで親鸞聖人は、『教行信証信巻』に於いて、
「横超とは、即ち願成就一実円満の真教、真宗これなり」と喝破なされて、阿弥陀仏の本願の真
意、釈尊出世の本懐、三世諸仏の本意、七高僧の真精神の総ては、偏に第十八願成就文に説かれ
ているのだ、と断定なされた。故に、親鸞聖人の開顕なされた、浄土真宗の信心、教義の一切は
『本願成就文』によらなければならない。

37 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 12:35:56 ID:L8KWK8YK
 これを伝承せられた覚如上人は、「かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願成就の、信心歓喜
乃至一念等の文をもって依憑とす、この外未だ聞かず」(改邪鈔)と断言なされ、真実の信心は、
願成就文のみに明示されていると教えられている。
 更に、「真宗に於いては、いくたびも廃立を先とせり」といゝ、「それについて、三経の安心
あり、その中に大経をもって真実とせらる。大経の中には第十八願をもって本とす。十八の願に
とりては、また、願成就をもって至極とす」と教えられている。
 されば、この願成就文に反することを教えるものは、一切、異解、異安心であり、断じて真宗
の道俗とは言われない。
 では、浄土真宗の安心教義の至極を明示されている、『本願成就文』とは何か。
「諸有の衆生、其の名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへ
り。彼の国に生まれんと願ずれば、即ち往生を得て、不退転に住す。唯、五逆と正法を誹謗せん
とをば除かん」漢字で書けば、四十文字である。
 この詳しい説明は省略するが、この願成就文には、称名念仏が出ていないから「念仏称えたら
助かる」と信じているのは、真宗の信心ではないことが明白になる。
 願成就文では、明らかに、「信ずる一念」で信心歓喜と助かるのだ、と信心正因が打ち出され
ているからである。されば、本願の「乃至十念」の称名念仏は、三信の信心に収まって、こゝに
親鸞聖人によって、弥陀の本願の極意は、唯信独達であることが鮮明になったのである。
 親驚聖人が、この『願成就文』を説明する為に『教行信証信巻』上下二巻に一亘っていられる
御心中も、察せられるであろう。これ偏に、行々相対の称名念仏を破って、唯信別開の絶対門を
打ち樹てんが為であったのである。

38 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 12:36:30 ID:L8KWK8YK
 このような、親鸞聖人の教えに照らせば「念仏称えよ、そうしたら助かる」「称名念仏はげめ
よ」なんどの教えは、如何に間違っているかゞ判るであろう。若し、このような称名正因の教え
を許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしまうのだ。信心正因、称名報恩が、
真宗の正義であるから、念仏は総て信後、報謝の念仏に限るのである。いわば念仏は、信心を親
として生まれる子供であるが、称名念仏さえしていれば助かる、というのは、子供が親を生むと
いう、馬鹿げたことになる。
 我々真宗人は、親鸞聖人の『教行信証』に立ち、覚如上人の『改邪鈔』、蓮如上人の『御文
章』に一貫している信心正因、称名報恩の錦の御旗を、振りかざして進むのである。
 真実、救われる道は、この道一本キリである。これを障げる者は、何者と雖も、容赦なく斬り
捨て、踏み越えて、聖人の真意を開顕してゆくのが我らの聖使命と心得ているものである。

高森氏の提起 論点 
 「この願成就文には、称名念仏の意味が出ていない。だから、『念仏称えたら助かる』と信じ
ているのは、真宗の信心ではない。これは明白である。願成就文では、明らかに、『信ずる一
念』で信心歓喜し、助かるのだと、このように信心正因が打ち出されているのである。」

39 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 13:01:40 ID:L8KWK8YK
論点 1 「白道燃ゆ」は、この「一念」に、称名念仏の意味が出ていない。
論点 2 「称名念仏」が出ていないから、「念仏称えたら助かる」と信じているのは、真宗の
信心ではない。

 「称名念仏」の意味が親鸞仏教で出ていれば、「白道燃ゆ」の思想の方が転覆する。

 本願願成就の文、経にいはく、あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一
念せん。至心に廻向したまへり。かのくにに生ぜんと願ずれば、すなはち往生をえ、不退転に住
す。ただし、五逆と誹謗正法とをばのぞく。 (岩波文庫「教行信証 信の巻」)

 「おほよそ往相回向の行信について、行にすなはち一念あり。また信に一念あり。行の一念と
言ふは、いはく称名の遍数について、選択易行の至極を顕開す。かるがゆえに大本にのたまはく、
仏、弥勒に語りたまはく、「それ、かの仏の名をきくことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんこ
とあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなり」
と。已上
  光明寺の和尚は下至一念と云えり。また一声一念と云えり。また専心専念といへり。

 経に乃至と言い、釈に下至と曰えり。乃下そのことばは異なりといえども、その意、これ一な
り。また乃至とは、一多包容のことばなり。専念と云えるは、すなわち一行なり、二行なきこと
をあらはすなり。いま弥勒付嘱の一念はすなわちこれ一声なり、一声すなわちこれ一念なり、一
念すなわちこれ一行なり、一行すなわちこれ正行なり。正行すなわちこれ正業なり、正業すなわ
ちこれ正念なり、正念すなわちこれ念仏なり、すなわちこれ南無阿弥陀仏なり。(岩波文庫「教
行信証 行の巻」)

40 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 13:03:12 ID:L8KWK8YK
 願成就文の乃至一念とは何か。乃至一念という概念を、善導は下至一念と言ったり、一声一念
と言っている。
 大無量寿経末で、釈迦は願が成就していることを二箇所で述べている。最初は阿難、最後は弥
勒である。阿難に伝え、弥勒に伝えた一念はすなわちこれ一声という意味である。これが一念で
ある。一念すなわちこれ一行なり、一行すなわちこれ正行である。


 信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし
     (和讃 親鸞) 

 称名念仏さえしていれば助かるんだ。必ず助かる。そう教えているのが浄土真宗だ。
 
 念仏三昧は、これ真の無上深妙の門なり。〜 王いま座禅してただ当に念仏すべし(行の巻)

 念仏三昧してみなさいな。必ず結果出てくるだろう。


「称名念仏はげめよ」なんどの教えは、如何に間違っているかゞ判るであろう。若し、このよう
な称名正因の教えを許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしまう。

 親鸞会の教えは転覆した教え。似非真宗。嘘・。インチキ・デタラメ・外道の教えであるとい
うことがわかるだろう。

41 :神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 12:53:03 ID:T3YGf0Gv
親鸞さんは越後に流されたとき、僧籍は剥奪されていたようですが
赦免された後、僧籍は復活したのでしょうか?
(朝廷および天台宗からの視点で)

公式な僧籍があるのと無いのとでは関東での立場も
ずいぶん違ってくると思うのですが

42 :神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 16:13:52 ID:Qt1jVbIF
>>41
ここは掲示板をブログと勘違いしている基地外が立てたオナニースレです。
基地外固定は相手にしないようにお願いします。

質問がある場合はこちらで聞いてください。
浄土真宗本願寺派 [22拍]
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1178984831/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート17
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1166685786/

以後、このスレへの書き込みは厳禁とします。

43 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/06(金) 00:10:49 ID:om8TYQ+X
>>41
 これには面白いことがたくさんある。次回から考えていきましょう。

44 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/08(日) 11:12:27 ID:LiQ2ik+/
>>41
>親鸞さんは越後に流されたとき、僧籍は剥奪されていたようですが

 越後流罪の時に僧籍を剥奪されているということは史実のようだ。決定的証拠は、真筆本教行
信証の末尾の記載だ。真筆本教行信証とは、坂東本教行信証、報恩寺に伝わっていた。坂東本教
行信証は、非常に惜しいことに、関東大震災で最初の部分が損傷している。しかし、大部分が残
っている。報恩寺は、親鸞の直弟である性信房が開いた寺だ。
 真筆本か否かと言うことは筆跡鑑定で行う。人は自分の名前を書くとき、ある共通的な癖が出
るそうだ。本人が自分の名前を書いたときにしか出ない癖が、坂東本教行信証の「愚禿釈親鸞」
という名前の記載のところに現れている。そのことから、坂東本教行信証は日頃から自分を親鸞
と名乗っていた人物が書いたという立証ができたということらしい。

>赦免された後、僧籍は復活したのでしょうか?

 伝言の伝言で申し訳ない。読んだ本の名前も忘れてしまった。ある本の中の記載で、明治時代、
日本の過去の僧籍名簿を研究した人がいたらしい。徳川時代まで、僧籍の認証は朝廷が行ってい
た。明治になってそれが廃止された時、それまでの僧の全名簿が公開された。恐らくそれは、現
代でもどこかにあるはずだ。国会図書館か、国立大学の書庫にでも眠っているんだろう。

45 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/08(日) 11:13:03 ID:LiQ2ik+/
 それを研究をした人が親鸞不在論を発表した。親鸞の名前は僧籍名簿に存在しなかったという
のが論拠だ。研究者は、鑑真和上来朝以来の日本の全ての僧籍名簿を閲覧し、親鸞あるいは善信
という名は存在しなかったというのだ。まあ、鎌倉時代初期を当たればいいわけで、奈良時代か
ら江戸時代まで全てをサーチしたわけではないだろう。当時、この研究は、社会に対しかなりの
インパクトがあったそうだ。

 同じように流罪になった法然の名はあったかどうかは興味のあるところだ。多分、法然という
名の独立した項目は無いだろうと思う。しかし、法然は戒師を行っている。法然が授戒した僧は
たくさんいるわけで、法然から受戒した僧の名のところに、法然の名は沢山でているだろう。し
かし、親鸞にそのような経歴はないから、僧籍名簿から完全に抹消されていた。
 僧籍名簿に親鸞の名前など存在しないのは当たり前の話だろうと思うが、親鸞は僧だったとい
う信じられないような誤解が世の中に蔓延している。親鸞は僧ではない。在俗の人だった。この
ことは、僕が2ちゃんねるで騒ぎ出したことだ。まあ、2ちゃんねるに来るまえから僕は言って
いたが、中学・高校の歴史の教科書を見てごらん、親鸞は僧だったと書いてあるだろう。親鸞は
鎌倉時代の僧ということに、文部科学省検定の教科書では書いてある。在俗の男だったとは書い
てない。

46 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/08(日) 11:13:50 ID:LiQ2ik+/
 親鸞は、肉食を行い、我が国で最初に公然と妻帯した僧である。梅原猛さんなんか、本の中で
大まじめにそう書いてる。最近は梅原さんも吉本隆明さんも、親鸞関係の書物の出版が止まって
いるようだ。僕が盛んに2ちゃんねるで独自の親鸞論を主張しているから、支離滅裂なおかしな
議論が書けなくなって出版がとまっているんだろうと、勝手に僕は想像している。違うかな?
(笑)。

 まあ、冗談はどうでもいい。親鸞不在論を終息させたのは、大正時代、西本願寺の書庫で発見
された恵信尼公の手紙だ。これが見つかって、親鸞実在論は不動化し、続いて親鸞の肉筆の教行
信証が見つかり、その後続々と親鸞肉筆の古文書が古い寺から見つかってきた。親鸞肉筆の消息
集は、坂東本教行信証の筆跡とを比較して同一人物という認証を与えているんだろうと思う。

 親鸞は僧籍を失っているという証拠はある。それは教行信証の記述だ。現代では親鸞実在の証
拠も無数にある。しかし、その中で、僧籍を復活していたということを示す証拠は一つもない。
僧籍を復活していなかったことを示唆する証拠もたくさんあると僕は思っている。具体的には教
義の中に散在している。親鸞に僧籍があれば、決して主張されるはずのない教義たくさんある。
そこから、親鸞は死ぬまで一在俗者だったと僕は確信している。

 親鸞は僧であったと考えると、「我が国で最初に公然と妻帯した僧」という梅原流のハチャメ
チャ論になる。親鸞は、在俗者であったという彼の社会的立場をしっかり認識し、親鸞の書き物
を読んでいくことはとても大事なことだ。

47 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 21:48:17 ID:N1meuLXd
>>44-46
詳しい説明ありがとうございました。なるほど・・・。

親鸞、善信はともかく範宴、綽空とかも無かったんでしょうね。
そうなると削除されたままということなんでしょうか。一度、
その現物を見てみたいものです。

渡海氏は越後に流されてから恵信尼さんと結婚した、という説を
とっているのですね。そうなると、僧籍剥奪された俗人・藤井善信の時代に
結婚したことになりますから、公然妻帯の先駆者ではなくなるわけです。

ところで、親鸞さん61歳前後に北条家の館で一切経校合に加わっていた、
という「口伝鈔」の記事が注目されているそうです。
これが正しいとすると、僧籍があったということになると思います。

48 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 21:49:39 ID:N1meuLXd
このあたりのことについては、まだいろいろ考えられそうです。

49 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/11(水) 00:31:14 ID:LRCLnFjX
>>47
>そうなると、僧籍剥奪された俗人・藤井善信の時代に 結婚したことになり
>ますから、公然妻帯の先駆者ではなくなるわけです。

 そうそう。ここは一つ理屈が飛んでいた。公然妻帯説を否定するには、最
低限もう一つ条件が入るんでしたね。忘れていました。
 京都結婚説というのがありましたね。僕はあれは、全く問題にしてないん
だけど、公然妻帯説を否定するにはその問題を説明しなければいけなかっ
た。公然妻帯説否定論は別の機会にきちんと議論しなければいけない
と思います。ここで触れるような問題ではなかったと思います。

 一切経校合では、古田武彦先生が面白い研究を発表しています。ご存
知でしたか?。もしご存じなければ、見ておくといいですよ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku1/j1shinra.html

 なお、親鸞は関東で僧としての待遇を受けていたようです。関東の仏教
環境は、京都とは違うものがあったんだろうと思います。
 少し書いてみます。


50 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/13(金) 09:58:55 ID:oS8HIqJy
 阿弥陀仏とは何か。その本質を論議してみました。 ↓

 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1171637950/368-370

51 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/18(水) 01:13:20 ID:sVRL3IKl
 無戒名字の比丘なれど 末法濁世の世となりて 舎利弗目連にひとしくて 供養恭敬をすすめ
しむ(愚禿悲歎述懐)

 親鸞の現実の社会的環境は、この和讃が全てを語っていると思う。親鸞は無戒だった。無戒で
あれば、僧ではない。親鸞は、自分は無戒であると断った上で自らを名字の比丘という。名字の
比丘とは、名前ばかりの僧という意味だ。
 僧として受戒しても、いったん還俗すれば、再び受戒しなければ僧ではない。親鸞は流罪の時、
俗名を給わって配流となっている。その後、僧として受戒していれば、自分のことを無戒である
とは言わないだろう。
 しかし、関東では親鸞は僧として処遇されたようだ。1233年、北条泰時は、北条の館で一
切経校合を開いた。北条政子の追善供養のためであり、その時の経典は、後に北條家から園城寺
に寄進されている。この辺の歴史的事実は古田武彦氏が研究している。親鸞はこの時、その校合
役の一人として参加した。親鸞は袈裟を着て出かけている。
 親鸞の時代、恐らく鎌倉は、京都文化圏に対向する文化圏の創設を急いでいたと思われる。そ
の場合、比叡山で三十年近くも修行していた親鸞などは、仏教の専門家(僧)として迎えられて
も不思議はないと思う。恐らく関東には、親鸞以上に経典に明るい人材は恐らくいなかったろう。
かつて、法然の下には熊谷直実が入門している。法然と北条政子とやりとりをした手紙が残って
いたはずだ。法然教団と鎌倉政府とは交流があった。親鸞を招いたのは、流罪事件後、京都で法
然教団を率いていた隆寛律師からの推薦があったのではないか。

52 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/18(水) 01:14:38 ID:sVRL3IKl
 親鸞は、僧の仕事には強い愛着があったようだ。僧は、人々を教育指導するのが仕事である。
法然は、社会教育者として人々に念仏を説いた。親鸞は、そんな法然に惹かれて法然門下に入っ
た。無戒名字の比丘という言葉の裏に、受戒の僧以上に自らは実質的に厳格に戒律を守ろうと
している親鸞の姿が僕には浮かんでくる。例えばそれは、親鸞真筆の「浄肉不浄肉の文」に現れ
ていると思う。あるいは、愚禿抄の「内は愚にして、外は賢なり」という言葉に象徴されている。
「内は愚にして、外も愚なり」とは言っていない。はっきりと「外は賢」と言っている。親鸞の
姿勢は、内は愚でも外は賢を立てていくのだ。

 しかしその親鸞は、自分が正式な僧でないというアイデンティティに苦しんでいたようだ。そ
んな心境は「末法濁世の世となりて 舎利弗目連にひとしくて 供養恭敬をすすめしむ」という
言葉に非常に良く現れていると思う。

53 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/19(木) 10:13:06 ID:T3uumbC0
 親鸞は僧という職業に非常に愛着があったようだ。流刑囚として配流されていた北陸では僧と
しての仕事はできなかったろう。恵信尼と夫婦になったのも、いちじは僧に戻ることを本気で諦
めたそんな北陸時代だ。
 しかし、流刑を赦免されると、僧の仕事ができる可能性が出てきた。僧は、親のいない子供を
集め、食べ物を与え、寝る場所を与え、読み書きを教えて社会に送り出す。人々には文字を教え、
暦を教え、病を治し、加持祈祷を行い、托鉢をする。教育者であり、医者であり、カウンセラー
であり、治山治水コンサルタントであり、農業指導者だった。
 親鸞は、配流赦免後もただちに全てが無罪放免になったのではなかったようだ。京都に戻ろう
としても、都払いの処分は続いていた。関東に行こう。親鸞がそう思ったのは自然なこと
だったのかも知れない。僧籍を失って還俗したとしても、吉水時代の人脈が全て消えた訳ではな
いだろう。法然教団は源氏とのつながりがつよかった。熊谷直実の人脈が親鸞を関東に誘ったの
かも知れない。報恩寺のホームページでは、開基の性信房が親鸞を誘ったと書いてあった。性信
房とは、関東出身で吉水時代から親鸞に付き添い、後には横曽根門徒の代表になった親鸞の一番
弟子だ。性信房が親鸞を関東に誘ったという可能性は強いだろう。
 関東には、京都と違った雰囲気がある。関東には、比叡山延暦寺がない。東大寺も、唐招提寺
もない。受戒して僧になろうとしても、国分寺・国分尼寺などは、将門の乱以後、既に廃寺とな
っていただろう。本式に僧になろうと思う人は、奈良・京都に行く。そういう人は地元に戻って
こない。そんな環境の関東には、戒律の縛りのほとんどない多くの私度僧がいたと思われる。京
都・奈良と違い、関東ではそういう人も僧として受け入れていただろう。実際、一遍上人なども、
全国行脚には妻を連れて回っている。僧としての社会事業を関東で本気でやろうとすれば、単身
者よりも妻帯者で夫婦力を合わせた方がやりやすかったろう。親鸞は妻を連れて関東に行き、そ
こでは僧として処遇されている。

54 :神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 21:58:07 ID:wo09RIKm
親鸞の人間観について教えてもらえないでしょうか?

55 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 00:25:00 ID:1wT1Aokg
>>54
> 親鸞の人間観について教えてもらえないでしょうか?

 話がもう少し具体的になりませんか。
 人間観と言えば、余りにも広すぎる。
 「親鸞の」と言われても、僕は親鸞じゃない。僕の人間観なら言えそうだ
けど、他人に成り代わって代弁するなどという離れ業はできない相談だ。

 貴方が聞きたいところがどこにあるのか、どうもよく分からない。

 親鸞の人間観について教えてもらいたいと思ったきっかけでもいい。もう
すこし書いて欲しい。

56 :神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 11:06:31 ID:gUT1no6T
授業で習ったのですが、親鸞という人物に興味を持ちまして…

親鸞の人間に対する考え方を知りたいのです

57 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 19:55:19 ID:1wT1Aokg
>>56
> 授業で習ったのですが、親鸞という人物に興味を持ちまして…
> 親鸞の人間に対する考え方を知りたいのです

 貴方は、中学生か高校生でしょうか。授業というのは、日本史?あるいは倫理・社会?。その
辺で親鸞の名に触れたのでしょうかね。
 親鸞の人間観というテーマに合っているかどうか分からないけど、恐らく学校の授業では教わ
ることのない親鸞の重要な考えを紹介しようと思う。悪人正機説で凝り固まっているような人は、
目を覆いたくなるような考えだと思う。でも、非常に常識にかなった親鸞の重要な合理的な考え
だから、若い人には知識として知っておいて貰いたいと思う。
 親鸞の考えには、自然法爾とか、信心正因とか、悪人正機とか、名前の付いた思想がたくさん
ある。でも、十代、二十代の若い人で、これから親鸞を勉強しようと言う人には、入口としてこ
れから紹介する考えを原点にすることを勧めたい。ここには極めて常識的なことを書いてある。
親鸞の教えというのは、まるで常識を否定する思想のような誤解があるようだ。親鸞の思想は、
常識を忘れて読んではいけないということを知って貰うために、紹介しておきたい。

58 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 19:56:02 ID:1wT1Aokg
 先に、経過を紹介する。
 親鸞は、29歳で京都吉水にあった法然の門を叩き、35歳の時、政府の弾圧を受けて法然と
共に流罪、親鸞は39歳で赦免となるが、都払いは続いていて京都に戻れず、茨城の笠間地方に
居住したようだ。ここで社会教育者として約二十年間、多くの人々に念仏行を教え、多くのお弟
子さんを育てた。俗に二四輩といわれるけど、この二四人の代表的高弟の外、当時、数千人の人
がいたんじゃないかと僕は想像する。

 流罪後、法然も数年で赦免になり、法然は京都に戻るが、その直後に入寂。京都の法然一門は、
法然の高弟達が指導者になったようだ。しかしやがて、法然一門は二回目の大弾圧を受ける。法
然の墓は暴徒に荒らされ、高弟の隆寛律師は流罪となる。京都教団の立て直しは自分の責任だと
思ったのだろう、親鸞は混乱の京都に戻る決心をした。関東での事業については、このとき既に
高弟の性信、真仏など、安心できる高弟達が育っており、彼らに任せることにした。性信は京都
吉水時代から親鸞について回っていた最古参の弟子だ。性信は親鸞より十五歳若い。性信には、
直筆の教行信証を渡した(坂東本)。

59 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 20:01:29 ID:1wT1Aokg
 隆寛の流罪は親鸞五五歳の時、親鸞が京都に戻ったのは、その五年後、僕は六〇歳の時だろう
と思う。この期間は、機会を待っていたのかも知れないかも知れない。長旅が可能な、遅すぎる
位のぎりぎりの年齢だったと思う。この時代、道元53歳、日蓮60歳、栄西74歳、頼朝52
歳で死んでいる。親鸞も、明日死んでもおかしくない年だった。

 親鸞八〇歳の過ぎ、巨大化した関東一門の中で様々な異説が出、性信らの手に負えない状況
が出現した。このころ、性信は六五歳、京都には関東からたびたび手紙送られ、直接お弟子さん
も上京してくる。歎異抄第二章は、そのころのことを題材にしている。

 親鸞は、もう関東に戻れない。そこで善鸞という人を自分の代理として関東に送ったようだ。
善鸞は親鸞の子だ。親鸞が善鸞を送り込んだことは、火に油を注ぐ結果になった。善鸞は奇想天
外の説を立て、関東の教団はさらに混迷していく。

 このころの手紙の一つを紹介する。   (続く)

60 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 22:04:53 ID:yKkeJnwv
>>51-53
なるほど。興味深いです。


61 :神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 22:17:24 ID:Q1b5h6w8
質問です
全ての人の命は同じだというけれど、
命の軽重さは世間にあふれています。

例えば、豚く人

この場合、仏教ではどのように説明するのですか??


62 :南無大師遍照金剛:2007/07/28(土) 22:36:09 ID:unD8zcfR
>>61
質問です
全ての人の命は同じだというけれど、
命の軽重さは世間にあふれています。

例えば、豚く人


(°∀°)そうなの?
何故そう思うの?
思い込みじゃね?
ペットの豚さんより
他人の命の方がカスだと思う権力者もいるんじゃね?
昔お犬様の時代も有ったし

63 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 00:48:11 ID:iZOt7ilA
>>59 訂正

誤 親鸞八〇歳の過ぎ、巨大化した 〜 さらに混迷していく。


 親鸞が去ると、数年後、関東教団に青天の霹靂のような事件が起きる。鎌倉幕府が念仏禁止
令を出したのだ。
 どうやら、善証坊という人物が問題の発端らしい。善証坊は親鸞もよく知っていた人物で、親
鸞の教団に出入りしていた。善証坊が鹿島・行方地方の人々との間で一悶着起こし、鎌倉幕府に
訴えがあった。その結果、鎌倉幕府は念仏禁止令を出した。
 このとき、教団責任者の性信が奔走し、結果的には事なきを得た。そのことは親鸞にも報告が
行った。親鸞は京都から手紙を送ってきた。

64 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 00:48:46 ID:iZOt7ilA
 なにごとよりは、聖教の教えをも知らず、また、浄土宗の真の底をも知らずして、不可思議の
放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、あるべ
くも候わず。

 どんな理由があるにしても、聖教の教えをも知らず、浄土の教えの真意も知らないにも関わら
ず、非常識な自分勝手な人々に対し、「悪いことは自由にやっていいんですよ。他力ですからね。
他力本願、悪人正機です。悪人こそが阿弥陀様のお目当てです。悪は自由にやっていいんです。
悪しかできない。善はできない。罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがためのご本願です。お助
けですよ。どんな悪をやってもいいんですよ。私たちはそんな宿業の存在ですからね。ああ、有
り難い。有り難い」。などと仰る方があれば、これは大変な間違いです。法・倫理・道徳は、正
しく守らなければなりません。

 北の郡に在りし、善証坊と言いし者に、遂に、合い睦るること無くて止みにしをば見みざりけ
るにや。

 思い返せば、私が関東に居たとき、北の郡に住んでいるあの善証坊と、私は、最後まで心を許
すことことがありませんでした。そのことはお気づきになりませんでしたか。

 凡夫なればとて、何ごとも思う様ならば、盗みをもし、人をも殺しなんどすべきかは。

 「人は所詮凡夫ですから。自由にやっていいんですよ。他力本願でみんな助けて下さる。私た
ちが凡夫であることは、阿弥陀様は十分に分かって本願をたてて下さっています。ですから何を
やってもいいんですよ」。

65 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 00:49:50 ID:iZOt7ilA
 凡夫であれば何をやってもいいというなら、泥棒をしてもいいのか。人を殺してもいいのか。
そんなことは決してない。泥棒はいけない。人殺しはいけない。法・倫理・道徳は、正しく守っ
て行きたいものだ。

 本、盗み心あらん者も、極楽を願い、念仏申すほどのことになりなば、本僻うだる心も、思い
直してこそあるべきに、その徴もなからん人々に、悪苦しからずということ、努々あるべからず
候。

 本来、盗癖のある者でも、浄土の教えを聞き、極楽を願い、念仏を称えるようになれば、自然
に元々の歪んだ心を改心するようになってこそ当然だと思います。そんな様子の無い者に、「悪
人正機ですからね。他力ですから。罪悪深重でいいんです。お助けです。人は努力などできませ
んよ。努力はいりません。ありがたい。有り難い」などということは、決してあってはいけませ
ん。

 煩悩に狂わされて、思わざる外に、すまじき事をも振る舞い、言うまじき事をも言い、思うま
じきことをも、思うにてこそあれ。

 煩い、悩み苦しみ、外に選択の余地が無く、全く不本意ながら、してはいけないことを行い、
言ってはいけないことを言い、考えてはいけないことを考えてしまう。そういう場合は、やむを
得ないと思います。


66 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 01:07:42 ID:iZOt7ilA
 障わらぬ事なればとて、人のためにも、腹黒く、すまじき事をもし、言うまじきことをもいわ
ば、煩悩に狂わされたる義にはあらで、わざと、すまじき事をもせば、返す返す、あるまじきこ
となり。

 大丈夫なんだ。全く関係ない。何をしてもいいんだ。こんなふうに思い、他人に対し、悪意をもって
悪事を行い、故意に言ってはならないことを言えば、これはもう煩悩の問題ではありません。煩
い、悩み、苦しみ、七転八倒して遂に外に選択の余地が無く、全く不本意ながら行うということ
と、故意に悪事を行うと言うこととは全く意味が違います。故意に、悪意をもって行うことは、
煩悩の問題ではないのです。これをもって、阿弥陀様がお救い下さるとか、悪人正機などと言え
ば、これはとんでもない間違いです。
 故意に悪いことをするということは、どんな場合でも許されることではありません。

 鹿島・行方の人々の、悪しからん事をば、言いも止どめ、その辺の人々の、殊に僻うだること
をば、制し給まわばこそ、この辺より出で来たる徴しにては候わめ。

 鹿島・行方の人々が、念仏者達の目に余る狼藉に不満を述べ、鎌倉政府に直訴したことは、念
仏者の特に間違ったことを正そうというそういう思いであったろうと思います。

 ただ、したからん事をばせよ、振る舞いなんども、心に任せよと言えると候らん、浅ましきこ
とに候。

 「したいことしなさい。行動も、自由気ままでいいんです。偽善はいけません。阿弥陀様のお
助け、悪人正機です。浅ましい我々を救おうというそういうご本願ですから、自由でいいんです
よ。自力はいけません。使命感・努力・正義感・克己心、みんな自力です。みんな捨てましょう。
さあ、お助けの阿弥陀様に救われましょう。御宗旨は浄土真宗ですからね」などと、もしも、こ
ういうことを言っているとしたら、これは真に情けない限りです。

67 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 01:08:24 ID:iZOt7ilA
 この世の悪きを捨て、悪しきことをせざらんこそ、世を厭い、念仏申すことにては候に、年頃、
念仏をする人なんどの、人のために悪しき事をもし、また、言いもせんは、世を厭うしるしもな
し。

 浄土を求めるとは、正しいことを行うということです。世を厭うとは、悪はしないということ
です。厭離穢土、欣求浄土。穢れた現世を嫌い、極楽浄土を求めると言うことは、悪いことは何
をしてもいいということではない。その反対なんです。悪いことはしない。正しいことを実践す
る。これが厭離穢土、欣求浄土の心で念仏を称えると言うことなのです。
 最近、念仏を称えるという人の中には、これをはき違え、他人に対し平気で悪いことを行い、
悪い言動をするという人がいるようです。これは、穢れた現世を嫌い、浄らかな浄土を求めると
いうその思いが全く無い人のことです。

 されば、善導の御教えには、「悪を好まん人をば、敬いて、遠ざかれ」とこそ、至誠心の中に
は、教え置かせ在わしまして候え。

 そういえば、思い出すのが善導大師の教えです。悪事を行う人には尊敬の念を忘れずに、しか
も近づくなということです。これは、至誠心を教えている中の言葉でした。

 いつかは、我が心の悪きに任せて振る舞えとは候。

 いったいどこに、自由気ままに悪い心そのままに行動せよなどいう話があるでしょうか。そん
なことがあるわけありません。

68 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 01:09:49 ID:iZOt7ilA
 大方は、経釈の文をも知らず、如来の御ことをも知らぬ身にて、ゆめゆめその沙汰あるべ
くも候わず。

 推測すれば、経典や解釈書の文章も知らず、如来のことも全く知らない人でありましょう。間
違ってもそのような振る舞いがあってはいけません。

 また、往生は、何事も何事も、凡夫の計らいならず、如来の御誓いに、任せまいらせたればこ
そ、他力にては候。

 また、極楽浄土への往生については、凡夫の自由になる問題ではありません。これは、如来の
誓いによるものであり、如来の誓いによるものである以上、如来に完全に委ねるほかありません。
それが他力ということです。

 様様に計らい合うて候らん、可笑しく候。あなかしこ、あなかしこ。

 往生について、ああでもない、こうでもないといろいろご心配なさっているようです。笑いた
くなってくる感じが致します。あなかしこ。

十一月廿四日 親鸞

69 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 08:31:26 ID:iZOt7ilA
<続く>
 なお、カキコは2,3日後。  多忙

70 :神も仏も名無しさん:2007/07/30(月) 06:29:08 ID:UPM4NELw
西村眞悟 無罪論ってなんですか?

71 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 11:24:22 ID:aoIfbV5K
 親鸞の手紙を読んで分かる親鸞の人間観を考えよう。四つの原理に注目したい。

1 善証坊と言いし者に、遂に、合い睦るること無くて止みにし

 心をゆるすことができない人物が親鸞にもいた。親鸞は機械的平等主義を実践する人ではなかっ
た。
 仏の慈悲に差別はない。人は全て平等であり、差別があってはいけない。こういう考えを、もし
硬直的に持っている人がいれば、この言葉は参考になるだろう。

2 放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、ある
べくも候わず。

 自分勝手な行動を取る者には、言っていいことと、言って悪いことがある。悪人正機というのは、
自分勝手な行動を取る者に説いている話ではない。法は、常に、相手の器に合わせて語られなけれ
ばならない。

72 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 11:25:42 ID:aoIfbV5K
3 煩悩に狂わされたる義にはあらで、わざと、すまじき事をもせば、返す返す、あるまじきこと
なり。 

 煩悩に翻弄されると言うことは、故意に冒す場合を含まない。故意に悪行を行った場合、それは
わざと行ったのであり、煩悩に翻弄されて行ったのではない。

 凡夫は煩悩の深い存在であると言うことは、行動にあたって自由な選択幅の少ない存在である
と言うことである。ここでは、過失と緊急避難と正当防衛という概念を考えるべきだろう。

 a 煩悩とは過失である。
 どんな場合でも、人は常に過失を犯す危険性を孕んでいる。過失とは、幾重にも注意を払った上
で、なおかつ誤った判断をする心理現象である。
 注意義務を怠たり、防止できる危険を防止しなかったほとんど怠惰な故意に近いような心理現象
は、親鸞が言う煩悩には含まれない。それは自己責任である。

 b 緊急避難・正当防衛である。
 やってはいけないことは認識しながら、外に選択の余地なく害悪を引き起こすことがある。
 注意義務を怠たり、防止できることを防止しなかったほとんど故意に近いような事象は、煩悩に
含まない。それは自己責任である。

73 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 11:26:43 ID:aoIfbV5K
 自制すれば防止できる害悪事象を、自制を放棄して引き起こすことがあれば、それは煩悩の問題
ではない。宿業の問題でもない。それは自制の問題である。
 常識で考えれば当然行うべき事、使命感・責任感・倫理観・克己心・向上心、こうした人として
当然の精神を放棄して不幸な結果をもたらした場合、これは煩悩の問題ではない。罪悪深重・煩悩
熾盛の衆生を助けんがための仏の本願とは、全く関係がない。これは宗教の問題ではないのだ。
 親鸞が煩悩に関わる宗教の問題として扱うのは、過失・緊急避難・正当防衛の問題である。親鸞
仏教の根本原理として認識しておきたい。

4 この世の悪きを捨て、悪しきことをせざらんこそ、世を厭い、念仏申すことにては候

 厭離穢土、欣求浄土。穢れた現世を嫌い、極楽浄土を求めよう。
 厭離穢土、欣求浄土とは悪いことはしないということである。正しいことを行うということであ
る。
 使命感・責任感・倫理観・克己心・向上心をもって正しいことを実践する。もしこれと異なれば、
それは厭離穢土、欣求浄土ではない。
   
5 往生は、何事も何事も、凡夫の計らいならず

 極楽浄土に往生できるだろうか、できないだろうか。そんなことは人が考える問題ではない。

74 :神も仏も名無しさん:2007/07/31(火) 12:59:58 ID:GFzgZ0aQ
やはり親鸞聖人は菩提心という点にかなりこだわったんですね

明恵上人からの批判に理論的に反論し、本願念仏こそ末世の真の仏法なり、
と証する課題を負った聖人であったがゆえに

75 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 23:38:33 ID:aoIfbV5K
>>74
  誤解があるようです。数日したら書きます。

76 :神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 00:19:19 ID:3lv6FIBI
真宗大谷派門徒です、そう父の死後過去帳に書いて頂きました。従前から御論拝読し
親鸞聖人の真の思想、教えを自分なりに摂取出来、有り難く思っております。ときに、お尋ねしたいのは
私が今生業としています「知的障害者」についてです。彼らにとっての浄土とはどのように考えるのが
良いのでしょうか。

77 :失礼する:2007/08/01(水) 21:40:59 ID:u2GXw6GP
残念ながら浄土には縁がないでしょう、だが彼らの為に変わって祈ってあげたいですね。そういう気持ちが仏縁を繋げる事につながって行くように思われます。

78 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/02(木) 00:30:21 ID:HI2TQgYG
>>73
 倫理・道徳の問題は、浄土真宗では簡単ではない。歎異抄には、親鸞の手紙とは全く違ったこ
とが書いてあるからだ。二つの矛盾をきちんと説明しないと、浄土真宗では倫理・道徳の問題を
明らかにしたことにはならない。

 問題提起をしよう。

 弥陀の本願不思議におわしませばとて、悪を恐れざるは、また、本願ぼこりとて、往生叶うべ
からずということ。この条、本願を疑う、善悪の宿業を心得ざるなり。

 阿弥陀仏の救いがあるからと言って、平気で悪行を行なえば、これは本願誇りという。本願誇
りは往生できないという考えがある。これは、阿弥陀仏の本願というものを疑っているのであり、
善悪の宿業を心得ていない証拠である。

良き心の起こるも、宿善の催すゆえなり。悪事の思われせらるるも、悪業の計らうゆえなり。

正しい心が起きるのも、これは過去に行った善の賜である。悪い心が起こるのは、悪い定めが
作用している結果である。

故聖人の仰せには、「卯毛羊毛の先にいる塵ばかりも作るつみの、宿業にあらずということな
しと知るべし」とそうらいき。

親鸞聖人は言っていた。兎の毛、羊の毛の先に付いている埃ほどのわずかな罪も、過去からの
結果でないものはない。全て過去からの結果であって、人の自由によるものではない。そのよう
に言っていた。

79 :神も仏も名無しさん:2007/08/03(金) 20:16:36 ID:aVhXvTb4
菩提心云々よりも、諸行往生を明確に否定するところに
教行信証の眼目があるのではないか。真門より入り真如門へ。
これが親鸞の専修念仏であろう。


80 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:12:13 ID:yAyGcs7e
 歎異抄は悪行肯定論であり、消息は悪行否定論である。これをどう考えるか。浄土真宗教学に
とっては非常に重大な問題だ。消息を読んでみよう。

 なにごとよりは、聖教の教えをも知らず、また、浄土宗の真の底をも知らずして、不可思議の
放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、あるべ
くも候わず。  〜  その徴もなからん人々に、悪苦しからずということ、努々あるべからず
候。

 親鸞は、消息の中で、聖教の教えの中に悪行肯定論があることを認めている。悪行肯定論につ
いて親鸞は原則を明記している。

1 「浄土宗の真の底を知らず」に言ってはいけない。
2  不可思議の放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしという話をしてはいけない。
3 歪んだ心が直っていく兆しの無い者に言ってはいけない。

 つまり、宿業論、悪行肯定論は特別な場合にだけ主張されるものなのだ。まず原則は悪行否定
論である。

 悪行が肯定される場合はどういう場合なのか。親鸞の真意は教行信証から拾うのが原則である。

81 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:14:59 ID:yAyGcs7e
 もし汝父を殺して当に罪あるべくは、我等諸仏また罪ましますべし。もし諸仏世尊、罪を得た
まうことなくは、汝独り云何ぞ罪を得んや。(阿闍世 段)

 父を殺し、母を牢に幽閉した阿闍世が、慚愧に堪えかねて病となる。釈迦はその阿闍世に向か
って言う。
 阿闍世よ、貴方には罪はない。もし、父王の死に対し阿闍世に罪があれば、現代のこの国の様
々なリーダー達、釈迦を含めて皆、殺人に罪があることになる。殺人について、もし、リーダー
達に罪がないということならば、どうして阿闍世に罪があると言えるだろうか。父王の死に対し、
現代のリーダー達には罪がない以上、阿闍世よ、貴方には罪はない。
 釈迦はそのように言う。

 大王、たとえば涅槃は非有・非無にしてまたこれ有なるがごとし。

 大王よ。永遠の真理は、非有である。つまりそんなものは存在しないのだ。しかし、同時に非
無である。つまり無ではない。つまり存在すると言うことなのだ。

 殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといえども、

 殺すということもそういうことだ。殺すことは悪であるという真理、そんなものは存在しない。
つまり殺すことは悪いことではない。しかし、またそんなものは存在しないというわけではない。
つまり、殺すことは悪であるという真理は存在する。

82 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:16:35 ID:yAyGcs7e
 慙愧の人はすなわちすなわち非有とす。無慙愧の人はすなわち非無とす。

 だいじなことがある。それは慙愧している人には、非有という。つまり人を殺したことを、天
に恥じ、地に恥じ、自分は大変なことをやってしまった。二度と繰り返すまい。そのように悔い
ている者には、殺すことは悪であるという真理は存在しない。殺人を責められることはない。
 しかし、人を殺しても慙愧しない者には「殺すことは悪であるという真理」は存在する。その
ものには、物事の道理を正しく教えなければならない。

 果報を受くる者、これを名づけて「有」とす。空見の人は、すなわち「非有」とす。

 悪行を行って慙愧の無い者。これは必ずやその報いを受けるだろう。こういう者には殺すこと
は悪であるという真理が存在する。つまり責めを負わなければならない。空見の者、見つまり間
違った見解が空の者、つまり正しい考えを持っている人には、殺すことは悪であるという真理は
存在しない。つまり、責めを負うことはない。

 有見の人は、すなわち「非無」とす。有有見の者は、また名づけて「有」とす。

 間違った見解を持っている人には、非無つまり殺すことは悪である。

 何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆえに、無有見の者はすなわち果報なし。

 間違った見解を持っている者は、間違った見解を持っている報いを受ける。間違った見解を持
っていない者は、悪の報いを受けることがない。

83 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:18:07 ID:yAyGcs7e
 また下品下生の中に、五逆を取りて謗法を除くことは、それ五逆は已に作れり、捨てて流転せ
しむべからず、還りて大悲を発して摂取して往生せしむ。しかるに謗法の罪は未だ為らざれば、
また止めて「もし謗法を起こさばすなわち生まるることを得じ」と言う。これは未造業について
解するなり。もし造らば還りて摂して生を得しめん。 (抑止門)

 大無量寿経では、五逆の者も誹謗正法の者も、極楽に入れないと書いてある。しかし、観無量
寿経で下品下生段を読むと、五逆の者は極楽浄土に行くと書いてある。誹謗正法の者については
触れてない。これはどういうことか。誹謗正法の者は、絶対に極楽浄土に行けないのか。
 そうではない。観無量寿経の下品下生段の悪人は例示である。それは、たまたま五逆の罪を冒
したが、まだ謗法の罪は冒してない者を例示している。この者はまだ、謗法の罪は冒してないか
ら、謗法の罪を冒さないようにするするために、「謗法をすれば極楽に往生できないぞ」と説く。
 かりに、謗法の罪も冒してしまえばどうなるか。「やはりこの者も極楽浄土に往生する」。

 親鸞の主張は極めて明確である。
 悪を冒してない者には、悪をおかしてはいけないと教える。
 悪を冒してしまった者は二つに分ける。慚愧している者はゆるされる。慚愧の無い者はゆるさ
ない。

 歎異抄の宿業論は、まさにこうした論理を背景にして読まなければ、とんでもない間違いを冒
すだろう。悪人正機も同じである。「浄土宗の真の底を知らず」に軽々に論じてはいけない。

84 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:20:01 ID:yAyGcs7e
>>76

後日コメントさせてもらいます。

85 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 01:02:21 ID:zE52Vy9G
     ____  
   /      \
  /  ─    ─\ 
/    (●)  (●) \ よく考えたらこのスレいらないな
|       (__人__)    |  
/     ∩ノ ⊃  /
(  \ / _ノ |  |
.\ “  /__|  |  
  \ /___ /

86 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 14:39:17 ID:FdeKNQpo
>>41
「称名念仏に励めよ」は法然上人、親鸞聖人に共通する教えですね。
教行証から教行信証へ。行から生まれる信とはどんなものかというのを、
法然上人に代わって、きっちり跡付けたのが親鸞聖人だと思います。

87 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 19:35:49 ID:yAyGcs7e
>>85
 しばらく前に比べたら、アラシが極端に少なくなったね。以前はすごかった。
アラシが減ると言うことは、当方としては歓迎なんだが、教団の中で通達で
も出たのかい?。


88 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:22:01 ID:CyFkHlSB
>>54
 何か感じるものをもっていただけましたか?。


>>74
> やはり親鸞聖人は菩提心という点にかなりこだわったんですね

しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。また竪について、また二種
あり。一つには竪超、二つには竪出なり。「竪超」・「竪出」は権実・顕密・大小の教に明かせ
り。歴劫迂回の菩提心、自力の金剛心、菩薩の大心なり。また横について、また二種あり。一つ
には横超、二つには横出なり。「横出」は、正雑・定散・他力の中の自力の菩提心なり。「横
超」は、これすなわち願力回向の信楽、これを「願作仏心」と曰う。

 横超     願力回向の信楽
横出     正雑・定散・他力の中の自力の菩提心
竪超・竪出  権実・顕密・大小の教

 親鸞は菩提心をこのように分けています。明恵上人の主張する菩提心はどこに当たるのか、親
鸞の教行信証では必ずしも明確ではないけど、多分、横出に当たるんだろう。少なくとも横超の
菩提心ではない。つまり、明恵上人が言う菩提心こそが真の菩提心であると言えば、親鸞はそれ
と別概念に対し菩提心という名称を付与し、真の菩提心は必要がないというのが親鸞の考えです。


89 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:23:59 ID:CyFkHlSB
 明恵上人が言う菩提心は、浄土真宗には必要がない。つまり、菩提心は必要がない。浄土真宗
では、称名念仏によって覚(おし)えざれども自然に真如の門に転入する。信楽が願力によって
回向されてくる。親鸞はそういう立場に立ちます。

 菩提心とは何か。
 もし諸仏の為に護念せらるれば、すなわちよく菩提心を発起す。もしよく菩提心を発起すれば、
すなわちよく仏の功徳を勤修せしむ。

 「仏の功徳を勤修せしむ」とある。「せしむ」は親鸞の常套的な言い換えと考えれば、本来の
菩提心、つまり明恵上人流の従来の菩提心とは「仏の功徳を勤修しよう」という心でしょう。

 この無上菩提心は、すなわちこれ願作仏心なり。願作仏心は、すなわちこれ度衆生心なり。度
衆生心は、すなわちこれ衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。

 「度衆生心」つまり、多くの人々に、正しく真理を認識する認識観を公開する。真実を正しく
認識する認識界に到達させよう。人々を正しく教え、育てよう。そう言う心、これが明恵上人流
の従来の菩提心と考える。

 度衆生心すなわちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心すなわちこれ大菩
提心なり。

 「安楽浄土に生ぜしむる心」とある。「せしむ」は親鸞の常套的な言い換えと考えれば、本来
の菩提心、つまり明恵上人流の従来の菩提心とは、安楽浄土つまり、哲人達が抱いている精神界
・認識界と同一・共通の認識界に生まれ変わっていこうという心を言う。

90 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:26:48 ID:CyFkHlSB
 明恵上人流の従来の菩提心は必要がないとはどういうことか。駅前のラーメン屋さん、表通り
の建築現場でダンプカーの往来の監視をしている警備員さんには、「度衆生心」は必要がない。
多くの人々に、正しく真理を認識する認識観を公開し、真実を正しく認識する認識界に到達させ
よう、そういう心は全く必要がないと言うことを言っています。

 十年後には東京の新宿にラーメン屋の支店を作ろう。そう思って日々、自転車でラーメンの配
達をしている鹿児島のラーメン屋さんには、法を守り、倫理を守り、道徳を守ることが必要です。
法を破れば、十年後どころか、明日の営業もできなくなるでしょう。商道徳を破り、肉まんに段
ボールの破片を入れれば、客は直ちに来なくる。仁・義・礼・智・信を守れ(蓮如上人)という
ことは、鹿児島のラーメン屋さんにとっても、北海道のラーメン屋さんにとっても、とても大事
なことだ。
 しかし、ラーメンの配達には菩提心は必要がない。菩提心をもってラーメンを配達されても、
客は喜ばない。「あのラーメン屋さんは、菩提心をもってラーメンを配達してきたよ」と言われ
れば、「あいつは頭がおかしいんじゃないか」という皮肉を込めた誉め言葉の裏返しとなる。ラ
ーメン屋さんに菩提心は全く必要ない。ダンプカーの往来の監視をしている警備員さんにも菩提
心は全く必要ない。

 顧客に対する思いやり。使命感・責任感・向上心・克己心、こういう心は必要だ。特に、鹿児
島から東京に支店を出そうと思えば、人一倍頑張らないといけない。しかし、どう転んでも、菩
提心は全く必要がない。絶対に絶対に必要がない。総持寺であるいは永平寺で座禅の研鑽に励も
うという人には菩提心が必要だ。円覚寺、建長寺で座禅の研鑽に励もうとすれば、菩提心がなけ
れば一日にも過ごせない。延暦寺で千日回峰行をしようと思えば、菩提心は絶対に必要だ。しか
し、念仏宗のラーメンさんにそんなものは全く必要がない。

91 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:32:44 ID:CyFkHlSB
 東京に支店を出すのが十年後であれば、その間に何があるかわからん。人生は山もあれば谷も
ある。上り坂もあれば、下り坂もあるだろう。進退窮まるときもある。そんなときはどうするの
か。
 相談相手があれば、その人に相談に行く。図書館に調べに行くのもいいだろう。鹿児島の市役
所に相談に行くのもいい。東京新宿の区役所に相談窓口があれば、そこに行くのもいいだろう。
しかし、いつもそれが可能とは限らない。
 調べる方法がない。相談相手がいない。万事休すとなったらどうするの。出店を諦めるのもい
いが、諦めるまえに一つやってみることがある。座禅を組み、呼吸に合わせ、南無阿弥陀仏・南
無阿弥陀仏と称えてごらん。多くの先人達がこの方法で窮地を切り抜けてきた。日本海の荒海を、
命がけで中国に教わりに行ったのも、この方法を教わるためだ。やってみるがいい。きっと何か
が見つかるだろう。

 安楽浄土つまり、哲人達が抱いている精神界・認識界と同一・共通の認識界に生まれ変わって
いこうなどと、ラーメン屋さんがそんな思いを持つ必要は全くないんだ。ラーメン屋さんは、東
京で支店を持とうと思えばいいんであって、仏様になろうなどと思う必要はない。だから、仏の
功徳を勤修しようなどと、そんな大それたことを考える必要はない。全く必要がない。もっとも
っと楽な気持ちで南無阿弥陀仏を称えてみるがいい。親鸞はそう教えてくれている。
 やってみればおもしろさが分かってくる(信楽回向)。おもしろさが分かれば、自ずからやっ
てみたくなる。そんな思いで、気楽にやってみればいい。
 ラーメン屋さんが念仏を称えても、全人類の救済にはならん。しかし、進退窮まった自分の足
下くらいは少し明るくなるだろう。

92 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:34:56 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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          ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´    .l゙`-、
         _,,l゙-:ヽ,;、、             、、丶  ゙i、,,、
        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
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  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
渡海

93 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:35:55 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
   氏ね

94 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:36:38 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
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   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
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           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
      糞が

95 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:43:08 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
      カルトアンチのくせに

96 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/07(火) 09:22:35 ID:2CvSmA0/
>>76
>「知的障害者」についてです。彼らにとっての浄土とはどのように考えるのが良いのでしょう
か。

 知的障害者と言っても色々あるでしょう。相手の話が分かる。日常の意思の疎通には全く問題
の無い方から、意思の疎通が全くだめな人までいる。

 日常の意思の疎通に問題の無い人であれば、仏壇の前で一緒に座禅を組み、腹式呼吸をしなが
らその呼吸に合わせ、一緒に声を出し合い、ゆっくりと南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称え合う
という作業をしてみるといいでしょう。
 死んだら極楽に行けるとか、仏になるとか、ましてや悪人正機だ、自然法爾だなどという話は
全く必要ありません。「称えていればきっといいことがある」とそれだけ言えばいいでしょう。
気分はきっと落ち着いてくると思います。大事なことは知識ではありません。ゆっくりとゆっく
りと腹式呼吸をしていくその肉体的動きから、体の生理作用にきっと顕著な変化が見られるはず
です

 5分も、1分もじっとしていられない人にはこれは無理でしょう。日常の意思の疎通も不自由
という相手にもそのようなことは無理でしょう。

97 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/07(火) 09:24:00 ID:2CvSmA0/
 そのような人にとっては、極楽浄土は全くの架空の世界と考えればいい。全くの絵空事の世界、
空の中の空、空の空の空、それが極楽浄土です。
 歌謡曲に大変興味があり、歌が大好きで、自分も是非歌手になりたいなどと考えている人にと
って、歌謡界とはまさに実在の世界です。しかし、歌などには全く興味が無く、関心がない人もい
ます。そういう人にとって、歌謡界などは架空の世界です。歌謡界などはどこにあるんだい。
そんなものは絵空事の世界だ。きっとそういうでしょう。
 絵が大好きで、自分も描いて、あるいは美術館にも出かける人には、画壇はまさに実在の世界
です。しかし、絵などには全く興味が無く、関心がない人もいます。そういう人にとって画壇な
どは架空の世界です。

 極楽浄土とは仏道の世界です。仏道修行者の世界です。仏道などには全く興味が無く、関心が
ない人にとっては極楽浄土などは全くの架空の世界です。
 物事には、客観的存在物と主観的存在物とがあります。日本には富士山がある。富士山は客観
的存在物です。これは、万人にとって存在するでしょう。パリにはエッフェル塔があります。エ
ッフェル塔は客観的存在物です。しかし、歌謡界・画壇・極楽浄土、こうしたものは全て、人の
主観に依存する主観的存在物です。決して観念的存在物というつもりはありません。歌手を目指
している人、歌手で生活している人にとって、歌謡界はまさに生活の場です。しかし、そんなも
のは架空の絵空事の世界だと言う人がいてもおかしくありません。極楽浄土もそれと同じです。

 知的障害者は「世の光」としたいものです。弱い者が生きていけない社会は健全ではありませ
ん。強い者が弱い者を助けるとき、弱い者は強い者の心の救いとなって助けてくれるでしょう。
 弱い者を支えているものが、浄土を学び、念仏を称えることを学び、人生の困難に遭ったとき
の脱出の道を獲得したなら、その者によって支えられている弱い者も、共に極楽浄土の喜びを分
かち合うことでしょう。

98 :神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 09:29:55 ID:fl1OtPBf
>>96-97

渡海難は知的障害者である、まで読んだ。

99 :神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 09:37:01 ID:fl1OtPBf











渡海は地獄行きで

100 :神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 09:37:36 ID:fl1OtPBf















糞スレ100ゲット!

101 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 22:42:07 ID:tZi37u+0
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」とは、「救われたら喜びの声を上げずにはおれない」ということを指した筈。
しかし、聴聞の昼休憩にいつもある「体験発表」では、誰一人として「私は救われました」と発表した人を見たことがない。
これはつまり、「誰一人として救われた人はいません」ということを自白していることに等しいのでは?
土蔵秘事じゃないんだから、救われたことを公表していい筈なのに、何故、誰も救われた「体験発表」をしてくれないんでしょうか?
仮に、救われた人がいるというのであれば、教義と矛盾するのでは?
どなたか、説得力のある解説お願いできませんでようか。

102 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 22:45:01 ID:iUSCnUfy
救われた人がいても教義とは矛盾しないですよ

103 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 23:12:53 ID:7mWLBx9r
                             γ___     ..........
                  ,〜((((((((〜〜、 /      \   /::::::::::\
                (   (((((((((_ )/        ヽ (::::λ::::::::::)            ,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.
                 |/~^^\)/^^~ヽ|( ((|__|____|__||_| )) (|=| |=||)           ,,川川川川川|ll、
                 |  _ 《 _  |( ((  □━□  )  | ̄し ̄/           川|川  /Z\ |
        / ̄ ̄ ̄\  (|-(_//_)-(_//_)-|)(6    J   |)   ヽ ∀ ノ          ‖|‖  ---  --|
       | 」」」」」」」」」) |   厶、    |   ヽ ∀  ノ ( ̄ ̄`´ ̄ ̄) )))川川((( 川川‖  ,,,,,,,コ,,,, l←渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 教祖
       |(6ーB-B|ノ   / ̄ ̄ ̄ ̄\(::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/(三三◎三三)(三三三三三)川川  | ∴)д(∴)
       |:::|ヽ   .> |  彡彡ノ((((^^)))))|::/ ノ   ー|ミ _  _ ミ(6 ー□-□-|)川川    川川川
       |ミ   (=)/  彡ミ ー○---○ |(6ー[¬]-[ー].|(∴ ` 」´ ∴)|__ ´ つ )川川\_川川川川
     / ̄ \;;;;;;;;;/ ̄\ミ(6    ( 。。) |/∪   ^^  |/\ ( へ) / |ドリ天| ∀ / ↓Option
     |  |       ||ミ (∴   (三)∴)  :::: )3 ノ   (___) (⊃    |__/|「| ̄[]   / ̄ ̄ ̄ ̄\
     |  | スープラ命 / ̄ ̄ ̄\,,,,,,,,,,,,,,ノ ̄\__/ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄\ .| ̄|⊃ ⊂|\(# ノノノノノノノノノ )

104 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 23:13:28 ID:7mWLBx9r
    / ̄ ̄ ̄ ̄\ ( ((((((^))))))´ ̄ ̄ ̄ ̄\(# ノノノノノノノノノ)|___A_|.´ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ)  .ノ ー◎-◎|ノ
   (  人____).|ミ/ \=/| ノノノノメノナノノ)  ノー◎-◎|ノ川 ノ  ー))/))ナ)))ナ)ヽ,)彡ミ) \  つ|ノ
    |ミ/  ー◎-◎-)(6ー[¬]-[¬] ノー□-□-|リ(彡ミ)\   っ |ノ川 ー●-●| ノ  ⌒ _ ⌒ |ノ .彡ミ)、 | ∀ ノ ノ
   (6     (_ _) )|    、」 |川) ∴)`_´(∴)ゝ彡ミ)、 | ∀.ノリ|   (・・) |( ///)  3 (//)  ミ.ノ \___,ノ\
  _|/ ∴ ノ  3 ノ \  (ー)// \___/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)/:|   (三) |)ヽ____ノ()_|      |__|
 (__/\_____ノ_|  \___/ |_|        | ノ三三三三|/::::::::\___/ヽ.      ヽ().| |. 180SX命 | |
 / (__))     ))| | ランエボ命 . | |  セリカ命 (6ノー⊂⊃⊂⊃:::::::::::::FD命::::::::::|ノ.シルビア命.(())| |     .  | |
[]______.| | GT-R命ヽ  |        .| |       |彡    ・・  |:::::::::::::::::::::::::::::::::::/| LOVE☆ )(__),_____,|__)
|]  | |______)_)三三三国 (__)____ノ彡   (ー ノヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/_)_____))/〜・〜・〜\
 \_.(__)三三三国三) \:::::::::::::::/ . \::::::::Y::::| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 三三[国])、 _/)_/)_\∞∽∞∽∞∽\
  /(_)\::::::::::::::::::::| ̄ ̄|:::::::|:| ̄ ̄ ̄ ̄|::::|:::(⊃ ハチロク万歳 ⊂):::::::::::ヽ;::::::(∴)◎∀◎(∴) \ ・〜・〜・〜・〜\
 | 日産 .|:::::::::/:::::/   .|:::::::|:| トヨタ  .|::::|:::::|________|´,):::::::/ ⊂) ̄ カーヲタ ̄ (つ ̄~|~|~⌒~|~|⌒~⌒~
  |____|;;;;;;/;;;;;/_______|;;;;;;;|;|____|;;;;|:::::::/;;;;;;__.へへ__;;;\/;;;;/;;/(~ ̄ ̄ ̄) ̄ ̄~)~⌒(二)_  (ニ)_
     (___|)__|) ..(___|)__|)..(__|  (;;;;;;;;;;;___||__;;;;;;;;;;)_|)_|) (____)___)

105 :神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 00:03:21 ID:tZi37u+0
102さんへ。
教義云々よりも、信心決定できたなら黙ってられないはずなのに、誰も体験発表しようともしないのは不自然じゃないですか?ってことを聞きたいんですよ。

106 :神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 09:50:08 ID:pGVk6tfV
         __, -‐― ´ ̄ ― 、
       /           `ヽ
      /     _ ,,       ヾ i
      /, /   /  | , .| | i i    |
      | |  / -‐- |/レ┼t-| |.iっ   |
      И /| ,. ‐、   , ‐ 、 ル|~, i !.|
        V| | !(.,)   (.,),! レヽ |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       |!.{///  、    ////ノ |  | ねえ、渡海さん
        !, \ (⌒⌒)  /i! ,i,l.| .< いつまでこすってればいいの…って
o O 。。  ~^^ `г― i´ ^^~     | やだっ、何これ〜っ!?
  。O o  。 -/ \ _/ ヽ―,- _    \________________
ドピュッ  /| | \/|o|ヽ/ | | i ~ヽ
  || o/∩| |   | |  _|_ |_|   ヽ
 ||./二ニヽ|||シュッ | |  |6年3組|    |
 ||| ―-、)ヽ||シュッ|o |  | 西 村 ||    |
 ||| 二ヽ)_ノ||   | |   ̄「 | ̄||    |
シュッゝC| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ./⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) < ああ先生ぇ〜、現役小○生の手コキこそ至福ーっ!
 /  _  ゝ___)(9     (` ´) )  \_______________
/  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
_/           \____/

107 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/09(木) 10:04:15 ID:9tZ/l0M1
>>79
>教行信証の眼目があるのではないか。

 「教行信証の眼目は何か。」
 面白いと思うので、この問題について書いてみます。2,3日後。


108 : ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/08/09(木) 10:20:41 ID:s3CdFJ7x
   /::::::::::::::::::::::::::\                  _
  /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\             /  ̄    ̄ \
  |:::::::::::::::::|_|_|_|_|           /、          ヽ はぁ?黙ってろカス
  |;;;;;;;;;;ノ   /,, ,,\ ヽ          |・ |―-、       |
  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      |
  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)          ノ_ ー  |     |
/|   <  ∵   3 ∵>          \. ̄`  |      /
::::::\  ヽ        ノ\           O===== |
:::::::::::::\_____ノ:::::::::::\        /          |

109 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 10:35:05 ID:yq9R8kON
歎異抄の第9章に「よろこぶべきことをよろこばぬにて」というのがありますが
「おなじこころにてありけり」親鸞聖人はよろこびを得てなかったのでしょうか?
(教行信証には信心を得た歓喜の言葉と取れる個所が数箇所あります)

この歎異抄の記述を取り上げて、親鸞聖人は示寂にいたるまで信仰の喜びを
得ることができなかった、とか最後まで「不信」であった、というふうに
結論する著作者もいるみたいです。

110 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 16:49:42 ID:NEL8gD/g
  皆様へ

このスレは年寄がたてました
手の混んだ質問は
御遠慮下さい.
又最近ぼけも始まり
目も悪くなりました.
御書込は大きな文字で
お願いします.
もし間違ったレスが出ても
笑顔でお読みになって下さい.
あと何年生きるかわか
りませんが,これからも
末長くよろしくお願い
いたします.

     スレッドオーナー

111 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 18:36:47 ID:5gRUT8Ss
>>105
体験発表の時間がある法話会に参加したことがないのでわからないです。
休憩時間は10分くらいしかないし・・・

112 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 18:46:18 ID:HWpMiqj9
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 .|        ::|_________     川|川. /  \ |〜
 .|        ::|| 一般ゴミ    火金|    ‖|‖-=・=-=・=-|〜
 .|        ::|| カンビン     水 |    .川川‖ U ( oo)U ヽ〜
 .|        ::|| 渡海難     毎日|.    川川  <∴)3(∴>〜
 .|        ::| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    川川  ヽ     〜 /〜
 .|____......|.                 川川‖     〜 /‖
 ||:| :| ::| ::::|::|:||                川川川川\__/‖
 ||:| :| ::| ::::|::|:||    ヾMMM/        ヾMMM,,,;;;;;;,,,.MMM/
 ||:| :| ::| ::::|::|:||   / / ヽ \      / / /  ヽ ヽ  \
 ||:| :| ::| ::::|::|:|| ./  /     \   /    /       ヽ  \
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 ||:| :| ::| ::::|::|:|| .!            ! 真性レス乞食 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI







113 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/10(金) 19:59:26 ID:dxIhg/nw
>>109
>親鸞聖人はよろこびを得てなかったのでしょうか?

 難しいな。僕は心理学者でもなければ、精神科医でもないんだ。僕と親鸞聖人とは、800年
の隔たりがある。彼とは直接遭ったことがない。歎異抄から類推しろと言われても、歎異抄は唯
円のフィルタがかかっている。唯円フィルタを通してその向こうの親鸞を見ろと言われても、乗
れる相談と、乗れない相談がある。

 「他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼ
ゆるなり」
 歎異抄の親鸞は一応こう言っている。まあ、僕は、個人的にはここに注目しているけど、これ
だって唯円のフィルタがかかっている。親鸞はどうだったの?と聞かれても、僕は神様じゃない
んだと答える外はない。

>教行信証には信心を得た歓喜の言葉と取れる個所が数箇所あります
ウムなるほど。いろいろ議論も出るところだろう。

 親鸞でなく、渡海難は自身はどうなんだと聞かれた方が僕は答えやすい。

 親鸞(他人)の心を心配するより、自分の足下を明るくする工夫をしたいものだ。

114 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 22:22:08 ID:xXEEFw/r
111さんへ。
とぼけなさんなよ。

115 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/15(水) 10:35:52 ID:2xUZnyW1
 教行信証の眼目は何か。考えてみよう。教行信証はいつ完成したか。教行信証に「末法に入っ
て六八三歳」という記載がある。西暦一二二四年頃、親鸞は教行信証を盛んに書いており、恐ら
く、このころは佳境に入っていただろう。親鸞は、関東に移住して十年以上過ぎている。親鸞は
五十二歳である。吉水時代から親鸞に離れずについて回ってきていた一番弟子の性信は三十七歳、
二番弟子の真仏は十五歳である。親鸞が法然に出会ったのが二十九歳のとき、法然と別れたのは
三十五歳の時である。性信は、既にこのころ親鸞の完全な後継者として完成期に達し、真仏など
有力な若者が続々と門を叩いていた。

 このころのことは、歴史家の古田武彦先生が研究している。吾妻鏡によると嘉禎四年(123
8年 親鸞六十六歳)七月に鎌倉の北條家から園城寺へ、一切経五千余部を奉納している。これ
に先立ち、寛喜三年(1231年親鸞五十九歳)七月にも一切経絵が行われたという記録がある。
 親鸞聖人正統伝では、親鸞が六十一歳の時、北条家の一切経校合の法会に出たと書いてある。
親鸞聖人正統伝は、徳川時代、高田派の資料を整理したものらしい。正統伝は、古田氏の研究で
史実と全体が2年のずれがあるが分かったそうだ。2年のズレをシフトすると、親鸞は五十九歳
の時一切経校合の法会に出た。これは吾妻鏡の記録と一致する。
 五十九歳の時の法会は、一切経校合の一つの段落が終わった打ち上げ式かも知れない。経典の
校合は、一年や二年でおわるものではないだろう。親鸞は五十代において、西蕃・月支の聖典、
東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得、聞きがたくしてすでに聞くことを得ている。

 当時の親鸞は、関東での実際の念仏布教活動は性信などに任せることができる余裕が生まれ、
自らは将来のために浄土真宗を体系的に示しておこうという意欲に溢れていた頃だろうと思う。

116 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/15(水) 10:36:23 ID:2xUZnyW1
 「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。何となれば、前に生まれん者は後を導き、後に生ま
れん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさ
んがためのゆえなり、と。」

 教行信証の末尾のこの言葉は、当時の親鸞の心境を如実に表していると思う。そんな折り、親
鸞の元に重大ニュースが京都から飛び込んできた。京都吉水の同門に大変な事件が起きたのだ。
隆寛律師が流罪になったのだ。

117 : ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/08/15(水) 10:41:43 ID:Pg2JBf+k
                        _,,t-‐‐-、,-‐‐-、
                     三'::::::............... .....::::::`y,.
                     ナ::::::::::::::::::::::::::::::::: :::::::::::::ヾ
              | ̄|   V::::::::::::::::_{{ ({∫∬ノノjヾ:::::{
           | ̄| | ̄|   ナ::::::::::::::i`__,,,,,,,ァ_  _,,,,,_ t;;:ヌ
           |  | |  |  イヘ::::::(ヾ~!,ャt、 !'''i ィtン )=f }f
           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'
           |  | |  | _,rヘ_,j|!'     /ー--''!     |'  
           |,.ィ―'''' ̄ /| |       /二ク     !      
           /;;:::'';;::''::;;:/ { ! 、     ヾニン   ノ\
            /'''::::;r|''':::;;;|  | ! \       _,,./|::;;'''\
        /:;;/ |;;;''::;;|   丶\  `__>-ー´   !;;;:'''::iヽ、
          i/   |'::;;;;''|      三 ―''"       !''::;;;;| /ヽ
        /⌒ヽ  |;;''':::;|       \            !;;::''|/  i
         /     \{'';;;::''}          ̄二ニ=    !::;;|   |
        /ヘ     |;;:::::;{            ‐-      !/   |
        /  i     |:::;;;''!             ー       !  / |
     /   l     |;;'';イ                   }   {、
     〉、      ∧テ{ ヽ  _   _,,,,;;;;;:::-==ニ;;;_   ノ __,イ´
      / \_    //レ!      ̄           ̄ { ̄  |
    /    `ー::v'´/ | i                     i    |
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    i       /    ||                         ヽ  |

118 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 12:39:25 ID:IsWKXfLD
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119 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 14:56:41 ID:0N38rsA9
親鸞聖人は隆寛律師と安居院法印聖覚の著作に親しんでいる。
彼らは聖人と同じように天台僧であり、また同時に妻帯者だったという。


120 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 16:52:37 ID:d5SQZ9Zo
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121 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 16:53:32 ID:d5SQZ9Zo
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122 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2007/08/16(木) 18:06:50 ID://W0esU9
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人_____,,)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) ) <ブログ(http://www.propatent.jp/)で弁理士制度に疑問を投げかけています。
   ノ|/ ∴ ノ  3 ノ、   人気ブログランキング(社会経済全般部門)で、
 /   \__ /"lヽノ  ヽ   皆様のおかげで遂に念願の50番内に入りました。
/   ,ィ -っ ( ,人)   ヽ   http://blog.with2.net/rank1550-0.html
|  / 、__ う |  | ・,.y  i  まあ、瞬間的かも知れませんが、今後もできるだけ50番内に入れるよう、ま
|    /    |  ⊂llll   |  たそれが持続
 ̄T ̄     |  ⊂llll /   するよう、鋭意努力をしていきます。
  |       ノ  ノ 彡イ   
  |   ヽ、(__人_)_,ノ|    今後ともよろしくお願いします 
  |      人    |
  ヽ、__ノ__ノヽ_
    ヽ ̄ ̄ノ^ | ̄ ̄ i

123 :神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 20:28:57 ID:q+/OyE+a
親鸞は結局現世で悟りを啓けなかったのにどうしてこれほど名僧として
伝えられているのでしょうか?


124 :神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 22:06:50 ID:z0gI95kH
>>123
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125 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/17(金) 00:35:13 ID:DKP3BpJ0
>>119
 ちょっと脱線するようですが、今後の議論を左右するので、こちらに先にコメントしておきた
いと思います。

>彼らは聖人と同じように天台僧であり、また同時に妻帯者だった 

 隆寛は妻帯者だったという説があるようだけど、聖覚にもそういう説があるんですか?

 僕は、基本的に現代の歴史家妻帯僧が、中世の坊さんを指し、みんな「妻帯者」だったという
この説を余り信じないことにしている。朝鮮の坊さんも、日本の統治が始まる前は、みんな独身
だったそうだ。韓国で妻帯僧が出現するのは日本による統治以後であり、現代でも韓国には独身
僧が多いと聞いている。

126 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/17(金) 00:36:05 ID:DKP3BpJ0
 例えば、蓮如上人は非常にたくさんの奥方がいたそうだけど、みんなそれが肉体関係のある奥
方だったかは、極めて疑問だ。徳川家康だって、肉体関係のない妻がいた。秀吉の妹だ。あれは
正妻というのは名ばかりで、実態は人質だった。家康との肉体関係はなかったろう。
 蓮如は非常に多くの歌を残している。その中に色恋を歌ったものがほとんど無い。無骨な仏法
の歌ばかりだ。あれだけ筆まめな蓮如の手紙の中に、色恋を表現している文章がない。おかしな
話だ。
 蓮如の時代は、応仁の乱から戦国の時代だ。戦に負ければ、大将だけでなく、妻子も一緒に殺
され、血が絶やされる。そんな時代、負けを悟った大将が予め女・子供を離縁し、蓮如に預けた
ということがあっても不思議はない。現代で言えば偽装結婚という形で本願寺がかくまったとい
う例が多いのではないか。蓮如の子供はみんな寺を作っている。戦国の武将達が血筋を守る最良
の方法、それが蓮如との偽装結婚、寺の建設ではなかったか。そのとき多額の支度金が本願寺に
払われたと考える。この辺は僕は歴史家の意見を聞きたい。

127 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/17(金) 00:36:52 ID:DKP3BpJ0
 隆寛に肉体関係のある妻がいたということも、僕はすぐには肯定できない。律師というからに
は、戒律僧であり、戒律僧として多くの人から尊敬を受けていた。その人に、肉体関係のある妻
がいたということは、僕は信じられない。
 確かに、隆寛には実子がいたそうだ。しかしこの時代、実子と養子とはどんな違いがあったん
だろう。
 空也上人の地蔵和讃を読むと分かるが、中世の坊さんは親のいない子を受け入れて育てること
が重要な仕事だったようだ。近親・血縁の子を預かり、その子を実子のように育てると言うこと
はあってもなんら不思議はない。実子がいたということは、実子のように育てた子がいたという、
当時の僧として極当然の事実があったと言うことだろう。しかし、だからといって、それは肉体
関係のある妻がいたということを意味するものではない。
 もし、隆寛に肉体関係のある女性がいたというなら、隆寛が歌った色恋の歌、恋文などを紹介
して欲しい。

 中世の僧、特に京都・奈良の僧はほとんど妻帯していなかっただろうと僕は思っている。それ
は、親鸞が妻帯していたことのいいわけに覚如が非常に苦労しているという事実の裏返しから、
僕はそう確信している。

 中世の僧は、肉体関係を持つ特定の女性は持っていなかった。僕はそういう仮説の上で自分の
議論を進めてみます。

128 :神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 14:08:08 ID:Dmvca3E9
大乘経全部学ぶの一生ではたりない そのため 抜粋する だから はたしてすべてを 理解するひとはいるのかね

129 :神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 15:34:01 ID:xnZtn4Ni
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130 :神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 19:57:37 ID:HQO5AtMq
法然上人は一切経を何度か読破されたそうです

131 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/19(日) 10:27:12 ID:0ooT+F9K
 親鸞が京都に戻ったのはいつか。教行信証の真筆本(坂東本)を性信に渡しているから、教行
信証が完成してからだろうと思う。少なくとも、坂東本は関東で書き上げ、その後に京都に行っ
たのだろう。
 親鸞は五九歳の時、熱病にかかる。この時のことを恵信尼は克明に記録しているので、この時
は親鸞は恵信尼と一緒に暮らしていたようだ。親鸞は恵信尼を京都に連れて行ってないと思われ
るので、この時はまだ関東にいたのだろう。すると、親鸞が京都に戻ったのはそれ以後と思う。
 天福二年(1234年 親鸞六二歳)、鎌倉幕府は念仏禁止令を出している。その時の状況に
ついて、親鸞は関東に手紙を送っている。つまり、この時は親鸞は京都にいる。関東から京都ま
での旅に耐えられるのは、年齢的に限界がある。せいぜい、この熱病が快癒したすぐ後ぐらいで
はないか、多分、六十歳の時ではないかと僕は想像する。
 恵信尼は京都に行ってない。これは、彼女の手紙から推測できる。恵信尼の手紙は「もんぞも
やかせ給てや候らんとて申候(下人の送り状まで火事で焼いてしまったそうなので、もう一度手
紙をお送りします。)」という一文がある。建長八年の手紙だ。この時は親鸞は八四歳、健在で
ある。
 恵信尼は、親鸞が関東から京都に向かった後も、孤児達の面倒を見る仕事をしていたのだろう。
その中には、身分の低い者もたくさんいたと思う。男子で、頭も良く、健康ならば、関東武者と
して仕官する道があったのだろうが、成長しても就職口のない者もいたのだろう。親鸞もいよい
よ高齢化してきたことで、恵信尼は下人として親鸞の元(実際には覚信尼〔親鸞の娘、本願寺創
設者〕)に数人の者を送っている。
 親鸞は京都に単身で向かった。あるいは、覚信尼が随行人だったかも知れない。京都に戻ろう
としたのが隆寛の流罪だったとしたら、親鸞は少なくとも数年間は関東で時がくるのをじっと待
ち続け、その後、いてもたってもいられないでまさに必死の思いで京都に向かったというそんな
姿が浮かんでくる。その時の心境は、教行信証の後序から読めてくる。教行信証の後序は坂東本
の中にも書かれているので、関東在住時に書いたものだろう。教行信証の眼目は、この後序から
うかがえると僕は思う。

132 :神も仏も名無しさん:2007/08/19(日) 11:34:01 ID:6BQ0nwSf
               _,. -‐1    ,. - ‐:‐:‐:‐:‐- 、
          _,. -‐:'´: : : : : |  , :'´::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.丶
     ,.イ ,.-:'´: : : : : : : : : : : ! /::.::.::.;.ィ::; ヘ::.::.::.::.::.::.::.::.::.:\
      /: ∨: : : : : : : : : : : : : : :l'/l:/::./ ,':/  i::.:ト、::.l、::.:!::.::.::.::.',
  ,. -:' : : : : : : : : : : : : : : : : : : : -┴-'.._l/    l:| i::| i::l::.::.::.::.::i
 ー‐ァ: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :`ーァ  l|  l|  l:|::.::.::.::.::|
   /: : : : : : : : : : >>1: : : : : : : : : : : : : : : :/  ー‐‐---、!ヘ::.::.::.::| 
  ,': : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :/    ┬--、  }::.:/::.!
  ! : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ;.イj     {辷リ ′/::/!::/ >>1 ここはテメエの日記帳じゃねえんだよ。
 ノ: : : : : : : : : : : : : : : : : : :.:.:.:.:.. : :、/     ;         /〃ノ:/
´. .:.:.:.:.:.:.:.: : : .:.: : : .:.:.:.. : : :.:.:.:.:.:.:__:.:.ヽ   r―-,    /-:'´::;′   チラシの裏にでも書いてろや。
`ー---;.:.:.:..:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:...:.:.:.:.:.:.:.V ̄`ヽ、 `ー‐'   ィ;、:::∧:{
    /:.:.:.:._:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.|'´ヽ  rく` ト、. -‐'´ | `:く `
   厶-‐'´ |:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ト、:.:.:.|  _,.-‐! \  __,,. -‐''´ }‐:、
       _l;.ィ´ヽ:./ヽ:|'´ ,>‐'´: : く    ∨       > \
   _,r{`7  ̄{ ̄} ̄¨`‐く__ヽ_;,: -‐; :\       _,.-:'´: : : : : :>、
 ,.イ | 〉´ ̄ ̄ ̄:  ̄`ー‘v'´>‐_く : : : \___,,. -‐:'´: : :ト-、_;,.-'´  ヽ
r'l ! ,し′: : : : : : : : :}_ノ/ __,,.ヽ: : : : : : : : : : : : : : V       l
,Jー'´: : : : : : : : : : :`辷'_,,、 '; : : ∧: : : : : :_; -'´         |
  l´: : : : : : : : : : : : }´   l  l`ー':.:.:`ー:.'"´:〈         v'

133 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/26(日) 00:10:37 ID:w3PNv4P8
 教行信証の読者
 これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死
罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。

 流罪事件があったことは知っているが、流罪以前の親鸞を知らない。

 自己紹介
 僧にあらず俗にあらず。
 親鸞は僧ではない。しかしこれは、冤罪によって不当に僧儀を剥奪された結果である。自分か
ら僧位を放棄したものではない。
 
 僧儀を剥奪されているから形式的には僧ではない。しかし、この処分は不当なものであり、正
当性がない。従って自分は、形式的には非僧であるが、実質的には非俗である。

 このゆえに「禿」の字をもって姓とす。
 自分は禿と名乗っている。僧は剃髪する。剃髪者といえば僧である。しかし、髪を落としてい
ても、これを禿といえば僧ではない。
 形式的には禿という名を以て非僧を名乗るが、本質は剃髪者つまり僧である。



134 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/26(日) 00:11:34 ID:w3PNv4P8
 正当性のない処分によって形式上は僧ではなくなっているが、教行信証は、実質的な僧という
アイデンティティで自分の考えを述べる。

 教行信証の読者
 流罪処分は正当性がないということを言えば受け入れて貰える人に向かって教行信証は語られ
ている。
 流罪処分はなんら正当性がないという主張を受け入れて貰えるのは、法然亡き後の法然教団の
人々をおいて外にない。
 
 その後の法然の消息
 建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて、入洛して已後、空(源空)、洛陽の東
山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまいき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午の時、入
滅したまう。奇瑞称計すべからず。『別伝』に見えたり。

 教行信証の読者
 赦免後の法然の消息を知らない人が含まれている。親鸞は消息を知っているということを明記
し、法然と深い関係のある者であることを証拠づけている。

135 :神も仏も名無しさん:2007/08/28(火) 04:37:58 ID:x+gIRcTa
性欲について質問します。親鸞の交わりは生涯、妻だけだったのですか?

136 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/28(火) 09:27:34 ID:6tWczCO3
 自分をどうか信用して欲しい。私は決して怪しい者ではない。仏教の正規の修行を積み、見性
を得、法然上人から印可を得たも同然の人間です。どうか信用して欲しい。

 教行信証は、高僧から印可を得た僧であるかを問題視する集団に向かって説かれている。指導
者として信頼に値する人物かどうか、これを問題にする集団に説かれている。親鸞という人物を
全く知らない集団に説かれている。

 法然教団で隆寛が流罪になると、このとき幸西、空阿弥陀仏という僧も流罪になったらしい。
隆寛は当時、80歳である。承元の法難のとき処罰を免れた数少ない高弟の一人だ。法然が流罪
になると、法然教団は隆寛の下に教団を作っていた。

 80歳は、当時とすれば大変な高齢である。法然教団には、親鸞を知っている者などほとんど
いない状況だったと思う。親鸞は、この法然教団を立ち直らさなければならない。それが60歳
になった親鸞の新たな仕事である。親鸞はまず、自分がどのような人物であるか、それを人々に
必死に訴えることから始めなければならなかった。


137 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/28(火) 09:28:12 ID:6tWczCO3
 しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
 私は、建仁元年、1201年、比叡山を下りて法然上人の門に入りました。

 印可を得たも同然の僧であるとは何を根拠にするのか。それは、自分は選択集の書写を許され
た者である。親鸞はこれを根拠にしている。
 選択集とは外でもない。法然上人が関白藤原兼実の命により書いた念仏の奥義書のことである。
法然上人の教化を受けた者は非常に数多いが、その中で、選択集を書写させて貰えるような人は
非常に数が少ない。それだけではない。自分は法然上人の肖像画を描かせて貰っているのだ。そ
のよう者は、さらに数が少ない。
 法然上人からは印可を得る機会を得られなかったが、法然上人からここまで認められていたの
は自分が専念正業の徳、つまり真剣に念仏を称えてきた徳の表れであり、自分が往生決定したも
のであることの現れである。どうか、どうか自分を信用して欲しい。悲喜の涙を抑えて申し上げ
る。

 元久乙の丑(1205年)の歳、恩恕つまり法然上人の許しを得て『選択』つまり選択集を書
写しました。その年、初夏中旬、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往
生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字とを、上人自らがこれを書いてくださいました。
 その日、法然上人から上人の肖像画を描くように命じられ、それを書くと法然上人は、「南無
阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当
知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書きこんでくれました。

138 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/28(火) 09:29:10 ID:6tWczCO3
 また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢
りぬ。
 また、夢のお告げがあった言って、綽空の字を改め、善信という名を書いてくださいました。

 これは、師匠が弟子に印可を与えるときの行為とほぼ同等というべきでしょう。これはまさに、
決定往生の証拠であります。悲喜の涙を抑えて申し上げます。

 印可を得たも同然とは、印可を得ていないと言うことだ。僧籍がないということと、印可を得
ていないと言うこと、ここが親鸞の苦しいところと言うべきだろう。


>>135
>性欲について質問します。親鸞の交わりは生涯、妻だけだったのですか?

 妻帯の問題は、後日に議論しましょう。

139 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 03:14:47 ID:SSI0MyXz
>>136>>137>>138
この流れ結構いい。
教行信証は本気の人に書いたんだ。
和讃を掘り下げて貰えたら嬉しいのですが。

140 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 09:29:00 ID:rJKgnOK/
>>139
名無しで自作自演するな

141 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:17:26 ID:bwGYjrJS
 隆隆寛流罪後、法然教団を指導したのは、西山浄土教の祖の証空である。証空は、法然教団の
2度の法難でも流罪を免れた法然の高弟である。親鸞より五歳ほど若いが、法然教団では親鸞の
先輩である。一貫して法然に学び、法然から円頓菩薩戒を相伝している。宮中で貴族達に授戒を
行っている戒師である。当然、法然から印可を受けていただろうし、法然教団の中では明らかに
親鸞より上席である。
 京都に戻った親鸞は、最初にこの証空を尋ねたはずである。証空を介して人々に紹介して貰い、
教団の中では証空を補佐するという立場に立ったと思う。

 親鸞は京都で何をしようとしたのか。二度の法難で壊滅的な打撃を受けている人々をまとめ、
都での称名念仏の基盤の立て直しを図ろうとしたのだろう。
 前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざ
らしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。
 教行信証末尾の親鸞のこの言葉は、当時の親鸞の心境をそのまま表していると僕は考えている。

 それでは、親鸞の思惑は功を奏したのか。鎌倉時代には本屋もなければ製本業者もいるわけで
はない。教行信証を人々に配布しようとすれば、人海戦術で書写し、証空の手を介して配布する
だけである。果たしてそれは可能だったか。関東時代には、それも可能と考えて執筆してきたの
だろう。しかも、親鸞は七十四歳の時に自力他力事(隆寛作)を書写し、八十二歳の時に一念多
念分別事(隆寛作)を書写している。隆寛の文書類が京都に戻ってから入手したものであれば、
証空教団とは、少なくとも当初は一応、親密な関係ができていたと考える。しかし、親鸞の方か
ら教行信証を配布しようすれば、証空などは抵抗したのではないだろうか。証空のほどの人物で
あれば、教行信証の論述を正確に読むことはできたと思う。しかし、その思想は、証空が法然か
ら受け継いだ思想と大きく離れている。

142 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:18:17 ID:bwGYjrJS
 広く三経の光沢を蒙りて、特に一心の華文を開く。しばらく疑問を至してついに明証を出だす。
誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず。浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類、取捨を
加うといえども、疑謗を生ずることなかれ、と(信の巻)。

 大無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経という三経を前提に、私は浄土論を読んできました。その
中で一心という本質を突く言葉に巡り会いました。一心は、阿弥陀経にも出てきます。阿弥陀経
が言う一心、世親が言う一心はどういう意味だろう。どうしてこれは三心ではないのだろうか。
法然上人は、大無量寿経の三心と観無量寿経の三心は同じであると言い、三心をもって極楽浄土
に往生すると教えていました。私は、しばらく疑問を抱いていたのですが、やっと経典と世親菩
薩の真意が分かりました。これもみな、先人達の偉大な働きによると考えます。
 私の考えは極めて突飛で、常識を越えているかも知れません。これを公表すれば、人々からど
のような批判を浴びるかも分かりません。しかし、私は批判を恐れず、敢えて公表したいと思い
ます。極楽浄土を求める方々、穢土を離れようとする人々よ、の考えに、何かを付け加えたり削
除したりするという批判は構いませんが、それを超え、法そのものに対する疑い・謗りだけは無
いようにしていきたいものと思います。

 親鸞は、自分自身が流罪を経験し、その流罪を原点に独自の思想境地を開いている。法然も流
罪を受けているが、証空は流罪前の法然から浄土教を学んでいる。まさに、法然浄土教の本流に
立っているというべきものだろう。京都に戻り、証空と再開したとき、親鸞は自分の考えが、京
都の法然・証空教団とは、思想的に大きく乖離していたことに改めて気づいたのではないか。親鸞
の三心思想は、証空から見れば法然の思想をラジカルに事実上解体していると映ったろう。

143 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:20:27 ID:bwGYjrJS
 親鸞思想は無戒の仏教なのだ。親鸞思想は、形式的には無戒という立場に立ち、実質的には現
実的に堅固に戒を守る。法然・証空は、形式的には有戒に立ち、実質的には大衆の破戒は広く抱
擁する。表向きで証空は親鸞を迎えただろう。親鸞は証空を補佐しただろう。表面的には極めて
和やかな雰囲気があったと思う。しかし、法然在世中とは異なり、思想的には互いに距離のある
関係ができていたと考える。

 関東から命がけで帰京した親鸞は、恐らく証空以上にラジカルに念仏を説こうとしただろうし、
また証空に対しては一歩下がって人々に接していたに違いない。証空は、弾圧をしたたかにかい
くぐる穏健さがある。親鸞のように証空までがラジカルに念仏を説けば、また弾圧を受ける。親
鸞と証空とは考えの立場が異なる。証空ではなく、親鸞に共鳴する人々が一人二人と生まれてく
れば、自ずから親鸞と証空とは、傍目にも距離が見えてくるようになったろう。

 証空は、宝治元年(1247年)に亡くなっている。当時親鸞は七五歳、関東とは頻繁に手紙
の往復を行っており、極めて壮健である。善鸞事件はまだ十年も先である。しかし、親鸞は、法
然・証空教団の後を継ぐことなく、むしろ関東に向けて盛んに著作活動を行っている。このころ
は証空・法然教団との実質的交流はもはや無くなっていただろう。

 建長八年、恵信尼は親鸞に数人の下人を送っている。複雑な事情で生まれた子供達を預かって
育てるのも僧の仕事である。関東では親鸞も恵信尼もそのような児童社会福祉事業を行っていた。
京都に戻った親鸞は下人を受け入れても養っていけるだけの経済的余裕があったようだ。日野家
との関係が復活していたのか、あるいは親鸞を支持する念仏者集団が京都の中で生まれていたの
かも知れない。
 「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」親鸞はそのようなことを言っていたようだ。教信沙弥
は、興福寺の僧で、還俗後、兵庫県加古川で川越人夫などをしていた人物だそうだ。京都の親鸞
も、そのような社会的事業をしながら半僧半俗の中で、旧法然教団とは距離のある独自の念仏道
を人々に説いていたと思われる。

144 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:47:28 ID:bwGYjrJS
>>139
>この流れ結構いい。
  喜んでくださっているようで、光栄です。

>教行信証は本気の人に書いたんだ。

 当初、関東では門弟用に念仏思想の体系書として書きだしたんだろうと思います。
 やがてそれは、帰京後の法然教団内での自分の復権の足がかりとしようとしたんで
しょう。法然教団では、高弟達が非常にハイランクの論文を発表し合うという雰囲気が
あったんだと思います。

>和讃を掘り下げて貰えたら嬉しいのですが。

 教行信証の眼目ということで書き出したのですが、一応ここで終わりとします。
 和讃は別の機会とし、親鸞の妻帯の問題を先に考えてみたいと思います。


145 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 11:12:15 ID:DIrEGb/N
                , -―- 、           |
           /-‐¬::r‐-:、丶      | 渡海のおっさんよ
           /:::, -‐┴'‐-、::::::::\     | 
        (:::/        _ ,丶::::::::)     | 精神安定剤やるから
         /  / /!   i ┐〈 \:'     / 
          /  /l_l |l  ハ._ l   ヘ,    ̄| 失せろ
          l /| l ィ'´勺´ ィ'´勺 l  丿     |
      ほ  \!ヘl.└ー┘ └ー┘l イ フ   \
      れ   Z/|〈 "   _  "ノヘ | フ        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         /´ |/::゙' ‐ ゙=='..::'´:::::ハ|\
         / ̄\\::::::::▽::::::::/ 、 ヽ
      .厶、   l \/\/    l  |
     ∠、  l  /    l__l     |  |
  t_‐┴ 、 \  /――┴‐┴‐tー、'´  /
  / ⊂⊃ l__|/――-、, -‐と⌒\\ /
  し'uuu' /       |    (__ノー'
         /       |       ヘ
        '´ ̄ ̄ ̄ ̄´ ̄ ̄ ̄ ̄´`

146 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 11:53:41 ID:qt8ZreBI
      /     \
     /  / ̄⌒ ̄\
     /   / ⌒  ⌒ |   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    | /  (・)  (・) |   | てめーなんだよこの糞スレは!!
  /⌒  (6     つ  |   | てめーは精神障害でもあんのか?
 (  |  / ___  |  < 何とか言えよゴルァァァァァァ!
  − \   \_/  /    \__________________
 //  ,,r'´⌒ヽ___/     ,ィ
   /    ヽ       ri/ 彡
  /   i    ト、   __,,,丿)/        ζ           
 |    !     )`Y'''" ヽ,,/      / ̄ ̄ ̄ ̄\        
  ! l   |   く,,   ,,,ィ'"      /.         \ 
  ヽヽ  ゝ    ! ̄!~〜、       /           |    
  ヽ  / ̄""'''⌒ ̄"^'''''ー--、 :::||||||||||||||||||||||||||||||||| 
  Y'´          /    """''''〜--、|||||||||||||||||) 
   (      丿  ,,;;''  ....::::::::::: ::::r''''"" ̄""ヽ   |
   ゝ   ー--、,,,,,___      ::: ::,,,,,ー`''''''⌒''ーイ  ./
     ヽ      \  ̄""'''"" ̄   \____/-、
     ヽ       ヽ  :::::::::::::::::::: /          `ヽ
      ヽ  丿   )       /    ノ   ゝ ヽ ,〉
       ゝ      !      /            ∀
        !     |      /   人     ヽ   ヽ
        |     ,;;}      !ー-、/  ヽ _,,,-ー'''''--ヘ
          |ノ    |      |  /    Y        ヽ
         {     |      |   j      )  渡海    ヽ

147 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 12:40:46 ID:bwGYjrJS
>>143
誤 抱擁
正 包容


148 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 15:06:07 ID:/XulXttB
さっさと親鸞の女性関係について書け!

149 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2007/08/31(金) 09:29:22 ID:Te/+m4SV
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>148 人に対してその言い方はなんだバカタレメー。
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   「さっさと書け」じゃなくて「教えてください」だろうが?。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  馬のションベンで顔洗って出直してこーい!
   (__/

150 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2007/08/31(金) 09:32:04 ID:Te/+m4SV
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>145-146 お前らもだ!
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   馬のションベンで顔洗ってこいよ。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  2,3日カキコ不能、と言いつつまたすぐ来ます。
   (__/

151 :神も仏も名無しさん:2007/08/31(金) 17:33:00 ID:69yU1nOL
社会福祉家というのはちょっと賛同しかねるが、
帰洛後の親鸞と法然教団の関係(証空)を推察した
記事に出会ったことがないので面白かった

証空には「即便往生」という考えがあって、親鸞の即得往生とどう違うのか
など気になるトピックがたくさんある。




152 :神も仏も名無しさん:2007/08/31(金) 17:41:52 ID:jBzGFiAl
>>151
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153 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/01(土) 13:21:46 ID:rEsgPVeh
>>151
>社会福祉家というのはちょっと賛同しかねるが、
>帰洛後の親鸞と法然教団の関係(証空)を推察した
>記事に出会ったことがないので面白かった

 喜んで貰えたようで光栄です。妻帯論では、歴史家の古田武彦氏
の親鸞論を批判するところから入り、福祉家という点も含めて考えて
みたいと思います。

 2,3日カキコ不能です。

>証空には「即便往生」という考えがあって、親鸞の即得往生とどう違うのか
>など気になるトピックがたくさんある。

 証空論はパスします。僕の手に負えない。


154 :神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 19:47:32 ID:AVybkzQm
渡海難の進化
          ____
         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
       |::::::::::::::::       |
       |::::::::::::::: ∪ \,, ,,/)
       |::( 6::ー──◎─◎)
       ..ノ::: (∵∴∪ ( ・ ・))
     /      ∵    3 丿
    /\    U   ___ノ
  /   .\     ____ノ\
        \______ノ  .\

           ↓
          ____
         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
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       |::( 6::ー──◎─◎)    
       ..ノ::: (∵∴∪ ( ・ ・))
     /      ∵    θ丿      
    /\    U   ___ノ       
  /   .\     ____ノ\    
        \______ノ  .\



155 :神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 19:48:49 ID:AVybkzQm
           ↓
          ____
         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
       |::::::::::::::::       |
       |::::::::::::::: ∪ ノ  ヽ )  
       |::( 6::ー──◎─◎)    
       ..ノ::: (∵∴# ( ・ ・))
     /      ∵    ο丿      
    /\    U   ___ノ       
  /   .\     ____ノ\    
        \______ノ  .\

156 :神も仏も名無しさん:2007/09/04(火) 19:03:55 ID:pCNDOBzc
法然って死ぬ間際に念仏では救われないって言ったんだよな。
とんでもない裏切り者だよなw
それに騙された親鸞は地獄に堕ちたんだろうか。

157 :神も仏も名無しさん:2007/09/04(火) 20:16:24 ID:BS4Nd44K
言ってないし

158 :神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 19:03:13 ID:ZKqUrby+
インポ親父こと渡海難が包茎手術を受けた!
       ↓

    彡川三三三ミ
   川出 ::::::⌒ ⌒ヽ
  出川::::::::ー◎-◎-)
 ..川(6|::::::::  ( 。。))
 出川;;;::∴ ノ  3  ノ  < 手術前
   ノ\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
  ( *  ヽー--'ヽ )
  (∵ ;)  ゚ ノヽ  ゚ ):)
  (: ・ )--―'⌒ー--`,_)
  (___)ーニ三三ニ-)
  (∴ ー' ̄⌒ヽωニЗ
   `l ・  . /メ /
    ヽ ∵  /~- /.
    (__)))))_)))))

    彡川三三三ミ
   川出 ::::::⌒ ⌒ヽ
  出川::::::::ー◎-◎-)
 ..川(6|::::::::  ( 。。))
 出川;;;::∴ ノ  3  ノ  < 手術後
   ノ\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
  ( *  ヽー--'ヽ )
  (∵ ;)  ゚ ノヽ  ゚ ):)
  (: ・ )--―'⌒ー--`,_)
  (___)ーニ三三ニ-)
  (∴ ー' ̄⌒ヽωニЭ
   `l ・  . /メ /
    ヽ ∵  /~- /.
    (__)))))_)))))

159 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/06(木) 10:56:05 ID:t3LgcCvb
 親鸞妻帯論とは何か。親鸞妻帯論とは、仏教の戒律をどう考えるかという問題である。釈迦は三学
を立てた。すなわち戒・定・慧である。仏教は悟りを求める。禅定の無い悟りは存在しない。智慧の
無い悟りも存在しない。同じ論法で、持戒のない悟りも存在しないのだ。
 僧は結婚できない。これは、仏教の基本的な戒律の一つである。親鸞は妻帯していた。これは、歴
史上、ほとんどゆるぎない事実として考えていいだろう。親鸞の妻帯は、破戒なのか無戒なのか。戒
律の肯定なのか、否定なのか。念仏をベースに、戒律の本質を考えてみたい。私生活を覗き見主義的
にあげつらうことには、僕は興味がない。歴史上の人物である親鸞は自分と同じような人間だったの
か、違うような人間だったのか。そんなことは興味がない。僧は結婚してもいいのか、わるいのか。
そんなことは、親鸞に聞くような問題ではない。

 なお歴史的には、親鸞妻帯論は、親鸞が自分たちの師となりうるかのかという、師としての資質を
問うことに大きな問題があった。非僧者も破戒僧も、自分たちは師と仰ぐことはできない。仏法を他
人に語りかける資格はない。親鸞の妻帯論を考える場合、そのような教理史的な意味も忘れてはなら
ない。

 親鸞妻帯論を考える場合、教義的な議論の前に、歴史的客観的事実関係を明確にしておく必要があ
る。歴史的客観的事実関係の明確化は歴史家の仕事だ。インターネットに格好の問題提起が公表され
ている。親鸞は流罪前の京都時代から結婚していた。比叡山を下りるように誘った女性がいる。それ
は恵信尼である。そんな仮説が提示してある。提起しているのは、著名な歴史学者の古田武彦氏
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku3/j3shin7.html)である。古田武彦氏の仮説を見聞しなが
らこの問題を考えていきたい。

160 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/06(木) 10:56:56 ID:t3LgcCvb
 恵信尼の手紙を紹介する。
 原文
 たヾごせの事はよき人にもあしきにも、おなじやうにしやうじいづべきみちをば、ただ一すぢにお
ほせられ候しを、うけ給はりさだめて候しかば、しやうにんのわたらせ給はんところには、人はいか
にも申せ、たとひあくだうにわたらせ給べしと申とも、せゝしやうじやうにもまよひければこそあり
けめとまで思まゐらするみなればと、やうやうに人の申候し時もおほせ候しなり。

 漢字書き替え
 唯、後世の事は良き人にも悪しきにも、同じように生死出ずべきみちをば、唯一筋に仰せられ候い
しを、受け給わり定めて候いしかば、上人の渡らせ給はん処には、人はいかにも申せ、喩ひ悪道に渡
らせ給うべしと申すとも、世々生々に迷いければこそありけめとまで思い参らする身なればやと、様
々に人の申し候いし時も仰せ候いしなり。

 意訳
 常に、いまの環境は何時激変するか測り知れない可能性があります。いまの行動・いまの思いがこ
れ以上一歩も続けられなくなり、自分はもう生まれ変わって人格を変え、全く別の思い・全く別の行
動を選択して行かなければならなくなるときがくるものです。それはいつ来るかわからない。同じ人
格ではいられないような「後の世」というものは、善人にも悪人にも同じように起きてくることです。
 法然上人は、生(再生)・死(挫折)・生・死を繰り返す危機を克服して行く手段を、ただひたす
ら仰っておられました。親鸞聖人は、法然上人からそういうお話を伺い、決意を固めたのです。法然
上人に、どこまでもどこまでもついていこう。他の人が押し留めようとしても、自分は法然上人が向
かうところには、どんなところにもついていこう。仮に法然上人が、地獄道・餓鬼道・畜生道に向か
えば、自分もそこについていこう。そう決意していたのです。

161 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/06(木) 10:58:03 ID:t3LgcCvb
 知恵が無く、ひたすら欲望だけに突き動かされていくけだものの道に法然上人が向かえば、自分も
そこについて行こう。欲望に支配され、しかも腹が満たすことのない飢えた鬼のように、一瞬の休み
無く欲望に追い立てられていく餓鬼の道に法然上人が向かえば、自分もそこについて行こう。欲望だ
けがひたすら膨れあがるだけで、身は微動もできない地獄の道に法然上人が向かえば、自分もそこ
について行こう。
 自分の身をふり返れば、自分はそれと同じような世界にいたわけです。生(再生)・死(挫折)・
生・死を繰り返し、地獄道・餓鬼道・畜生道と紙一重の世界にあったわけではありませんか。法然上
人がそこに向かうと仰れば、お供しない理由はありません。
 色々な人が、親鸞聖人にいろいろお話ししてきたとき、親鸞聖人はこのように切り返してお話にな
っていました。

 原文を見よう。「候し」という言葉が4回でている。この「候し」は、恵信尼の使用例でみると、
必ず叙述者の過去の直接経験を示している。つまり、これは恵信尼が 過去に直接経験した事実の表
記であるという。

 「唯一筋に仰せられ候しを、受け給わり定めて候し」は、恵信尼が過去に直接経験した事実である。
言い換えれば、伝聞ではない。恵信尼の文例で考えると、伝聞の場合は「きゝ候し」という言葉を使
っている。

 親鸞が善鸞を義絶したときの書状の中に、「(親鸞は)まゝはゝにいゐまどわされたる」「(親鸞
を)まゝはゝのあまのいゐまどわせり」とある。継母とは、善鸞からみた恵信尼を指す。

 恵信尼は、娘に親鸞が比叡山を脱出したときのことを話している。比叡山脱出のとき、恵信尼はそ
の経緯をそばにいて直接目にしていた。恵信尼が親鸞を比叡山から誘い出し、そこで結婚した。古田
武彦氏はそう言う仮説を立てている。

 この問題を考えてみる。

162 :\                              /:2007/09/06(木) 10:59:37 ID:tp8gcxvW
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。 
     /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::)
     (::::::::::/  ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
    (:::::::::/ 彡  ノ   ノ  :: 彡:/)) ::::::::::)
   (::::::::::/彡彡彡彡彡。臭 ミミミミミミミ :::::::::::)
   ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
    | =ロ -=*=-    ‖ ‖     -=*=-ロ===     
    |:/ ‖    / /ノ  ヽ \     ‖ ヽ|ヽ
    |/  ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ.   ..| |
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   ( 。;・0”*・o; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o )
   (; 8@ ・。://□ ̄ ̄■□\:\.”・:。;・0.)
.   \。・:%,: )::::|.       | ::::(: o`*:c /
    \ ::: o :::::::::\凹□ 凹/  ::::::::::   /
      (ヽ  ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_   ノ
        | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/| 

163 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/07(金) 22:31:39 ID:2hz3yRvq
 古田氏の主張によると、親鸞の比叡山脱出のとき、恵信尼がその経緯をそばにいて直接目にし
なかったとしたら(通説:越後結婚説)、4箇所の「候し」は伝聞となるべきで、「・・・・・
と仰せ候し由、聞き候しなり」といった文形にならねばならぬという。

 4箇所の「候し」のどれが「聞き候し」になるのか。全部が「聞き候し」になるのか、この辺
はよく分からないが、そのような主張をしておられる。

 僕はこの恵信尼の手紙を読んで、全く違和感がない。「たヾごせの事は 〜 思まゐらするみ
なればと」の全文が、「おほせ候し」ということなのではないか。つまり、「たヾごせの事は〜 思ま 
ゐらするみなればと」いう話を、親鸞が訪問者に言って聞かせていたのを、恵信尼は横で聞いて
いたのだろう。親鸞が直接体験していたことを直接話法で恵信尼は手紙の中に書いている。た
だそれだけのことではないか。最後の「・・仰せ候いしなり。」だけは、恵信尼の体験であり、「この
ように話しているのを私は横で聞いていましたよ」ということだろう。

 親鸞が話し手、恵信尼が直接の聞き手となって話されたこと、これを手紙に書けば、「聞き候
し」になるだろう。しかし、第三者に話していたのを臨場感溢れるまま、直接話法で書けば、
「候し」になるだろう。
 この手紙は、法然上人の下を親鸞が尋ねる前から恵信尼は親鸞を知っていたことの根拠にはな
らないと考える。その意味で、古田氏の主張は一角が崩れていると考える。

164 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/07(金) 22:32:32 ID:2hz3yRvq
 古田氏は京都結婚説を主張している。京都結婚説の根拠として、古田氏は「親鸞夢記」という
資料を提示し、これは本物だという。
 親鸞夢記という古文書がある。これは、高田専修寺にある。親鸞夢記には、親鸞が見た夢を三
つ紹介している。その中に、有名な「行者宿報設女犯」の詩が書かれている。これは、本願寺聖
人伝絵にも載っている。法然上人の下を尋ねる前、観音菩薩から「自分が貴方に抱かれよう」と
いう夢をみたという話である。親鸞夢記には親鸞の署名もある。親鸞の本物の署名があれば、そ
ういう夢を見たという話は現実味を帯びてくるだろう。親鸞は観音菩薩の許しを得、僧として京
都時代に結婚に踏み切ったという話は現実味を帯びてくる。
 しかし、親鸞の署名があるといっても、筆跡鑑定の結果、署名は親鸞ではないことが明らかに
なっている。この文書は、学会ではほとんど問題にされてないと古田氏は言いつつ、古田氏はこ
れを本物だという。親鸞の直筆の記録があり、それをそのまま写したものだろうという。文体・
表現方法が親鸞の文章にそっくりだという。

 まあ、親鸞の近くにいた人が書いたものだろうが、親鸞が直筆で書いた原本が別にあるとは、
僕は信じられない。原本が別にあるかどうかは、そのような直筆の原本が発見されたときに議論
すればいい。文章を似せて書くことは、他人でもできることがある。少なくとも、文献的には、
親鸞が若き京都時代から結婚していたということを示す客観的証拠は存在しない。

 思想的にはどうか。僕は親鸞の人となりから、僧の身で結婚するような人だったとは考えられ
ない。それは彼の戒律に対する考えからそのように類推する。親鸞の戒律観を見てみよう。

165 :\                              /:2007/09/07(金) 22:54:09 ID:xEDArjiI
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。 
     /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::)
     (::::::::::/  ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
    (:::::::::/ 彡  ノ   ノ  :: 彡:/)) ::::::::::)
   (::::::::::/彡彡彡彡彡。臭 ミミミミミミミ :::::::::::)
   ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
    | =ロ -=*=-    ‖ ‖     -=*=-ロ===     
    |:/ ‖    / /ノ  ヽ \     ‖ ヽ|ヽ
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      (ヽ  ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_   ノ
        | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/| 

166 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/12(水) 11:37:52 ID:ZYrkIW+v
 親鸞は、流罪で僧籍を剥奪され、受戒の効果を失った。文字通り無戒に戻った。それでは親鸞
は、戒律を否定し、あるいは無視するような人だったのか。親鸞は関東から帰京するにあたり、
関東のお弟子さん達に次のような文書を残している。 (専修寺蔵 宗祖真筆)

 浄肉不浄肉の文
 涅槃経に言わく。人、蛇、象、馬、獅子、狗(いぬ)、猪(いのしし)、狐、猿、驢(うさぎ
うま)、十種不浄肉。又言、三種浄肉。見・聞・疑。見といふは、わが目の前にて殺す肉を食す
るなり。聞と言うは、我が糧に採りたるを食するを言ふ。疑といふは、我が糧かと疑ひながら肉
食をするとを言ふなり。この三つの肉食を不浄と言ふ。この三つの様を離れたるを三種の清き肉
食と言ふなり。

 親鸞は、戒律というものを全く無視するというタイプの人だったのか。もしそうであれば、こ
んな文書は残さなかったろう。親鸞からこのような文書を渡されたお弟子さん達も、これを数百
年間も守り続けるということは無かったろう。親鸞自身は、流罪で受戒の効果を形式的には無く
なっても、戒律は堅持しなければならない。そう考えていたからではないか。
 親鸞は肉食をしたと言うことを梅原猛さんなどは重大視している。自ら哲学者だと名乗り、肉食
は破戒行為だという。哲学的に見て、肉食はどこが破戒行為なのだろうか。親鸞以前に肉食をし
なかった僧がいたのだろうか。僧は、動物質タンパク質を摂取する必要はなかったのか。必須タ
ンパク質を摂取する必要はなかったのか。

 親鸞は、戒律を破って肉食をしていたわけではない。親鸞の肉食は戒律の範囲内で行っていた。
僕はそう信じている。法然は、自らは持戒堅固の僧でありながら、第三者の破戒は広く包容する
懐の広さをもっていた。親鸞は、受戒の効果を失いながら、自らにも、人々にも、合理的な範囲で
は持戒を勧める人だった。ぼくはそう考えている。

167 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/12(水) 11:40:07 ID:ZYrkIW+v
 静岡県に登呂遺跡という弥生時代の遺跡があり、当時の水田の跡が残っている。弥生時代は、
稲の北限は恐らくあの辺だったんだろう。登呂よりもさらに北方には、古代の水田の跡がほとん
どない。
 稲が津軽海峡を渡ったのは明治のことだ。先人達は北海道で大変な苦労をして稲を育てた。戦
前は、東北地方でさえ、毎年のように冷害で苦しんでいた。宮沢賢治などは農業試験場の研究者
として過労の中で死んでいった。
 鎌倉時代、関東・東北の人は何を食べていたのか。栗・粟・蕎などを食べていたのだろうが、
土壌の貧弱なところでは、人々はタンパク質を何から摂取していたのだろうか。当時、関東北部
で生活しようとする場合、狩猟し、肉食をしなければ、人々は事実上生きていけなかったのでは
ないだろうか。
 狩猟・肉食をしなければ事実上生きていけない地で、敢えて「浄肉不浄肉」の文書を残したと
すれば、それはどういう意味があるのか、これは、漁民や狩人に向かって残した文書ではないだ
ろう。関東では、東大寺や比叡山のように、正式に受戒して出家できる寺は、国分寺・国分尼寺
以外になかった。国分寺・国分尼寺が廃寺になれば、正式な受戒の道はない。それでも、自ら僧
の宣言をする僧がいた。関東の親鸞集団の回りにはそういう人が多かった。親鸞は、そういう人
々に向かって戒律を教えていた。生活上では必要不可欠の肉食についても、親鸞は、戒律が認め
る肉食の限界を提示した。自ら僧であろうとする者は、決して戒律を忘れるな。親鸞はそう説いてい
るのだ。

 戒律を重視する親鸞の考え方は、五会法事讃略抄から学ぶべきである。本願寺がこれを聖教デ
ータベースから外していることは残念に思っている。親鸞の基本的スタンスを考えた場合、教行信
証に次ぐ極めて重要な文書、歎異抄などとは比べものにならないほどの重要な文書と考えている。

168 : ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/09/12(水) 12:10:35 ID:QMIEmsVN
 O
      o                        と
       。 ,. -ー冖'⌒'ー-、            思
       ,ノ         \            う
       / ,r‐へへく⌒'¬、  ヽ          キ
       {ノ へ.._、 ,,/~`  〉  }    ,r=-、  モ
      /プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く    /,ミ=/  オ
    ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐'  リ,イ}    〃 /  タ
   / _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ    〃 /   で
  ,/ └' ノ \   こ¨`    ノ{ー--、〃__/    あ
  人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\  っ
. /   |/ |::::::|、       〃 /:::::/    ヽ  た
/   |   |::::::|\、_________/'   /:::::/〃

169 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/13(木) 11:02:41 ID:Ony+bt5I
>>168
>と思うキモオタであった

 苦笑。

 浄土真宗教団が全く顧みてこなかった親鸞真筆の文書「浄肉不浄肉の文」を掘り
起こし、それを根拠に、上記のように思うキモオタであった。

 まあ、折角コメントを書くなら、端折らずこのくらいのことは書いても罰はあた
らんだろう。



170 :神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 11:54:40 ID:4zmJm/Ie
>>169
早く職安へ行って職探せよキモヲタ
もうすぐ60になるおっさんのくせに昼間から2chかよ

171 :神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 14:00:39 ID:Q6O6ofXU
〜渡海の脳内〜

           親鸞
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
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(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ先生ぇ〜
 \::::: \:::::::   (::: |    ,.:':'゙'゙'゙:゙'゙':';.,      川川;;;::∴ ノ  3  ノ
 /:::\::::: \:::    ヽ|  r゙ ,.: :;;;:: : : : :;          \_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
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              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

172 :神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 14:02:36 ID:Q6O6ofXU
〜渡海の脳内〜

           釈尊
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
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(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ先生ぇ〜
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 /:::\::::: \:::    ヽ|  r゙ ,.: :;;;:: : : : :;          \_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
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\::::::::::   ミ(;;; );; ) |      :::::::::: : : : : ::: ::  ::         イ
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              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

173 :神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 14:03:39 ID:Q6O6ofXU
〜渡海の脳内〜

         阿弥陀如来
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
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(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ先生ぇ〜
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              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

174 :南無大師遍照金剛:2007/09/16(日) 22:31:04 ID:IBHDQ9Va
ヽ(´∇`)ノ

175 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:12:25 ID:CJ7QpdGL
 親鸞は戒律というものをどう見ていたか。親鸞の遺文の中で、戒律について法然の影響を直接
受けていると思われるものが、僕には見あたらない。法然は叡空から大乗戒律を学び、印可を得
ている。釈迦から相承されてきた正当仏教の相承を法然は叡空から得ている。しかし、親鸞は、
戒律観に関しては法然を継承してない。僕はそう思う。法然が天台の著名な戒師であったという
点を考えると意外な感じがする。戒律に関し、親鸞は、直接法照の考えに立っていると考えるの
が最も素直な考えだろう。

 関東から京都に戻るに当たり、親鸞は関東のお弟子さんさん達に『五会法事讃略抄』を残した。
恐らく、一切経の校合の際、親鸞は北条家から『五会念仏法事儀讃』を一時的に借用し、あるい
は書写し、それを下にして製作したものだろう。独自の考えで抜粋、編集しなおしている。

 五会念仏法事儀讃は法照禅師の作である。後善導とよばれ、中国仏教全盛時代、すなわち唐の
時代、唐朝廷の直近にあって全盛の中国仏教を指導していた。日本朝廷が派遣した遣唐使留学生
を、中国朝廷の側で迎え入れる立場にあったのがこの法照である。平安時代最後の遣唐使である
日本天台宗の三祖、円仁大師が日本に持ち帰ったのが、法照禅師の『五会念仏法事儀讃』である。
日本からの政府留学僧は、自分たちが滞在していたその時代に中国で最も権威ある仏教を教わっ
てきた。

176 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:13:31 ID:CJ7QpdGL
 法照は唐仏教の全盛期、全盛仏教の頂点に立って正当派北宗禅を指導していた。法然・親鸞は
円仁大師が日本に持ち帰ったその法照禅師の北宗禅を比叡山で学んでいる

 五会念仏法事儀讃については、教行信証でも親鸞は触れている。しかし、教行信証では重要部
には余り深くは踏み込んでいない。教行信証で言い尽くしてない思想部で不明確な部分が『五会
法事讃略抄』では補完的に陳述されている。親鸞思想は、教行信証が主要論、五会法事讃略抄は
補完論という位置づけにあると考える。五会法事讃略抄には何が書いてあるのか。親鸞の真筆本
を読んでみよう。
 なお、五会法事讃略抄で行っている議論が、教行信証から外し、あくまで補完論という従属的
な形で残してあるというのは、親鸞の思想が重層的、立体的な構造を有しているということを意
味する。
 親鸞は、曇鸞、善導の文書については、『五会法事讃略抄』のようなまとまった略抄文類を残
していない。教行信証を別格にすれば、親鸞の遺文の中で『五会法事讃略抄』が最も長い。善導
の文書についての略抄文などは、場合によれば歴史の中で散逸しただけかも知れない。あるいは、
未発見の中に埋もれているのかもしれない。しかし、恐らく実際にも遺してないのだろうと僕は
思う。もしそうであれば、親鸞が法照禅師に傾けた思いは、曇鸞、善導に傾けた思い以上である
と言っていいのかも知れない。親鸞のなみなみならない思いがここにある。
 意訳に先立ち、漢文書き下し文で紹介する。法照は、正法と真宗との二つの重要性を説いてい
る。正法は禅と戒である。その教えに親鸞は必死に耳を傾けている。これは、『浄肉不浄肉の
文』を遺した親鸞の思想の基盤にある考えである。

177 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:14:21 ID:CJ7QpdGL
正法楽賛   依仏本行経 依浄土楽知
正法楽正法楽正法不思議  正法楽        釈迦如来因地の時  正法楽
歴劫苦行不思議なり  正法楽          頓に身財を捨てて妙法を求む  正法楽
唯仏と仏とのみよく知りたまへり  正法楽

正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
成仏より四十九年余  正法楽          彼の国を経行し、五天に遊びて  正法楽
普く衆生を勧めて懇ろに念仏せしむ  正法楽   示し教へて戒を持ち及び禅を修す  正法楽

正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
涅槃已後一千年                法教流転して此の間に到る
衆生転読して行学に依り             成道果を示して、天に生ず

正法能超出世間   正法楽
衆生仏に随いて西方に到れば          微塵故業自ずから消亡す
如来願力をもてまのあたりに加被したまふ    聞法悟道して真常を證す
何者をかこれを名づけて正法と為る       若しこの道理ならばこれ真宗なり
好悪この時にすべからく決着すべし       一々に汝くはしく朦朧とすることなかれ

正法能超出世間   正法楽
持戒坐禅を正法と名づく            念仏成仏これ真宗なり
仏言を取らざるを外道と名づく         因果なしとの見を発すれば空となす
                                          つづく

178 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:30:16 ID:CJ7QpdGL
正法能超出世間   正法楽
禅律如何これ正法なり             念仏三昧これ真宗なり
了心を見性せばすなわち是仏なり        いかんぞ道理相応せざらん

正法能超出世間
念仏は声声に仏種を下す            坐禅持戒は真功を用いてなり
汝若し修せずてすなわち仏になるといはば    喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし

西方楽賛  依阿弥陀経
西方の進道は娑婆にすぐれたる 西方楽     五欲及び邪魔の縁なきによりてなり。
成仏するに諸善業をわずらわず 諸仏子     華台に端坐して弥陀を念ずるをもてなり

西方楽西方楽
西方浄土不思議 人間楽に着することなかれ   五濁の修行は退転多し 西方楽
念仏して西方に往かむには如かず 西方楽     かしこに到れば自然に正覚を成る 諸仏子
苦海に還来して津梁を作す 人間楽に着することなかれ
                        万行の中に急要にして 西方楽
迅速たるは、浄土門に過たるはなし
                    ただ、本師金口の説きたもうのみにあらず 諸仏子
十方諸仏も共に伝へて証したもふ 人間楽に着することなかれ
                    此の界に一人仏名を念ずれば 西方楽
西方にたちまち一の蓮の生ず 西方楽      ただし一生常に不退なれば 西方楽
一華還りて此の間に到りて迎ふ 人間楽に着することなかれ

179 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:32:39 ID:CJ7QpdGL
 このスレでは、最近小うるさいポンチ絵の荒らしが目立っています。荒らしが入るというの
は、2ちゃんねるでは良スレの勲章のようなものです。
 ポンチ絵は見たくないという人は、アボーン機能のついた2ちゃんねる専用のブラウザ(2ち
ゃんねるビューア)を使い、アボーンして見て下さい。
 アボーン機能とは、自分の見たくないコメントだけを選択して消してくれる機能です。荒らし
は必ずアドレス欄にsageと書きますから、アドレス欄にsageと書かれているコメントをアボー
ンで選択設定にするといいでしょう。
 まあ、荒らしを嫌がっていれば2ちゃんねるで良スレを維持することはできないと、腹を括れ
ば問題はありません。念仏の広まり候らわんことも、仏天の御計らいに候べしという教え
もあります(消息集)。
 荒らしではない質問などはアドレス欄にsageと書かないで下さい。荒らしと間違われ
てアボーンしている人が見えません。

180 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:46:39 ID:CJ7QpdGL
 追加
 念仏の広まり候らわんことも、仏天の御計らいに候べし。

 念仏が広まっていかないと言うことがあれば、それも仏
天の意思による(我々にはどうしようもないことだ)。

181 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 14:26:38 ID:LJbUGO34
>>179
>このスレでは、最近小うるさいポンチ絵の荒らしが目立っています。荒らしが入るというの
>は、2ちゃんねるでは良スレの勲章のようなものです。

お前アホか?良スレじゃなくて糞スレだから荒らされてるんだよ。
つーか荒らしが入ったスレは良スレって誰も言ってないし。あ、渡海難とかいうキチガイだけか。

182 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 23:47:44 ID:WEQG7f/Q
糞スレ晒しage!
               |    丶 _    .,!     ヽ
               >     ``‐.`ヽ、  .|、     |
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          ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´    .l゙`-、
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        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``

183 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 23:48:42 ID:WEQG7f/Q
クソスレ晒しage!
               |    丶 _    .,!     ヽ
               >     ``‐.`ヽ、  .|、     |
             ゙'.     ,ト `i、  `i、    .、″
                |    .,.:/""  ゙‐,. `    /
             `  .,-''ヽ"`    ヽ,,,、   !
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               、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''`  .,"-、
              ,r"ツぃ丶  ``````   ../  `i、
          ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´    .l゙`-、
         _,,l゙-:ヽ,;、、             、、丶  ゙i、,,、
        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``

184 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 23:49:20 ID:WEQG7f/Q
くそスレ晒しage!
               |    丶 _    .,!     ヽ
               >     ``‐.`ヽ、  .|、     |
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             `  .,-''ヽ"`    ヽ,,,、   !
                、,、‐'゙l‐、      .丿 : ':、
               、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''`  .,"-、
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        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
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 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
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      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``

185 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/19(水) 10:12:48 ID:7vHUBRjg
>>179
 ポンチ絵を見たくないという方へ。

 アボーンの設定でアドレス欄のsage表示を全てアボーン設定 (レスの選択的消去) することは
得策ではないようです。私自身も、今後sage表示は使いたいと思います。

 NGワードとして、    \ , ☆ ...    以上の四つの記号を入れると、ポンチ絵は消えます。参
考にしてみてください。

 まあ、アボーン設定を入れると、他のスレッドにもアボーン効果が及びます。親鸞仏教質
問箱以外は、アボーン設定していないブラウザで見るといいでしょう。

 良スレは荒らしから逃げられないのが2ちゃんねるの宿命です。良スレを閲覧するには
多少の不便も覚悟が必要と言うことでしょうね。  (苦笑)

 なお、ピリオド記号を3つ並べてあるのがあります。ピリオド記号を二つの場合、リンク記号の入った
レスまでアボーンしてしまいますのでまずいようです。
> / :    をアボーンすると、リンクが入っているレスまで消えますから注意しましょう。

 今後、上記の四つの記号だけで消えないポンチ絵が登場したら、またいたちごっこで
考えましょう。
 私の方は、基本的には半角は使用しません。全角だけを使用します。親鸞仏教質
問箱は、一応そういう方針で行きたいと思います。


186 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:02:09 ID:6HHZYkyL










カルト親父

187 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:03:02 ID:6HHZYkyL

















さっさと職探せよ

188 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/19(水) 12:52:18 ID:7vHUBRjg
>185
 分かりました。いままでJaneをつかってきたのですが、A Bone2 がいいようです。
 2ちゃんねるビューアはA Bone2がお勧めです。
 一時的にアボーンを作動させたり解除したりする機能がついています。二つのビューアを兼用する必要がない。
 ピリオドを二つつなげた記号  ..  をアボーン設定しても>>記号のスレッドをアボーンすることもない。
 

> 186-187 などは個別にアボーンしましょう。

189 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 18:00:51 ID:Zxe2+DQu
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190 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 18:01:32 ID:Zxe2+DQu
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191 :迷える子羊:2007/09/19(水) 21:03:23 ID:Z5D0Rm+T
法然・親鸞を最近読書している者です。
スレを一読したいへん勉強になりました。
ところで、荒らしているのはどういう人達でしょうか?

192 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 21:14:20 ID:tvRoD3Ns
>>191
ここは基地外が立てたオナニースレなのでageないでください。

糞スレ(自称「良スレ」)は荒らされるのが基本です。
良識のある宗教板住人がヒマを見て荒らしてるだけです。

193 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/20(木) 10:12:00 ID:bSfRD88v
 渡海難が、NGとしてアボーンした記号と単語をお知らせします。
 ポンチ絵がうるさいんで、単語は登録する必要はないかもしれないけど、小うるさい
単語も含めました。

    \ :: ,,  ... ` ★☆ オナニー 糞 おなにー


>191
> スレを一読し、たいへん勉強になりました。
  大変光栄です。

>法然・親鸞を最近読書している者です。
  巷で言われている親鸞思想とは、ひと味もふた味も違うでしょう。
  原典を読んでみて、巷の親鸞論に疑問を持ったら、2ちゃんねるを覗いてみてください。
  考え方のヒント、疑問解決の糸口のようなものが見つかるかもしれません。

>荒らしているのはどういう人達でしょうか?
  本人に聞くのが一番いいんだけど、本人達は言わないでしょう。それでも頭隠して尻隠
さず。
  彼らがどんな連中か、2ちゃんねるの真宗板では知らない人がいない公然の秘密で
す。それを言うと、また暴れ出す。(笑)  言わないでも暴れ出す。(笑)
  しばらくここに常駐していれば、意外な連中であることが分かります。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
   そうだよな。アラシ君!!(⌒▽⌒)アハハ!

194 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/20(木) 10:17:21 ID:bSfRD88v
(別スレにしないで送ってしまったので再送します。)


>191
> スレを一読し、たいへん勉強になりました。
  大変光栄です。

>法然・親鸞を最近読書している者です。
  巷で言われている親鸞思想とは、ひと味もふた味も違うでしょう。
  原典を読んでみて、巷の親鸞論に疑問を持ったら、2ちゃんねるを覗いてみてください。
  考え方のヒント、疑問解決の糸口のようなものが見つかるかもしれません。

>荒らしているのはどういう人達でしょうか?
  本人に聞くのが一番いいんだけど、本人達は言わないでしょう。それでも頭隠して尻隠
さず。
  彼らがどんな連中か、2ちゃんねるの真宗板では知らない人がいない公然の秘密で
す。それを言うと、また暴れ出す。(笑)  言わないでも暴れ出す。(笑)
  しばらくここに常駐していれば、意外な連中であることが分かります。


195 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 10:39:08 ID:EPGqXt6m
>そうだよな。アラシ君!!(⌒▽⌒)アハハ!





きもっ!!!!

196 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 11:27:52 ID:2zbRJsoq
渡海難って、安倍首相以上にKYな奴なんだな。

197 :迷える子羊:2007/09/20(木) 18:54:43 ID:INNa8GQK
191に書き込んだ者です。
家の宗教が浄土真宗なので
浄土門を勉強していますが
現世利益がないと解りちょっとがっかりです。
浄土宗で観音堂のあるお寺もあるのですが。。。
「親鸞会」も問題が指摘されているようですね。
渡海難さんはどうお考えでしょうか?

198 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:30:54 ID:3OiDoZjZ
観音と阿弥陀は いっしょと考えていいんじゃない 要は始まりの 理だから すべては 宇宙活動のながれだから

199 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:36:52 ID:Q1xcMrXQ
>>197>>198
クソスレあげるな、氏ね。

200 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:38:30 ID:Q1xcMrXQ
200

201 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 00:14:38 ID:3H8KucsA
> 197
> 現世利益がないと解りちょっとがっかりです。
> 浄土宗で観音堂のあるお寺もあるのですが。。。

現世利益和讃 十五首
阿弥陀如来来化して 息災延命のためにとて 金光明の寿量品 説き置き給える御教なり

山家の伝教大師は 国土人民を憐れみて 七難消滅の誦文には 南無阿弥陀仏を称なうべし

一切の功徳に優れたる 南無阿弥陀仏を称うれば 三世の重障皆ながら 必ず転じて軽微なり

南無阿弥陀仏を称なうれば この世の利益際もなし 流転輪回の罪消えて 定業中夭除こりぬ

南無阿弥陀仏を称なうれば 梵王帝釈帰敬す 諸天善神尽く 夜昼常に守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 四天大王諸共に 夜昼常に守りつつ 萬の悪鬼を近付けず

南無阿弥陀仏を称なうれば 堅牢地祇は尊敬す 影と形との如くにて 夜昼常に守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 難陀跋難大龍等 無量の龍神尊敬し 夜昼常に守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 炎魔法王尊敬す 五道の冥官皆ともに 夜昼常に守るなり

202 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 00:16:18 ID:3H8KucsA
南無阿弥陀仏を称なうれば 他化天の大魔王 釈迦牟尼仏の御前にて 守らんとこそ誓いしか

天神地祇は悉く 善鬼神と名付けたり これらの善神皆ともに 念仏の人を守るなり

願力不思議の信心は 大菩提心なりければ 天地に満てる悪鬼神 皆悉く恐るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 観音勢至は諸共に 恒沙塵数の菩薩と 影の如くに身に添えり

無碍光仏の光には 無数の阿弥陀ましまして 化仏各々悉く 真実信心を守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して 喜び守り給うなり

「観音勢至は諸共に影の如くに身に添えり」
 現世利益は親鸞仏教で重要な問題を含んでいます。いずれ議論してみましょう。
 親鸞の妻帯論は大きな問題ですので、そちらを先行させます。 

>「親鸞会」も問題が指摘されているようですね。

 親鸞会の件については、親鸞会専用のスレがあります。そちらで議論するといいでしょうが、
向こうのスレでは、僕自身は対決姿勢を出しています。
 こちらのスレでは、対決ではなく、その背景の問題について、少し考えてみましょう。

203 :神も仏も名無しさん:2007/09/23(日) 01:54:23 ID:Kbwx3jxL
579 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/09/20(木) 18:04:48
  「戦争協力」除外を可決  本願寺派が“憲法”改正 〔共同 2007/09/20〕
  
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_01.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_02.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_03.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_04.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_05.mpg

204 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 09:55:55 ID:3H8KucsA
> 203
 203の内容は盗撮ビデオです。不愉快に思う人はアボーンしてください。
 203をアボーンしても、ここでの議論に困ることはありません。
 なお、アボーンのNG語にvideoとmpgを加えましょう。
 このスレでvideoとmpgを使うことはありません。

 必要があれば、videoはびでお、mpgはえむぴーじーと表記します。

 質問箱の約束事項。
 2ちゃんねるビューワを使用しアボーン機能を設定する。
 推奨ビューワ A Bone2
 A Bone2には道連れアボーンというのがあります。アボーンしたコメントに
 にリンクしたコメントも、連続してアボーンしてくれます。
 
 これまでのNG語

  \ :: ,,  ... ` ★☆ オナニー 糞 おなにー video mpg

205 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 10:23:57 ID:3H8KucsA
 今後、このスレッドには、いろいろな仕掛けが仕掛けられる可能性があります。
 どんなものが仕掛けられるか分かりませんが、2ちゃんねるで見たこともない
ようなものはないと思います。ほとんど子供だましです。
 一例として、ノートントラップというのがあります。以前、一度仕掛けられたこと
があります。ノルトンアンチウィルスだけが、過敏に反応する子供だましです。

ノルトンを使っている方は、↓ ここをみておいてください。

http://ansitu.xrea.jp/guidance/?NortonInternetSecurity#NortonInternetSecurity
 


206 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 10:39:39 ID:3H8KucsA
 既にアボーン設定している方へ

>> 204 の書き込みが見えないと思いますのでお知らせします。

 >> 203の内容は盗撮ビデオです。不愉快に思う人はアボーンしてください。
 203をアボーンしても、ここでの議論に困ることはありません。
 なお、アボーンのNG語にvideoとmpgを加えましょう。
 このスレでvideoとmpgを使うことはありません。

 必要があれば、videoはびでお、mpgはえむぴーじーと表記します。

207 :___________  ________:2007/09/23(日) 19:14:22 ID:Ql1M5sEF
             V
       /" ゙̄⌒ヾヽ、              _
      ゞ  ソヽヘゝゞヾ、ゞ            /  ̄   ̄ \
      /   イ ::iiii◎ー◎ii;         /、          ヽ はぁ?黙ってろデブw
      |{⌒リ u.⌒,;( o o)゙)         |・ |―-、       |
      ヾ_`       3)         q -´ 二 ヽ      |
    リンヾ  u.   ,,,,〃/        ノ_ ー  |     |
  '/⌒\\丶ー‐ ィ´_         \. ̄`  |      /
  /    ヾヽー─‐\\             O===== |
 /   ヾ  /⌒ ̄)   ('二ヾ       /          |

208 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:18:14 ID:zBFM319y
  ______         __  ___  _______  _______
 ./_____    /_______ /___/ ./    / /  ,∧     / /___   /
     /   / /_____   /     /    / /  << >`>   /     /  /
  ,、_/  /   ,J ̄´| /   / ( 、__ノ   ./ /    .∨´   /    /   \
 .(   /     ヽ、_ ノ  ̄ ̄   ヽ、__ ノ   ̄ ̄ ̄ ̄/  /   /  /\  \
   ` ´                             ̄ ̄     ̄ ̄    ̄ ̄
   _____   __  ___  __,----,_, -、
  /__   ___/ /___/ ./    / /__   _( O )
 / ̄ ̄´  ´  ̄/     /    /  / ̄//  // ̄l`゛
   ̄ ̄/  /´ ̄  ( 、__ノ   ./   、/  //  /l   レ
    ノ ,ノ      ヽ、__ ノ    ヽ_ ノ/   / ヽ_ /
    ̄                     ̄ ̄


209 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:19:16 ID:zBFM319y
   /ヽ   .ヘ               、         ,-、
   | |   ! |               |. |          l  !             _/ヽ
   .| |  /  !      _,-‐''~ ヽ    .| |         | ,| 〈 ̄l     /´   ,!
   .| └' ..∧  ./''"´´  .._  ',    .| !        |.└!|  l    .ヽーフ /
  /  /.ノ ! !  .l, ., イ .厂| .|   | l、 !ヽ、   ノ  ,' `‐┘      ! ./
 | 、 .|´  ノ  !  | |  ! .|-、,| |  ../   | !  l   |   ,'          / /
 ..~7  !  ! ,'   | |.,ノ " ! ,'   |  ┌ | /  !  . ヽ ! __      / /-、
  ,'   | ,' /ヽ  | /  ., イ |  ..7 !| ! !、 |    | !'´  ',     .,! '   ヽ
  / .r..ト┘,r' ! !  ! |'''t ! | |   l | ! .|  ∨   | ._,-┐ !    ! ._ーヽ  l
  ! ! .| ~ ,'  !  .l | |.|__,l ,'   / | ! !      /  /   .| !   .| ,/   .|  |
 |./ | .|   !  !   .l ト'′  |  ! !∨ .,!      ! ィ |   ノ |   ! /.,--、l /
   .l !  /  !    !  ._ 、_  |   .l.∧  /      |└ l''"´  l    ~ / i ) /
  | | ,/ . /     .∨~"  !_/      ヽ´       \_!ヽ_/     | `  /
   ,| !/ /                                          ヽ-'′
   .∨.´


210 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:20:04 ID:zBFM319y
 / ̄| ̄ヽ   ───┐ │              |  \\   l  \\ │
 |  |  |        /   │              |       -┼─    │
 |  |  |      /   │   /         |\      | ─-    │
 |  |  |    /\   │ /   \\ |  |  \    |
 ヽ_ノ  ノ   /    \  レ        _ノ  |        | ヽ__   ●

211 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:34:31 ID:zBFM319y
   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \         ━━┓┃┃
 |    ( ○)(○)               ┃   ━━━━━━━━
. |     (__人__)            ┃               ┃┃┃
  |   ゝ'゚    ≦ 三 ゚。 ゚                          ┛
.  |  。≧      三 ==-
.  ヽ  -ァ,        ≧=- 。
   ヽイレ,、   / ̄ ̄\ヾ ≧ \
   /   ./   _ノ  \     \
   | .  |    ( ●)(●)  それはないだろ
.  .    |  ヽ  (__人__)    常識的に考えて
.       ヽ,    ` ⌒´/        \
        |      く          \
.        |       \           \
.  .      |     |ヽ、二⌒)          \

212 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:22:34 ID:MsGSqQTH
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。
これは、たった3分でできるゲームです。試してみてください。 驚く結果をご覧いただけます。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事がかなったそうです。
このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を 貴方にもたらすでしょう。
約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。 たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。 先を読むと、願い事が叶わなくなります。
@まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
A1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。
B3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味の
ある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
C4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さい。これは、家族の人でも
知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
D8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
E最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。
そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。
とても奇妙ですが当たってませんか?

213 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:24:46 ID:MsGSqQTH
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人____)
    |ミ/  ー◎-◎-)    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   (6     (_ _) )  <キミも自分のキモヲタ度を調べてみよう by渡海 難
    | ∴ ノ  3 ノ    \_____________
    \_____ノ

 1.サークル活動と聞いて連想するのは大学でなく同人だ。
 2.服は親に買ってきてもらう。または親が勝手に買ってくる。
 3.「りぼん」「なかよし」「ちゃお」の内、定期購読していた雑誌がある。
 4.ヲタクと呼ばれると自分はマニアということを主張する。
 5.「CC」の後に続くのは「さくら」だ。
 6.やたらと独り言が多い。
 7.ちなみに部屋は踏み場が無いほど汚い。
 8.茶髪、金髪の人間が恐い。
 9.人名:「○きどうざん」 ○に入るのは「り」である。
10.モー娘のメンバーは全員言えないがシスプリの妹12人の名前はすべて分かる。
11.エロゲー雑誌の名前は5個以上言えるがファッション雑誌の名前は5個以上言えない。
12.アニメは本編よりスタッフロールの方が楽しい。
13.「メッセサンオー」「虎の穴」「アニメイト」の袋を持って平気で町を歩ける。
14.3段腹だがノースリーブの服で町を歩ける。
15.ゲームを買うのに徹夜で並んだことがある。
16.携帯の着メロはアニメorエロゲーの主題歌。
17.渋谷、原宿、池袋は近寄りがたい。
18.「メイド」「巫女」「ネコミミ」と聞くと興奮する。
19.「眼鏡娘」ではなく「メガネっ娘」が正しい。
20.靴下は白が多い。
21.もちろんギャルゲーは本名プレイ。
22.アニメorゲームのキャラ名で領収書をもらったことがある。

5個以上該当はマジでヤバイです。
ちなみに渡海 難さんは見事全部該当しました。

214 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:31:04 ID:MsGSqQTH
まったく こいつはとことん腐っている
>>1の精神はまるで病人
その病気とは 「いつどんな時も、とことん真剣になれぬ」という病だ
自分が特別な存在なのは人間なら当たり前だが やつはあまりにそれに溺れすぎ
自分の空想と現実をごっちゃにする甘ったれだ
いつだって 許されると思っている クソスレを立てようと 
極論 板を飛ばしたとしても 自分は悪くない 自分は許される なぜなら
いま起こったこの事態はあくまで別の自分が招いたことで
本当の私の預かり知らぬこと そう考えるからだ 嘘じゃない
2chでは無駄なスレッドは立てるなど散々書かれているはずなのに
やつは自分の都合でそれを勝手にねじ曲げる 気分次第で破ってもいいようなものに作り変えてしまうんだ
つまり真剣でない 現実をしっかり見定めようとしないのだ 根っこが腐っているとしか言いようがない
通常やつのような人間は 生涯その仮から目覚めない
愚鈍に寝たいだけ寝て 半ば眠っているような意識で日々を繰り返す
退屈を忌み嫌いながら その根本原因病理には ほおかむり
少し熱心になる瞬間といったら くだらない友人と低俗な遊びに興じる時や
どーでもいい男の気を引く時など 目先の快楽を追っている時位
なぜそんな糞おもしろくもない気分で この人生の貴重な一日一日を
塗りつぶせるのかというと いつどんな時も現実は
偽の自分が行うことだからだ。つまり「仮」
「こんなものが本当の自分のはずがない」やつはそう思いたいんだ ゆえに 30、40になろうと
やつは言い続ける 自分の人生の本番はまだ先なんだと「本当の人生」に至ってないから今はこの程度でいいんだと
そう飽きずに言い続け 結局は 老い・・・・死ぬ!!
その間際嫌でも気づくだろう 今まで生きてきたすべてがまるごと「本物」だったことに
生きる上で、偽者の自分なんていやしないし、偽物の人生なんてものもない。
当然だ。人生はいつだって本物なんだ。
肝心なのは、その当然をいかに自覚しているか。真に覚醒しているかどうかだ。
ヤツはしょっぱなからそれをカン違いしているから、能力以前にダメなのだ

215 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:33:53 ID:MsGSqQTH
  ┏━┓ ┏┓┏┓      ┏┓      ┏━┓    ┏━━━━━┓    ┏━┓    ┏━━━━━┓┏━┓  ┏━┓
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216 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:10:46 ID:zDhi6QUt
     / ̄ ̄ ̄ \  ホジホジ
            / ―   ― \
           /   (●)  (●)  \
           |     (__人__)      |
           \   mj |⌒´     /
              〈__ノ
             ノ   ノ
                ____   ,
              /     \  -
            / ―   ― \`   ・・・。
           /   (● ) (● )  \
           |     (__人__)      |
           \ .   `⌒´     /
.           mj~i
           〈__ノ
          ノ   ノ
                ____
              /     \
            / ⌒   ⌒ \
           /   (●)  (●)  \
         _|__    (__人__)      |
       /   \    `ー'´     /
 /⌒⌒⌒/ ..:::::::::::.. ヽ ピトッ
 |  |  | { .::::::●:::::  }
 |  |  |  \ ::::::::::::::/


217 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:32:52 ID:zDhi6QUt
             / ̄ ̄^ヽ                  / ̄ ̄^ヽ
             l  (●) l       ____        l   (●) l
       _   ,--、l       ノ .     /_ノ  ヽ、_\     丶      l ,--、  _
   ,--、_ノ:: `ー'::   、ミー---‐,,l     o゚((●)) ((●))゚o     l,,‐---ー彡,  ::`ー'  ::ゝ_,--、
  ,/   ::: (●)      i ̄ ̄  | .  /::::::⌒(__(●)人__)⌒::::: \    (●) ̄i  (●)   :::   ヽ,
/           l:::  (●):   ll   |   (●)|r┬-| (●) |    ll    :::l   :::l         ^ヽ
l (●)   l    (●)   |:::   l   |     |(●)(●)  |    l    :::|   ::!(●)l    l   l
|   l  (●)   |:: (●)   l .  |  (●)| |  |     |   l   (●) :::|    l  (●)  |
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ヽ  :l::::   ト:;;;;;;;;;/-/__...........  /.        | |  |         ヽ  ...........__ノヽ;;;;;;;ノ  ::::l  /
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                            `ー'´


218 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/25(火) 00:49:12 ID:gPdgmuRF
>>177
正法楽賛   依仏本行経 依浄土楽知
正法楽正法楽正法不思議  正法楽        釈迦如来因地の時  正法楽
歴劫苦行不思議なり  正法楽          頓に身財を捨てて妙法を求む  正法楽
唯仏と仏とのみよく知りたまへり  正法楽

仏本行経に依り、極楽浄土の素晴らしさを知ることをもって正法の素晴らしさを称える。
正法は素晴らしい。正法は素晴らしい。正法は計り知れない。正法は素晴らしい。
あれは釈迦如来が御出家されたときだった。ああ、正法は素晴らしい。
お釈迦様は、非常に長い間、計り知れない苦行を行われた。ああ正法は素晴らしい。
決心されると、たちまちに王位を捨てて、僧となり、真実を求められた。ああ正法は素晴らしい。
お釈迦様の素晴らしさは、真実を知り得た方々だけがよく知り得ている。実に正法は素晴らしい。

正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
成仏より四十九年余  正法楽          彼の国を経行し、五天に遊びて  正法楽
普く衆生を勧めて懇ろに念仏せしむ  正法楽   示し教へて戒を持ち及び禅を修す  正法楽

ああ正法は素晴らしい。ああ正法は素晴らしい。正法は世の執らわれを超えていく。ああ正法は素晴らしい。
お釈迦様は、お悟りを開かれると、四十九年以上だった。ああ正法は素晴らしい。
かのインドを廻られ、東西南北中を歩かれた。ああ正法は素晴らしい。
あらゆる人々に分かりやすく念仏を勧められた。ああ正法は素晴らしい。
お釈迦様は、真実を教え(知恵?)、戒律を保ち、座禅を修行された。ああ正法は素晴らしい。

219 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/25(火) 00:50:11 ID:gPdgmuRF
正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
涅槃已後一千年                法教流転して此の間に到る
衆生転読して行学に依り             成道果を示して、天に生ず

ああ、正法は素晴らしい。正法は素晴らしい。正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
釈尊は、入滅され、その後千年の年月が流れた。仏法は、世界中に流布し、やがて中国に入った。
多くの人々が経典を互いに回し読みし、真実を学び、素晴らしい人々に育っていった。


正法能超出世間   正法楽
衆生仏に随いて西方に到れば          微塵故業自ずから消亡す
如来願力をもてまのあたりに加被したまふ    聞法悟道して真常を證す
何者をかこれを名づけて正法と為る       若しこの道理ならばこれ真宗なり
好悪この時にすべからく決着すべし       一々に汝くはしく朦朧とすることなかれ

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
人々は、真実を教えて下さる釈迦に従い、未来に向かえば、これまでの無数の禍根が消滅する
先生は、強い意志をもって現実に守って下さる。法を聞き、道を悟れば、真実の成果を得る
正法とは何は。もし道理を求めるなら、真宗がよい。
何がよいか。何が悪いか。いま、まさに決心せよ。一つ一つの小さなことにとらわれてはいけない。

220 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/25(火) 00:50:47 ID:gPdgmuRF
正法能超出世間   正法楽
持戒坐禅を正法と名づく            念仏成仏これ真宗なり
仏言を取らざるを外道と名づく         因果なしとの見を発すれば空となす

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
戒律を保ち、座禅をする。これが正法である。念仏して仏になる。これが真宗である
仏の言葉を聞かないのを外道という。因果を否定すれば、空見に落ちる。

221 :神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 08:43:04 ID:YHloSju2
>渡海 難  ◆Fe19/y1.mI

   お ま え  こ こ お か し ー ん じ ゃ ね ー か


         ,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
        /  、゙ヽ、 ‐-'´          ヽ‐- / /   ヽ
      ,/´ .., ヽ,,l_)'    zェェェァ'  ;rfァt ヽ ,ト/ /    ヽ
     /    ヽ,r' ,l′    _,,,   . __,,  ,l゙.-〈__r,'、   ヽ_
    _.l    ヽ」   ,l    .イてソ` l イにj`,/    ゙‐ヽ、_,,  /l
    ,l l|  −'´ll   ,l      rソi"  ヽ じ'' f゙l    .,//゙l   //\
    l`l|     l|ヽ  v'⌒ヽ        .,ノ  j/    |l    //   }
   l  \    l| ,l  l_U>     r‐--‐ァ  ,l    |,l   //    l
   /   '\   l|`l   ゝ_,´    ゙ヽ__r′ .,.'   ___l ヽ //     |
  ,l     '\ l| .lヽ__lL..,,,  __ ,, _イ___./ |  ∨/      ,}
  |       ヽl |    ,| .ヽ \   //ヽ     ,|          ,l
  |          l    ,l   ヽ \//  l \           /
  ヽ          |   \.   ヽ /   l   ヽ         /j
    \        /     ヽ   /   |   l          /
     ゙l\..     /       ヽ /    j   |     ,    /
     ヾ              Y     /    ヽ   /    ,l
      ヽ、            l     l     } /    ,r′
        ヽ            l     |     /′  ,,...''
        `'':..、  ___ ___,..-.|,     ,l ,  :..-‐'"´
            ̄ /lr‐‐‐'--、_ l_,..-'''""'- "

222 :神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:11:31 ID:JFGzM+NJ
         /\
        //\\
      //   \\
     //   __  \\
   //  / ,,.ノ ヽ、,,ヽ \\
  //.  ./| ●  ● |ゝ  \\
//    ヽ|.  (_●_)  .|/   \\
\\     ヽ  |∪|  ノ    //
  \\   ./  ヽノ   l   .//
   \\ /  __ /  .//
     \\ {} }/  ...//
      \\ ̄ ̄ //
        \\.//
         \/
    ┌───┴┴───┐
    │  負け犬に注意   .|
    └───┬┬───┘
            ││

223 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/29(土) 01:00:07 ID:mqioVVa9
正法能超出世間   正法楽
禅律如何これ正法なり             念仏三昧これ真宗なり
了心を見性せばすなわち是仏なり        いかんぞ道理相応せざらん

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
禅定と戒律こそが正法である。念仏三昧が真実の教えである。
心を見通して本質を知れば、これは仏である。正法と真宗とが合理的に適合しないことがどうし
てあるだろうか。両者は、合理的に噛み合うのである


正法能超出世間
念仏は声声に仏種を下す            坐禅持戒は真功を用いてなり
汝若し修せずしてすなわち仏になるといはば    喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふが如し

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。 
念仏は一声一声で仏になる因をもたらしてくる。座禅と持戒は、実効を得ることが目的である。
念仏だけで仏になる。座禅も持戒もいらないと言えば、空腹の人が風下に立ち、空気を腹の中
にため込んで腹を満たそうとするようなものである。これでは腹の足しにならんだろう。
空腹の者が、腹を空かしたままで仏になってどうするの?。腹を満たした仏になろう。

224 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/29(土) 01:02:40 ID:mqioVVa9
西方楽賛  依阿弥陀経
西方の進道は娑婆にすぐれたる 西方楽     五欲及び邪魔の縁なきによりてなり。
成仏するに諸善業をわずらわず 諸仏子     華台に端坐して弥陀を念ずるをもてなり

西方の素晴らしさを阿弥陀経によって称賛する
極楽浄土で真実の道を歩むことは、迷いの世界で真実の道を歩もうとする場合にはるかに優れて
いる。
 真実の世界、西方は素晴らしい。
真実の世界には五欲がない。財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲がない。修行を邪魔するものが
ない。
極楽浄土で仏になれば諸善にわずらわされることがない。ああ諸仏達。蓮の台に坐し、阿弥陀仏
を念じよう。

 意訳はこのあたりでいいだろう。
 親鸞が、教行信証でいい足りなかったことを、五会念仏略法事賛は、余すことなく言い切ってい
ると僕は思う。
 親鸞は、戒律は無用だと言っているのだろうか?そうではないだろう。ここでは、親鸞は戒律を保
てと言っている。座禅をせよと言っているのだ。
 僧籍を奪われ、受戒の効果を失い、尊敬する戒師であった法然上人も流罪となるという現実を目
の当たりに見、自らを無戒名字の比丘と名乗りつつ、彼は高らかに戒律の保持を求めている。

225 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/29(土) 09:56:13 ID:mqioVVa9
 親鸞は僧侶というものをどう考えていたか。愚禿悲歎述懐という和讃を見てみよう。

 五濁邪悪のしるしには 僧ぞ法師という御名を 奴婢僕使となづけてぞ 卑しき者と定めたる
 無戒名字の比丘なれど 末法濁世の世となりて 舎利弗目連に等しくて 供養恭敬を勧めしむ
 罪業もとより形なし 妄想顛倒のなせるなり 心性もとより清けれど この世は真の人ぞなき
 末法悪世の悲しみは 南都北嶺の仏法者の 輿かく僧達力者法師 高位をもてなす名としたり

 僧侶は奴婢僕使でいいと親鸞は言っているのだろうか。卑しい存在でいいといっているんだろ
うか。親鸞は、僧侶が奴婢僕使となり、まるで卑しい存在であるかのようになったことをむしろ
嘆いているのだ。五濁邪悪という悲しい原因によりそうなってしまったことを嘆いている。五濁
とは、劫濁(時代の乱れ 飢餓・天災・戦争などが起こること)、見濁(誤った考えがはびこる
こと)、煩悩濁(人を迷わす煩悩がはびこること)、衆生濁 (人々の心身の資質が低下するこ
と)、命濁(人々の寿命が短くなること)、これら五つの原因を悲しんでいる。
 親鸞はどのような存在なのか。それは、流罪により受戒の効果を失った無戒の者である。しか
し、善導大師の教えにより、受戒以外の道から仏道の世界に入ることを許されたいわばバイパス
僧である。戒律そのものが既に戒律としての失った時代になったことで、無戒の者でも善導大師
の称名念仏によって、釈迦の時代の舎利弗や目連と同等の地位に立つことができるようになった。
そこにおいて、私はいま、人々に供養・恭敬を勧める。
 僧を大事にしよう。供養しよう。経済的に援助しよう。恭敬しよう。尊敬しよう。罪業というものは、
本来、実体のあるものではない。妄想・誤解で生じるものだ。人の本質は清らかなものだけど、
現実の世界には真実の人はいない。
 末法の世にあって、大きな悲しみは、奈良・京都の仏法者というものが、牛車や駕籠に乗り、
権力のある法師という、単なる地位の称号になってしまったことだ。実に悲しいことである。

226 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/02(火) 10:02:11 ID:Mz9LcwHq
 戒律について、親鸞はさらに次のようにも言う。

 今の時の如きは、これ最末の時なり。かの時の行事、すでに末法に同ぜり。しかればすなわち
末法の中においては、ただ言教のみありて行証なけん。もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒
法なし、何の戒を破せんに由ってか破戒あらんや。破戒なおなし、いかにいわんや持戒をや(化
身土巻)。

 現代は遂に末法の時代に入った。正法・像法の時代を過ぎ、時代は最後の末法の時代である。
末法の時代となると行も証もない。もし、戒律というものが有効であれば、戒律を破ると言うこ
ともある。戒律を破れば、破戒となる。つまり、破戒と言うこともある。しかし、既に戒律がな
ければ、破戒と言うこともない。まして、持戒ということもないのだ。

 五会法事讃略抄で、親鸞は戒律を守れと言う。愚禿悲嘆述懐で親鸞は、僧の退廃を嘆く。教行
信証で、親鸞は無戒の時代に入ったと説く。親鸞の思想は右往左往して混乱しているんだろうか。
一見してそんな感じがしないでもない。しかし彼の情念に焦点を合わせて考えていけば、彼の思
いが伝わってくる。

227 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/02(火) 10:03:15 ID:Mz9LcwHq
 親鸞の思想は流罪事件を原点とする。流罪事件の折り、天台の戒師である法然上人の流罪を目
撃し、親鸞は時代が完全に末法に入ったことを悟った。自らも僧籍を剥奪され、受戒の効果を失
った。社会は、持戒の僧に対する尊敬の念を失った。戒律は、人々を導いていく力を失った。親
鸞はそう考えたのだろう。

 僧と言えば奴婢つまり下男・下女のような存在になっている。僕使つまり召使いのような存在
になっている。人々を教育指導するという重要な役目を失っている。非常に悲しいことである。
親鸞はそう嘆く。

 しかし、仮に戒律はそのように社会的、仏教的に意味を失っても、一人一人、自分自身は、合
理的な範囲でできるだけ戒律を守っていこうじゃないか。五会法事讃略抄は、まさにそういう主
張なのだろう。

 戒律に対する人々の規範意識がなくなったということ。高位の僧が堕落しているということ。
これらの問題と、自分が旧来の戒律を規範とするかどうかとは別の問題である。
 末法の世になれば念仏だけで仏になる。しかし、禅定と戒律がなく、それで仏になったぞと言
ってみて、そこにどれだけの実体的な意味があるだろうか。何の意味も無いじゃないか。親鸞は
五会法事讃略抄で「真功」がないという言い方をする。功とは成果という意味だ(広辞苑)。真
功のない仏は、腹を空かしたまま、思い切り空気を腹に吸い込んだような仏である。

228 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/02(火) 10:05:44 ID:Mz9LcwHq
 仏教を学ぶのはいい。仏になろうというのもいい。念仏だけで仏にはなれる。一声一声の念仏
で、仏になる種は積み重なっていく。しかし、禅定と戒律がなければ、仮に仏になってもなんら
実体的な成果はない。
 禅定と戒律を正法という。念仏成仏を真宗という。正法と真宗とは矛盾しあうものではなく、
両方大事なのだ。仮に社会はどうなっても、自分たちは合理的な範囲では戒律を守りつつ、念
仏は座禅して称えよう。
 念仏は、動きながら称えてもいい。止まって称えてもいい。座って称えてもいい。寝ながら称
えてもいい。長い間称えてもいい。久しぶりに称えてもいい。行住座臥、不問時節久近である。
 しかし、そんな念仏の中で、念仏三昧という称え方がある。ひたすら称えるという称え方があ
る。念仏三昧の念仏は座禅して称えるのが原則である。

 堕落した京都、奈良の僧を嘆き、社会は既に末法の世、無戒の時代に入ったといいながら、自
らは戒律を守ろうと親鸞は主張する。そのような親鸞が、若き京都時代、法然の下で親しく仏教
を教わっていたとき、既に破戒僧として妻帯をしていたとは、僕には全く考えれられない。

 流罪前、親鸞は既に妻のいる妻帯僧であっということは、僕には全く信じられないことだ。親
鸞は、僧籍を奪われ、在俗の流罪人として北陸にあったとき、恵信尼と出会い、そこで在俗の人
として結婚した。そのように考える。
 そのころの様子を、資料から検討してみる。

229 : ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/02(火) 12:12:44 ID:n9eL6dQu
   / ̄ ̄ ̄ ̄\ 
  ( _ 人_ _) 
   |:::| ´・  ・^ ||
  ( ∴  (_ _)∴ )                _
  |  ノ  3ヽ  ノ            /  ̄   ̄ \
   ゝー_ _ ノ             /、         ヽ
 /       /"lヽ  ヽ          |- |―-、      |
/   ,ィ -っ( ,人)   ヽ         q -´ 二 ヽ       |
|  / 、__ う|  | ・,.y  i  ペッ、、、 ノ_ ー  |      |  キモいんだよてめーは
|    /   |  ⊂llll   |         \. ̄`  |      /
 ̄T ̄    |  ⊂llll /            O===== |
  |      ノ  ノ 彡イ            /          |

230 :神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 21:19:04 ID:FzBx5rjl
サトリは十字架に包含されてます

主よ

彼らをお救いください

231 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/06(土) 00:33:45 ID:YWxE+YUH
 慈信房が文とてこれにあり。その文、つやつや色わぬことゆえに、継母にいい惑わされたると
書かれたること、殊に浅ましきことなり。世にありけるを、継母の尼の言い惑わせりということ、
浅ましき空言なり。

 善鸞が書いたという文がここにあります。実にとりとめもないことが書いてあります。継母に
いい惑わされたと書いてあることなど、とりわけくだらない内容になっています。世にあったの
に、継母にいい惑わされたいうこと、実に根も葉もないとんでもないことであります。

 閏十月廿九日、親鸞が高田入道に送った手紙について古田武彦さんは、これが親鸞と恵信尼と
の出会いを語っている資料だと言う。なるほど、僕も、その意見には賛成する。何か特にしっか
りとした根拠があるわけではないが、状況が伝わってくる感じがする。手紙の背景を考えながら、
親鸞と恵信尼との出会いを推測してみたい。
 この手紙が書かれた当時、関東の親鸞教団は大混乱のまっただ中にあった。恐らく、善鸞と性
信とが対立し、教団が二分する状況にあったのだろう。性信は、親鸞の第一の高弟であり、吉水
時代から親鸞と苦楽を共にした人物である。親鸞は、関東から京都に戻るとき、この性信に全て
を任せ、自筆の教行信証まで渡して京都に向かった。そのときの教行信証が坂東本教行信証であ
る。
 このとき、恵信尼も関東に残った。恵信尼は、性信を補佐する立場に立っていたと思う。善鸞は
この恵信尼に対する敵意剥き出しの文書を関東教団の中で配布し、その一枚が親鸞の下に送
られてきた。
 継母とは恵信尼のことだ。ここで善鸞は恵信尼を継母と呼んでいる。善鸞は恵信尼を継母と呼
んでいることも一つ問題になるのだが、そのまえに、いい惑わされたるという言葉に注目したい。
恵信尼が誰かをいい惑わしたというのだ。恵信尼は、誰を言いまどわしたのだろうか。石田瑞麿
は、親鸞とその妻の手紙(春秋社 刊)で、恵信尼が善鸞を言い惑わしたという考えを採ってい
る。古田氏は、親鸞を言いまどわしたと解している。僕は古田氏の説を採りたい。「あの女は、
親鸞をだました程悪い奴なのだ」。善鸞はそう言いふらしているのだろう。善鸞は、親鸞と恵信
尼が一番痛いところを知っているのだ。

232 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/07(日) 10:21:22 ID:gmhQKwNN
  善鸞義絶事件では、どのような論争がされていたのか。親鸞が高田の入道に送った手紙をもう
少し推理してみたい。 

性信「善鸞殿。あなたの御主張は真実ではない。貴方も知っているように、私は親鸞先生のそば
  近くにおり、吉水の時代からずっと教わってきた。先生は、貴方が仰っていたようなことは
  一度も申されたことがなかった」。

善鸞「何を仰いますか、性信殿。ある夜のこと、仏典を一つ一つ示しながら、慈信(慈信房善
   鸞)一人に親鸞が教えてくれたんですよ。そのときこうも言いました。いままであなた方に
  教えてきた第十八の本願、あれは萎んだ花に等しい。真実の教えはかくかくしかじかである、
  と」。

常陸・下野の人々A「善鸞先生の言っていることの方が間違いない感じもするなぁ。」

恵信尼「善鸞殿。おかしなことを仰るべきではありません。貴方は親鸞の息子だからと言って、
  親鸞が貴方にそのようなことをするわけないでしょう。」

善鸞「黙れ、恵信。お前が一番の悪党だ。みなさんよく聞いて下さい。父親鸞をだましたのはあ
  の女です。あの女の言うことを聞いてはいけません。」

常陸・下野の人々B「そうか。そうだったのか。善鸞先生の言っていることの方が正しい感じが
  する。念仏などは止めよう。自由勝手に振る舞おうじゃないか。」

常陸・下野の人々C「その前に、京都の親鸞先生の下に使いを送り、いちど先生に真偽を確かめ
  てみよう。」

233 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/07(日) 10:22:35 ID:gmhQKwNN
 親鸞の手紙からは、こんなやりとりがあったように想像できる。文字面だけを追えば、恵信尼
が善鸞をだましたという解釈も不可能ではない。しかし、親鸞が突っ込んだコメントも付けず、
一方的に感情的に腹を立てているところをみると、「恵信尼は親鸞をだました」という主張を善
鸞はしていたと考えるのが素直だろう。善鸞は親鸞の子供という立場で恵信尼を追い落とし、性
信を押さえ込んで関東教団を間違った方向に乗っ取ろうとしていた。善鸞の義絶事件は、関東教
団の問題であったが、そこには妻帯という親鸞の家庭問題が楔となって関わっていたと考える。

 親鸞と恵信尼との結婚の裏は、恵信尼が親鸞を誘ったということ。親鸞と恵信尼との結婚につ
いては、親鸞が激しく動揺する琴線に触れる部分があり、関東教団も揺るがすような問題を含ん
でいたということ。この2点が考えられると思う。

234 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/07(日) 10:33:22 ID:PUiQZ6Mt
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235 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/08(月) 09:57:30 ID:IOkWt5Ks
 親鸞が高田入道に送った手紙について、古田武彦さんが非常に面白い問題を提起している。
「世にありけるを、継母の尼の言い惑わせり」とある。「世にありける」とはどういう意味か。
僧侶社会の用法としては「上流の名山・大寺にいる」という意義の中世的用法であるという。ま
た、「世」が「上流社会」の意であることもよく知られているという。親鸞が名山・大寺にいた
と言えば、比叡山のことである。つまり、古田さんは、比叡山時代に恵信尼が親鸞を惑わしたと
いう仮説を立て、恵信尼との交際を比叡山時代であると想定している。
 恵信尼との交際が比叡山時代にまで遡るというのは僕には考えにくい。「世にありける」とい
うのは、人々を教育指導する立場にあって、一般からは尊敬される僧という立場にあったという
意味で考えるべきだろう。
 流罪の時の親鸞の決意は「禿」という文字に現れていると僕は考える。僧籍を奪われ、親鸞は
在俗の人として流罪になる。親鸞はこの処分に承服していない。形式的には僧籍を奪われても、
心は僧でありたい。そういう意味が禿という文字に現れている。形は髪を剃った在俗の禿「は
げ」であるが、心は髪を落とした出家の禿「はげ」である。形は非僧であるが、心は非俗である。
親鸞はそんな決意で越後に向かう。

236 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/08(月) 09:58:11 ID:IOkWt5Ks
 心は僧であることを忘れまい。自分のアイデンティティーは僧である。親鸞はそんな意識を持
っていた。「世にありける」とは、少なくとも心においては一般大衆よりも高位にある僧であり、
僧であれば結婚できないはずである。そんな親鸞を恵信尼が結婚に誘惑した。親鸞を恵信尼が堕
落僧に引きずり落としたのだ。「世にありけるを、継母の尼の言い惑わせり」。善鸞はそういう
意味のことを言っていたのだろう。

 ここで、もう一つ大事な問題がある。昔からいろいろ議論を呼んできたが、継母という表現で
ある。善鸞にとって恵信尼は実母か、継母かという問題である。善鸞は恵信尼を攻撃する意味で、
実母を敢えて継母と呼んでいるというのが、実母説の立場である。これに対し、恵信尼は正真正
銘の継母であるという説もある。親鸞の複数妻説は、この継母説から出ている。
 実母を攻撃するとき、継母と呼ぶだろうか。僕は、実母説も継母説も一長一短があるように思
う。なお、継母説の方が恵心尼との結婚について説明しやすい。中世の僧は、親のない子供、身
寄りのない子供を引き取って育てることが社会的な仕事の一つだった。それは、空也上人の地蔵
菩薩和讃に現れている。親鸞にとって善鸞が実子同様であってとしても、親鸞が肉体関係をもっ
た女性から、親鸞の子孫として生まれた子供あることを意味しない。善鸞が何らかの理由で引き
取り、実子同然に育ててた直近の親戚の子ではなかったか。親鸞は、北陸にそんな幼い善鸞を連
れて配流された。そう考えても不自然ではない。

237 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/08(月) 09:58:52 ID:IOkWt5Ks
 身寄りのない配流地での流刑人の生活は決して楽ではなかったろう。自分一人の生活でさえ苦
しいのに、小さな子供を連れていればさらに苦しいだろう。心は僧であると言っても、社会的に
は無位無冠無名の在俗の流刑人である。恵信とはそんな親鸞に同情して近づいた女性ではないだ
ろうか。
 恵信尼の手紙の文体は京都の貴族の文体であると聞いたことがある。僕には、地方人の文体と
京都人の文体の違いなど分からないが、専門家には分かるようだ。恵信尼は、恐らく親鸞から手
ほどきを受けたのだろう。恵信尼は文字を教わりに親鸞に近付いた。善鸞を抱えて苦しんでいる
親鸞と恋仲になった。心は僧であり続けようと思っても、日々の生活は理想どおりには進まない。
親鸞には、流刑人として、僧の意識を捨てようと思ったことが幾度もあったろう。僧を続けるこ
とに絶望を感じたことは幾度もあっただろう。そんな、僧と俗の意識の揺れの中で、二人が男女
の仲に落ちていったとしても、僕は不思議ではないと思う。   (続く)

238 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/11(木) 10:01:16 ID:0Lvau7EM
 親鸞が恵信尼にと結婚したことは、僕は極めて自然なことだったろうと思う。もう僧には戻れ
ない。僧の仕事はできない。越後で在俗の一人として骨を埋めよう。恵信尼と結婚したとき、親
鸞がそう思ったとしても、誰も不思議には思わないだろう。しかし、親鸞の下に、再び僧の仕事
が舞い込んできた。おそらくそれは、流罪が赦免になった直後のことではないか。以前の報恩寺
のホームページには性信が関東に誘ったと書いてあったと記憶している。性信は報恩寺の開基で
ある。性信が自分の故郷に親鸞を呼んだ可能性は確かにあると思う。もともと、法然教団は源氏
とつながりが強い。熊谷直実が法然の直弟子になっていることでも分かるが、法然が北条政子に
送った手紙が残っていると聞いたこともある。流罪が赦免になっても京都には戻れない。恐らく
都払いの処分は続いていたのだろう。そんな吉水と源氏とのつながりが、彼を源氏の国に呼んだ
のかも知れない。

 源氏の国に呼ばれても、多分、越後に残るという選択肢もあったのだろう。しかし、親鸞は誘
いに乗るという道を選んだ。このとき、結婚した恵信尼と別れ、親鸞だけが関東に行くという選
択肢もあったのだろうが、敢えて連れて行くことを選んだ。関東には、妻子ある身で勝手に僧宣
言し、結婚生活を続けながら僧のような仕事もしているという人も沢山いただろう。少し時代は
下がるが、一遍上人は全国行脚を、妻を連れて巡っている。妻の名を超一、娘は超二という。念
仏房という下女も連れている。鎌倉時代とはそんな時代である。親鸞にとって、関東に恵信尼を
連れて行くことは問題はなかったろう。
 妻帯というと親鸞ばかりが話しになる。一遍のことはほとんど問題にならない。僕には、いさ
さか奇異な感じがする。親鸞の妻帯は、やがて日本仏教を、いい意味でも悪い意味でも本質的に
根底から変革する結果を引き起こした。仕掛け人は、本願寺の覚如である。むろん、自分の妻帯
がその後、これほどの大事件になるとは、親鸞自身は、夢にも思っていなかったはずだ。親鸞の
妻帯が引き起こした問題を、もう少し検討してみる。

239 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/14(日) 10:27:25 ID:J6dbE4lN
 関東では、結婚している僧というのは、珍しくなかったと思う。京都・奈良であれば大きな寺院
が組織的に行うことも、地方では個人がしなければならない。一人暮らしではできないことも、
夫婦で力を合わせれば、最小限のことが可能になる。

 親鸞夫婦は関東で何をしていたのか。一部は恵信尼の手紙から想像できてくる。恵信尼は京都
に住む覚信尼のところに下人を送っている。覚信尼とは、親鸞の末娘である。親鸞が京都の日野
家出身ということもあるのだろう、覚信尼は京都の貴族の家に嫁ぎ、年老いた親鸞の世話もして
いたようだ。背景には、職業斡旋のような話があるようだ。
 親鸞が京都に戻った後でも恵信尼は一人住まいではなかった。「親も候はぬ、小黒の女房の、
女子、男子、これに候うへ、益方が子供も、ただこれにこそ候へば、なにとなく、母めきたる様」
だったようだ。親のない子や親が育てきれない子を引き取り、成長すれば就職先を紹介してい
たようだ。日野家といえば京都の名家である。関東から京都まではやや遠かったろうが、関東で
就職先の見つからない者は、京都の日野家を通じて就職先を斡旋していたのではないかと思う。
 恵信尼は田畑もあったようだ。「年頃候つる、奴原も、男二人、正月失せ候ぬ。何として物を
も作るべき様も候はねば、いよいよ世間頼みなく候へども 〜 」。ある不作の年、頼りにして
いた使用人が、二人ほど正月に失踪し、これからどうやって作物を作っていったらいいかと心細
くなっている。教育しながら子供達を食べさせ、時期を見て就職口を探す。そんな社会事業をし
ていたんだと思う。

 親鸞が関東に移住した頃、最初は夫婦力合わせて始めた仕事も、親鸞が京都に戻る頃には何人
も協力者がいたのだろうと思う。関東における親鸞の有力な弟子は24人いたそうだ。そんな中
には、親鸞が小さいときから育てたそんな子供達もいたことだろう。婚姻僧としての親鸞の立場は、
関東では決して不都合ではなかった思う。しかし、親鸞が京都に戻ると事態は変わる。覚信尼の孫
にあたる覚如は親鸞伝説を創作し、創作神話は、後の日本仏教全体にわたり歴史を塗り替える大
きな影響を及ぼした。

240 :神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 11:42:47 ID:Iw1MtcpH
思わず笑ったよ。この人の文を今日はじめて読んだけど
ちょこっと本に書いてある真実をいれながら、途中を自分の思いを
というか空想をつないで書くから説得力がなくなるわけだよ。

例えば−−親鸞が恵信尼にと結婚したことは、僕は極めて自然なことだったろうと思う。もう僧には戻れ
ない。僧の仕事はできない。越後で在俗の一人として骨を埋めよう。恵信尼と結婚したとき、親
鸞がそう思ったとしても、誰も不思議には思わないだろう。

これなんかいい例だね。僧の仕事ができなく越後で骨をうずめるなんて一言も親鸞という人は言っていない。
これなんか勝手に想像してるだけだよね。だからちぐはぐな文章になってしまうんだよね。


241 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/14(日) 13:02:01 ID:J6dbE4lN
>240
 貴重なご批判に対し感謝する。

 空想(想像・創造)を交えず、資料だけ展示するなら、
博物館と同じですよね。そこに血の通った魂はない。

 ちぐはぐな文章?。なるほど。なるほど。

242 :神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 13:24:14 ID:Tz/ONUCw
このスレを読んで,すごく頭に来ました。
なんでみんな渡海さんのことをそんなに悪く言うんですか?
確かに渡海さんはクソ以下の存在です。
頭も足りなきゃ顔も醜い。
センズリこくくらいしか能が無い出来損ないの中年です。
生まれてきたのが間違い。
私生活では近所の小学生にまでバカにされているという話を聞きました。

でも、どうして渡海さんがそんなに風になってしまったか考えてみようという人はいないんですか?
小中学校では周囲から無視され心を許せる友達もいなかった渡海さん。
親はそんな渡海さんをかまってもくれず、渡海さんは2chでクソスレを立てまくる様になってしまったんです!
もしあなたがそんな境遇下にいたら、あなたも渡海さんのようにならないと言い切れるんでしょうか?
考えてみてください。いくら渡海さんが能無しだって人間です。
渡海さんが勝手に投身自殺するのなら、それはかまいませんが、
みんなが大勢でそんな池沼な渡海さんを練炭自殺に追い込むような
このスレの雰囲気には我慢ができません。

243 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 15:11:56 ID:AhrTnuhb
(゚.゚)

244 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 16:41:39 ID:AhrTnuhb
(゚.゚)v-〜


245 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 19:39:35 ID:AhrTnuhb
(_ _)y-〜

246 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 21:54:25 ID:AhrTnuhb
(゚.゚)y-〜
ポキモセンズリスルヨ
チナミニポキワナイスナドウテイ

247 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 10:52:40 ID:Y1IVr1Lo
 のたまわく、南无の字は、聖人の御流儀に限りて、遊ばしけり。南無阿弥陀仏を泥にて写させ
られて、御座敷に掛けさせられて、仰せられけるは、不可思議光仏・無碍光仏も、この南無阿弥
陀仏をほめたもう徳号なり。しかれば、南無阿弥陀仏を本とすべしと、仰せ候なり(蓮如聞き書
き)。

 蓮如上人は言われた。南无という字は親鸞聖人の流派だけが使用している。普通、阿弥陀仏の
号(名前)は阿弥陀仏である。名号を掛け軸に書いて飾る場合、阿弥陀仏と書く。しかし、親鸞
聖人の流派だけは南無阿弥陀仏と書いて飾る。蓮如上人は南無阿弥陀仏と名号を金泥で書写し、
それをお座敷に飾った。そしてこのように言った。
 善導大師はどうして偉かったのか。それは、南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。法然上人はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。曇鸞大師はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。お釈迦様はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。
 不可思議光仏・無碍光仏、いずれも「南無阿弥陀仏は尊いぞ」と称賛するための徳号(名前
〔道具〕)である。阿弥陀仏〔道具〕が尊いのではない。道具が示す南無阿弥陀仏が尊いのだ。
だから、もっとも尊い南無阿弥陀仏を掛け軸に書いて飾るのだ。

248 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 10:54:10 ID:Y1IVr1Lo
 無上仏と申すは形もなくまします。形のましまさぬゆえに、自然とは申すなり。形ましますと
示すときには、無上涅槃とはもうさず。形もましまさぬ様を知らせんとて、始めて弥陀仏とぞ聞
き習いて候う。弥陀仏は、自然の様を知らせん料なり(親鸞 末燈鈔)。

 無上仏は形而下(有形)の存在ではない。形而上(無形)の存在である。架空である。観念で
ある。形而下の存在ではないからこそ、自然という概念が導かれてくる。形があれば無上涅槃と
は言わない。観念的・抽象的あり方を明らかにするため、一番最初に比叡山で阿弥陀仏というも
のの講義を受けたとき、阿弥陀仏というのは、自然という概念を教えるための資料であり。道具
である。方法論であると教わりました。

 行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽

 行者よ、仮に前世からの報いにより、貴方が女性と肉体関係を結ぶようなことがあれば、その
とき私が玉女となり、貴方と結ばれてあげよう。貴方を一生守り続け、死ぬときには極楽浄土に
導こう。
 親鸞は、比叡山を下り、法然に弟子入りするとき、六角堂で親鸞の下に救世菩薩が夢に現れた。
救世菩薩が言った。私が貴方と肉体関係を結ばれてあげようと。こういう伝説がまことしやかに
伝えられている。出所は覚如が書いた本願寺親鸞聖人伝絵である。

 覚如は何を言いたいのか。親鸞の妻帯は救世菩薩のお告げによるものであるということである。
親鸞の妻帯は救世菩薩のお告げによる。だからこれは許された結婚であり、破戒にならないとい
う主張をしたいのだ。夢告があったことは親鸞から聞いたと言うのだろう。

 阿弥陀仏というのは、自然という概念を教えるための資料である。親鸞はそう教えている。そ
の親鸞が、自分は救世菩薩の夢のお告げで結婚したなどと言うだろうか。救世菩薩も、本質は阿
弥陀と共通し、自然という概念を教えるための資料である。道具である。方法論である。

249 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 10:57:06 ID:Y1IVr1Lo
 桃太郎は架空の存在である。桃太郎は、子供達に勧善懲悪を教えるための道具である。資料で
ある。方法論である。桃太郎などどこにも存在しない。形而上の存在である。桃太郎は道徳を教
えるための道具であると。そう教えている人が、「実は桃太郎の連れ添った犬が私の夢枕に立ち、
賽銭泥棒をしておいでと告げたので、私は賽銭泥棒をしました。だからあれは正しい行為です」、
などとそんな馬鹿な話をするだろうか。

 覚如が書いた一文は、多分、中国か朝鮮の古典を探していけばどこかで見つかるものではない
だろうかと思う。インターネットで文献の検索が簡単になったので、種本を誰かが見つけ出すか
も知れない。自分は救世菩薩の夢のお告げで結婚したなどと、親鸞がそんなことを言うとは、私
には全く思えない。もし、救世菩薩の夢のお告げで結婚したと言うのであれば、「継母の尼の言
い惑わせり」という善鸞の言葉も、解釈を改めなければならなくなる。

 救世菩薩の夢のお告げがあったなどと言うのは、実に馬鹿馬鹿しい話だ。桃太郎さんが夢枕に
立って告げましたというのと、同じようなものだ。親鸞が日頃どんな夢を見ていたか知らない。
桃太郎さんの夢も見たかも知れない。しかし、そんな話を親鸞が覚如に話したなどということは、
大の大人が真面目に議論することではないだろう。僕だって、自分がみた夢を他人に逐一話など
しない。覚如が、自分だけ聞いたんだというなら、「自分だけ特別に親鸞聖人の特別講義を受け
た」と言った善鸞の暴言と同類項となるだろう。
 しかしこの馬鹿話が、その後の日本仏教の歴史を大きく変えたというのは事実である。

 問題の背景を考えていこう。

250 :質問1:2007/10/15(月) 11:25:16 ID:Ukccv5DT
真宗はどんな教えなのですか。
真宗の救いとは。
その道を歩むにはどうすればいいのですか。
死んだらどうなりますか。

251 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 18:41:44 ID:Y1IVr1Lo
>250
 後日、書かせて貰います。

252 : ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/16(火) 22:22:57 ID:tNvdXr85
    // ̄ ̄ ̄ ̄\ .
   彳丿; /,,,,,,,,\ u lヽ
   入丿 -◎─◎- ;ヽミ.             
    | u:.:: (●:.:.●) u:.::|   フ〜! フ〜!!   
    |  :∴) 3 (∴.:: |   
  ノ ヽ、   ,___,. u . ノ、   ハァハァ!
 /   ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ  ヽ
/   ,ィ -っ、.        .ヽ
|  / 、__ う 人  ・ ,.y  i
|    /        ̄ |  |
ヽ、__ノ          ノ  ノ
  |      x    9  /
   |   ヽ、_  _,ノ 彡イ シャシャシャシャシャ
   |     (U)    | 
   ヽ、__ノ__ノヽ_

253 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/19(金) 13:32:49 ID:uBxs+cSP
 覚如に入る前に、系図を見ておきたい。親鸞が京都時代に結婚していたという主張者が根拠
とするのは、覚如の絵伝と本願寺に伝わる系図、つまり古本と明暦本である。明暦本は明暦年間
(1655〜1657)に書かれている。明暦年間は徳川時代である。古本は天文年間(153
2〜1555)に書かれたものらしい。天文年間とすればそれは戦国時代である。蓮如が死んで
日本中で一向一揆が荒れ狂っていた時代であり、織田信長が生まれ育った頃である。
 系図では、親鸞には七人の子がいたと言うことになっている。明暦本と古本では記述内容が異
なる。時代は古本の方が古い。古本によると、それぞれ、範意、小黒女房、慈信房善鸞、明信、
益方大夫入道、高野禅尼、覚信尼という名が並んでいる。小黒女房、慈信房善鸞、明信、益方大
夫入道、高野禅尼、覚信尼は、三善為教の女つまり恵信尼の子供であると書いてある。少なくと
もいずれも恵信尼が養育したということは想像できる。しかし、たとえば小黒女房と益方大夫入
道は、恵信尼の手紙で見るとこんな記事がある。

254 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/19(金) 13:34:52 ID:uBxs+cSP
 「親も候わぬ小黒の女房の女子、男子、これに候ううえ、益方が子どもも、ただこれにこそ候
えば、何となく、母めきたるようにてこそ候え」。親のいない小黒の女房の女子、男子、益方大
夫入道の子供もここにいる。何となく母親のような気分である。
 小黒の女房や益方が血を分けた子供であれば、このときには恵信尼は実の孫を育てていると言
うことだろうか。もし、小黒の女房が恵信尼の実子であれば、「親も候わぬ」という形容詞は小
黒の女房のすぐ上にはつかないだろうと思う。親のいなかった小黒の女房や益方大夫入道を昔育
てたが、今はその子供達まで面倒を見ているということではないか。小黒の女房、益方大夫入道
は、恵信尼の実子ではないと想像する。

 覚信尼は恵信尼が42歳のときに産まれている。鎌倉時代の女性が、果たして40歳を超えて
子供を産めるだろうかなどと、僕は疑問をもつ。親鸞が死んで数百年後に書かれたこの系図では、
恵信尼の子というのは恵信尼が親鸞と肉体関係を持ち、恵信尼が親鸞の実子として腹を痛めて産
んだ子であるということを実証できるものではないだろう。

 系図上、範意は、摂政兼実の女と書いてある。恵信尼は範意の養育に絡んでない可能性もある。
範意は行方不明になっているそうだが、この記述から親鸞の第一夫人が玉日姫だという説が出て
いる。しかし、摂政兼実の日記というのがあるようで、その中に玉日姫という名前は出てこない。
摂政兼実から身柄を一時預かり、しばらく養育を任された子供がいても不思議はない。
 親鸞が、京都時代に既に肉体関係を持つ結婚をしていたという説は、僕は少なくとも資料的に
根拠が無いと考える。むしろ京都時代結婚説は、親鸞思想を大きく歪める考えだと僕は考える。
親鸞思想の否定は、覚如から始まった。覚如にはその必要性があったのだろう。

255 :神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 14:00:47 ID:DWikFDg2
    ,,、、_‐,,,,,~、、{{ヽ:::     !=;‐-{'"   ,,-‐i''''ヾ\`==‐-',、   -‐-、
    ,、‐'''´      ヽ::::::::::.....ノ、 \ー;;;;/  / ___ヽ. `、\ ノ ヾ'',´ ̄~~`'‐ 、,ヽ、
   r'          ヽ--‐'"ヾ.ヽ `ヽ~_  /-=、,,,,ヽ. ,、‐'"ノ  }       ヽ.
.   {                ヾ=;;、   ヾ'''‐-、、-‐' ~,‐'~ ,,、=ヽ.         }  くそすれ
    ', ` 、,,               `ヾ=、,,_   -‐''~_,,、‐;'~''~  i       ; i
    ',   \                  ~'''‐-‐''~`''''"           ,'´ i
    ヽ、  `;、                     .;            丿  ノ
      ` 、_,{ `‐、_                 ,*           ,、' ~`y'
         )  r' ~`'rr-、、,,,_          ,ノ"§        _,、<   ,;;ゝ
        `~`i'   ,'r´:::::::::`;丶、 ,_    _,,、-'´,ノ ,ノ      ,、 ‐'"`, ';‐'"
          ,'  ,','::::::::::::::,'    `````  `"´ `"´~`''''''''''T´::::::::::::::',', |
          i   ,','::::::::::::::,'          (  )      ',::::::::::::::::::ii :!
         ,r'"  ,','::::::::::::: ,'           ).∧  )   ',::::::::::::::::::!! i、
       r''"'  ノノ:::::::::::: ,'            (:::::::::)    ',::::::::::::::::',', i!ヽ
       {____,、-'/:::::::::::::;;'           (:::::::::::::::)   ',:::::::::::::::::ヾ、__)

256 :神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 15:40:27 ID:y7RH7sPf
仏教ではどんな人間であろうと宿命的な苦しみがあると説くが、生まれながらに裕福とか貧しいとか生じるのって何かすごい不都合な事だと思うんだけど。貧乏で生まれた人は、前世が金持ちだったから?金持ちで生まれた人は前世は貧乏だったから?

257 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/19(金) 20:00:07 ID:uBxs+cSP
>197,>250,>256
 三つは一連の問題として、仏教の本質を中核として後日書きたいと思います。



258 : ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/19(金) 20:13:04 ID:zH6gI+eD
      / ̄ ̄ ̄ ̄\
     (  人____)
      |ミ/  ー◎-◎-)
     (6     (_ _) )
      |/ ∴ ノ  3 ノ
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   |
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |
       |   ┬    |

259 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 10:53:21 ID:48YORWvJ
 夢告伝説の創作者は覚如(1271〜1351)である。覚如は親鸞のひ孫にあたる。本願寺
第三世であり、親鸞は覚如が八歳のときに死んでいる。
 覚如の時代、京都では法然流念仏宗の勢力図が大きく変化していく時代にあった。九州と関東
で大幅に信者を拡大していた弁長系(鎮西派)が、京都でも大幅に信者を拡大し、証空系(西山
派)を圧倒して行った時代である。証空の孫弟子である一遍も勢力を拡大し、京都の念仏宗は混
沌状体にあった。関東から京都に戻った親鸞系の主張は、京都残留派の証空系からは異端視され、
弁長系からも異端視されていただろう。
 親鸞集団は、親鸞在世中は法然を祖と仰いでいた。しかし、親鸞が大谷の地に埋葬されると、
証空系と完全に袂をわかち、親鸞を宗祖と認識しだしたというのは、僕は極めて自然のことだろ
うと考える。


260 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 10:54:24 ID:48YORWvJ
 しかし、親鸞を宗祖を仰ぐ場合、おおきな問題がある。それは親鸞の主張の仏教的正当性であ
る。親鸞は妻のある破戒僧だったのだ。破戒僧に法を説く資格があるのか。
 親鸞には僧籍がなかった。この問題については、僧籍剥奪時、同時に法然上人も流罪になって
いるということで、不当な冤罪であったという主張は、法然を支持する集団の中では説得力があ
ったと思う。流罪事件が冤罪であり、僧籍剥奪も不当な処分であったということであれば、親鸞
は実質上僧侶であったということになる。親鸞は円頓菩薩戒を受けてないが、法然が一目置き、
法然と共に名を連ね、他の高弟達を飛び越して教団を背負い、断罪に連座するほどの実力者でも
あった。
 しかし、それでは結婚という事実はどう説明するのか。僧は結婚ができるのか。結婚していた
ということは、少なくとも京都文化圏の常識、仏教の根本原則に照らせば破戒僧ということにな
る。僧としての基本的資質に欠くではないか。関東で教えを説く上では問題にならなかったこと
も、京都では大きな問題になる。証空は、法然から円頓菩薩戒を相伝し、浄土・天台・真言の教
義の奥義を究めた高僧である。証空と比べれば、親鸞の存在などは実に影が薄い。本願寺第三世
にとっては、親鸞の結婚に教義的な正当性を付与しなければならなかった。観音菩薩の夢告とい
うのは、こうした背景の中で出現した覚如による究極の破天荒の創作神話であるというべきだろう。

261 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 11:10:07 ID:Hh+CCg+r
仏教の教えで(仏教に限ったことではないが)、あくまでこれは健常者を対象としている救いなのではないかとたまに思うんですが、どうなんでしょうか?

262 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 11:11:19 ID:Hh+CCg+r
八正道だの六波羅蜜の教えだの、それすら解釈できないような知的障害を背負って生まれてきた人たちはじゃあ一体どうすればよいわけですか?それすら認識できない状態の人たちは救いから漏れているということですか?

263 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 11:15:06 ID:48YORWvJ
>260
削除 「親鸞は円頓菩薩戒を受けてないが、」

264 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 12:22:03 ID:48YORWvJ
>261-262
   >76さんと同じ方ですか、違う方ですか?
  >96-97について、先にコメントを戴けると幸いです。


265 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 19:30:06 ID:Hh+CCg+r
いや、違う方です。だから、私にもあなたを理解、納得させられるだけのことを言えません。

266 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:39:15 ID:c1eZXvoB
>親鸞は覚如が八歳のときに死んでいる
親鸞(1173−1262)覚如(1271−1351)だったと思います。
親鸞滅後九年後に生まれてる

267 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/21(日) 08:48:42 ID:p+J6Pox+
>>265
 了解しました。後日、コメントしてみます。

>>266
 ご指摘に感謝します。仰るとおりだと思います。

>>259
 誤 親鸞は覚如が八歳のときに死んでいる。
 正 親鸞は、覚如が誕生する九年前に死んでいる。

268 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/21(日) 17:34:50 ID:p+J6Pox+
 覚如の作戦は、少なくと親鸞派の中では受け入れられたようだ。高田専修寺に伝わる親鸞夢記
は、親鸞が見た夢を三つ紹介している。その中には救世観音の女犯の偈も入っている。親鸞夢記
は、古田武彦さんの話では鎌倉時代に書かれた文章に違いないという。もしそうだとすれば、覚
如の創作神話は直ちに関東教団に伝搬したということだろう。
 僧は結婚してもいい。親鸞派は、宗祖親鸞が予想もしなかった新たな教義を創作した。親鸞の
教えの中に、僧は結婚していいという主張など存在しない。しかし、真宗僧における婚姻の常態
化は、社会的に寺院の家族化、世襲化という変化をもたらした。徳川時代までは浄土真宗だけの
問題だったが、時代が明治なると他の宗派に拡大し、日本仏教全体の特徴となり、朝鮮の仏教に
も大きな影響を与えるに至った。
 現代において、僧の結婚はいいか悪いかを論議することはほとんど意味がない。僧は生涯独身
が当たり前という常識が、僧は結婚して当たり前という常識に代わった。この原因は、実は僧籍
を剥奪された親鸞という一人の人物の結婚にあったという事実を忘れてはならないと思う。

 以上をもって、長かった親鸞の妻帯論は終わり。

 2,3日カキコ不能。

269 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/26(金) 10:11:27 ID:HSADX0Pt
>>250
> 真宗はどんな教えなのですか。

 真宗とはどんな教えなのか。真宗の教えを知ろうとするなら、その前に釈迦の教えとは何だっ
たのか。そこから考えていくべきだろう。真宗は仏教であり、仏教は釈迦に始まったのだ。

>256
>貧乏で生まれた人は、前世が金持ちだったから?金持ちで生まれた人は前世は貧乏だったから?

 ある者は貧しい家に生まれ、貧しいまま細く短い人生を終えていく人もいる。富の豊かな家に
生まれ、一生、遊んで笑って長く楽しい人生を過ごしていく人もいる。これはなぜなのか。多く
の人が素朴に持つ疑問を釈迦も抱いたようだ。
 釈迦は僕らにある仮説を提起してくれた。仏教とは、釈迦が提起してくれたその仮説に共鳴し、
賛同し、それを学ぼうとする人々の営みであると僕は考える。だからこそ、仏教者とは、困難な
自らの様々な問題解決に、釈迦の仮説を道標として挑戦してみようとする人々の集まりなんだろ
うと僕は考える。釈迦の仮説とは、全ての迷いの根本には無明があるというものだ。仏教には四
万八千の法門があると言われている。仏教には様々な法が説かれている。しかしその根本は一つ
の仮説から生まれている。迷いの根本原因は無明にあったということだ。

 人には様々な可能性がある。明るい可能性もあれば、暗い可能性もある。可能性というのは、
肉体の誕生以後に生じたものばかりではない。可能性は、肉体の誕生以前から将来の様々な
結果を潜在的に孕んでいる。

270 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/26(金) 10:13:34 ID:HSADX0Pt
 ある者は富みのある家に生まれた。なぜ富みのある家に生まれたのか。それは、たまたまその
ような家に生まれただけだろう。富みのある家に生まれたからと言って、富のある家に生まれよ
うとしてそのような家に生まれた者など一人もいない。貧しい家に生まれようとして貧しい家に
生まれた者も一人もいない。まさに、偶々あるものは富みのある家に生まれ、別の者は、偶々貧
しい家に生まれた。偶々富のある家に生まれた者も、貧しい家に生まれる可能性があった。偶々
貧しい家に生まれた者も、富のある家に生まれる可能性があったのだ。人々は、可能性の幅とば
らつきの中で、あるものは富のある家に生まれ、ある者は貧しい家に生まれる。
 世の中には富のある者がいる。富を持たない者もいる。そうであれば、たまたま富のある家に
生まれる者もいる。たまたま富のない家に生まれる者もいる。それは当たり前のことではないだ
ろうか。
 富があるということ。あるいは富がないと言うこと。そのことは必ずしも、人間にとって、あ
るいは社会にとって直接大きな問題ではないだろう。富のある者は、富みのある暮らしをすれば
よい。富のないものは、富のないそれなりの生き方をすればよい。人々が解決すべき問題はもっ
と外にある。
 ある者は富みのある家に生まれ、ある者は貧しい家に生まれたように、可能性には常に幅があ
る。ばらつきがある。顕在化している可能性もあれば、潜在的可能性もある。実体的可能性もあ
れば、妄想的可能性もあるだろう。可能性に対しては、取捨可能な選択肢もあり、取捨不可能な
選択肢もある。取捨可能な選択肢はほとんどの場合圧倒的に数が少なく、取捨不可能な選択肢は
膨大である。人々はその中で、一瞬一瞬に誤りのない舵取りが必要となる。この現実に、我々は
どう立ち向かっていくのか。
 僕ら仏教者は、釈迦が立てた問題意識に共鳴し、賛同し、釈迦が立てた仮設を生き方の道標と
して選択する道を選んだ。 釈迦の問題意識とは何だったのか。もう少しこれを考えていこう。

271 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/26(金) 14:05:00 ID:qs+dVCcu
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人_____,,)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) )
   ノ|/ ∴ ノ  3 ノ、
 /   \__ /"lヽノ  ヽ
/   ,ィ -っ ( ,人)   ヽ
|  / 、__ う |  | ・,.y  i
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 ̄T ̄     |  ⊂llll /
  |       ノ  ノ 彡イ
  |   ヽ、(__人_)_,ノ|
  |      人    |
  ヽ、__ノ__ノヽ_
    ヽ ̄ ̄ノ^ | ̄ ̄ i

272 :神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 21:08:54 ID:SlabHQ7k
http://usokonikki.com/?a=Maker&oo=%C5%CF%B3%A4%C6%F1

273 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/27(土) 10:22:17 ID:gqTRZ9Gr
 釈迦の問題意識をもう少し考えてみる。釈迦は、人として解決すべき問題を苦という言葉で表
し、それが解決した状態を楽という言葉で表現している。釈迦が言う苦とはなにか。楽とは何か。

 貧/富
 解決すべき問題を苦、解決した状態を楽といえば、人は通常何を思うだろうか。解決すべき問
題は貧であり、解決した状態は富である。もし、そう言えば釈迦は何と言うだろうか。釈迦は決
して否定しないだろうと僕は思う。貧を苦と言い、富を楽と言っても決して間違いではない。こ
れらは、人々にとってこれは常に実に大きな深刻な問題だ。しかし貧の状態を富の状態に変える
方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈迦はこれを自分のライフワー
クとして選んだわけではない。むしろ、現代の経済学の方が比較にならない程大きな解決策を持っている。

 病気/健康
 解決すべき問題は病気であり、解決した状態は健康である。もし、そう言えば釈迦は何と言う
だろうか。釈迦は決して否定しないだろうと僕は思う。病気を苦と言い、健康を楽と言っても決
して間違いではない。これらは、人々にとってこれは常に実に大きな深刻な問題だ。しかし病気
の状態を健康の状態に変える方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈
迦はこれを自分のライフワークとして選んだわけではない。むしろ、現代の医学の方が比較にな
らない程大きな解決策を持っている。

274 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/27(土) 10:23:00 ID:gqTRZ9Gr
 圧政/自由
解決すべき問題は圧政であり、解決した状態は自由である。もし、そう言えば釈迦は何と言う
だろうか。釈迦は決して否定しないだろうと僕は思う。圧政を苦と言い、自由を楽と言っても決
して間違いではない。これらは、人々にとってこれは常に実に大きな深刻な問題だ。しかし圧政
の状態を自由の状態に変える方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈
迦はこれを自分のライフワークとして選んだわけではない。むしろ、現代の自由民主主義政治学
の方が比較にならない程大きな解決策を持っている。

 戦争・飢餓・天災・政情不安/平和
人が解決すべき問題は戦争・飢餓・天災・政情不安であり、解決した状態は平和である。もし、
そう言えば釈迦は何と言うだろうか。釈迦は決して否定しないだろうと僕は思う。飢餓・天災・
政情不安を苦と言い、平和を楽と言っても決して間違いではない。これらは、人々にとってこれ
は常に実に大きな深刻な問題だ。しかし戦争・飢餓・天災・政情不安の状態を平和の状態に変え
る方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈迦はこれを自分のライフワ
ークとして選んだわけではない。むしろ、現代の科学・政治学の方が比較にならない程大きな解
決策を持っている。

 輪廻/涅槃
解決すべき問題として釈迦は何をテーマとしたのか。釈迦はそれを輪廻と称し、解決した状態
を涅槃とよんだ。輪廻を苦と考え、涅槃を楽と考え、輪廻の解決を図ろう。釈迦はそう提案して
いる。輪廻の原因は無明である。釈迦はそのような仮説を建てた。無明を破れば涅槃に至る。仏
教は、釈迦のこの提案に賛同し、それを実践してみようという人々の運動体を原点とする。親鸞
が提唱した浄土真宗も、この枠組みを一歩、半歩として逸脱するものではない。僕はそのように
考える。輪廻・無明・涅槃とはなにか、これを説明する。

275 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/27(土) 10:26:05 ID:gqTRZ9Gr
> 273-274
× これらは、人々にとってこれは
○ これらは、人々にとって

276 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/27(土) 20:48:06 ID:jPSmbl3O
                        _,,t-‐‐-、,-‐‐-、
                     三'::::::............... .....::::::`y,.
                     ナ::::::::::::::::::::::::::::::::: :::::::::::::ヾ
              | ̄|   V::::::::::::::::_{{ ({∫∬ノノjヾ:::::{
           | ̄| | ̄|   ナ::::::::::::::i`__,,,,,,,ァ_  _,,,,,_ t;;:ヌ
           |  | |  |  イヘ::::::(ヾ~!,ャt、 !'''i ィtン )=f }f
           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'
           |  | |  | _,rヘ_,j|!'     /ー--''!     |'  
           |,.ィ―'''' ̄ /| |       /二ク     !
           /;;:::'';;::''::;;:/ { ! 、     ヾニン   ノ\
            /'''::::;r|''':::;;;|  | ! \       _,,./|::;;'''\
        /:;;/ |;;;''::;;|   丶\  `__>-ー´   !;;;:'''::iヽ、
          i/   |'::;;;;''|      三 ―''"       !''::;;;;| /ヽ
        /⌒ヽ  |;;''':::;|       \            !;;::''|/  i
         /     \{'';;;::''}          ̄二ニ=    !::;;|   |
        /ヘ     |;;:::::;{            ‐-      !/   |
        /  i     |:::;;;''!             ー       !  / |
     /   l     |;;'';イ                   }   {、
     〉、      ∧テ{ ヽ  _   _,,,,;;;;;:::-==ニ;;;_   ノ __,イ´
      / \_    //レ!      ̄           ̄ { ̄  |
    /    `ー::v'´/ | i                     i    |
    i       / ̄   | |                     i、  |
    i       /    ||                         ヽ  |

277 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/28(日) 11:04:50 ID:hlxupyRW
 人には意思がある。行動がある。
 けだものの心でけだものの行為をする者をけだものという。けだものは、欲はあっても全く知
恵がない。知恵のない愚かな欲望に促され、実に知恵のない行動を行う者、これをけだものとい
う。
 ライオンでも、満腹になる一瞬がある。その瞬間は行動が止まる。けだものにも休息がある。
行動を停止するときがある。しかし、知恵のない行動に止まることがない愚か者もいる。こうい
う愚か者は、欲望が満たされることがなく、際限なく愚かな行動を連続していく。これを餓鬼と
いう。餓鬼とは、飢えた鬼、飢えた化け物という意味だ。
 飢えた鬼にもやがて行動が止まることがある。知恵のない欲望は、紅蓮の炎のように燃えさか
り、その炎は全体が厚い南極の氷に封印され、身動き一つできなくなっている。これを地の獄舎、
地獄という。
 人はしばしばけだものとなり、餓鬼となり、地獄にも堕ち、また有頂天となって舞い上がる。
有頂天の時は、全ての物事が期待通りに進行する。有頂天の意思には知恵があり、有頂天の意思
は、実現する行動に妨げがない。意思の知恵はほとんど完璧に実現されていく。しかし、その意
思はなお欲を孕んでおり、やがて欲は知恵の判断を狂わせていく。知恵は現実との狂いを拡大し、
有頂天は必ず持続不可能な時期を迎える。
 昨日まで有頂天でいたものが、今日はけだものとなり、あるいは地獄の底で塗炭の苦しみを受
けることもある。馬鹿だっだった。馬鹿だった。自らの行為を心底悔い、真人間になって生まれ
変わることを固く誓った人物が、舌の根も乾かない内に再び餓鬼の手先となり、地獄の底に舞い
戻ることも決して少なくない。

278 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/28(日) 11:08:02 ID:hlxupyRW
 意思と行動が変われば人格が変わる。人格が変わればその節々で古い人格が死に、新たな人格
が誕生する。挫折(死)があり、再起(生)がある。
 中途半端に再起(生)すれば、意思は持続していても行動は再起の時の意思の実現に向かわな
くなる。人は彷徨う(病)。行動は惰性で持続していても、再起の時の意思は放棄される。人は
疲弊(老)する。人が、意思も放棄し、行動も放棄すれば、人は挫折する(死)。人はこのよう
にして、生(再起)・老(疲弊)・病(彷徨)・死(挫折)を経験する。中途半端に再起し、中
途半端に挫折する。生(再起)・死(挫折)・生・死を繰り返す。これを迷いという。人は、地
獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六つの世界を巡っていく。
 今日の私の生老病死は、私の肉体の誕生で始めて発生したものではない。私の肉体の消滅で修
了するものではない。今日の私の生老病死は、過去、無数の人々が繰り返し繰り返し経験してき
た無数の生老病死といささかの相違もない。今日の私の生老病死は、今後も無数の人々が繰り返
していくだろう無数の生老病死といささかの相違もない。実に全く同一の生老病死が、無限の過
去から無限の未来に向かって連続している。今日の私の生老病死は、その無限の過去から無限の
未来に向かって連続している生老病死の単なる一つに過ぎない。これを輪廻という。
 釈迦は、このように無限の過去(前世)から、無限の未来(来世)へと、三世に連続する輪廻
の連続を断とうと提案している。輪廻は、現在(現世)でいまここで断てば再び連続することは
ないだろう。釈迦はそう言う。輪廻を断ち、二度と輪廻しなくなったときのことを、釈迦は滅と
呼ぶ。ろうそくの火を吹き消せば、再びどこからか新たな火を持ってこない限り、蝋燭は自力で
火をともすことがない。滅とはろうそくを吹き消した状態であり、これを涅槃という。

 輪廻を断とう。仏教とは釈迦のこの提案に賛同し、釈迦がライフワークとして提案した仮説を実践
することを決意した運動体である。

279 : ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/28(日) 11:11:59 ID:2Cgsq/qn
       // ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
      彳丿; \,,,,,,,,/ u lヽ
      入丿 -◎─◎- ヽミ   
       | u:.::(●:.:.●)u:.::|   
       | :∴) 3 (∴.::|   
       ヽ、  ,___,. u .ノ
       ⌒ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ⌒

280 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/02(金) 11:03:41 ID:au9bB8nk
 釈迦は少年期、自分が居住する自我の城を抜け出した。すると、そこで赤ん坊の誕生を目撃し
た(再生)。自我の城に戻り、その後また城を抜け出した。そこで病人を目撃した(疲弊)。三
回目に城を抜け出したとき、釈迦は老人を目撃した(彷徨)。四回目に城を抜け出したとき、死
者を目撃した(挫折)。
 自我の城で城壁に囲まれている状態の中では全てが平和に見える。そこでは何も真実が見えな
い。自我の城を出よう。自我の城を出れば真実が見えてくる。人は生老病死を免れることができな
い。人は生死生死を繰り返している。
 有頂天になったかと思ったら、次の瞬間には畜生・餓鬼・地獄の世界を彷徨う。実に悲しいこ
とではないか。大変なことではないか。輪廻を断とうじゃないか。輪廻転生を苦と考え、輪廻転
生の束縛から離れた状態を楽という。釈迦は、自我の城を抜け出したとき、生老病死の現実を目
の当たりに見、出家を決意した。
 苦のような境遇からはなんとか離れたい。そのように思った人は釈迦以前にもいたようだ。城
を出て出家した釈迦は、先人の下を尋ねる。釈迦はまず、阿羅邏迦蘭(アーラーラ・カーラー
マ)仙人の門を叩いた。アーラーラ・カーラーマは無所有処という境地を教えていた。釈迦は、
速やかにその師の教えを体得してその場を去る。
 釈迦はその次に鬱頭藍弗(ウッダカ・ラーマ・プッタ)仙人の門を叩いた。ウッダカ・ラーマ
・プッタは非想非非想処という境地を教えていた。釈迦はこの教えに飽きたらずそこを去り、や
がて一人で坐禅瞑想に向かった。

281 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/02(金) 11:04:15 ID:au9bB8nk
 中村元さんのゴータマ・ブッダを読むと、無所有処も非想非非想処も、共に無色界という境地
に属するという。無所有処とは、所有品も道具も持たないということであるという。中村元さん
といえば、既に故人となったが、自他共に認める原始仏教の大家であり、その主張に非を挟むつ
もりはない。無所有処は無色界であるという考えも古典にきちんと根拠のある定着した考えなの
だろう。ただ、僕は在野の批評家として独自の主張をさせて貰いたい。素人の譫言と思う人は無
視すればいい。 

 人はなぜ輪廻するのか。迷いを起こすのか。それは欲望があるからではないか。欲を捨てれば
いい。欲望を捨てれば間違いを起こすことはない。人はしばしば欲を捨てた理想主義を掲げる。
理想主義は、一気にバラ色の世界を描く。しかし、絵に描いた餅(色界)は腹の足しにならない。
欲を捨てただけでは何の解決もない。
 絵に描いた餅(色界)じゃ解決がない。形があることそれが悪である。こういう主張は理想を
否定する破壊主義(無政府主義)に向かう。形あるものは崩れていく(無色界)。しかし、形あ
るものを崩しても、それだけでは何ら解決がない。
 輪廻(欲)を断とうすればどうすればいいか。理想主義(色界)と破壊主義(無色界)という
二つの主張が生まれるのではないか。アーラーラ・カーラーマは理想主義、ウッダカ・ラーマは
破壊主義を主張していたのではないか。僕はそのように思うのである。

282 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/02(金) 11:14:27 ID:au9bB8nk
 アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマ・プッタの考えは、大乗仏典・ブッダチャリタ
(中央公論社)13巻の方が僕には理解しやすかった。アーラーラ・カーラーマは次から次
へと捨離していく。一切を捨離しなければ完全に目的を達したことにならない(258頁5行目)。
欲を捨てていく理想主義の境地を主張している。

 ウッダカ・ラーマ・プッタは、一切を捨離する無一物の状態を脱し、その彼方にある想念あり、
想念なしの議論を超越していく(259頁4行目)。非想非非想処は想念を持たないことも想念
を持つことも無い。理想主義にはビジョンがある。計画がある。餅を描いた絵がある。これに対
し、非想非非想処は、想念を持たないのではないようだ。つまり、絵に描いただけではだめという
思いはあるようだ。その上で、想念を持つことも無い。想念を持たなければ、実体どころか、絵す
ら描けない。実体(欲)もなく、ビジョン・観念(理想)をもつことすら放棄すれば、人は真空となる。
まさに無政府状態となるのではないだろうか。

 餅を絵に描くだけの理想主義では解決がない。しかし、その絵さえ否定しても解決はない。釈
迦はやがて、輪廻の根本に無明があることを発見し、十二因縁の仮説と、四諦八正道を見いだし
ていく。     (2,3日カキコ不能)

283 :神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 18:56:22 ID:KlICmw36
2,3日カキコ不能と言いつつ親鸞会スレを荒らしてたニート海難
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/169
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/188
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/190-191
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/218
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/227
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/294-296
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/306-307
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/327-328
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/341-342
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/344

284 :神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 22:31:30 ID:QZPTdSYb
  ||  !| │
  ||  !| │
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  ||  !| │
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Ξ||Ξ!| │                …ああ先生ぇ……
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     |  .!                 :.,;;;;;;;;;;;、ニニニニニニ.、
     |  .!                  {;;;;;;;;;;;;;;}   ̄ ̄!| |.!
    ||`ー|. ̄ 丁 ̄|\          :'::;;;;;;;;;::'  __」.! !.!
  __||二二二]|__ || |       ,r''''"~    ""''ヽ.:l─´. !.!
  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.!l `ヽ !、     :.i'           'i,=コ|.|
  ||  l三三l  ||  ,_」___: |             'i,'丑丑|ニl___,'ニヽ___
  ||.==========!l  '‐┬┬‐─ !        i'>  }. ─────┬┌′
  ||  l三三l  ||   | /丁,.` !       ; _ノ _,...、 ̄ ̄ ̄丁ヽ、|
  ||==========:!|   | !.|  'i, `'i'''―--―''''i'ニ-'"   ノ   .  .! | |
  ||  l三三l  !l   .| !.!  ヽ.i' "'    '''"';  _/  _,,..i'"':, . ! ! !_
  ||----------|.! ___,| !.|_メ´丶ゝ_,.i、_   _,;..-'"   |\`、: i'、.`ー'
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ー'"            ̄        \\`_',..-i
                                  .    \|_,..-┘

こうして、今日もパソコンの前で一日中座禅念仏をする渡海難であった。。。

285 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:48:42 ID:sl0Nxim5
 再起・挫折・再起・挫折を繰り返すことは確かに大問題だが、貧困は大問題ではないのか。病
気は大問題ではないのか。圧政・戦争・飢餓・天災・政情不安は大問題ではないのか。こういう
反論は当然あるだろう。貧困・病気・圧政等も、人類が立ち向かわなければならない問題であり、
再起・挫折を繰り返す輪廻も立ち向かわなければならない問題である。いずれも大事な問題だと
いうべきだろう。貧困や病気や圧政などについては、その解決に向け、社会的には様々な提案が
なされている。我々は、こうしたそれぞれの提案に、適宜耳を傾けながら取捨選択し、必要に応
じ、立場立場で必要があれば逆提案をすることもある。
 輪廻の問題もそうした発想と決して矛盾するものではない。我々仏教徒は、輪廻の問題につい
ては釈迦の仮説的提案に耳を傾け、釈迦が提案した方法論を、自分の生き方の中で試験的に、
あるいは継続的に実践してみようと選択した人々である。僕はそう考えている。

 十二因縁の仮説とは何か。十二因縁の仮説は十二個の単語が続いている。無明・行・識・名色
・六処・触・受・愛執・有・生・老病・死、である。十二個の単語は経典間によって若干の揺れ
があるが本質的な相違ではない。

286 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:49:28 ID:sl0Nxim5
 本源(過去因)
 ああ、俺は馬鹿だった。俺は本当に馬鹿だったんだよ(無明《根本原因》)。馬鹿だったから
あんな衝動が涌いた(行)。
 現状分析(反省)
 馬鹿だったからあんなことを考えたんだ(識)。知恵も分別もなく衝動が涌いた。そんな考え
が涌いたからこそ、あんな事物を意識した(名色)。あんな意識が涌けば、ものごとはみんなそ
っちの方に見えてきた。耳に心が宿って聞こえてきた。目に心が宿って見えてきた。感情に心が
宿って感情が動いてきた(六処)。耳に不快なものは避け(触)、耳に快い方に心は向かった
(受)。
 現状分析(束縛)
 そうなれば物事に執着が現れる(愛執)。執着は積み重なっていく(有)。
 未来分析
 執着すれば繰り返し繰り返し再起しなければならない(生)。繰り返し繰り返し再起すれば繰
り返し繰り返し彷徨・疲弊する(老病)。愚かな行為は、今後も繰り返し繰り返し挫折するだろ
う(死)。

287 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:51:35 ID:sl0Nxim5
 釈迦の主張と従来説の違いは、無明という概念を出したことだ。それ以前には、輪廻の根元は
欲望にあると考えられていたようだ。欲を断てばいい。理想主義(色界主義)はそう主張する。
欲さえなければ人は迷うことがない。そう考えられていた。しかし、欲を断ってもなかなか迷い
は尽きない。これに対し、欲を断っただけでは駄目なんだという主張もあった(無色界)。それ
じゃ何が原因なんだというところで、行き詰まった。釈迦は無明という概念を提案したのである。
 迷いの根元は無明にある。この仮説は、大乗仏教・小乗仏教の全てを貫徹する共同認識であり、
この仮説を否定する思想は仏教ではない。では無明とは何か。無明とは、方法論が無いという現
実である。これを考えていこう。

288 : ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/11/09(金) 18:47:29 ID:AP0lNH1x
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       (::::::::::/彡彡彡彡彡   ミミミミミミミ :::::::::::)
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        (   U    (●  ●)  U       )
       ( U      / :::::l l::: ::: \      U  . )     
       (     U// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.U      .)  
      /\ U  )::::( ( ̄ ̄ ̄ ̄) )::::(:  U  / 
     /   \ :::: ::::、ヾヾ___ノノ ヽァ ::::  / 
   /      \::::::::::: \;;;;;;::::::;;;: (  ̄ ):::::::: ノ
  /  ' "'' 、   \: _- ,,_ ̄ ̄ ノ` ゙ /:::::::::/       
/ , - 、 ,,  `ヽ   \/   ̄` ' - 〈_/ ,ゝ--、 
             /      ヽ  |  /   ノ
     ,,  、    /    ヾ    ヾ  ヽ-' 、 ,/
  - ''      ヾ  (   ヽ  丶    ! ''  ,, ゝ" |
''"        \/ヽ  ヽ  ヽ _ 'i /    ヽ

289 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 20:07:22 ID:sl0Nxim5
 ちょっと脱線します。僕の説明が悪かったかも知れない。

 あるお寺の報恩講で今年始めて五会念仏をしましたという報告を受けました。門徒方には大変
評判が良かったそうです。来年のリクエストにも入ったそうです。

 ただ、その方のメールの中で、座禅念仏という単語が出できました。2ちゃんねるの荒らし坊
主が「座禅念仏」という言葉を使用するのは僕の知ったこっちゃないけど、真面目に念仏を考え
ている方が座禅念仏という表現を使うとすれば、これは気になる。親鸞教学に無用の混乱が起こ
らないよう、用語についてここで再度確認しておきたい。これまでの僕の説明が悪ければ、説明
が変わってと思ってくれてもいい。親鸞の真意と思えるところをできるだけ正確に公表しておき
たい。

 宗祖は座禅念仏という言葉は使っていない。五会法事讃略抄を見て欲しい。五会法事讃略抄で
宗祖は、「念仏三昧は、真の無上の禅門なり」といいながら、教行信証では、全く同じ箇所を引
用して「念仏三昧は、真の無上の門なり」と言い、教行信証では敢えて禅という文字を落として
いる。絵画には、額絵画と非額絵画とがあるんじゃない。額があっても額がなくても絵画なんだ。
念仏にも、座禅のある念仏と座禅のない念仏とがあるんじゃない。座禅があっても、無くても、
それは念仏なんだ。

290 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 20:09:10 ID:sl0Nxim5
 念仏は、行住座臥、不問時節久近というのが原則である。何かを行動しながら称えてもいい。
止まって称えてもいい。座りながら称えてもいい。寝ながら称えてもいい。長い間称えてもいい。
短い時間で称えてもいい。時間を決めて称えてもいい。時間を決めないで称えてもいいんだ。だ
からといって、動きながら念仏・止まりながら念仏・着座しながら念仏・仰臥しながら念仏、と
いう四種の念仏があるというわけではない。

 念仏は、座りながら称えてもいいなら、正座して称えてもいいんだ。あぐらして称えてもいい
んだ。それなら座禅して称えても一向に悪くないだろう。時間を決めないで称えてもいいんなら、
一定時間、外に何もしないで念仏だけに集中して称えるという念仏方法があってもいいだろう。
行住座臥、不問時節久近の念仏にはそのスタイルは自由かつ多様なんだ。多様な念仏スタイルの
一つの選択肢に、念仏三昧という念仏方法が歴史的に存在してきた。

 念仏三昧をしようとする者は座禅して称えるといい(教行信証)。親鸞はそう勧めてくれてい
る。観無量寿経を読む分かるが、座禅こそが極楽浄土の正式な着座スタイルだ。念仏は、座
りながら称えてもいいんだから、当然、座禅して称えてもいいわけだ。座禅が極楽浄土の正式な
着座スタイルであれば、念仏三昧をしようとする者は、座禅して称えるといいだろう。親鸞はそ
う言っている。これは極、当たり前の提案だ。
 念仏三昧で、念仏を座禅して称えるなら、その中で特に五会念仏という方法が一番いい(法事
讃略抄)。親鸞はそう教えてくれている。
 
 教行信証を読むと一般的な念仏の意義や目的が色々書いてある。とりわけ念仏三昧の効果につ
いて特筆している。教行信証は、座禅して念仏を称えるこの五会念仏の効果を念仏三昧の効果と
して特筆している。
 宗祖の書き物は、その真意を正確に読んでいきたい。

291 :神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 20:38:11 ID:4lgtHQo3
>>289-290
今までのは全部渡海難の妄想だった
まで読んだ。

292 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 08:28:20 ID:dPlOSCo5
>289
誤 座禅があっても、無くても、それは念仏なんだ。

正 座禅があっても、無くても、それは同一念仏なんだ。
 二種類の念仏があるんじゃない。同一念仏無別道故
 という大原則をはみ出るんじゃないんだ。

293 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 10:47:31 ID:dPlOSCo5
 釈迦仏教論に戻ります。

 無明とは何か。知恵がないということだろう。言い換えれば、知恵があれば人は迷わない。再
起・挫折・再起・挫折を繰り返すことはない。
 このように言うと、それはおかしいという意見も出る。六道の内、地獄界・餓鬼界・畜生界には
確かに知恵がない。これを三悪道という。しかし、少なくとも人界には知恵がある。十分とは言
えないが、あるか、ないかと言えば知恵はある。人は、知恵を失うと三悪道に転落する。だから
こそ、人は知恵を持たないといけない。三悪道の人が真人間に戻るというのは、知恵があって
始めて可能となる。輪廻の人界に知恵がないというのは言い過ぎではないか。人界だけではな
い、天界にも知恵がある。むしろ天界は圧倒的に豊富な知恵で溢れている。天界は、圧倒的に
豊富な知恵と行動力を持ち、他が真似できない実力で自らの意思を実現する。問題だったのは、
天界・人界さえ輪廻から免れられないという事実ではなかったか。
 仏伝によれば、釈迦が悟りを開くと、帝釈天・梵天が直ちに天から下りてきて釈迦に教えを請
う。帝釈天・梵天ともなると、ずば抜けた能力を持つ。帝釈天・梵天などは、どこかで誰かが悟
りを開いたということは、直ちに察知できる。
 帝釈天や梵天は、釈迦から何を学ぼうというのか。一介の僧より、帝釈天や梵天の方が遙かに
様々なことを知っている。ずば抜けた行動力もある。その帝釈天や梵天が、釈迦から何を学ぼう
というのか。

294 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 10:49:10 ID:dPlOSCo5
 帝釈天・梵天は釈迦にあらゆる点で勝っていたはずだ。ただし、一点を除いてである。帝釈天
・梵天は、圧倒的に釈迦に勝っていた。しかし一点において釈迦に叶わなかった。この一点によ
って、帝釈天・梵天は釈迦に完全に敗北していた。帝釈天・梵天は釈迦に圧倒的に勝っていたが、
一点において叶わないことがあったため、地にひれ伏して教えを請うことになる。その一点とは
何か。自分は何一つ分かっていないという一点である。

 帝釈天・梵天はあらゆることを知っていた。他と比べものにならない圧倒的な実力を持ってい
る。その帝釈天・梵天が、唯一釈迦に叶わなかった点、それは、自分は何も分かってないという
そのことを知らなかったと言うことだろう。この一点で帝釈天・梵天は、釈迦に対し、教えを請
うた。あらゆることを知り、圧倒的な実力を持っているものが持っていない唯一の知、それは無
知の知である。それが釈迦の悟りだったと思う。無知の知が無い。それが無明ということだろう。
釈迦から無知の知を教わった帝釈天・梵天は、その後眷属を引き連れて釈迦の守護神となった。

 釈迦の無知の知は、分析論と方法論とを切り分けたということだろうと思う。分析論を悪因悪
果という。方法論を善因善果という。釈迦以前にも知恵はあった。しかし現状分析論と方法論と
の切り分けがない。両者は渾然一体化し、まだら模様化している。これではうまく行くときは成
功するが、やがて必ず行き詰まる。

295 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 10:52:10 ID:dPlOSCo5
 分析論だけではだめであり、相応しい正しい方法論が備わっていなければならない。方法論は、
正しい分析論を合わせよう。釈迦はそういう提案をしている。こういう知恵は、東洋では釈迦が
最初に抱いた。世界にはもう一人いると僕は考えている。それはソクラテスだ。
 釈迦とソクラテスは洋の東西でほとんど同時期に誕生し、両者は全く出会うことはなかった。
しかし二人は人類の発展に不可欠の要素をもたらした。釈迦は祇園精舎を建設し、ソクラテスか
らはその弟子であるプラトンが、アカデミヤを建設し、世界の学校の原点になった。二人の共通
点は、教育ということだ。

 議論を教育論に飛ばす前に、もう少し釈迦の悟りを考えてみる。ここは親鸞仏教の重要な原点
だからだ。

296 :神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 11:27:12 ID:pKGvDxyT
  |\__/ハ__
 {_____」
       
         \\              ∧_∧
◎     ≫〃vミー‐w  へ          (´<_` ) くせえんだよ
  \   彡_____彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
      {_親●鸞___| )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )
 ◎-○一( * *    ヽミ            |.      |
      ((_ _ (( ( ;;;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ.〉      | |
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ:: -=_二__ ̄ .   \_     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ        ̄\      / /
    (   ) 渡 ≡ ;;; )  )         .\__/_丿
     |__|. 海 ≡ ;;; )_l          .|  |
    _|  |  難 ≡ ;;;; ) (           |  |
   |  \.._\.      入 \,       |  |
   |ハルヒ(_る〜〜〜〜〜wv)       \ ヽ
   |___||:::::::::::::/::::::::::/               \ |
         .|;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;/             / ノ
         (___|)__|)     

297 :神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:47:17 ID:9Kvbl2Qv
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ___OO___OO キモいぜ! i⌒i__ ┌─┐...|
|(_____)(___  )_l⌒l(⌒( ̄  ___)│12│...|
|(__  __)   ノ  ノ(_   ヾノ~| .(__)└─┘...|
|  ノ  /    / ./( O  ,-,  )ノ  ノ__ 三|三|- |
| ( _ ノ   ( __ ノ   \__ノ ( _ ノ(___(___)ノ| ̄|  .|
|         「激闘!東京ビックサイト」の巻  ̄~  .|
|  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓  |
|  ┃ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ ̄ ̄ ̄ ̄\;;:;:;:;;:;'''''''´`´` ..┃  |
|  ┃ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;(  人____)::::::::::.      ┃  |
|  ┃ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|ミ/   ー◎-◎-) __ ::::   ┃  |
|  ┃   _,.-;:;:;‐`;(6     (_ _) )'"-ゞ'-' :::::   ┃  |
|  ┃ /;:;:;:;:;:;:;:;:;:| ∴ ノ  3 ノ     : ::::::   ┃  |
|  ┃トヽ:;:;:;:;:;:;:;//\_____ノ⌒ヽ,   ( ,--、_ ┃  |
|  ┃i!`ー、_,、{;;l`ヽく_oー―=''''"||:;:;:;:;:;ヽ,       ┃  |
|  ┃ヽ    l/;;;:`ー-;川♀'┴-、|j;:;:;:;:;:;:;:;ヽ,._,-'ニ二┃  |
|  ┃ |ヾ、  i;;;:::::;;;;;(0:::)ヽ;;;-::"フ;:;:;:;:;:;:;:;:;:::il   ヽ┃  |
|  ┃ 1ヽニフヽ;.-''"/ 7'、;;;;;;;:::;;;;i'ニニ、ヽ___j.ヾニニ ┃  |
|  ┃,,┴フ;:{   ,.∨ |L ゝ;;;;;ノi  , __,..-'" ;;;;;;;;;;;;;;;;┃  |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 応援ヨロシク!./ ̄ ̄ ̄ ̄\ ア ニ メ 化 決 定!|
|    / ̄\(  人____)テレビ東京系列      |
| , .┤    ト|ミ/   ー◎-◎-)  深夜0時25分〜  |
| |  \_/  ヽ    (_ _) )              .|
| |   __( ̄ |∴ノ  3 .ノ ファンの要望に応えて |
| |    __)_ノ ヽ     ノ | ̄| あの デブおた君が |
| ヽ___) ノ    ))   ヽ.|∩| アニメで登場だ! .|
|______________________|
|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|

298 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 12:58:05 ID:bmQxy78H
原始佛教スレで、このスレが紹介されてましたので、とりあえずロムってみました。
さすがに渡海氏は親鸞については詳しいですね。

で、>>76氏の問いで渡海氏の>>96の答えを拝しました。
知的障害というのは、そもそも現実的に腹式呼吸は無理なんじゃ〜ないか?
これは丹田呼吸法と同じですか?
ある程度の精神集中は必要ですし。

で、これは私の自論(持論)なんですが、
そもそも知的障害というのは、程度の差はあるかと思いますが
俗世間的には悟ってますね。
悟ってる御仁というのは、そもそも阿弥陀如来に帰依せんでもいいかと思うのですが、
このてんどうでしょう?

自然法爾で調えば宜しいんじゃ〜ないかと、
かように思うのですが。

あと私が伺いたいのは、真宗で悟った瞬間というのがあるらしい。
これは阿弥陀仏からの手綱を離した瞬間らしいのですが・・・
その後の境涯について伺ってみたいですね。

299 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/11(日) 14:04:06 ID:RG66Z1ir
>298
>知的障害というのは、そもそも現実的に腹式呼吸は無理なんじゃ〜ないか?
   うん。まあそうかもしれないね。

> これは丹田呼吸法と同じですか?
   禅の時の腹式呼吸は同じだと思っています。

> ある程度の精神集中は必要ですし。
     なるほど。

> そもそも知的障害というのは、程度の差はあるかと思いますが
> 俗世間的には悟ってますね。
     なるほど。僕も、昔はよくボランティア活動で施設に行ったんだけど
    知的障害者だって、苦しんでたよ。それは健常者のぼくらと同じか、
    それ以上だった

> 悟ってる御仁というのは、そもそも阿弥陀如来に帰依せんでもいいかと思うのですが、
     悟ってない人だって、別に帰依しなくてもいいんじゃないのか?。

> 自然法爾で調えば宜しいんじゃ〜ないかと、
     何か、自然法爾が必要ですか?

> あと私が伺いたいのは、真宗で悟った瞬間というのがあるらしい。
> これは阿弥陀仏からの手綱を離した瞬間らしいのですが・・・

 念仏は禅と密接不可分の関係にあります。真宗では悟ったとは言わない。多分、これは
北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。
 いずれ、釈迦仏教論から大乗仏教論、大無量寿経の起源、念仏の救いとは何かという
問題に絡めて、多いに議論すると思います。
 真宗とは何かというのは、実に大きな問題で、一口で言えることではないんです。


300 :神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 14:26:00 ID:fb4zpsal
                                           ' ,; `, ; ` ; ,
                 ボォオオオオオオオオオ          ;  y"'(,;r_ソi,;  ,
                                         ノ;";;',,,u`゙;,゙`,,;;.´`r;
     /  ̄ ̄ ̄\                           ´; (,,'_;、;_;;',;人;;';`:;)
    /      \ ,,/丶                          ヽ(;,◎-◎一;;u:ヽミ/
    /     (●_ (●                        ´,,;)(";;(。。;;(´";゙,;;`9)
    |     ::⌒(__人_))                   ; ゙、  ノ;,‘"ノ{、;ε`,;;,';;u゜,, "イ
.    \     `ー'/               '′,;  ;ソ′ノ},; ' ; "; ,',ヽ;;';_;;;;_;;_`,;イ二)
   √/⌒\ーィ´l≒ーaQ___ハ,,''",_,,'′;⌒",⌒'"~`,,,´ ,"彡"从;;:´'';´~゙゙;((´⌒:)~ヘ
   _|\ ir─┴!ー─,=ァ───‐';y、〜〜、,     ''       ≠ ル'";; " ;|___|  }
    |___|  `ー─┬'ーtョ'       ′    `゙ーヾン,,"   ,; ; ,,  从"‘ 渡海 |  |  ロ
.   VII| ー──‐l                  '   `゙ヾ;;;;ン,,,ノ;Y;≒;;,',`_____| ,人_}
       |   / /                       ,´       ;,ヾ、  、,   (_,,ソ
        |__/,__/                        ;          |__,|____,|
       └一ー一                               ノ'__}("___}

301 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 15:32:50 ID:bmQxy78H
>>299
>念仏の救いとは何かという

昔NHKかで放映されてましたのが記憶にありまして、
阿弥陀如来から数本の綱が出てまして、その綱を持った僧が念仏を唱えながら
如来仏の周囲を旋回する。
(これは浄土宗のどの宗派かは分かりません)

この姿は、母(如来)が子(僧)の手を取るところに似てますね。
(帰依するとか、帰命するとかの体現でしょうか?)
まあ、いつかは子供は母から離れませんといけませんから、
他力の本願といふのは、まさにこの手綱を離した瞬間かと、
そのように思うたもんです。

> 念仏は禅と密接不可分の関係にあります。真宗では悟ったとは言わない。多分、これは
>北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。

なるほど、そぉでしたか。
ならば真宗は北禅に近いやもしれませんですね。
ここは熟考せななりませんです。

どうも参考になりました。



302 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 15:44:18 ID:bmQxy78H
>知的障害者だって、苦しんでたよ。それは健常者のぼくらと同じか、
>    それ以上だった

知的障害じゃ〜なくても、脳性麻痺などは知的には問題がなくても身体が麻痺してることもありますからね。
これは健常者には想像もつきません。
手が麻痺しているために自慰行為というのが出来ない。
というのは、あまり健常者には知られていない。

>悟ってない人だって、別に帰依しなくてもいいんじゃないのか?。

知的障害でも、幕末の仙台四郎などは、私は悟ってる御仁かと思いますがね。

>何か、自然法爾が必要ですか?

いやいや、なにもせんでいいかと。
かように思ったしだいです。

                    <かしこ>


303 :神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:26:51 ID:3qbuk07b
                 渡海           「!/7
                  ↓           /ふ(⌒r_-_、_
                / ̄ ̄ ̄ ̄\    .l'、そrィ(_,,},}ニ)
             (  人____)    l ` ''ー<´..... __゙!
             |ミ/  ー◎-◎-)     ゝ.,,______ |
            ,r (6     (_ _) )   |ミ/  ー◎-◎-)
          ,/ヾ<|/ ∴ ノ  3 ノ   (6     (_ _) )←机龍之介
       ,.、‐'":ヽ::::\ __  __ノ      |/ ∴ ノ  3 ノ
      /::::::::::::::::ヽ::::::ヽ `/)乙二ス、   ,rニ ̄`ヽ   __ノ
     /:::::::::::::::::::::::::::ヽ::::;/ ーンノハヾ,!} /- ... `ヽ、 ,! ! ヽ
   /::::::::::::::::::::::::::::::/^i´    /(_, イヽ'    :..  \,!  : ',
.   i:::::::::::::::::::(⌒/:::::::::::l,r‐ァ''";!/:i,  |:::::::゙!      :..  \:  ',
    !:::::::::::::;:、-'":::::::::::::::::::|::/::::;:':{;::::i, |:::::::::} :. i    :.. ヽ :. ',
   }::::::;:::'::::::::::::::::::::::::::::::::|'::::;:':__:i;::::::i, l;::::::::|  ヽ _,,..、、-‐ 'i ゝ,
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304 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 09:40:37 ID:cMH0NawS
>北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。

始祖から五祖に到る過程において、
その象徴的なものが神秀に法灯(法衣)を継承しなかった五祖・弘忍だろう。
慧能の去った後の東禅院は、既に蛻の殻だったそうですから、
いかにこの事変がインパクトのあるもんだったか推測される。

この段階において、五祖の評価は高い。
(ここに関心のある御仁は少ないが・・・)
既存の価値観に依存しない。
親鸞の戒律破壊とか、それによって旧態が果たして何だったのか?
それに疑を向けることによってしか抽出されない

「宗教的な命題は本当かどうかなんか言えるはずが無く、
信じるか信じないかしかない」。
歎異抄には、こんなことが書かれてますけど、
これなんかは非常に禅的?ですね。








305 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/12(月) 10:36:15 ID:dMGuGNyU
>304
>慧能の去った後の東禅院は、既に蛻の殻だった

 南の主張でしょう。 (w

 兄弟子に反発し、喧嘩状態で分派した弟弟子集団が、「あいつの所には
もうカス以外には何も残ってねぇーぜ。ざまぁー見ろ。さあ、笑ってやろう
じゃないか」と、こんな風に分派側が毒づくという話は、いつのどこの世界
にもあることだ。

>これなんかは非常に禅的?ですね。

 禅の話はもっと後にしたいと思う。歎異抄の評価については、見解が相
違します。南と北とが、同じ価値観、見解なら、分裂などは無かったでしょ
う。親鸞は、仏心宗を聖道門と呼んで批判する。これは栄西の臨済宗を批
判しているものだ。親鸞は、北から見た南批判を承継している。
 
 もともと、禅のない仏教などは存在しない。禅的でなければ、それは
仏教ではないんだと思う。しかしそれは、南の考えを支持しているという
ことではない。
 そのまえに、釈迦の悟りをもっと考えていく。


306 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 11:14:10 ID:cMH0NawS
>>305
>こんな風に分派側が毒づくという話は、

いやぁ〜そうでしたか?
私はそんなふうには思ってなかったですね。
文献において考察したまでのことですが・・・

神秀は長身でハンサム、また秀才でもあった。→五祖の一番弟子
慧能は背が低くてブ男、また無学。→新人(米搗き役)
両者は非常に対照的であり、腕力からしても神秀が上手。
東禅院を抜けるときも、慧能は逃げるようにして出て逝く。

>親鸞は、北から見た南批判を承継している。

なるほど、そうでしたか。
親鸞の人間性が出てますね。
まあ、慧能というのは見方によれば異端であったわけですから。
これは納得が逝く話です。
(真宗という脈絡からすれば北禅に近いでしょうね)

>もともと、禅のない仏教などは存在しない。

またいずれ、坐禅念仏のことでも御教示願えれば幸甚でありまふ。




307 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/17(土) 12:39:44 ID:VdHHLuUW
>306
>私はそんなふうには思ってなかったですね。文献において考察したまでのことですが・・・

 これは失礼申し上げた。「東禅院は、既に蛻の殻だった」というのは、このように書いてある
古文書があると言うのではなく、机龍之介さんがそのように考察したということだったんですね。
それなら、>> 305の記述はお門違いだったですね。机龍之介さんがどう考察してもそれは自由だ。
失礼しました。
 ただ、神秀は唐の皇帝に仏教を教え、北宗禅は、唐朝廷の公式の仏教となりました。遣唐使の
ような国家間の留学生はこれを学びに海を渡りました。蛻の殻ならそういうことにはならなかっ
たと思いますよ。なお、少林寺拳法の少林寺は、現代では数少ない北宗禅を名乗っているそうで
す。
 延暦寺の僧兵もこの北宗禅を学んでいたはずなんで、僧兵・一向一揆などとの関連で、北宗禅
は武闘派、南宗禅は農耕派なんじゃないかというイメージを僕は持っている。見当違いかもしれ
ないけどね。

>真宗という脈絡からすれば北禅に近いでしょう

 善導禅師→法照禅師→円仁大師→親鸞という流れがあります。
 法照禅師は唐の皇帝に五会念仏を教えている。中国仏教全盛時代、全盛の中国仏教の最高指導
者だったようです。

308 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/17(土) 12:41:59 ID:VdHHLuUW
 釈迦は十二因縁の法理を悟ったとき、同時に四諦の法を悟った。四諦とは、苦諦・集諦・滅諦
・道諦の四つを指す。

 釈迦は、菩提樹の下で十二因縁の法理を悟ると、五人の比丘に法を説いた。中村元さんのゴー
タマ・ブッダを読むと、後代の人が尾ひれを付けたり省略したりして、いろんな説があるようだ。
その一つ漢訳増阿含経を中村元さんの著作から孫引きする。
 「四つの聖なる真理がある。四つとは何か。曰く、苦という聖なる真理。苦の集起という聖な
る真理。苦の止滅という聖なる真理。苦の止滅に導く道という聖なる真理である。仏は、この経
を説きおわって、諸々の修行僧は仏の諸説を聞いて喜び奉じ行った」。

 釈迦は最初に何を説いたのか。十二因縁、中道、四諦、八正道など、いろいろ経典によって異
なるそうだ。歴史的には正確なところがよく分からないようだが、十二因縁、中道、四諦、八正
道など、何かこの辺の教えを説いたのだろう。仏教発足の非常に早い時期、仏弟子達は、十二因
縁・中道・四諦を仏教の原点として認識するようになっていった。

 考察する。十二因縁と四諦とは釈迦の悟りの裏と表である。裏と表を合わさったものが中道、
中道を実践する道が八正道、結局、十二因縁と中道と四諦と八正道とは釈迦の一つの悟りを立場
を変えて表明している。仏弟子達は釈迦からそのように教わったんだろうと僕は思う。

 十二因縁を語れば、裏には必ず四諦がある。四諦を語れば、裏には十二因縁がある。十二因縁
のない四諦は存在しない、四諦のない十二因縁は存在しない。四諦と十二因縁が合わされば中道
になる。中道は、八正道で具現する。八正道を実践するということは、四諦を実践することであ
る。四諦を実践することは、十二因縁の業を断つこと。涅槃を得ることである。

 十二因縁は悪因(無明)・悪果(生死)を教えている。悪因・悪果の裏には善因(道諦)善果
(滅諦)がある。悪因悪果・善因善果、因果の理法が正しく併存するところに中道が具現する。
中道はいかにして具現するのか。それは八正道による。正見・正思・正語・正業・正命・正精進
・正念・正定を実践せよ。これが涅槃の道である。ここで大事なことは、釈迦には方法論がある
ということだと僕は思う。

309 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/17(土) 12:44:48 ID:VdHHLuUW
 十二因縁とは分析論である。十二因縁は現状を分析している。多くの論者は分析で話が止まる。
釈迦は方法論を明らかにした。四諦と八正道は方法論である。四諦は、方法論の総論である。八
正道は具体論である。

 こう議論を進めてくると、十二因縁がいう無明の本質が見えてくる。色界には方法論がない。
夢のようなことを言うが、実現方法に具体性がない。それが色界だ。無色界には分析論がない。
行き当たりばったりの方法論はあるが、行き当たりばったりで何をしたいのかが分からない。分
析論が無い。釈迦は方法論(四諦)と分析論(十二因縁)をセットにした。釈迦は、分析論と方
法論とをセットにし、方法論を総論(四諦)と具体論(八正道)で説明している。
 無明とは何か。無明とは、分析論も方法論もない、欲の赴くまま(欲界)、分析論はあるが方
法論がない(色界)、方法論はあっても分析論がない(無色界)。無明とは、何がどうなってい
るのか分からない、何をどうしたらいいのかがわからないという状況である。何をどうしたらい
いのかがわからないから人は迷う。生死生死を繰り返す。分かったつもりでいても、実際には何
も分かっていない。

 十二因縁、中道、四諦、八正道が釈迦の悟りの全体である。仏教の原点である。中核である。
これ以外の教えは仏教ではない。親鸞の教えであっても、決してその例外ではない。浄土真宗と
は、まさに釈迦のこの悟りを中核としていることを決して忘れてはならない。
 もし、釈迦の悟りと親鸞の思想との間に相違があれば、それは時間というファクターが加わっ
ているだけである。釈迦の悟りは、紀元前四世紀ころのインドの思想である。親鸞は紀元十二世
紀の日本に誕生している。時間ファクターがどのように加わっていったかを議論する。

 悟りを開いた釈迦はその後何をしたか。それを考えていこう。

310 :神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 13:47:34 ID:nlh96azf

               / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              | 彼女ができたにょ〜
               \___  ______________
                     V
       ___  _                     / ̄ ̄ ̄ ̄\
      r'⌒';=〔X〕=:、     / ̄ ̄ ̄ ̄\     (((((^)))))))) .|
       川_ノ从仆从))   (  人____)     | =   \ミ|
       | |_」O  Oy     |ミ/  ー◎-◎-)     [¬]-[¬]一 6)    
       | .人ひ − ノ|    (6     (_ _) )     < 「、   >  |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
      `⌒ニ| 匸⌒'   _| ∴ ノ  3 ノ     .| (一)  ||| ./  <  等身大フィギュアじゃねーか。
        f´\〔X〕フ、  (__/\_____ノ       \___/\  \_________ 
       !__j_》、___,》_)  / (__))     ))      ((    ((\|/|⊃
       〔>ヽヽっ./ /〕 []_ |  |  渡海 難ヽ      .|机  |\/
        ム/i\_)_∧j |[] |  |______)     |龍之介|ノ
        /\i    i∧  \_(___)三三三[□]三)    .(三□三三)
     /:::/::`ー一ヘ::::ヽ  /(_)\:::::::::::::::::::::::/      |::::::|:::::::::::|
     く::/:::/:::l::::lヘ:::ゝ::::ゝ| Sofmap|::::::::/:::::::/       .|::::::|:::::::::::|
     `´^ト‐iー'i_´ー ^´ (_____);;;;;/;;;;;;;/        |;;;;;;|;;;;;;;;;;|
        f`f⌒if⌒i      (___|)_|)        (|__(|__)
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

311 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 15:03:16 ID:JuAqXImw
>北宗禅 は武闘派、南宗禅は農耕派なんじゃないかというイメージを僕は持っている。
>見当違いかもしれないけどね。

なるほど、なかなか示唆に富んでいる書込みですね。
例えば、
剣術などを習うと、ごく自然に精神世界に関心が向くようになる。
剣の勝敗というのは殆ど一発で勝敗が決しますから、
当然の如く精神修養に関心が向くんでしょうね。

鹿島流などは、相手の切り込むその刹那に・・・相手のコテに剣を入れるのを得意とする。
コテを入れた時点で相手は戦意を消失しますから、それで殆ど勝敗は決まる。
まあ、重い剣をいつまでも振り回す訳にいかんから、
この奥義は長年、秘儀として伝えられたもんでしょう。
                    (つづく)          

312 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 15:04:00 ID:JuAqXImw
相手に先手を打って切り込むには、恐怖心があっては出来ませんから、
先ず平常心をもつ。
そこから精神を集中させる。そして相手の動向を即座に観察する。
これだと本来無一物の南禅では無理ですね。

南禅の象徴的な人物というのは場祖かとおもいますね。
馬祖の風貌というのは、今でいうホームレス的なものっだったでしょうから、
これは農耕的な・・・どこにでも居るオッちゃんタイプですね。
南禅だと、こういうタイプに憧れる。
法燈国師とか盤珪はルンペンになってますから。

誰でもこういうのは一度はやってみたいんでしょうね。
坊主と乞食は一度やったら辞められない。
ともいう。

私もそういう時期がありましたw
獅子文六の「自由学校」を読んでから・・・
まあ、リアルではシビアなんでしょうけどw

313 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 15:20:25 ID:JuAqXImw
鹿島流で有名なのが塚原卜伝ですね。
武蔵の剣を鍋蓋でかわしたのが有名。
これはたぶん、相手の気配を即座に読みとるんでしょう?

蛇足ですが、
全盲の方は、気配を強く感じる人と・・・そうでない人がいるらしい。

これも私には分からんですね。
全盲ではないから。
だけど考えさせる命題です。


314 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/18(日) 10:59:28 ID:CJPNumqT
×  場祖>>312
○  馬祖

>善導禅師→法照禅師→円仁大師→親鸞という流れがあります。

なるほど、そうでしたか。
念仏と禅の双修というのは、現在でも中国にあるらしいですね。
日本では黄檗宗などでせうか?

私は中国禅の開花期というのは、慧能→南岳→馬祖あたりが頂点を極めた時代かと思ってます。
それ以降も勿論この流れはありましたが・・・次第に形骸化されていった。
日本においては、これより更に日本ナイズされた禅文化を形成していったのかと思います。

南禅と特徴というのは、いわゆる南岳の「瓦を磨いても鏡にならない」。
かとおもいますね。
これは禅定の否定であります。否定というか・・・
テーゼにおけるアンチテーゼにおいてのテーゼですね。
弁証法的には「正反合」になりますが、
ここに北禅とは一線をなす、慧能から引き継いでいた脈絡はあったわけです。
(北禅は、鏡をよく払拭せよ。ですから)

禅が日本に入ってきますと、勤勉な日本人にはどうも南禅は合わない。
勤勉・努力の日本人は、鏡を払拭せにゃ〜気がすまん。
という流れになってきます。
禅定は禅堂の必須ですから。
つまり、北禅にうまくナイズされた日本禅が育ってきたことと思います。
(中国禅(南禅)とは随分違うものになってる)




315 :神も仏も名無しさん:2007/11/18(日) 12:33:13 ID:VU2cWJQN
          机龍之介
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
  /;;;:::::::::::::::\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ             . 川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
 /::::  /::::::::::::    |::::|                川川::::::::ー◎-◎-)
(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ先生ぇ〜
 \::::: \:::::::   (::: |    ,.:':'゙'゙'゙:゙'゙':';.,      川川;;;::∴ ノ  3  ノ
 /:::\::::: \:::    ヽ|  r゙ ,.: :;;;:: : : : :;          \_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
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  \::::::::::::   ) )   i      : : ::::::::::: : : ::::::: :         |
    )::::::   / /   |      ,.;イ-- .,           ,... -' i
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              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

316 :神も仏も名無しさん:2007/11/18(日) 12:34:14 ID:VU2cWJQN
          渡海 難
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
  /;;;:::::::::::::::\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ             . 川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
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|:::      \::   ̄ ̄⊇) ,i    ::::::::::::::::::::::::::::::: ::: :ヾ        i
|:::::::      \;;;;;;;;;;;(_r'     ::::::::::::::::: : : :::::: :::::  ::::. .      / ←机龍之介
\::::::::::   ミ(;;; );; ) |      :::::::::: : : : : ::: ::  ::         イ
  \::::::::::::   ) )   i      : : ::::::::::: : : ::::::: :         |
    )::::::   / /   |      ,.;イ-- .,           ,... -' i
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              |:: | ヽ '-.,         ヽ 〈    ヽ ヽ.,
              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

317 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/23(金) 10:25:19 ID:9SypLsBm
>念仏と禅の双修というのは、現在でも中国にあるらしいですね。日本では黄檗宗などでせうか?

 親鸞は「一心に弥陀の名号を専念」すると言っており、禅と念仏とを双修せよとは、一言も言
ってない。念仏者は念仏に集中する。
 美術館に行ったら絵画が額に嵌め込んであった。館長さんに「お宅の美術館は額と絵画の双方
展示場なんですね。こういう美術館は、確かに中国にもありますよね」と言えば、これは失礼な
話ではないか。中国に限らず、額を嵌めている美術館などは世界中にあるだろう。額を使わない
美術館の方が珍しい。

 習字教室に出かけたら、子供達がみな正座して字を書いていた。「ここの教室は、正座と習字
の双修教室なんですね。双修と言えば、これは黄檗宗の影響でしょうか」と言えば、聞いた相手
はビックリするだろう。
 習字教室の先生は黄檗宗など聞いたこともない。正座をしていても、正座をしているわけでな
い。あくまで習字をしているのだ。先生は子供達に、「さあ、正座して字を書きましょう」と言
うが、「正座をしよう」と言っているわけではない。ちゃんとした字を書こうと言っているのだ。
 別に難しい理屈ではないと思う。

318 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/23(金) 10:27:56 ID:9SypLsBm
 釈迦は分析論と方法論とを示した。釈迦のすごさは、単に分析論と方法論とを示したことだけ
ではない。釈迦にとって分析論と方法論とを示すと言うことは、それを実践すると言うことだっ
た。苦の止滅という目標に向かい、苦の止滅の道を実践する。釈迦は、戒定慧という三学を提示
し、互いに教え合おう、学び合おうと呼びかけた。
 祇園精舎という学校を建設した。釈迦の下には多くの若者が参集した。彼らは、釈迦が提示し
たルールつまり戒律を守ることを誓うと、弟子入りが許された。有形の真理は、言葉(文字)、
絵画・彫刻・建築物などの形で示され、それを学んだ。有形の真理を知恵という。無形の真理は、
直接それを提示できないことから、それを体得する方法論が示された。禅定という。釈迦は、そ
れまで王宮が独占していた最先端知識を、惜しげもなく多くの人々に公開した。これは画期的な
ことだった。
 それまで、九九が分からず、いつも釣り銭を間違え、顧客から文句を言われていた商人には九
九を教え、釣り銭勘定を間違えないようにしてやった。これによって、商人は永続的に商売がで
きるようになった。種まきの時期を間違えていつも失敗をしていた農民には、星の運行、太陽の
位置に基づく暦を教え、季節の循環と種まきの時期を教え、正しい農業をできるようにしてやっ
た。釈迦は、分析論・方法論・実践論を下に教育手法を合理的に組織化し、算術・暦・薬学・文
字・測量などを人々に智慧として教え、さらに禅定を実践させ、優れた多くの人材を育ってた。
まさにこれが、生老病死という苦を止滅するという目標に向かい、苦の止滅の道を実践するとい
うことだった。釈迦の悟りの中身そのものだった。
 これはまさに、浄土真宗の原点である。

319 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/23(金) 10:30:22 ID:9SypLsBm
>318
誤 戒定慧という三学
正 戒定慧という三学(実践論)


320 :紅炉上一点の雪:2007/11/23(金) 22:51:11 ID:pge70CD1
阿弥陀仏とはデウスなりや?

321 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/25(日) 21:48:51 ID:y5sfJwbQ
 2月3日第一日曜日、東京新宿で新年会を考えています。
 集合場所、東京・新宿駅
 近くで飲み会をしませんか。
夕方5時ころ集合、その後近くの店で新年会

 12月、1月は店は予約で一杯だと思うから、予約なしの飛び込みで席が
取れそうな2月を選びました。

 これはネタじゃないよ。煽りでもない。ただ、予定だから変更はある。細部は未定。
 何か意見・提案のある方は、この掲示板でもいい。メールでもいい。送って貰えるとありがたい。

 集合してくれる人は4,5人だと思っていますが、100人、200人も来るとなると
こちらも考えないといけない。
 集合者がゼロなら中止。
 なお、参加名は愛称・匿名OKとしたいと考えています。

  tkatasi@mail.goo.ne.jp


322 :神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 08:23:14 ID:KQ4lA87c
↑?

323 :神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 11:54:00 ID:60oBcP54
スレタイと内容が違うやん!
親鸞と違うやん。


324 :神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 12:35:22 ID:5vWprmEy
>>322-323

ここは世間では誰からも相手にされないキモヲタ親父の妄想オナニースレなのでageないでください。

325 :神も仏も名無しさん:2007/12/02(日) 12:18:58 ID:k4g4YpJQ
京都の常楽台で親鸞聖人の骨が出てきたので、檀家から10万円の割り当てが来ていますがみなさん払いましたか?

326 :神も仏も名無しさん:2007/12/02(日) 12:20:45 ID:ukFzvLs+
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm

キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.opoka.net.pl/jiai/jiai02.htm

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

病を持ちながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

アレッサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.salesio.jp/web/sdb_saints/biography/alessandrina.htm
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html

カトリック書店一覧
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
カトリック教会マップ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm

327 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/03(月) 20:22:00 ID:+hFSfBnq
 釈迦の下からは多くの賢人・哲人達が育っていった。やがて、その中からある種の疑問を持つ
者が出現してきた。自分たちは、教わるだけでいいのだろうか。自分たちが認識していれば、そ
れで十分なんだろうか。認識したことは、より多くの人々に拡散していくことこそ、人として実
は最も重要なことではないのか。自分たちが認識したことを、他の人々に幅広く伝えていくこと
こそ、あの釈尊先生の本当の精神ではなかったか。

 釈尊先生は生涯を教育に捧げられた。自分たちも、あの釈尊先生のそんな生き方に倣おうじゃ
ないか。釈尊先生は我々に大事なことを教えてくれた。我々も自分たちが認識したことを、後の
世に伝えていこうじゃないか。自分たちが知り得たことを、多くの人々と共に共鳴的・共感的に
その共通の財産として享受し合おうじゃないか。自分たちが分かっただけではなく、多くの人々
と共に共感的に享受し合えるようになったとき、始めて我々は正しい認識を得たと、そのように
受け止めることにしようじゃないか。大乗仏教は、このように考える人々から発生してきた。
 アフガニスタン・パキスタン・カザフスタンなど、現代ではイスラム圏となり、激しい戦火を
交えている地域で、仏教者達は始めて「教育学」に目覚めた。彼らは、学習と教育に最高の価値
を認める考え方を大乗仏教とよび、それいがいの仏教を小乗仏教と呼んだ。大乗仏教は、学習と
教育に最高の価値を認める教育学をその本質とする。

328 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/03(月) 20:22:52 ID:+hFSfBnq
 大乗仏教の祖師達が教育学の重要性に目覚める前、教育というものがはかったということでは
ない。教育はそれ以前にもあった。しかし、教育というものを、他から独立した行為として認識
に、そこに隔絶的絶対的圧倒的な最高の価値観を認めるということは、この大乗仏教から始まる。
 自らが孤高の道を究めて行き、そこに入門者が門を叩いてくれば入門を認めるが、自らが積極
的に弟子達を求めていくと言うことは、恐らく釈迦以後は大乗仏教の発生までしばらく無かった
ことだったろう。

 かつては日本でも、大工も左官も料理も、後継者達は徒弟制度の中で先輩の技術を盗んで学ん
でいった。こうした職業を専門に教える学校ができたのは、戦後であり、すくなくとも明治以前
にまでは遡らない。教育というものはあくまで従属的なものであり、付属的な行為と考えられて
いた。そうした現実を考えれば、大乗仏教の祖師達が、西暦紀元前後、教育という活動に絶対的
圧倒的な最高の価値を認めたということは驚異的な事だろう。大乗仏典とは、人類最古の教育学
の書と言って間違いない。

 教育・学習こそ、人間にとってもっとも崇高で、絶対的価値を有する行為である。浄土真宗と
は、まさにこうした価値観を核心部に持った大乗仏教を母胎にしていることを忘れてはならない。

329 :神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 23:15:55 ID:PxGIirZb
輪廻とは何でしょうかね ?
一般には、人間にはそれぞれ「自我」だの「霊魂」だのと呼ばれる肉体の死後も残る永遠不滅の
実体があって、それが六道等と呼ばれる様々な世界に生まれ変わっているというのが輪廻転生と
いう考え方であり、浄土教とは念仏を唱えればその六道の輪廻を断ち切って「極楽浄土」と呼ば
れる天国のような所に転生できるという教えであるという認識だと思うのですが。

だが例えば>>278のレスを読む限りでは個々人にそれぞれ輪廻転生する主体たる不滅の実体があ
るという認識とは思えない。
また>>97他のレスを読む限りでは極楽浄土や六道という世界も死後にその人間の実体が転生する
客観的実在世界などではなく、生きている人間の心が彷徨する主観的世界であるという考え方と
読み取れますが、そういう認識でよろしいのでしょうか。

330 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/09(日) 00:54:16 ID:B3n9kAmR
> 329
> 輪廻とは何でしょうかね ?

> 278で「これを輪廻という」という言葉を書きました。今はこれ以上最適な表現はないと思っ
ています。この説明で御理解いただけないなら、これ以上の説明は私には重すぎます。
 人は時に天になり、阿修羅となり、地獄・餓鬼・畜生にもなる。これを輪廻という。私はその
ような説明をしております。念仏はこの輪廻を分断します。

> だが例えば>>278のレスを読む限りでは個々人にそれぞれ輪廻転生する主体たる不滅の実体が
あるという認識とは思えない。

 何か不滅の主体があるかどうか、それは私には分かりません。しかし、浄土教の輪廻論は、不
滅の主体があれば肯定され、不滅の主体がなければ否定されたり、逆に、不滅の主体があれば否
定され、不滅の主体がなければ肯定されるというような、不滅の主体の客観的存否で左右される
ようなものではないと思っています。

>生きている人間の心が彷徨する主観的世界であるという考え方と読み取れますが、そういう認
識でよろしいのでしょうか。

 主観的世界と思いますが、「人間の心が彷徨する」という言い方に引っ掛かるものを感じます。

 歌謡界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。政界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。文
壇界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。

 これらは、そこに所属する人々にとっては紛れもなく厳然として存在する世界でしょう。その
中で彷徨する人もいますが、不動の地位を確保している人もいます。極楽とは、仏道者にとって
のそのような世界だと思っています。

331 :神も仏も名無しさん:2007/12/09(日) 01:48:24 ID:uC6mJV6P
>>渡海氏
すごい勉強量ですね。独学のみであれば尊敬に値しますよ。
しかし、同じく親鸞の教えを学ぶものとして、了解に何か違和感を覚えます。

そこで今後の勉強の為に質問させてください。
どのような本によって勉強したのでしょうか?
あと、『教行信証講義集成』か山辺習学・赤沼智善の『教行信証講義』は読んだことありますか?

332 :南無大師遍照金剛:2007/12/09(日) 02:09:23 ID:/hJQHw/S
>>331
ヽ(´∇`)ノないにょん♪
つか
嵐に北にょん♪

333 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/09(日) 10:57:48 ID:B3n9kAmR
>>331
>すごい勉強量ですね。
 気に入った考え方があったら盗んでいってください。ただ、余所で公表する場合、インターネ
ット2ちゃんねるで渡海が主張していたと、出所だけは明らかにして欲しいと思います。できる
だけ、URLと月・日・時刻も表示してほしいものです。情報源に対する礼儀だと思います。僕は、
大量の書き込みをしていますが、著作権を放棄しているつもりはありません。

>独学のみであれば尊敬に値しますよ。
 独学とは言いません。しかし、思想はほとんどオリジナルです。
 念仏を称えるということは、人から教わりました。どう称えるかは、親鸞聖人から直接教わり
ました。

>了解に何か違和感を覚えます。
 どんな出会いでも、もし違和感がなければおそらくそこには嘘があるでしょう。
 貴方が違和感を覚える思想に始めて出会ったということなら、これまで貴方は全て自分を偽る
嘘の道を歩んできたということかも知れません。
 始めて違和感を持ったというなら、2ちゃんねるの渡海難とは始めて真の出会い方をしたとい
うことかもしれません。

>どのような本によって勉強したのでしょうか?
 2ちゃんねるだけでも渡海難は膨大な量の書き込みをしています。その中で、ほとんど出典を明
らかにしています。出典範囲は比較的限られています。

>山辺習学・赤沼智善の『教行信証講義』は読んだことありますか?
 僕の教行信証論は、『教行信証講義』批判を原点としている部分があります。教行信証論で、
ある考えを「通説」という指定の仕方で表示し、それを批判する批判説を渡海説として提示して
いる場合があります。その場合の通説とは、ほとんど『教行信証講義』を指しています。

334 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/09(日) 11:03:19 ID:B3n9kAmR
>332
 まあ、嵐はどっちでもいいけど、それより飲みにきませんか。
 東京からは遠方に当たる所にお住まいですか。
 >>321に新年会の予定を書きました。都合がつけば、
いらっしゃいませんか。掲示板ではできない接触もできそうです。


335 : ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/12/09(日) 11:26:30 ID:K8OUMTff
   /::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
  /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
  |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン
  |;;;;;;;;;;ノ    − −ヽ〜
  |::( 6  ー─◎─◎ )〜 
  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)〜   
  |   < ∵∵   3 ∵>   
  \        ⌒ ノ_____
    \_____/ |  | ̄ ̄\ \
___/      \   |  |    | ̄ ̄| カタカタ カタカタ
|:::::::/  \___ | \|  |    |__|
|:::::::| \____|つ⊂|__|__/ /
|:::::/        | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕

336 :南無大師遍照金剛:2007/12/10(月) 00:14:17 ID:pFpMQbqd
>>334
(ノ_<。)刺されそうで怖いぉ…

337 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/10(月) 00:54:36 ID:m2P6FGyG
>336
 どうぞご自由にご判断下さい。

338 :神も仏も名無しさん:2007/12/10(月) 02:43:30 ID:nVQJ7hpL
          す  オ    意
         る   ロ  な  味
         わ   オ   く  も
        は   ロ
        /
   c                ,. -─-、
   c /´ ̄ ̄`丶、     /   r、lゝ、ヽ、っ
    けレ^ヽイゝ、  ト、  // ノ^′─┴t,ゝ っ
    A-─  ‐-、 Y l l  /#! k' /  _  l |   __l__
_,l__   レヽ T'j u メ./#j 〈##〈 ヘ u 〈_`j ,ハ   /|
/|    ⊂ニ`ー--‐ム'-'′ ` ̄V ゝ‐-=-‐'´スヽ   ┌┐
┌┐ ヾ(ン'⊂ニ , ヽ、  〜⊂ニ、  マ  ニ⊃))  └┘
└┘    ヾ(ンヽマ __ゝ  − どイ マ‘マ_」
          `´Uヽ)   〜  `(フ ̄U



339 :神も仏も名無しさん:2007/12/10(月) 13:41:57 ID:kwwPEnTz
:::::::::::/           ヽ::::::::::::
:::::::::::|  キ  じ  き  i::::::::::::
:::::::::::.ゝ モ   つ   み  ノ:::::::::::
:::::::::::/  イ  に  は イ:::::::::::::
:::::  |  な。       ゙i  ::::::
   \_         ,,-'
――--、..,ヽ__  _,,-''
:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ
:::::_|/ 。|。ヽ|-i、  ..    / ̄ ̄ ̄ ̄ 
/. ` ' ● ' ニ 、    (____人  
ニ __l___ノ    (-◎-◎一    
/ ̄ _  | i     ( (_ _)
|( ̄`'  )/ / ,..    ( ε   (∴
`ー---―' / '(__ )   ヽ____
====( i)==::::/      ,/ニ渡海 難
:/     ヽ:::i       /;;;;;;;;;;;;;;;;

340 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/11(火) 09:57:18 ID:axDpLY39
 大乗仏教は、西暦1世紀前後に中央アジアで発生する。釈迦が生存していた時代は、諸説ある
が、恐らく西暦紀元前4,5世紀だろうと思う。大乗仏教の思想というのは、その間、ゆっくり
と時間をかけて熟成してきた。
 釈迦が北インドに創建した祇園精舎は、それ自体が大きくなると同時に、各地に分校が広がっ
ていった。大乗仏教とは、中央アジアに拡大していったそのような分校集団の中で発生していっ
た極めて進歩的な思想である。彼らは大量の経典を排出した。その中の一つに「極楽の美しいあ
りさま」という経典がある。中国語には「大無量寿経」という名で翻訳された。
 仏教の経典は全て阿難尊者が著したということが、仏教上の約束になっている。当然、「極楽
の美しいありさま」も阿難尊者が書いたということになっている。阿難尊者とは、釈迦教団の第
三代の最高指導者である。彼は釈迦の直弟子の一人であり、釈迦とは三十歳程度年齢が離れてい
た最も若い弟子の一人だった。釈迦晩年の25年間は常に釈迦の最も近くにあっという。釈迦の
直弟子であれば、やはり紀元前4,5世紀の人だろう。非常に長生きをされ、非常に長期間釈迦
教団を指導したそうだが、大乗経典の発生は、阿難の死後、さらに数百年後のことである。阿難
尊者が著したというのはあくまで仏教教団の約束上の話であり、当然、実際の著者は他にいると
言わざるを得ない。


341 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/11(火) 09:57:56 ID:axDpLY39
 西暦紀元一世紀頃になると、中央アジアから南インドにかけ、インド各地には、粗密の程度は
あっても、地理的に多数の分派教団が散在していたと思われる。その頂点には祇園精舎があった
が、中央の統制は緩やかで、むしろ地理的に近在する分派教団同士は類似の考えで相互に緩やか
にまとまり、緩やかな連合体を形成していたと思われる。
 経典類は、そのような分派教団の構成員が独立的に提案し、全体の合議の下で共通テキストと
して必要に応じて承認していったものではないだろうか。「極楽の美しいありさま」もそのよう
にして分派教団の緩やかな連合体の中で、一構成員から提案され、全体の公式の承認を受けた経
典なのだろう。承認を受けた経典は、阿難尊者の著作という評価を受け、承認した分派教団全体
に配布されていった。承認を受けられなかった経典は、ニセモノという評価をされ、連合体から
排除されていった。
「極楽の美しいありさま」とは、人々に学校の建設を勧めるテキストである。分校を建設せよ。
分校を建設して近在の人々に学問を教えよ。学校はどのような価値観をもって運用していくのか。
大無量寿経は、祇園精舎建設の精神をベースとして、学校というものあり方を説明する人類最古
の教育論である。

342 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/12/11(火) 11:05:44 ID:tF5og+qw
                 _./ ̄ ̄ ̄ ̄\
                /(  人____)
              / .|ミ/   ◎ ◎ )
             ,/  (6     (_ _) )\
             `、  `,| ∴  ノ  3 ノ‐'`ノ モワ〜
     キタ━━━━━ \ ヽ,._____ノ ノ━━━━━━!!!!
                 豸.  ``Y"   拜."..::.::.::.::.::・・'゚。.・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.:
               ;": :: i. 、   ¥   ノ       ・'゚。.:・・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.・:(;´Д`)オエーッ
            ; .;: :∴:(. ` -‐´;`ー )         ・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・・'゚。.::。.::・''・'゚。.::。.::
        . ': .;".;":  (   彡   ミ )  モワ〜
      : .;"∵;": ::″: ;  ゝ     '´ ̄"`ヽ
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343 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/15(土) 10:29:30 ID:+ddnqU9x
 学校教育の原点は何か。大乗仏教の先人達は、これを祇園精舎を建設した釈迦に学んだ。漢文
大無量寿経の阿弥陀仏は、学校運営の基本原理を四八箇条に列挙している。梵文は四九箇条(異
本では四七箇条)である。内容に多少の異同はあるが、根本原理である第一条はほとんど共通し
ている。

 第一条 世尊(世自在王仏)よ、もしもかの私の仏国土(極楽浄土)に、地獄に堕ちる者や、
動物界に生まれる者や、餓鬼の境地に陥る者や、阿修羅の種類となるものがあるようであったら、
その間は私はこの上ない正しい悟りを現に悟ることがありませんように〈岩波梵文大無量寿経〉。
 学校を建てるということ。それは建築会社が建物を物理的に組み立てることではない。地獄界
・餓鬼界・畜生界・阿修羅界に転落していく者がなくなりますように。学校建設とは、この祈り
の実現に他ならない。
 畜生の心で畜生の行為を実行する者を畜生と言う。餓鬼の心で餓鬼の行為をする者を餓鬼とい
う。人は無明を原因として地獄界から天界を巡る。六道を巡る。その中でもっとも悲惨なのが。
地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界である。そこには知恵がない。漢文大無量寿経では阿修羅界
が削除してある。この問題は、今ここでは議論しない。地獄界・餓鬼界・畜生界は、知恵をもた
らせば霧散霧消する。学校教育の目的とはそのようにして、知恵のない世界に知恵をもたらせ、
三悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界)又は四悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界)を無くす
ことなのだ。西暦紀元一世紀ころの中央アジアの先人達は、釈迦の姿勢の中から教育というもの
の基本的原理をそのように認識し、それを次の時代の教育者を目指す学生に提示した。

344 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/15(土) 10:30:07 ID:+ddnqU9x
  第三条 世尊よ、もしもかの私の仏国土に、生まれた生ける者どものが、悉く一色、すなわ
ち金色でないようであったら、その間は私は、この上ない正しい覚りを現に悟ることがありませ
んように〈岩波梵文大無量寿経〉。

 人々は正しい認識を持つようになると全身がまぶしく輝いてくる。祇園精舎の生徒達はみなま
ぶしく輝いていた。生徒を輝くように導け。大乗仏教の先人達は、次の時代の教育者を目指す学
生に、教育の目標をそのように示した。

 第四条 世尊よ、かの私の仏国土において、ただ世俗の言いならわしで天人とか人間とか呼ん
で仮に表示するのを除いて、もしも、天人たちと人間たちとを区別することがあるならば、その
間は私は、この上ない正しい覚りを現に悟ることがありませんように〈岩波梵文大無量寿経〉。

 学校には多数の生徒が集合してくる。そこには、覚えの速い子も遅い子もいる。この子は秀才、
この子は劣等というそういう表示は、あくまで通俗的に必要な場合に限るのであり、それ以外の
ときに差別を設けてはいけない。大乗仏教の先人達は、次の時代の教育者を目指す学生に、教育
の理念をそのように示した。

345 :南無大師遍照金剛:2007/12/17(月) 09:27:37 ID:r3GEfC1Z
知識→使う→知恵
@良い知恵(世の中の為)
A悪い知恵(利己的な目的、騙す)

(°∀°)

346 :南無大師遍照金剛:2007/12/17(月) 17:35:10 ID:r3GEfC1Z
知恵も猿知恵だと無明へと…(ノ_<。)


347 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/19(水) 10:08:04 ID:3v7jN1t7
 大無量寿経は浄土教系の経典である。浄土教系仏教では、阿弥陀仏が登場し、極楽浄土が説かれ
る。阿弥陀仏とは何か。極楽浄土とは何か。これを考えよう。

 釈迦から様々なことがらを教わった仏弟子達にとって、釈迦はどんな存在だったのか。釈迦は、
苦しみや悲しさを克服してくれる医師だった。未来に希望を与えてくれる教師だった。新たな価値、
あるいは必要資財の生産をもたらす生産者だった。人々に安らぎを与える休息所であった。釈迦は
仏弟子達にとってこの四つの全てを満たす総体だったと考えられる。
 太陽は、東から上り西に沈む。古代インドには時計がなかった。人々は時間を太陽の位置で知っ
た。時は東から西に進む。東を過去、西は未来を象徴する。太陽が南にあるとき、人々は生産活動
を行う。北にあるとき、太陽は地球の陰に隠れ、人々は休息する。南は生産、北は休息を象徴する。
 過去・未来・生産・休息、この四つは常に政治社会における基本的な重要な主張である。過去を
忘れるな、過去を鏡とせよ、戦前の我が国の侵略に苦しんだアジア諸国は、しばしば過去の剣をも
って現代の我が国に様々な要求を突きつける。
 過去に縛られてばかりではいけない。未来志向でなければならない。過去を振り切って新たな人
生を歩まなければならない。肉親を亡くして苦しんでいる者は、しばしば未来の刃をもって過去と
の決別を迫られる。過去を重んじる勢力と、未来を重視する勢力とは激しい衝突を起こす。
 過去も未来も大事かも知れないが、今大事なことは生産することだ。働くことだ。活動すること
だ。これが最も大事なことだ。目下の生産を重視する勢力は、過去派、あるいは未来派と意見が衝
突する。あるいは、過去派と連合することもある。過去派との連合は未来派と衝突する。未来派と
連合すれば過去派と衝突する。
 生産派が強い主張をすれば、休息派が反対する。我々は今、疲れ切っている。少し休もうじゃな
いか。休息派の意見は生産派と衝突する。

348 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/19(水) 10:08:55 ID:3v7jN1t7
 政治は、過去・未来・生産・休息、この四つの勢力の均衡を保つことを忘れてはならない。梵天
の支配を受ける帝釈天は、東方(過去派)の反乱に持国天、西方(未来派)の反乱に広目天、南方
(生産派)の反乱に増長天、北方(休息派)の反乱に多聞天を配して全世界の安定を図る。
 バラモン教のこのような影響を受け、釈迦の弟子達は釈迦の人格を四つに分けた。それぞれ独立
した意思と行動の存在を認識し、独立した仏を創造した。東に阿しゅく仏、西に阿弥陀仏、南に宝
生如来、北に不空成就仏を配した。
 阿しゅく仏とは何か。反対説もあるようだが、薬師如来であると考えると話がとおりやすい。薬
師如来は医師である。医者は、病気の真因を過去に求める。医者が求める真理は過去にある。医師
を象徴する薬師如来は東方の瑠璃浄土で説法をしている。宝生如来は実業家である。宝生如来は社
会に富をもたらす。生産は社会の基礎である。阿弥陀仏は教師である。教師は、人々に未来に向か
えと教える。教育は、人々の未来を信じて活動する。教師阿弥陀仏は、西方で極楽浄土という学校
を開いている。不空成就仏は涅槃に入った釈迦である。釈迦は、八十年の全生涯をもって、自らが
なすべき一切の活動を余すことなく完璧に成し遂げ(無余涅槃)、今は安らぎの世界にいる。東西
南北の中心には太陽を象徴する大日如来を据える。
 浄土教は、西方に配置した教師仏に対し、釈迦をモデルに理想の教師像を付与した。釈迦が祇園
精舎を建設して人々を教育指導したように、阿弥陀仏は極楽浄土を建設し、そこで人々を教育指導
している。極楽浄土は祇園精舎をモデルにしている。

 阿弥陀仏を自らの理想とし、阿弥陀仏を目標とし、自らが阿弥陀仏の化身となり、阿弥陀仏の理
想(法身)を実現せよ。極楽浄土を理想とし、釈迦が建設した祇園精舎の理念を中核とした学校を
建設せよ。各地に極楽浄土を建設せよ。祇園精舎の分校を作れ。パキスタン・アフガニスタン・タ
ジキスタンなど、中央アジアで活動したいた浄土教の先人達は、大無量寿経(極楽の美しいありさ
ま)という書を通じ、次の時代を担う若者にそのように指導している。

349 : ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/12/19(水) 11:16:16 ID:EVy62u4Y
      / ̄ ̄ ̄ ̄\ 
     (      /=\  )
      |;;;;;   ー◎-◎- )
      (6     (_ _)  )  
      |  ∴ ノ 3   ノ  
   /⌒\ ____ ノ、       
  /   ,           ヽ
 |   r 、_ ・ 人 ・ ,.y   i
 |   |    ̄    ̄  |  |
 |  \         ノ  ノ
  \  6    x    9  /
    しμゞ 、_;;;;;;;;;;;;_,ノ彡イ
     |    ;;;;(:υ:);;;    | 
    (      人      )

350 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/23(日) 11:54:34 ID:v+JIsc+f
再掲します。

 2月3日第一日曜日、東京新宿で新年会を考えています。
 集合場所、東京・新宿駅
 近くで飲み会をしませんか。
夕方5時ころ集合、その後近くの店で新年会

 12月、1月は店は予約で一杯だと思うから、予約なしの飛び込みで席が
取れそうな2月を選びました。

 これはネタじゃないよ。煽りでもない。ただ、予定だから変更はある。細部は未定。
 何か意見・提案のある方は、この掲示板でもいい。メールでもいい。送って貰えるとありがたい。

 集合してくれる人は4,5人だと思っていますが、100人、200人も来るとなると
こちらも考えないといけない。
 集合者がゼロなら中止。
 なお、参加名は愛称・匿名OKとしたいと考えています。

 詳細は後日

  tkatasi@mail.goo.ne.jp

351 :南無大師遍照金剛:2007/12/23(日) 22:19:50 ID:G2WVSQq7
(°∀°)つか今何人ょ♪

352 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/24(月) 08:49:43 ID:ZM1iCuvS
>351
 僕自身も加えて3人プラス1人、遍照金剛さんが加わると4人プラス1になる。
 プラス1人というのは、参加するかも知れない、参加できないかもしれないと
言っている人です。
 まあ、9人以下、多分5人くらいになると思っているんで、遍照金剛さんが加わっ
てくれると、人数的にはちょうどいい。

353 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/24(月) 10:47:20 ID:ZM1iCuvS
 学校を作ろう。「極楽の美しいありさま(大無量寿経)」は次の時代の学生にそう提案する。
学校を作るには何が必要か。外部から見たとき、そこが魅力あるところに映ることが必要だ。魅
力あるところでも、そこに入学しようとする人にはそれぞれ一人一人が様々な問題を抱えている。
それらの問題も解決しないと入学して貰えない。学校側として可能な範囲のことを行うことは必
要ではないか。「極楽の美しいありさま」は、学生達にそのような提案をしている。

 世尊よ、もしもわたくしが覚りを得た後、無量の諸仏国土における無量・無数の世尊・目ざめ
た人たちが、わたくしの称号を唱えたり、ほめ讃えたりせず、賞讃もせず、ほめことばを宣揚し
たり弘めたりもしないようであったら、その間はわたくしは、この上ない正しい覚りを現に覚る
ことがありませんように(岩波文庫 大無量寿経)。 

 岩波文庫の浄土三部経を読むと、本文では「わたしの名」と書いてある。注釈を見ると「称
号」と書いてある。称号の方が意味として適切だろうと思うので、ここでは注釈を優先して「称
号」と書いてみた。漢訳仏典では「名号」となっているが、「名号」よりは「称号」が適切だろ
う。

354 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/24(月) 10:47:47 ID:ZM1iCuvS
 ローケーシヴァラ・ラージャ如来よ。私ダルマカーラは誓います。小乗の覚りを得、小乗仏教
の段階を終了して人々に法を説く資格を得たなら、私は「幸いあるところ」という学校を建設し
ます。そこは、多くの人にとって魅力のある場所にしたいと思います。世界中の多くの賢人達か
ら認められ、多くの人がこぞって賞讃してくれるような場所にしたいと思います。それによって
私も、教育者、聖職者として多くの人から賞讃され、先生とよばれるようになろうと思います。
ほとんどの人が、あるいは一人からも賞讃を受けるようなこともなければ、その間は、たとえ小
乗の覚りを得た賢人であると言われたとしても、自分はまだ小乗に留まっていると考えようと思
います。私の理想はその上を求めます。正しい価値観を多くの人々と共有の財産として共感的に
享受するそんな大乗仏教の理想、認識を実現することを求めます。聖職者として大乗の覚りを求
めます。多くの賢人達から賞讃がない限り、自分はなお、小乗の覚りに留まっていると考えます。
大乗の覚りを得ることに成功していないと考えます。私はあくまでも教育者つまり大乗の覚りを
得ていこうと思います。
 ダルマカーラ(法蔵菩薩)はローケーシヴァラ・ラージャ(世自在王)如来にそのように誓う。
学校というものを運用しようと思えば、これは重要な理念ではないか。西暦紀元1世紀の中央ア
ジアでは、次の時代に教育者になろうとする者に、教育者としての理想の姿をこのように説いて
いる。

355 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/01(火) 21:17:18 ID:CdlWR+05
   謹 賀 新 年

 世尊よ、もしも私が覚りを得た後に、他の諸の世界の生ける者どもが、この上ない正しい覚り
を得たいという心をおこし、私の名を聞いて、きよく澄んだ心(信じる心)を以てわたくしを念
じていたとして、かれらの臨終の時節がやって来たときに、その心が散乱しないように、わたく
しが修行僧達に囲まれて尊敬され、その前に立つということがないようであったなら、その間は
わたくしは、この上ない正しい覚りを現に覚ることがありませんように(岩波文庫 大無量寿
経)。

 教師というものは学校に入りたいと思っている若者の情報を常に把握していなければならない。
本人からの申し出を単に待っているだけでなく、自分の方から絶えずそのような情報を探し回っ
ているべきである。入学希望者を囲む環境が大きく好転し、入学できるようになったら、多くの
人々からも尊敬を受けるような一人となってその人の元を直ちに訪問すべきである。もしそのよ
うなことがなければ、小乗の覚りに留まっているに過ぎない。大乗の覚りを得ることに成功して
いない。大乗の修行者は、あくまでも教育者つまり大乗の覚りを得ていこうとしなけれならない。
そのように考えているのだ。 

356 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/01(火) 21:17:50 ID:CdlWR+05
 世尊よ、もしも私が覚りを得た後に、無量・無数の仏国土におけるいける者どもが、わたくし
の名を聞き、その仏国土に生まれたいという心をおこし、いろいろな善の根が熟するようにした
として、そのかれらが(無間業を造った者どもと、正しい法を誹謗するという障碍をなした者ど
もとを除いて)、たとえ心を起こすことが十返に過ぎなかったとしても、その仏国土に生まれな
いようなことがあったら、その間はわたくしは、この上ない正しい覚りを現に覚ることがありま
せんように。

 学校に魅力を持ってくれて、是非入学したいと思ってくれる者は必ず入学させよう。これが大
乗の教育者達のポリシーだった。インドでは、この考えを巡って大きな対立が起きたようだ。仏
弟子とは何か。議論はその概念を巡る対立だった。仏弟子とはどこまでか。抽象的・精神的な弟
子を弟子と認めるか否か。論争に破れた人々は新天地に中国に渡った。その後、浄土教を継承し
たのは、インドで敗北して中国に渡った一派だった。その思想が唯一の浄土教として形を変えて
中国で発展し、やがて日本に伝わった。

357 :神も仏も名無しさん:2008/01/01(火) 22:52:51 ID:njEGQ/1W
  |\__/ハ__
 {_____」
       
         \\              ∧_∧
◎     ≫〃vミー‐w  へ          (´<_` ) 糞スレあげるな、氏ねやハゲ渡海
  \   彡_____彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
      {_親●鸞___| )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )
 ◎-○一( * *    ヽミ            |.      |
      ((_ _ (( ( ;;;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ.〉      | |
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ:: -=_二__ ̄ .   \_     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ        ̄\      / /
    (   ) 渡 ≡ ;;; )  )         .\__/_丿
     |__|. 海 ≡ ;;; )_l          .|  |
    _|  |  難 ≡ ;;;; ) (           |  |
   |  \.._\.      入 \,       |  |
   |ハルヒ(_る〜〜〜〜〜wv)       \ ヽ
   |___||:::::::::::::/::::::::::/               \ |
         .|;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;/             / ノ
         (___|)__|)     

358 :神も仏も名無しさん:2008/01/01(火) 23:11:29 ID:bnISR5vk
\(^O^)/あけましておめでとーー!!

359 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/09(水) 11:05:34 ID:/WP/2X1w
 多忙で、こちらをすこしさぼっています。
近いうちに書きます。

 ↓ ここでは少し油を売っています。
 【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1198478098/l50

360 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/10(木) 14:00:18 ID:yCL1wrqg
 世尊よ、もしもわたくしが覚りを得た後に、無量・無数の仏国土における生ける者どもが、わ
たくしの名を聞き、その仏国土に生まれたいという心を起こし、いろいろな善の根が熟するよう
にしたとして、そのかれらが、−−無間業を造った者どもと、正しい法を誹謗するという障碍を
なした者どもとを除いて、−−たとえ、心を起こすことが十返に過ぎなかったとしても、その仏
国土に生まれないようなことがあったら、その間はわたくしは、この上ない正しい覚りを現に覚
ることがありませんように。

 「極楽の美しいありさま(梵文大無量寿経)」は言う。
 ローケーシヴァラ・ラージャ如来よ。私ダルマカーラは誓います。小乗の覚りを得、小乗仏教
の段階を終了して人々に法を説く資格を得たなら、私は「幸いあるところ」という学校を建設し
ます。世界中の多くの人々が、私の噂を聞き、是非、あの「幸いあるところ」という学校に入学
したいというそんな思いを持って貰えるようにしたいと思います。間断のない苦しみを受けるよ
うな罪を冒したり、正しい法を誹謗するようなことをするような人を除き、「幸いあるところ」
という学校に入学しようと思ってくれるような人であれば、一人残らず必ず迎えたいと思います。
 入学を希望してくれた人が、自分なりに様々な手だてを尽くしたなら、必ず入学できるように
しようと思います。入学したいと思う気持ちが、わずか十回程度であったとしても、その人なり
に真剣に手だてを尽くしたなら、必ず入学できるようにさせたいと思います。私自身も、一人の
教育者として、そのような理想が実現するよう、社会に真剣に働きかけていくつもりです。

 入学希望者が、それでもなお入学できないようなことがあれば、入学できない内は、私は自分
がまだまだ未熟な教師であると考えます。たとえ小乗の覚りを得た賢人であると言われたとして
も、自分はまだ小乗に留まっていると考えようと思います。私の理想はその上を求めます。正し
い価値観を多くの人々と共有の財産として共感的に享受するそんな大乗仏教の理想、認識を
実現することを求めます。

361 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/10(木) 14:01:41 ID:yCL1wrqg
聖職者として大乗の覚りを求めます。わたくしの学校に、一人でも入学できなかったような人が
いれば、自分はなお、小乗の覚りに留まっていると考えます。大乗の覚りを得ることに成功して
いないと考えます。私はあくまでも教育者つまり大乗の覚りを得ていこうと思います。

 漢文大無量寿経における法蔵菩薩の誓願第十八条は、梵文大無量寿経におけるダルマカーラ
(法蔵)の誓願十九条に該当する。梵文大無量寿経の法蔵菩薩は、極楽浄土学校へ入学を希望す
る者は、原則として全て受け入れるという誓いを立てる。
 学問を教えてくれる所があるから、是非そこで真理を教わってきたい。人々がそう思っても、
西暦紀元前後であれば、なかなか環境がそれを許さないということがあったろう。現代の日本で
こそ義務教育の普及率はほとんど100%に近い。しかし、そうなったのは先人の大変な苦労があ
ったためである。
 開発途上国などになると、現代でも自体は悲惨である。学齢に達しても、なかなか学校に行け
ない。現代から二千年も昔であれば、学校があってもなかなか学校に行けないという人はいくら
でもいただろう。学校に入学しようと思えば、本人が様々に努力しなければならない。努力して
も努力しても、環境が改善しなければ、やがてその入学も諦めなければならなくなる。多くの人
々が、学校に行きたいと思っては挫折し、思っては挫折したことだろう。
 入学したいという気持ちで、様々に十回も挑戦をしたような人々は、真っ先に何とか手だてを
尽くして入学できる環境にしてやらなければならない。入学希望者の環境に働きかけることは、
学校運営者の大きな責任である。それを怠るようでは、真の教育者とは言えない。梵文大無量寿
経は、法蔵菩薩の口を借り、将来の教育者を目指す若者に、教育の本質をそのように説いている
のである。

 古代インドで教育を巡ってある論争が起きる。「いろいろな善の根が熟する」とはどういうこ
とか。精神的潜在的な生徒という存在を認めるのか、認めないのか。ここが論点になる

362 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/17(木) 00:29:16 ID:CURxQ91C
 全国には入学志望校の合格を目指して頑張っている受験生は多い。東大、京大、早稲田、慶応
などの名門大学となると、受験生の数は夥しい数になるだろう。合格を目指して頑張っている受
験生は、志望校の学生であるか否か。まあ、こんな質問を発すれば、現代では馬鹿にされるだろ
う。受験生というのは、高校生又は浪人生である。彼らは大学生ではない。大学生ではないから
受験するのであり、その受験に合格したいから努力をしているのである。大学生になるのは、合
格した年の四月からである。この考えの立場は、潜在的な生徒というものの存在を認めない考え
方である。

 これに対し、浄土教では潜在的な生徒というものの存在を認める立場に立ってきた。自分の学
校に入学しようと必死になって頑張っている学生は、既にそれだけで自分たちに学校の生徒であ
る。顔を合わせなくとも、既に精神的には心ではつながっているのだ。教師は、自らの認識を伝
えようと思っている。生徒の方は先生からその認識を受けたいと思っている。そうであれば、既
にその時点で共通の価値観に立って師弟関係が成立するではないか。入学しようと必死になって
頑張っている学生は、既に入学した生徒と差別してはならない。入学している生徒に対して砕く
のと同じように、入学を希望している生徒にも教師は心を砕こうじゃないか。大乗仏教の先人達
は、次の時代の教育界を支える若者に、教育の原理をそのように教えた。この考え方は、特にイ
ンドから中国にもたらされ、中国で大きく発展していく。

 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんとうて、乃至十念せん。
もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。

363 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/17(木) 00:29:51 ID:CURxQ91C
 漢訳大無量寿経では、法蔵菩薩は世自在王如来に対し、このように誓う。ローケーシヴァラ・
ラージャ如来(世自在王如来)よ。私ダルマカーラ(法蔵菩薩)は誓います。小乗の覚りを得、
小乗仏教の段階を終了して人々に法を説く資格を得たなら、私は小乗の仏として、「幸いあると
ころ(極楽浄土)」という学校を建設します。そこは、多くの人にとって魅力のある場所にした
いと思います。多くの人々が、心からあの極楽浄土学校に是非入学したいと思って貰えるような
そんな学校を建設します。私は、生徒が真剣な心で「入学したい」という思いを持ってくれたら、
特別な場合を除き、「入学したい」というその思いだけで、その生徒は既に自分たちの学校の仲
間であると、そのように認識しようと思います。「入学したい」という思いを持っただけでは自
分たちの生徒ではないと、そのようにもし思ってしまうようなことがあれば、私はたとえ小乗の
覚りを得た賢人であると言われたとしても、自分はまだ小乗に留まっていると考えようと思いま
す。私は、正しい価値観を多くの人々と共有の財産として共感的に享受するそんな大乗仏教の理
想、大乗仏教の認識を実現することを求めます。私は聖職者として大乗の覚りを求めます。私は
あくまでも教育者つまり大乗の覚りを得ていこうと思います。
 原文では、至心信楽欲生我国という。阿弥陀仏の極楽学校に真剣な心をもって入学したいと思
うということである。そうすれば、その者は、もうそれだけで自分たちの極楽学校の生徒である、
自分たちと共通の価値観を共有してくれている仲間である、そのように認識しよう。そういう考
えを述べているのである。
 梵文大無量寿経とニュアンスが違っていることが分かるだろう。ここをもう少し考えてみる。

364 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/17(木) 20:03:29 ID:CURxQ91C
 2月3日第一日曜日、東京新宿で新年会を考えています。
 集合場所、東京・新宿駅
 近くで飲み会をしませんか。
夕方5時ころ集合、その後近くの店で新年会

 参加予定者はメールください。

 これはネタじゃない。煽りでもない。何か意見・提案のある方は、この掲
示板でもいい。メールでもいい。送って貰えるとありがたい。

 なお、参加者名は愛称・匿名OKとしたいと考えています。
 詳細はメールでお知らせしています。
  tkatasi@mail.goo.ne.jp

365 :神も仏も名無しさん:2008/01/21(月) 03:24:09 ID:d81GTRNv
2010年、親鸞会は崩壊して、漫画家太田寿さんも就職活動をすることに…

面接官「特技はネット工作とありますが?」
太田寿「はい。ネット工作です。」
面接官「ネット工作とは何のことですか?」
太田寿「いやがらせです。」
面接官「え、いやがらせ?」
太田寿「はい。いやがらせです。掲示板を荒らし、地獄行きのアンチに精神的ダメージを与えます。」
面接官「・・・で、そのネット工作は当社において働くうえで何のメリットがあるとお考えですか?」
太田寿「はい。本願寺の陰謀から真実を守れます。」
面接官「いや、当社に対して陰謀を持った輩はいません。それに掲示板荒らしは犯罪ですよね。」
太田寿「でも、ウィルコムだからアクセスの度にIDが変わるんで、ばれませんよ」
面接官「いや、ばれないとかそういう問題じゃなくてですね・・・」
太田寿「アンチの偽装メール事件とかでっちあげるんですよ。」
面接官「ふざけないでください。それに偽装メールって何ですか。だいたい・・・」
太田寿「うさぎの偽装メールです。IPアドレスもでっちあげました。IPアドレスというのは・・・」
面接官「聞いてません。帰って下さい。」
太田寿「あれあれ?怒らせていいんですか?やりますよ。ネット工作。」
面接官「いいですよ。やって下さい。ネット工作とやらを。それで満足したら帰って下さい。」
太田寿「運がよかったな。ここはウィルコムが圏外みたいだ。」
面接官「帰れよ。」


366 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/25(金) 20:28:48 ID:91BNcF6Z
 教育者にとって生徒とは何か。インドでは恐らく激しい論争があったのだろう。梵文大無量寿
経は法蔵菩薩の誓願で、抽象的な存在としての生徒を否定する立場を採っている。しかし、別の
場所では、これを肯定する立場も記載しているのだ。
 「たとえ一念をおこしたにすぎないとしてもかの如来を思惟し、かの仏国土に対して渇望の心
をおこす者どもがあったら、かれらもまた眠りの中にあって無量光如来を見、幸いあるところ
(極楽浄土)という世界に生まれる」という。
 現実に会うことが無くても、眠りの中で無量光如来を見るものは、極楽浄土という世界に生ま
れるとは、抽象的存在を肯定する立場だろう。
 仏典は、インドで恐らく複数の人が合議の中で編纂していたものだろうと僕は思う。抽象的な
存在の生徒という者を肯定する考えと否定する考えが、一つの経典の中で併記してあるというこ
とは、一人の人の中で揺れ動いていたものか、複数の人の妥協の産物かは分からない。しかし、
西暦紀元一世紀ころのインドで、抽象的な存在の生徒という者を肯定する考えと否定する考えが
既に存在していたことに僕は驚く。

 漢訳大無量寿経は、康居国、現在のカザフスタン地方出身の天竺つまりインド僧であり、中国
つまり三国志の曹操が建国した魏に在住していた中国名が鎧という人物(通称、康曹鎧)が翻訳
した経典である。康曹鎧は、徹底して抽象的な存在の生徒という存在を肯定する考えを採用した。

367 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/25(金) 20:29:27 ID:91BNcF6Z
 真剣な心で「入学したい」という思いを持ってくれたら、「入学したい」というその思いだけ
で、その入学希望者は既に自分たちの学校の仲間である。それだけで既にかけがえのない自分の
生徒である(十八願)。
 だからこそ、あの学校で是非学びたいと様々な努力を重ねている生徒の下には、環境が激変し、
学校に入学できるようになったとき、一目散に迎えに行こう(十九願)。
 環境が激変し、客観的には学校に入学できそうな条件が揃ったからと言って、必ず入学できる
場合ばかりではない。入学したいという思いが必ずやきっと成就するよう、学校側も、そのよう
な生徒のためには、様々に環境に働きかけていこう(二十願)。

 康曹鎧はこのような教育原理を中国に伝えた。こうした教育原理から、その後、実に破天荒の
教育論を展開する高僧が出現する。名を善導という。

368 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/01/25(金) 21:13:45 ID:0aocvQpC


    彡川三三三ミ
   川出 ::::::⌒ ⌒ヽ  俺は渡海 難(四捨五入60歳)だ!!
  出川::::::::ー◎-◎-)
 ..川(6|::::::::  ( 。。)) 体重120キロ以上のピザだぞ!悪いか!!
 出川;;;::∴ ノ  3  ノ  
   ノ\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ   ライバルは親鸞会の高森顕徹だ!!
  ( *  ヽー--'ヽ )
  (∵ ;)  ゚ ノヽ  ゚ ):) チンポは極小で包茎だぞ!!ちなみに童貞だ!!
  (: ・ )--―'⌒ー--`,_)
  (___)ーニ三三ニ-)
  (∴ ー' ̄⌒ヽωニЗ 好きなものは座禅念仏と萌えアニメとエロゲーとスレ荒らしだ!!
   `l ・  . /メ /
    ヽ ∵  /~- /.    今日も本願寺スレと親鸞会スレを荒らしてやるぜ!!
    (__)))))_)))))

369 :神も仏も名無しさん:2008/01/27(日) 23:26:26 ID:oUfNxPId
宗教に詳しくないのですが親鸞の願った仏道とはどのようなものなんでしょうか?

370 :神も仏も名無しさん:2008/01/27(日) 23:36:38 ID:V8UaGbtI
>>369

精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。

▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)


※以下の文を10回暗誦して反省してください。

荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

371 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/29(火) 11:18:12 ID:MOcFhc++
>>369
 脱線して先にこれに回答しておきます。
 >>269以降、真宗の本質について、釈迦を原点に長い議論をしています。>> 371-373以上の詳しい
議論は、その後にしたいと思います。

 親鸞の願った仏道は、危機管理仏教だというのが僕の主張です。法律問題で困れば弁護士に相
談すればいい。健康問題で困れば医者に相談する。経済的に困窮すれば、行政窓口に相談する。
進学問題は学校の先生に相談する。ところが、人にはどこにも相談できない問題というのがある。

 相談できないときはどうするか。現代は非常に便利になった。インターネットがある。しかし、
そのインターネットで検索してもいい回答がない。そんなときはどうしますか。悶々と頭を抱え
ていれば解決の道が見つかりますか。
 悶々と頭を抱えていて、そのうちフッと気がつくこともあるでしょう。そう言う場合は、まぁ
ラッキーなんでしょうが、頭を抱えても抱えても糸口がない。前進どころか、右折も左折も後退
もできない。そんなところに長く停止していられることもない。そんなときどうしますか。何か
自分だけ消えてしまう方法があるでしょうか。

 王いま座禅してただ当に念仏すべしと。あに離念に同じて無念を求めんや。生を離れて無生を
求めんや(行の巻)。
 親鸞は僕らに座禅して念仏することを教えてくれた。これを念仏三昧という

 念仏三昧は、これ真の無上深妙の門なり。弥陀法王四十八願の名号をもって、ここに仏、願力
を事として衆生を度したまう(行の巻)。

372 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/29(火) 11:20:00 ID:MOcFhc++
 今「大無量寿経」によって五会に仏を念ず。 〜 諸三昧の母と名づく、また、諸三昧王と名
づく、また、諸仏、共所印可定と名づく。(五会法事儀讃略抄 親鸞真筆)

 親鸞は念仏三昧の方法を教えてくれています。それは五会念仏という方法です。

 大きな逆境に見舞われれば、人は、持っている能力がしばしば、半分、あるいは一割程度にま
で萎縮してしまうことがある。そんなときは、悩めば悩む程解決の道が見えなくなる。そんな場
合でも、日頃からこまめに五会念仏を実践していれば、きっと何かが見つかるだろう。能力が二
割、一割程度にまで萎縮してしまうような場合でも、それが三割、四割の萎縮で留まれば、能力
は二倍、三倍になっていることを意味するのだ。

 逆境の中で、必ず最善の道が見つかるという保証はない。最悪の選択肢しか頭に浮かばなかっ
たような場合、もし次善、三善の方法論が見つかれば幸福だと思いなさい。
 あとからふり返れば、もっといい方法があったと思えることもあるだろうが、逆境の中では、
常にそんなに都合良くはいかない。逆境の中には突入しないのが一番いいが、逆境の中に転落し
ても、脱出の道があることが必要なのだ。最善の道ではなくても、少なくとも最悪の選択肢の選
択だけは免れたいものだ。
 五会念仏は、腹での呼吸を誘導する。大量の空気を脳に送り込む。眠っていた細胞を一気に活
性化する。やってみるといい。危機に臨んだとき、五会念仏は全身の神経を目覚ましてくる。

 釈迦は、人々に智慧と禅定と戒律の三学を教育の三本柱にした。五会法事儀讃略抄で親鸞は言
う。念仏三昧(五会念仏)はこれ真の無上深妙の禅門なり。如来禅と名づく、二乗外道等の禅に
あらず。まことに知るべし。

373 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/01/29(火) 11:25:54 ID:MOcFhc++
 如来禅とは、達磨大師が中国伝えた禅という意味だ。二乗外道等の禅とは、声聞・縁覚が実践
する見よう見まねの禅という意味だ。如来禅は禅の本道である。親鸞の禅は、中国の法照禅師が
提唱し、延暦寺第三代座主の円仁大師が遣唐使として日本に持ち帰った北宗禅の正当派だ。法
照禅師は、中国仏教最盛期、唐の時代、唐仏教の頂点に立って中国仏教を牽引し、唐の皇帝に
仏教を指南していた。善導大師の再来と仰がれ、中国の唐仏教の本流を作った人だ。法然・親鸞
はこれを日本で大衆に開放した。
 
 釈迦は、人々に智慧と禅定と戒律の三学を説いた。
 灼熱の太陽の照りつける国で、二千年も三千年も昔に妥当した価値観が、二千年も三千年も経
た雪降る北方の国で必ずしも妥当とするとは限らない。パン屋さん、ラーメン屋さんに教えるよ
うな善悪の基準が仏教にあると言えるような、現代はそんな時代でない。パン屋さん、ラーメン
屋さんは、パン屋さん学校、ラーメン屋さん学校で、現代の基準に合った善悪を教わればいい。
パン屋さんやラーメン屋さんが仏教の戒律に教わるものは何もない。

 釈迦の時代、釈迦の教えが世界の最先端知識だった。しかし、何千何万という経典を開いても、
そこにはインターネットに関する記事どころか、簿記に関すること、店のインテリアに関するこ
とさえ何一つ書いてない。経・論・釈にパン屋さんやラーメン屋さんが学ぶことは何一つない。
仏教がパン屋さんやラーメン屋さんに知って欲しい智慧は何一つない。

 パン屋さんやラーメン屋さんは、禅定だけ教わればいい。禅定と言っても難しいことはない。
脚を結跏趺坐あるは半跏趺坐に組み、座禅の姿勢で腹式呼吸しながら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
と称えてごらん。椅子禅というのもある。座禅の姿勢は椅子でもいい。座禅して念仏すれば、何
一つ脱出の道が無いときでも、忘れていた何か解決の道がきっと見つかるだろう。

 親鸞聖人は危機脱出の道をそう教えてくれている。これが親鸞仏教の核心だ。

374 :神も仏も名無しさん:2008/01/29(火) 15:02:58 ID:4f2mLE9a
>>371-373
渡海が過去にパン屋で万引きをしてラーメン屋で食い逃げをした
まで読んだ。

375 :神も仏も名無しさん:2008/02/04(月) 20:34:20 ID:N43vR9+E
「唯信抄」「一念多念之事」「後世物語聞書」なども熟読したほうがよいでしょうか?

376 :神も仏も名無しさん:2008/02/04(月) 20:35:09 ID:N43vR9+E
「一念多念之事」は間違いでした
「一念多念分別事」に訂正します。

377 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/05(火) 00:41:06 ID:Dzrw4/X2
>375
>375
>>「唯信抄」「一念多念之事」「後世物語聞書」なども熟読したほうがよいでしょうか?

 結論を先に言うと、回答不能です。理由は簡単です。僕には貴方という人がどういう人か解ら
ない。

 唯信抄などは、親鸞は消息集の中でしきりに読んでくれと言っています。親鸞の時代、親鸞に
は是非よんでほしいと思う人がいたのでしょう。
 ものを読むということについて、蓮如などは非常に芥子の利いたことを言っている箇所があり
ます。聞き書き215番です。実にもっともです。
 歎異抄は、十二章で学問が往生の要ではないといいながら、やはり学問の重要性はわきまえて
いる。
 実にさまざまな考えがあります。知識は豊富な方がいい場合が多いですが、正しい認識を知識
が邪魔していると思われる人もいます。そういうことで、この問いには回答不能です。

 ところで、唯信抄や一念多念分別事を読んだ方がいいかと聞いてくるところを考えると、恐ら
く歎異抄は読んだ方なんでしょう。
 歎異抄自体には間違いはないんだけど、その読み方でどうも誤解していると思われる人がいま
す。そこで僕は歎異抄を読んだ人には、最近、親鸞の消息集を読むように勧めることがあります。
特に消息集の広本を読んで欲しいということがある。消息集は、歎異抄で間違いやすい誤解を解
いてくれる毒消しになると思っています。もっとも、消息集は古文だから、読みにくいという人
はいるでしょう。消息集には、まとまった解説本が無いのが残念です。

 古典を読んだ方がいいか、読む必要はないか。この辺は、仏教を学ぶ目的とも関係してきます。
何のために読むのか。
 真宗の古典は、自分に「称名念仏を勧めているんだ」という狙いを忘れてはいかんでしょう。
称名念仏しないで文字だけ読めば信心が得られるんじゃないか、そんなことを思っていれば、古
典を読もうか読むまいか考える前に、親鸞とさっさと縁を切ることを勧めます。 

378 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/06(水) 13:15:41 ID:siiTi64I
 善導大師(613〜681年)は、日本で言えば天智天皇(626〜672年)の時代に重な
る。隋が滅んだのが619年、唐を建国しても隋の残党は各地に残り、戦いはその後も長期に続
いたようだ。
 善導は、隋から唐に代わっていく時代の嵐を目撃している。戦争の時代には、子供達は、箸を
もつことよりも先に刀や弓矢を持つことを教えられる。嘘のない正直な心より、人を騙すことを
教わる。親を捕縛して敵に売り、血肉を分けた兄を騙して弟を殺す。腹が減れば、隣の戦友を騙
して殺し、その肉を剥いで食うこともあったろう。平和な時代には、みんな平和な生活を築いて
いかなければならない。人を騙す方法は知っていても、文字は一つも知らない。自分の名前もか
けない。血を吸った刀の研ぎ方は知っているが、足し算も引き算も知らない。そんな大人がたく
さんいた。教育を受ける機会のなかった人がたくさんいた。

 人を殺すことは悪いことである。寺院に放火して供物を強奪することは、とてもとても悪いこ
とである。しかし過去の行為を理由に、もし人々が初等教育の機会すら奪われたなら、それはそ
の人だけでなく、社会全体にとってはさらに大きな損失である。嘘をつくな、ものを盗むな、人
を殺すな、放火するな。仏教はそう教える。それらを冒した人には激しい弾劾を加える。教団か
ら追放する。しかし、これまで初等教育の機会が無かった人は、過去の行為にかかわらず、初等
教育の機会だけは与えられなければならない。善導はそのように考えたようだ。


379 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/06(水) 13:16:13 ID:siiTi64I
 善導は、観念法門という著作の中でいう。「(大無量寿経で、阿弥陀仏は)四八の願を説いて
いる。(その中の十八願で阿弥陀)仏は言う。仮に(自分が小乗仏教でいう仏すなわち辟支仏と
いう)仏になったとしても、(東西南北の四方さらに八方、これに上下を加えた)十方の人々が、
私の(極楽)学校に入学したいと願い、(阿弥陀仏という)私の名を仮に十回でも称えたとする。
(そうすれば、その人は私の意思をもって極楽学校に入学させよう。)もし入学したことになら
なければ、(自分は大乗仏教で言う)正しい悟りを得たことにはならないとしよう」。

 阿弥陀仏の行動原理第十八条はいう。「たとい我、仏となるを得んとき、十方の衆生、至心に
信楽して、わが国に生れんと欲して、乃至十念せん。もし、生まれずんば、正覚を取らじ。ただ、
五逆(の罪を犯す者)と正法を誹謗するものを除かん」

 善導は大無量寿経の第十八願を書き直している。書き直しの意味を更に考えよう。

380 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/07(木) 11:16:33 ID:96/KcxOq
 漢文大無量寿経は康僧鎧が翻訳した。形の上では翻訳となっているが、梵文大無量寿経と漢文
大無量寿経とでは思想的立場が大きく異なる。事実上は、康僧鎧の著作であるとも言える。さらに
漢文大無量寿経を詳細に読むと、一人の著作とも思えない雰囲気がある。康僧鎧がオリジナルと
して書いた上で、その後に何者かがさらに大幅に書き足し、改変を加えていると思われる部分も
ある。なお、今、その問題には深く触れない。少なくとも、阿弥陀仏の第十八願は康僧鎧の手で
書かれたものと考える。その康僧鎧の思想と善導の思想を比較する。
 康僧鎧の思想と善導の思想との相違は歴然としている。康僧鎧は極楽浄土往生の必須要件とし
て、至心・信楽・欲生という心理的な面を挙げた。さらに阻却要件として、五逆と正法誹謗を掲
げた。善導は極楽浄土往生に当たり、称我名字下至十声という身体的挙動行為を挙げた。しかも、
阻却要件を排除している。善導は、康僧鎧が提唱した往生概念を完全に否定したと行っていいだ
ろう。親鸞は、そのような善導を賞讃する。親鸞は言う。善導独明仏正意(正信偈)。善導一人
が釈迦の真意を明らかにした、と。

381 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/07(木) 11:17:27 ID:96/KcxOq
 父を殺し、母を殺してきた人民達に申し上げる。僧を殺戮し、寺を焼却してきた兵士達に申し
上げる。戦争は終わった。仏教界はあなた方を決して見捨てない。過去の行為を理由に弾劾しな
い。戦争は終わったのだ。勉学の意思のある者は仏門で学べ。近くに寺が無いものは、仲間を募
ってグループ学習を行え。そこで互いに学びあえ。過去の行為への悔恨に苦しむ者は念仏を称え
よ。
 称えても称えても悔恨や悲しさは容易に癒えることは無いかも知れない。しかし、念仏を称えて少
しでも心が和らげば、あるいは忘れることができたなら、進んで勉学の場に参加せよ。
 善導は、自らは厳格に戒律を守りつつ、初等教育の専門家として中国仏教界の最高権威者とな
った。隋から唐へ変遷していく中で、仏教の戒律が既に時代の要請に合わなくなってきたことを
悟ると、戒律を仏教入門の必須の条件から後退させた。その代わり、戒律を基準とする限り、仏
教つまり勉学の場に参加できない者には、称名念仏を勧めたのだ。さらに、寺の無い地区、指導
僧のいない地区でのグループ学習のため、核となる旗印として、全国に極楽浄土図を配布した。
文字学習の教材として大量の阿弥陀経を配布した。善導はこうして、戦乱で荒廃した社会に初等
教育の復活を促進した。

382 :泡般若:2008/02/10(日) 19:26:52 ID:KAmnsBF9
以前書き込みをした法然・親鸞を読書している者です。
近頃やっと無量寿経(岩波)を読み終え、また里村専精先生の
「大無量寿経を読む」を読みました。
巻末の里村先生のお言葉
「信心を言わない宗教はありませんが、その信心の大切さを言いながら、
信心とは何か、あるいは信心の内容を的確に語り得る宗教は少ないのです。
これは驚いてよい事柄だと思います。
しかし、浄土真宗は、堂々と『信心の智慧』の秘密を説き明かし、
その偉大な内容を語り継いで来ました。」
真宗の門徒に生まれたことに感謝、感動しました。
南無阿弥陀仏。

383 :神も仏も名無しさん:2008/02/11(月) 08:46:04 ID:cCAe0nAT
親鸞角筆:教行信証への書き入れ、直筆で700カ所

浄土真宗の開祖、親鸞(1173〜1262)の主著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の自筆本「坂東本(ばんどうぼん)」(国宝)の修復に伴う調査で見つかった角筆(かくひつ)
(紙面をへこませて文字や印を記す筆記具)による書き入れの具体的な個所が明らかになった。
http://mainichi.jp/kansai/news/20080209k0000m040162000c.html

坂東本は6巻からなる冊子本で、全文が漢文で書かれている。所蔵する真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の内部の会議で配布された写真によると「行」の意味などを
説いた「行巻」に出てくる「計也」という漢字の右に角筆で「ハカラフ」と振り仮名を付け、朱筆でも「ハカラフ」と記してある。

角筆による書き入れは、顕微鏡写真によって親鸞自筆とされている朱筆よりも先であることが確認でき、親鸞自身による可能性が高い。

小刀や竹べらなどを用いたとみられ、全体では約700カ所。本文のわきに振り仮名や注記、重要な個所に注意をうながす合点(がってん)(約400カ所)などを加えていた。

ほとんどは、親鸞が60歳ごろの筆跡とされる1ページ8行書きの部分に残っている。角筆による片仮名などには、同じ時期である鎌倉時代中期の特徴がみられ、
角筆が親鸞自筆との見方を裏付けている。

毎日新聞 2008年2月9日 2時30分


384 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/11(月) 12:50:28 ID:R1WH9uxN
 善導の考えは彼の在世中(613年- 681年)からも大きな支持を受けたようだ。親鸞はこの善導
を入出二門偈頌文で善導禅師と尊称している。法然も善導禅師と尊称している。禅と念仏とは中
国では非常に早い時期から一体で考えられていた。
 禅は達磨大師(382年-532年)が中国に伝えている。達磨大師の生没年を計算すると、150
年生きたことになる。150年というのは何かの間違いだろう。達磨大師が中国に入ったの52
0年頃だそうだ。これは善導が誕生する約100年前である。
 中国禅は、達磨大師以降、慧可に引き継がれる。善導の時代には道信(580- 651年)が東山法
門という大きな禅集団を作り、この禅集団を指導していた。道綽あるいは善導などは、道信又は、
その周辺者に禅を教わっていたと考える。
 道信の中国禅はその後、弘忍へと継承されていく。弘忍の弟子に、神秀と慧能がいる。慧能の
弟子に荷沢神会がいる。神秀の流れと慧能との流れで中国禅は大きく二派に別れる。弘忍の下で
は神秀が兄弟子、慧能は弟弟子である。
 神秀はその後、武則天に招かれ唐王朝の中心に入った。武則天は、唐の三代目皇帝である高宗
の皇后である。神秀の流れを北宗禅という。慧能の流れを南宗禅という。神秀は、武則天に禅を
教え、四代目皇帝の中宗、五代目皇帝の睿宗に禅を指導し、北宗禅は唐王朝の公式仏教として保
護を受け、中国仏教の最盛期を支えた。現代日本の禅宗、つまり臨済宗・曹洞宗は南宗禅である。

385 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/11(月) 12:51:20 ID:R1WH9uxN
 現代の日本では、南宗禅こそが道信の東山法門を継承している正当派と言われている。しかし、
唐の時代には北宗禅こそ、国家公認の正当派だった。日本に最初に入ってきた禅宗も北宗禅だっ
た。日本政府が中国政府に派遣した遣唐留学生は、全てこの北宗禅を学んで帰国した。例えば最
澄などはそんな一人であり、最澄は日本で座禅を行った最初期の一人である。南宗禅が国家公認
の正当禅として認定を受けた歴史はない。

 日本に浄土教を伝えたのは円仁大師である。彼は日本政府が中国政府に派遣した最後の遣唐留
学生である。彼は、唐仏教最盛期、北宗禅の法照禅師が提唱していた五会念仏を中国の五台山で
学び、日本に伝えた。源信・法然・親鸞は、円仁大師が日本にもたらしたこの五会念仏を学んで
いる。
 中国北宗禅は、唐王朝の崩壊と共に運命を共にした。ただし、少林寺拳法の少林寺は、現代で
数少ない北宗禅を名乗る宗派だそうだ。日本北宗禅は、信長による比叡山焼き討ちにより延暦寺
が大打撃を受けた。比叡山では、現代では曹洞宗(南宗禅)の僧を招いて座禅していると聞く。
 念仏三昧とは五会念仏である(親鸞著 五会法事讃略抄)。しかし、浄土真宗の五会念仏(北
宗禅)は、一向一揆のエネルギーを恐れた徳川幕府の力によって停止させられたものと考える。
事実上現代でも半永久的に休止状態である。
 北宗禅と南宗禅とは何が違うのか。弘忍の前で神秀と慧能が互いに詩を競ったいう。この詩か
ら、考え方の一部が見えてくる。
 神秀は言う「身は是れ菩提樹、心は是れ明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かし
むること勿れ」
 慧能は言う「菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来清浄、何れの処にか塵埃を惹かん」
 神秀が主張する北宗禅の思想は支配層の思想である。慧能が主張する南宗禅の思想は農民層の
思想である。支配層に好かれた北宗禅の思想と、農民層に好かれた南宗禅との思想の違いが、こ
の二つの詩で見事に言い表されている僕は思う。浄土真宗は北宗禅の思想の影響を受けている。
 親鸞の思想に入る前に、この南北の違いを考えてみたい。

386 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/11(月) 13:06:39 ID:R1WH9uxN
>383
 興味深い。でも、疑問が出てくる。
 新聞は、「朱筆よりも先である」というが、この鑑定の精度は何%なんだろう。
 確率99%と51%では偉い違いだ。合点は筆跡鑑定が可能なのだろうか。宗
祖が、本気で後世に残そうとしたなら、墨で書いただろう。新聞が騒ぐほどの問
題ではないような気もする。
 
 


387 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/16(土) 15:19:35 ID:TA9iySnH
念仏研修のお知らせ

 念仏研修会を予定しています。しばらくの間は試行的行ってみて、可能なら試行結果を参考に
本式に近い念仏研修を考えています。つまり、親鸞聖人から蓮如上人の時代にかけて行われて
いた中世の念仏道場に近いものを、現代にできるだけ復活させてみたいと願っています。

 親鸞聖人は、五会法事讃略抄を著し、法照禅師の五会念仏を念仏三昧法として勧めています。
また、蓮如上人は、ものを言え、ものを言えと言っています。従いまして、五会念仏と座談の組
み合わせを基本構造と考えます。
 五会念仏は、1回で20〜30分程度(線香1本、又はその半分が燃え尽きる時間程度)、座
禅しながら無心になって称えていきたいと思います。

 座談では、原則として真宗教義の話は脇に置き、自分が念仏を称え、実際に称えた中で生身の
自分に今起きた気づき、心理的・生理的変化、あるいは他の人に起きた気づき、心理的・生理的
変化、そこに真剣に耳を傾けていくことに心がけたいと思います。何か変化が起きるはずです。

 一回目の試験的実施は、来月、愛知県のあるお寺で予定しています。半日から一日程度です。
参加希望の方は、渡海難にメールをください。詳細をお知らせします。なお、あくまで試験的実施
ですから、参加希望があれば必ずそれに応じられるという体制を保証しているものではありません。
ご了解ください。また、次回の研修(時期未定)にお誘いをする場合もあります。

 今後は、他県のお寺でも考えています。しばらくは試行錯誤の試験的実施になると思います。
将来は、東京・大阪でなどでも行いたいものです。自分のお寺の本堂を貸してくださるという方
がいらっしゃって下さると幸いです。

  tkatasi@mail.goo.ne.jp


388 :南無大師遍照金剛:2008/02/16(土) 15:23:42 ID:TT/kxglg
>>387
オフ会でそんな話でたのかえ?
其とも前から考えてたの?
オフ会でそんな話がでたなら辞めとき
あんた利用されるよ

389 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/16(土) 15:38:19 ID:TA9iySnH
>388
 利用?
 あなたは何を想像しているんだい?

390 :南無大師遍照金剛:2008/02/16(土) 16:03:22 ID:TT/kxglg
>>389
前にある人が神輿乗せられて
話持ちあかけた人が集めた人殆ど全部連れて出ちゃった被害有ったから
海さんが自発的なら良いけど
余計なお節介ですまそん(>д<)

391 :神も仏も名無しさん:2008/02/16(土) 16:17:59 ID:V9Vy65gS
>>388
>オフ会でそんな話でたのかえ?


31 :神も仏も名無しさん:2008/02/05(火) 11:10:29 ID:IDB+qj+7
>>26
新年会はあったの?

行った人いる?

32 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/05(火) 11:25:43 ID:Dzrw4/X2
>27
>根拠はこれ? 徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん (教行信証 行巻 両重因縁)
     僕の理解ではそうだ。

>31
> 行った人いる?

 関東地方は大雪の中で、名古屋から来た人が1名、鎌倉から来た人1名、僕を加えて
3人で飲んだよ。最初はエロゲーの話から入りそれから涼宮ハルヒの話題で盛り上がり、
最後はAKB48のことで議論が白熱した。ちなみに僕はハロプロ派だ。

 日曜日にアルツハイマー病が悪化してドクターストップがかかりキャンセルの電話を
してきた人がいた。遠方の人だ。  

 もしよかったら、次回(時期未定)にいらしてください。

392 :神も仏も名無しさん:2008/02/16(土) 16:22:00 ID:V9Vy65gS
2008/02/03 飲み会参加者
   彡川川川三三三ミ
   川|川/  \|
  ‖|‖ ◎---◎|
  川川‖    3  ヽ
  川川   ∴)д(∴) ←名古屋から
  川川        /
  川川‖      /
 川川川川___/‖
          ______
         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
       |::::::::::::::::       |
       |::::::::::::::: ∪ \,, ,,/)
       |::( 6::ー──◎─◎|
        ノ::: (∵∴∪ ( ・ ・)) ←鎌倉から
     /      ∵    3 丿
    /\    U   ___ノ
  /   .\      ____ノ\
        \______ノ  .\

      ____
     /:::::::::::::::::::::\
   / ::::::::::::::::::::::::::::::::\
   |:::::::::::|_|_|_|_|_|
   |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ
   |::( 6  ー─◎─◎ )
   |ノ  (∵∴∪( o o)∴) ←渡海(幹事)
   |   <  ∵   3 ∵)
 /\ └    ___ ノ
   .\\U   ___ノ\

393 :南無大師遍照金剛:2008/02/16(土) 17:19:53 ID:TT/kxglg
次のオフ会は4月2日なんてどう?

394 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/16(土) 18:42:30 ID:TA9iySnH
>390
 他人が利用して喜ぶような甘い汁など僕には無いよ。
 最初に五会念仏やろうと言ったのは、僕です。

395 :南無大師遍照金剛:2008/02/18(月) 17:50:15 ID:ERqMwzQv
そういえば前のスレでもレスしてた気がする
(;^_^A頑張って下さいね

396 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/18(月) 19:44:10 ID:UzmGHRde
 こちらを忘れているわけではない。
 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1202651606/l50
 妙好人スレの速度がの進み速く、なかなかこちらに手が回らない。

 こちらもかならず書いていきます。

 向こうは、看過でない主張が出ているので、目が離せない。  

397 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/19(火) 10:02:07 ID:YeZTlHy9
 慧能の詩と詩とを比べると、これは後世の創作ではないかと思える部分がある。後世の創作と
いうのは、特に僕に証拠があって言っているわけではない。ただ、内容が少し巧すぎる。仏教が
支配層に向かっていくときには、確かに神秀の詩のようなこういう考えを採るだろう。被農民層
に向かっていくときには慧能の詩のようなこういう考えを採るだろう。対比が非常に巧い。
 神秀の考えと慧能の考えの対立点はどこか。神秀は言う。時時に勤めて払拭せよ。常に絶えず
努力を怠るなという。これは王道の思想だ。慧能は言う。塵埃などは取り付くところがない。破
天荒の思想である。
 神秀はもともと王道を歩む秀才だったようだ。師の弘忍に愛され、弘忍は自分が継承してきた
東山法門を、実際には神秀に承継させている。釈迦は戒・定・慧という三学をもって仏道を開い
た。釈迦は、ルールを定め、そのルールを守ることを誓った者に真理を教えた。有形の真理を智
慧という。無形の真理は、禅定という形で、容易に手に取れるようにした。

 人々を指導していく教育者になるには、禅定だけでは足りないのだ。これは、国家を動かす支
配層にとっても同じことだ。無形の真理だけでなく、有形の真理も正しく認識していなければな
らない。禅定の認識力は、ある程度の修行を積めば飛躍的に延びる瞬間がくる。一度、飛躍的に
延びる瞬間を経験すれば、その後の持続は決して難しいことはない。これを不退転地という。も
のごとの本質は、本来は清浄であり、迷いなどは空の空の空なのだろう。死も空、生も空、空も
空というべきなのだろう。
 しかし、こうして禅定力だけ飛躍的に成長すれば、人はもうそれで十分というわけではない。

398 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/19(火) 10:02:53 ID:YeZTlHy9
 「福田総理。年金問題などはですね、そんなものは空の空ですよ。何の意味ありません。菩提
本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来清浄。何れの処にか塵埃を惹かん。ほったらかしておけば、
なるようになるだけですよ。あっ、はっ、はぁ」。
 「福田総理。道路特定財源問題などはですね、そんなものは空の空なんですよ。何の意味あり
ません。菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来清浄。何れの処にか塵埃を惹かん。ほったらか
しておけば、なるようになるだけですよ。あっ、はっ、はぁ」。

 もし、こんなことをいう奴がいれば、そいつは社会から袋だたきに遭うだろう。もしそれが福
田総理や舛添厚生労働大臣、冬柴国土交通大臣その人であれば、内閣は半日と持たないだろう。
国政を担当している人にはしっかりと問題の本質を研究し、国政の正しい方向づけをしてもらわ
なければならない。そのために、無形の真理、禅定だけではたりない。過去の膨大な試料がある
はずだから、そういう有形のものをこつとこつ勉強して真実を認識して貰わないとこまる。この
勉強は、一朝一夕ではできない。
 現代では、政治家は原則として在任中だけ責任を負う。退職すれば一応は責任がない。しかし、
昔は違う。終身だった。やはり彼らは、死ぬまで研鑽を積んで貰わなければならない。「菩提本
樹に非ず、明鏡亦台に非ず」では困るのだ。「時時に勤めて払拭し、塵埃を惹か」ないようにし
なければならない。絶え間ない努力が必要だ。神秀は、釈迦が説いて仏教の本道を、社会の支配
者にとってもっとも重要な王道として提示した。

399 :神も仏も名無しさん:2008/02/19(火) 10:13:05 ID:ESURjdY9
努力精進が大切ですね

400 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/02/19(火) 10:25:16 ID:ya84vSSI
ああ先生ぇ♪ 渡海難が400ゲットー!!ブヒヒッ♪
       ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           / ̄ ̄ ̄ ̄\
          (____人  )
          (-◎-◎一  ヽミ|
            ( (_ _)     9)
          ( ε   (∴  |_           ズ・・・・ザ・・ザァ
       ____ヽ______/ヽ___)( ̄( ̄ ̄ ̄|)
     (ミ_|__( (ミ_|____) ヽ. ヽ:::::ヽ:::::::ヽ
           (           ⌒ヽ:/::::::::丿
            ヽ          |  ‖:::::::丿   (´⌒(´⌒
                  \        |  ‖::::ノ  (´⌒  (´⌒
                   ゝ____丿__‖ノ_(´⌒ (´⌒

401 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/20(水) 12:07:41 ID:28Q+dWvs
 支配者は権力を持っている。支配者が間違ったことを行えば、これに対してものを言える人は
少ない。常に努力せよ。常に研鑽に励め。上に立つ者にそのように言うことは、宗教者にとって
とても必要なことだろう。

 それでは、大衆に対して仏教は何を語るべきだろうか。常に努力せよ。常に研鑽に励め。確か
にそのように言うことは大切なことだろう。しかし、大衆は、自らの努力を放棄すれば、直ちに
生活が成り立たなくなる。腐敗しても腐敗しても我が身は安全であるという支配者と、直ちに生
活が成り立たなくなる大衆とは、立場が異なるだろう。
 常に努力せよ。常に研鑽に励め。これは、常に支配者が大衆に命令している。それなら、大衆
に向かってそのように説くことは、支配者の仕事とすればよい。宗教はその背後で、人々にルー
ル(戒律)を守ることを教えればよい。ルールは、日常的なルールで十分だろう。煩瑣なことは
必要がない。
 宗教は大衆に向かって何ができるのか。農民に向かって種の撒き方を教えることができるか。
種の撒き方であれば、農民の方が遙かによく知っている。漁民に漁の仕方を教えることができる
か。漁の仕方などは、漁民の方が遙かによく知っている。仏教は、簿記の方法も、インターネ
ットの接続方法も教えてない。有形の真理については、宗教が大衆にことさら教えるようなこと
はない。
 大衆は、いくら努力を積んでも、いくら研鑽を積んでも、苦労が絶えない。大衆に必要なもの
は禅定である。文字に書いてない、文書も、口伝もない真理を、少しでも自力で掴めるようにす
ることが大切だ。ある程度禅定を積めばものの理解力は飛躍的に延びるときが来る。膨大な量の
仏教の智慧をこつこつと学んでいく必要はない。禅定だけを教えよう。菩提本樹に非ず、明鏡亦台
に非ず、本来清浄、何れの処にか塵埃を惹かん。
 大衆の中に仏道を建てようとすれば、およそこのような考えになるだろう。師匠の弘忍が死ぬ
と東山法門は神秀が継承した。慧能にとっては神秀が継承した旧来の東山法門に用がなかった。
慧能が東山法門を飛び出したとき、慧能の考えに賛成した多くの門人達が彼の後を追った。大衆
に禅を広めようという主張は、多くの賛同者を得た。

402 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/23(土) 13:44:55 ID:uH1T15bS
 六字のいわれについて書きました。

 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1203573106/219-221
 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1203573106/224
 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1203573106/226
 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1203573106/228
 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1203573106/231-232
 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1203573106/237

403 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/25(月) 10:53:10 ID:N/mi5eQQ
 釈迦は三学を説いた。釈迦の教育論で考えれば、持戒と禅定と智慧とは優劣の差無く三者は最
も重要な柱である。一つでも欠ければ教育と学習はその基盤を失う。北宗禅は、釈迦の本来の教
育論を守る。従って北宗禅は禅だけで独立することがない。律と共に天台・真言・華厳・法相など
の学習を行っていく。完成までには時間がかかる。
 一方、南宗禅は禅定を大きくクローズアップした。特に智慧の学習の比重を後退させた。持戒
の厳しさも緩和した。禅定を行っていけばもの理解力・洞察力が飛躍的に向上するときがくる。
南宗禅はその時点を開悟と考える。
 かつて釈迦は、菩提樹の下で禅定を続け、ある満月の夜、理解力・洞察力が飛躍的に向上した
瞬間がきた。釈迦はその後もしばらくは禅定の姿勢を続け十二因縁の法則を明確化した。古来、
仏教はその時点を釈迦の開悟の瞬間と考えた。南宗禅は、理解が飛躍的に向上する瞬間を悟りと
考える。確かに、釈迦の開悟の瞬間はものの理解が飛躍的に向上した瞬間であるとしても、北宗
禅はその前の学習も重視する。釈迦は禅定をもって十二因縁の法則に気づく前、王宮では多くの
学問知識を積んでいる。祇園精舎で人々に教えたのは、禅定だけではない。王宮で学んできたそ
のような当時最新の知識も含まれている。ものの理解が飛躍的に向上して入れ物ができても、中
身が空っぽでは話にならない。悟りは、禅定だけでなく、智慧も戒律も学んで開悟に至る。


404 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/02/25(月) 10:54:31 ID:N/mi5eQQ
 南宗禅は、禅を単独でクローズアップすることから、禅だけで教育体系を作ることができ、禅
だけで宗派を作る。南宗禅は、その後中国で多くの宗派が生まれ、それぞれ独自に大衆に向か
って禅定の重要性を説いた。
 北宗禅は唐王室を支える唐仏教の重要な柱の一つとして学習され、中国仏教全盛時代を支えた。
留学僧として中国に渡った円仁は、多くの学問とともに、当時全盛を誇っていた北宗禅の五会念
仏を学んで帰国した。
 南宗禅は自分たちこそ達磨大師以来の禅の本流であると自認する。北宗禅は南宗禅を、釈迦以
来の三学を否定する異端であると批判する。南宗禅は改革仏教であり、これを積極的に支持する
経典はない。南宗禅は、異端という攻撃に対し、教外別伝・以心伝心の教えという反撃を行う。
両者は互いに緊張関係を持ちながら併存した。やがて北宗禅は唐王朝と運命を共にし、唐王朝の
崩壊後、廃仏の嵐の中で中国の表舞台から消えていった。

405 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/02/25(月) 11:00:34 ID:FWQHXOLN
 ________________
 |            ノ        (   |
 |    彡彡⌒⌒⌒ ミ      彡" ⌒⌒⌒ミミ
 |    彡彡ノ.  三  ヽ     / ヽ       ||!
 |   ‖|‖  '。  。` |    |  ||   !  l l| l||
 |   川川‖U  ' ω` ヽ    / U |川川 !! l |l|||ル
 |   川6    ∴)д(∴)  (∴   9川| l| |川 l||l
 |   川川      〜 /    ヽ      川 | lルリ
 |    / ヽ  ___/     \__      ヽ
 |   /        \        /        ヽ
 |   | |  ト     ヽ       /  Y  |      !
 |   / . |  |       ヽ     /    |  |      !
 |   |  |  |       α)   |    |  |       !
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|    |  |       !

406 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/03(月) 13:15:17 ID:oBGfj9um
 奈良・平安時代、日本政府は中国に留学生を送り、盛んに先進文化を吸収した。支配者層の初
等教育を盤石なものとし、国家の安泰を図る鎮護国家の思想に基づいていた。やがて、武士団の
台頭によって、我が国でも支配者層だけでなく、一般大衆にも初等教育を広めようと言う考えが
出てくる。法然・親鸞・栄西・道元などはそうした考えを持った人々である。
 関東で平将門が乱を起こし、瀬戸内海で藤原純友が乱を起こす(承平・天慶の乱〔940年
頃〕)。将門・純友は共に貴族出身だったが、地方の多くの武装集団が反乱軍に味方した。やが
て京都で保元の乱〔1156年〕・平治の乱〔1159年〕が起き、源平の合戦〔1180〜1
185年〕は日本各地で続いた。これにより、武士団による事実上の国家支配が始まった。
 武士とはもともと貴族の傭兵だ。棟梁は名門貴族の分家出身者が就任し、そこに平民が参集し
た。平民には教育がなかった。木曽で蜂起して京都から平氏を追い払った源義仲は、都の治安の
平定に失敗している。天台僧の中に、平民に学問を教えようという機運が広まったのは、武士団
の台頭という社会的な動きと密接に関連している。

 当時、中国では唐が滅び、五代十国時代を経、宋の時代に入っていた。五代十国時代には激し
い廃仏運動があり、多くの寺院が破壊されている。宋の時代、特に南宋の時代には北宗禅はほと
んど力を失い、大衆に直接禅を説く南宗禅が多くの支持を受けていた。栄西・道元などは、大衆
に禅を説く南宗禅を求めて中国に渡った。一方、法然・親鸞などは円仁以来の北宗禅を直接大衆
に説く道を選択した。

 北宗禅を直接大衆に説くに当たって、法然・親鸞にはかつて慧能が直面した同じ問題と直面し
た。大衆に必要なものは何か。それは禅定である。彼らは、慧能と同じように、智慧と戒律とを
学習の対象から後退させるという選択をした。二人は、禅定の中でも、最も易しい称名念仏とい
う形体の禅法を選んだ。

407 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/03(月) 13:17:59 ID:oBGfj9um
 親鸞は教行信証で言う。念仏三昧は座禅して行えと。教行信証では、盛んに念仏三昧の効果を
紹介するとともに、五会法事讃略抄で念仏三昧は五会念仏をもって行えと言う。五会念仏は如来
禅である。如来禅とは達磨大師が中国にもたらした禅法の中核であり、二乗(声聞・縁覚)の行
う禅とは本質的に異なる。親鸞はそう教える。

 栄西・道元などが中国から学んできた南宗禅という形の大衆仏教と、法然・親鸞が北宗禅から
導いた大衆仏教とは類似点と相違点がある。考えてみよう。
 一般大衆を布教の対象としているという点では共通している。戒・定・慧の三学の内、戒・慧
を後退させる点でも共通している。
 戒・慧を後退させる説明手法には相違があるようだ。南宗禅は教外別伝・不立文字・面授嗣法
という直接的説明をする。釈迦の教えには、釈迦が直接説いた教えの外に真実の教えがあるとい
う。文字では示されない。師弟間は対面によって法が伝えられるというのだ。
 北宗禅では教外別伝という説明はできない。あくまで経に基づく。法然・親鸞、特に親鸞にあ
っては、これを釈迦の直接の教えではなく、阿弥陀仏という釈迦と同格の別の仏の教えであると
いう説明手法を取った。これによって、釈迦に基づく戒・定・慧という三学の縛りを外した。
 南宗禅は学校教育学である。原則として人々に出家を勧める。寺という特別な施設の中で専門
的に修行することを勧める。教育の対象は平民であっても、その中に仏教の専門家を配置しよう
とする。これと異なり、法然・親鸞は社会教育という舞台を選んだ。社会教育は、寺という特別
な施設を必要としない。出家を原則とするという考えを採らない。



408 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/03(月) 13:19:36 ID:oBGfj9um
 禅定を積んでいくと、理解力・直感力が飛躍的に成長する瞬間が不定期的に生じる。南宗禅は
この時を悟りと呼び、そこまで到達することを当初の目標とする。親鸞の場合には、目標はずっ
と低い。称名念仏・如来禅のおもしろさが分かればいい。おもしろさが分かれば、その後は自分
一人で実践を行っていくだろう(正定聚)。仲間を作って自主的に行っていってもいい。当初の
目標は、称名念仏の素晴らしさが分かってくれればいい。親鸞はこれを信心と呼び、在家仏教を
提唱した。
 こうした主張は、それぞれの考え方が国内に定着する過程で、思わぬ方向に変質していった。

409 :神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 14:05:14 ID:TQqPTqCS
>>406-408
                           ∧_∧
◎               へ          (´<_` )
  \    ≫ ̄ ̄ ̄ ̄彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
      彡____人  )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )  糞スレあげてる暇があったら仕事探せやキモヲタデブ親父
 ◎-●一( * *    ヽミ          |.      |   
      ((_ _ (( ( ;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ〉     | |   
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ-=_二__ ̄    \     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ       ̄\     / /
       (__))     ヽ        .\__/_丿
       |  |         ヽ         .|  |
       |  |______)          |  |
       |  〉三三三[□]三)        |  |
       ノノノノ:::::::::::::::::::::::::::::/         \ ヽ
       ~~~|::::::::::::::::::/:::::::/             \ |
         |;;;;;;;;;;;;;;;/;;;;;;;/            / ノ
        (___|)_|)           `-

410 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/11(火) 23:41:05 ID:mrodDwOr
念仏研修会 第2回目
 3月31日 午後の部(念仏・座談)   11時から16時
       教行信証講読        16時から19時
       夜の部(念仏・座談)    19時から23時
 午後の部と夜の部と選択可。両方参加も可能。途中退席も可。なお、プログラムは多少の変更
の可能性もあります。

 場所 愛知県 (名古屋地区)

 五会念仏法事讃略抄(親鸞真筆)・至道抄(存覚著)・御文(蓮如著)を骨格ベースに、鎌倉・室
町期の真宗の念仏道場のスタイルを復活させ、座禅しながら五会念仏(念仏三昧)を勤修します。
 問い合わせ先  tkatasi@mail.goo.ne.jp 渡海 難

 1回目の後、すぐに2回目をしたいという反響に応えるものです。なお、今後定期的に行っていく
かどうかは、全て未定です。

411 :神も仏も名無しさん:2008/03/11(火) 23:44:50 ID:LWAUm6fE
  |\__/ハ__
 {_____」
       
         \\              ∧_∧
◎     ≫〃vミー‐w  へ          (´<_` )  「1回目の後、すぐに2回目をしたいという反響に応えるものです」だと?
  \   彡_____彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \   嘘を書くんじゃねーよ、本当は誰も来なかったから中止になったんだろ?
      {_親●鸞___| )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )
 ◎-○一( * *    ヽミ            |.      |
      ((_ _ (( ( ;;;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ.〉      | |
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ:: -=_二__ ̄ .   \_     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ        ̄\      / /
    (   ) 渡 ≡ ;;; )  )         .\__/_丿
     |__|. 海 ≡ ;;; )_l          .|  |
    _|  |  難 ≡ ;;;; ) (           |  |
   |  \.._\.      入 \,       |  |
   |ハルヒ(_る〜〜〜〜〜wv)       \ ヽ
   |___||:::::::::::::/::::::::::/               \ |
         .|;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;/             / ノ
         (___|)__|)     

412 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/12(水) 00:04:00 ID:mrodDwOr
>411
>嘘を書くんじゃねーよ、本当は誰も来なかったから中止になったんだろ?

 そんなことないよ。僕を入れて七人で約5時間やったんだよ。
 複数の人が一箇所に集まって本尊に向かい、五会念仏をとなえるなんて、
浄土真宗史上400年ぶりの大事件だよ。

 天下を統一した徳川幕府が一向一揆の再発を恐れ、浄土真宗の五会念
仏を標的とし、集団的布教と集合を禁じ、浄土真宗のエネルギーを削いでか
らから400年、歴史的復活の瞬間はささやかでも、非常に充実した一瞬だっ
たよ。

413 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/12(水) 12:13:16 ID:XpORbc8g
 浄土真宗は変質した。当初は、寺院(学校)という枠を越え、在野の人々に草の根で称名念仏
という形の如来禅仏教(五会法事讃略抄)を伝えることを目指したものではなかったのか。至道
抄(存覚著)は言う。「私宅をもて道場に擬して、本尊を安ずる淨場とし、念佛をつとむる會座
とするなり」、と。少なくともこの伝統は、蓮如以後、少なくとも安土・桃山時代まではあった
と思う。
 しかし、現代の既成仏教の中で、寺院数が最も多いのは浄土真宗ではないか。東西本願寺を始
めとし、親鸞を宗祖と仰ぐ宗派全体の合計で考えればその数は非常に多い。まさに浄土真宗は寺
院仏教と化している。しかしその寺院には念佛をつとむる會座を設けるという伝統はほとんど皆
無である。
 念佛をつとむる會座の無い浄土真宗の聞法道場が果たして浄土真宗の道場なのだろうか。聞法
道場という言葉は、いつ頃できた言葉なのだろう。聞法と道場とを組み合わせた聞法道場という
奇妙ないびつな言葉は、明治時代にできた明治の新語ではないか。僕はそんな風に思っている。
少なくとも宗派としての浄土真宗寺院仏教は、事実上、称名念仏を忘れ、称名念仏の無い聞法外
道と化しているというべきだろう。
 南宗禅は、臨済宗・曹洞宗という形で日本に根付いている。南宗禅は教外別伝・以心伝心とい
う概念を立てている。しかし、臨済宗・曹洞宗は膨大な数の書籍を社会に放出していることも事
実であろう。もっとも、臨済宗・曹洞宗には、坐るという禅定の中核の伝統は失ってないようだ。
座禅しながら念仏を称え如来禅という伝統を忘れた浄土真宗とは大きな違いである。
 現代の浄土真宗は壊れている宗教である。念仏道場が聞法道場と言われ出したとき、浄土真宗
は事実上音もなく崩壊し、真実は、人々を寄せ付けない竜宮に籠もった。最近、ぼくはそんな感
想をもっているのだ。

>>269 から始まった議論「浄土真宗とはなにか」については、これをもって終わります。

414 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/13(木) 13:37:01 ID:qxgLcTA/
 浄土教は男尊女卑、性差別の宗教なんじゃないか。こんな質問を貰った。根拠は阿弥陀仏の第
三十五願だと言う。

 たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人あって、我が名字を聞きて、
歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。寿終りての後、また女像とならば、正覚を取ら
じ(岩波文庫)。

 仮に自分は仏になっても、私の名声を聞いた女性が歓喜・信楽し、仏道を求めようと言う真剣
な心を起こし、自分が女性でなかったならどれほど良かっただろうかと、自分が女性の身である
ことを残念に思ったとする。その人が、死んで生まれ変わった後、再び女性となって生まれたな
ら、自分は正覚をとらない。第三十五願で阿弥陀仏はそう誓っている。この考えが女性蔑視の性
差別だという。

 阿弥陀仏の誓願を性差別に絡めて問題にする人が少なくないことは前から承知していた。しか
し、僕はこれまでこれを真正面から考えたことがなかった。性差別と言えば、阿弥陀仏の第三十五
願だけではない。思い出すのは例えば、蓮如には次のような言葉がある。

 女人の身は、五障・三従とて、男に勝りてかかる深き罪のあるなり。(第五帖)
 三従とは、女性の従属性を言う。幼にしてはその父に、若い時は夫に、夫死したる時はその子
息に従うべしという。五障とは、女性がなれないものを言う。梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王
・仏、この五つの地位にはなれないという。

 これをどう考えるかというのが問題になる。五障・三従の問題と阿弥陀仏の誓願とは別の問題
と考えた方がいいだろう。蓮如の言葉は、応仁の乱から戦国の時代という時代背景を抜きにして
考えることはできない。

 先に第三十五願を考えてみたい。

415 :神も仏も名無しさん:2008/03/13(木) 14:15:16 ID:wKJkYQ45
             ,. へ、___
            r'        \
            |         ,>
            /‐、__    i´
    ___,――´エ_、    ̄`ー l
    `ー―、__、   ー‐、____iニヽ、
     /     ̄`ー、_        ,`>
    i'´        r‐ゝヽ、ー―フ<´´       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  , ―‐´ ̄` ‐、    | iニ!、ヽ‐―´   ,>       |  あばよ……渡海!
/  / 、   ヽ.   ヽ,、_ヽ.ヽ     (,、    . <   ここは終了だ
  /   \   ト‐;/イ    \\   / ,i、__/レ,i.  |
 ∧     \ |   ヽ. , へ.ヽ ヽ、__、 /   ーノ  \________            ァ'⌒; ,ξノ),'´
  ヽ.     、ヽ| i  `v、   ̄ヽ、      <ノ          r__、_      ,‐ァ从  \8`';,: ,'´゙、<ノ)
   ヽ.    Y b/ /ヽ/      ヽト、_、k―´       ,、 ,_,.―'/ニニニl‐¬' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)≡≡`'※ζ;'´'``≡ = ─
    i     i l./  iく                    >;´,,‐――‐、ニハ rf―‐―――´Wヽ  ,'´ミ三彡`:'
         | i´`i―〈 ト、          ,‐、_  ,,,‐'''´´  ニニi、‐ ) r‐´       BAAN!! と:;*;O
         |/ / ./| ヽ. ̄`ー、__,;;:――´´ `ヽ `<´ ``` `   ニニ`Y´            | ̄ ̄ ̄: ̄
             _」,, ヽ‐'''''´      ,,ノ|   `i |    `` ``,、_ `ヽ                 |     :゚
                      __,,,/  ト‐‐'´L/ヽー―r'''' ̄  `;L/                |    ゚.。
                    ‐'''´  _,,, ‐―'´     .L___,,,ノ

416 :神も仏も名無しさん:2008/03/13(木) 14:24:47 ID:sfPcEQA4
念仏研修、また参加します。

>>415
いつもオツカレ


417 :神も仏も名無しさん:2008/03/13(木) 16:42:39 ID:00HhPg9v

                           ∧_∧
◎               へ          (´<_` )
  \    ≫ ̄ ̄ ̄ ̄彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
      彡____人  )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )  >>416=渡海難 ID変えてまで自作自演乙
 ◎-●一( * *    ヽミ          |.      |   
      ((_ _ (( ( ;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ〉     | |   
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ-=_二__ ̄    \     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ       ̄\     / /
       (__))     ヽ        .\__/_丿
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       |  〉三三三[□]三)        |  |
       ノノノノ:::::::::::::::::::::::::::::/         \ ヽ
       ~~~|::::::::::::::::::/:::::::/             \ |
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418 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/19(水) 12:00:30 ID:UOIzh5G2
 どんな書物でも読み方がある。経典も一つの書物である以上、書物の読み方の作法に従わなけ
ればならない。書物には必ず作者がいる。読み手は作者が何を伝えようとしているのか、作者か
らのメッセージに注目して読んでいくのが原則である。
 しかし、経典の場合には特異的な読み方をする必要がある。例えば大無量寿経の場合、親鸞に
教えを学ぼうとする者は、親鸞はこれをどのように読んでいたかということも、常に考えていか
なければならない。これを僕は親鸞フィルターと呼んでいる。
 親鸞はしばしば先人の書き物について、その趣旨を換骨奪胎して読んでいる。換骨奪胎する読
み方には、彼には彼独特の論理がある。親鸞に教えを学ぼうとする者には、親鸞のその論理が非
常に重要となる。しかし、我々は親鸞フィルターを外して原典を読むことも重要である。なぜな
ら、親鸞は当時、親鸞フィルターを付けてない人々に向かって自らの論理を説明しているからだ。
親鸞フィルターを外すことを知らなければ、親鸞が本当に言おうとしていることが見えなくなる。
 また、親鸞フィルターを外すことは、親鸞に批判的な人々と話をするときにも極めて重要にな
る。なぜなら、親鸞に批判的な人々は親鸞フィルターを付けていないからだ。親鸞に対し批判的
な人と話をするとき、親鸞フィルターを外さなければ、話の土俵が設定できない。客観的合理的
な話が不可能になる。親鸞を全く知らない人と話をする場合も親鸞フィルターを外して話をしな
ければならない。親鸞フィルターが外せなくなっている人は、「教条主義者」という。そういう
人は歪んだ精神構造のいわば人造人間である。親鸞フィルターを外すということは、当然のこと
ながら経典作者からのメッセージに注目して読んでいくということである。

419 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/19(水) 12:01:28 ID:UOIzh5G2
 大無量寿経の阿弥陀仏第三十五願は、通常、女人往生の願と呼ばれている。女人往生の願につ
いては、親鸞による直接の論述はほとんど無い。僕が確認しているのは、「四十八誓願」という
記録である。これは専修寺に真筆があるそうだ。恐らく文化財の指定を受けているだろう。この
記録は、四十八箇条の誓願全てを述べ書きしてあるだけの内容である。言い換えれば、親鸞は、
女人往生の願についてほとんど関心がなかったと考えていいだろう。そうであれば、僕らは女人
往生の願について親鸞から学ぶものはほとんどない。大無量寿経の作者のメッセージだけを考え
ていきたいと思う。

 釈迦は北インドに祇園精舎を建設した。釈迦の弟子達は、教育こそが社会にとって最も重要な
問題であると考え、各地に祇園精舎の分校を建設した。世界中に広まっている寺院は、東大寺も
薬師寺も金剛峰寺も、全て本来は祇園精舎の分校である。大無量寿経は、仏弟子達に、阿弥陀仏
を理想とし、阿弥陀仏の化身となって釈迦のような教育者になり、極楽浄土を理想として祇園精
舎の分校を造ることを勧めている。女人往生の願とは、このような著者のメッセージの論筋の中
で提起されてきている問題である。そのように読んでいくことが必要だろうと考える。(続く)

420 :神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 13:09:19 ID:/D05J4Lo
弥陀の大悲ふかければ 仏智の不思議をあらわして 変成男子の願をたて 女人成仏ちかいたり

弥陀の名願によらざれば 百千万劫すぐれども いつつのさわりはなれねば 女身をいかでか転ずべき

葬式でおなじみ和讃


421 :298:2008/03/20(木) 01:29:42 ID:2ncFABYu
>>420
帖外和讃も。

◎六八の弘誓のそのなかに
 第三十五の願に
 彌陀はことに女人を
 引接せんとちかいしか

422 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/20(木) 11:16:34 ID:rXVEMMiD
>420-421
なるほど。僕が見落としていた部分を教えて下さったことを感謝します。宗祖も女人成仏とい
う問題についてはかなり注目していたことが改めて分かりました。
 この和讃を読んでみると、親鸞思想全体の中で、女人成仏は基礎的な重要部分を占めているよ
うです。実は、僕には前々から教行信証でどうもおかしいと思っていた部分があった。どうもお
かしいと思っていたその部分が、今回のこの和讃で埋まるような感じがしています。蓮如の女性
観も、親鸞からのその論筋で考えていかなければならない。
 親鸞の女人成仏論は親鸞に始まる議論ではないようです。法然上人自身が女人往生に非常に注
目され、親鸞はその流れを汲んでいる。女人往生・女人成仏は法然流浄土門の重要な原点の一つ
であるようだ。女人往生・女人成仏の考えは、浄土教ではかなり相当重要な思想であることが分かり
ました。
 法然流浄土門の考え方はひとまず保留し、大無量寿経の著者が伝えているメッセージを先に考
え、そこから親鸞の考えを追ってみたい。


423 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/24(月) 10:05:17 ID:hXIeq1+Q
 岩波文庫の浄土三部経で読むと、女人往生の願は、梵文では第三十六願に出ている。

 世尊よ、わたしが覚りを得た後に、あまねく無量・無数・不可思議・無比・無限の諸仏国土の
女人達がわたしの名を聞いて、きよく澄んだ心を生じ、覚りに向かう心をおこし、女人の性を厭
うたとして、その女人たちが生を脱してから再び女人の性を受けるようなことがあったら、その
間はわたしは、この上ない正しい悟りを現に覚ることがありませんように。

 梵文大無量寿経の女人往生の願は、漢文の女人往生の願と内容は実質的にほとんど変わってな
い。すなわち、女人往生の願の思想は、康僧鎧が中国に大無量寿経をもたらす前、既にインドに
おいて発生していたと考える。
 経典の著者の真意を考える場合、古代インドで、当時、この思想が社会からどのように受け止
められたかを考えたい。重要な資料がある。それは法華経だ。

 薬王菩薩本事品はいう。 〜 若し如来の滅後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞
いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処
に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。 〜 。

 法華経の薬王菩薩本は言う。もし釈迦如来が入滅後五百年以内であれば、女性にとって、妙法
蓮華経は大いに救いになるだろう。この妙法蓮華経、特に薬王菩薩本事品の教えを聞き、ここに
書いてあるように修行を行えば、命終後、安楽世界、極楽浄土に往生することになるだろう。

 薬王菩薩本は仏への供養の方法を説いている。薬王菩薩本では、喜見菩薩と日月浄明徳仏とが
登場する。喜見菩薩は、自らの身体をもって供養することが重要である言い、喜見菩薩は日月浄
明徳仏の前で自らの体を燃し、八十億恒河沙の世界を照らしたいう。その後、日月浄明徳仏は滅
度に入る。喜見菩薩は、日月浄明徳仏の仏身を焼き、舎利を供養する。釈迦はここで、自らの手
の指、足の指を燃やして仏塔を供養することを勧める。

424 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/24(月) 10:07:39 ID:hXIeq1+Q
 もし女性がこの薬王菩薩本事品を聞き、それを実践すれば命終後、安楽世界に生まれるだろう
と説く。

 僕は法華経の解釈を議論するつもりはない。実力もない。女人往生の問題に注目する。大無量
寿経では、女人往生の願は四八願の中で後ろの方にある。願全体の扱いでは決して派手ではな
い。比較的地味な扱いだ。しかし、法華経のこの記載から見ると、浄土教グループ以外の例えば
法華経グループなどからは、浄土教グループの重要な特徴として尊敬を持って注目されていたと
いうことがうかがえる。
 薬王菩薩本事品はいう。「(日月浄明徳仏)の国には女人・地獄・餓鬼・畜生・阿修羅等及び
諸難あることなし」。一般に浄土には女性はいない。例えば優填王経はいう。女人もっとも悪難
をなすこと一なり。縛著してひとをひいて罪門にいる」。
 古代においては、男性の教育こそ焦眉の課題だったことは想像に難くない。女は家にいて家を
守り、子供を育てる。男は外に出て生活の糧を得てくる。こういう性による役割分担は、古代で
はどこでも自然な考えだったろう。かつて祇園精舎、竹林精舎は共に男子校としてスタートして
いる。女子の入学を認めるときにはいろいろ問題があったようだ。

 女性にも男性と劣らないだけの教育をすることは必要であることは、識者であれば誰でも認め
ることだったろうと思う。しかし、男女を共に教え、それによって男性の教育に困難が生じ、共
倒れになって仕舞えば元も子もない。古代における社会的な教育の基盤は、現代と比べれば比較
にならない程脆弱だったことだろう。結局、古代の学校では男子優先の原則の下で、女子教育は
犠牲にせざるを得ないというのが常識ではなかったか。
 阿弥陀仏の女人往生の願とは、古代においてその常識に挑戦し、女子教育の重要性を明文を持
って宣言した考えであり、古代インドでは恐らく特筆的な主張だったろうと考える。(続く)

425 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/01(火) 16:52:44 ID:HSM+pn8i
 かつては男性の教育こそ焦眉の課題だった。そういう社会の中で、女人の往生の願は、
敢えて女子教育の必要性を訴えている。女人の往生の願はそういうことを言っているのだ。
こうした仮説が経典の文字面において正当性を持ちうるか。ここを考えてみたい。

 たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人あって、我が名字を
聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。寿終りての後、また女像となら
ば、正覚を取らじ。

 「十方無量不可思議の諸仏世界」とは、どのような世界にある女性であってもという意
味だろう。「女人」とは女性という意味だ。年齢は問題にしていない。名字を聞きて、歓
喜信楽し、菩提心を発してとは、先生の名声を聞いて自分も先生の下で学習したいという
思いを持った場合ということだろう。「女身を厭悪せん」とは、女性である身を悲しむと
いうことだろう。「寿終りての後、また女像とならば」とはどういう意味か。例えば、死
んで生まれ変わり、また女性となればという意味であると考えると、上記の仮説は成り立
たない。
 「寿終えて後」を親鸞は「いのちおえてのち」とかなをふっている。いのちおえるとは、
意思と行動において、従来のあり方が大きく変わるいう意味だろう。従来の意思・従来の
行動が通用しなくなるということだ。従来の価値観が当てはまらなくなること、つまり、環
境が激変するということだろう。

426 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/01(火) 16:53:18 ID:HSM+pn8i
 女像であるとは、学習の世界に参加できない身と言う意味だろう。つまり、学校という
ものは、当初は男性教育を優先する。しかし、やがて学校業務も軌道に乗ってくれば、開
校当初とは環境が大きく変わってくる。いつまでも開校当初と同じではない。女性であっ
ても入学がさせられるような環境が揃ってくるだろう。しかし、もしそれにも関わらず、
相変わらず女性は入学できない身のままに取り残されているような状況が続くなら、その
間は大乗仏教が理想とする真の教育者になったことにはならない。阿弥陀仏の三五願はそ
ういう意味ではないのか。
 確かに、もしこういう推論を立てるなら、文理にやや無理があると言われるかも知れな
い。「また、女像となる」という表現とは、意味に距離がある。文理が通じにくいと言わ
れるかもしない。しかし、大きく環境が代わった後、再度入学をやりなおしても、「女性
であることを理由に、二度目も拒否せざるを得ない」。そういう意味であると考えれば、
意味は通じるのではないか。法華経の文面を援用すれば、当時の浄土教の哲人達の真
意は、まさにそのようにうかがえてくる。

427 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/01(火) 23:22:41 ID:HSM+pn8i
>426
誤 再度入学をやりなおしても、
正 再度申請入学をやりなおしても、

428 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/01(火) 23:26:20 ID:HSM+pn8i
>427
ドジってしまった(苦笑)。  訂正の訂正だ。 ┐('д')┌

誤  正 再度申請入学をやりなおしても、
正  正 再度入学申請をやりなおしても、

429 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/02(水) 13:13:13 ID:Aog3qGmn
 女人往生の問題について、法然・親鸞はどう考えていたのか。これを考えてみたい。
 法然・親鸞の時代、全国の国分尼寺は全てほとんどが消滅していた。比叡山も高野山も女人禁
制であり、恐らく、奈良のごく一部の寺をのぞけば、京都・奈良の大寺院はほとんど女人禁制、
男性僧だけの社会だった。女性は、事実上、戒律さえ授かる場所がなかった。尼僧になろうとす
れば、女性は事実上、自分で勝手に髪を短く切り、勝手に僧を宣言をする以外、正式に僧となる
手続きはなかった。いわば日陰者の存在だった。

 法然は天台の戒師である。戒師は、仏道入門者に戒律を与え、相手がその戒律を守ることを誓
えば、仏道への入門を許可する。法然は、極めて重要な資格を持っていた。女性にも正式な仏道
への参加の道が開かれなければならない。法然は恐らくそう考えていたのだろうと思う。しかし、
男子禁制の比叡山延暦寺を背景とする法然には、女性に授戒することはできなかったはずである。
 法然は、流罪で讃岐に渡るに当たり、港である女性に、念仏によって極楽浄土に往生できるこ
とを説いたと、法然の絵伝は伝えている。この他にも、存覚の女人往生聞書きは、法然が多くの
女性に念仏往生を説いたという。女性が尼となるに当たり、後ろ暗い思いを持つ必要はない。法
然は、大無量寿経に基づいて、日陰ではない正式な仏道参加の道を明示したいうことだろう。

430 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/02(水) 13:14:47 ID:Aog3qGmn
 比叡山も高野山も、その他の奈良・京都の寺院(学校)も、鎮護国家の目的のためには、男子
教育こそ優先しなければならない。男子を教育している場に女性が加わってくれば、生徒は一気に
誘惑の渦に巻き込まれる。勉学に集中できなくなる。男子を対象とした教育の場からは女性は遠
ざけなければならない。しかし、女性にも教育が与えられなければならないということは当然の
ことだ。法然は、称名念仏という形で戒・定・慧の内の定を行うことを教え、正式な仏道者とし
ての自覚を促したのだろうと考える。

 法然の女人往生論は、大無量寿経から直接導くスタンダードな論議だろうと思う。しかし、親
鸞の女人往生論では善導大師が絡んでいる。善導大師を絡めたこのような女人往生の扱い方に僕
は注目したい。
 親鸞は言う。
「弥陀の名願によらざれば 百千万劫すぐれども いつつのさわりはなれねば 
女身をいかでか転ずべき」。

親鸞のこの和讃は、善導大師を紹介している和讃の一部なのだ。名
願は、善導が使っている言葉である。これは一体何を意味するのか、これを考えてみたい。
                               (続く)

431 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/04/02(水) 14:25:10 ID:zQKEthS5
    O
      o     、,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
       。  ノ´::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
        (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
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       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  /~~ヽノ:::)    ヲ
       || ((((○)))) 0⌒0 (((((○))) | ̄´ ´~) );;::)    タ
       |\___/ノ  ミ\___/ヽ  つ, ノ;;;:ノ     で
       | ´     ./   、´    `   (_ノ;;;ノ      あ
       <      (。、 。)         >;;;;::ノ       っ
        \    ノ`∪´ ヽ、  ●、  /|;;;;ノ        た
         | ....(/~~~~~~~\)....    彡 |ノ 
         |  ( ̄ ̄~~~ ̄ ̄)     | イ
         |   ~~ ̄`´ ̄~~´;;   /  |
          \  .....´⌒`......   /    |
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432 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/05(土) 10:34:34 ID:Ua9n4pae
 親鸞の女人往生観を考える場合、教行信証の前序文に注目したい。

 釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、
世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。

 親鸞は、釈迦が浄土教を開教したときの由来を説明している。浄土教の開教には、釈迦在世時代、
釈迦が相談役を勤めていた王家で生じた親殺し事件が密接に絡んでいる。かつてインドには摩訶陀
国という国があり、王舎城という城があった。王の名を頻婆娑羅と言い、王妃の名を韋提希という。
一人息子の王子がいた。名を阿闍世という。阿闍世は、提婆達多に騙され、父を殺して母を幽閉す
る。提婆達多は釈迦の従兄弟である。韋提希は釈迦に筋違いな恨み言をぶつけながら、また泣きな
がら釈迦に救いを求める。このとき韋提希は釈迦に阿弥陀仏の極楽浄土に行きたい訴える。釈迦は
韋提希に、阿弥陀仏の極楽浄土に往生する方法を説く。

 王舎城事件には登場人物が多い。釈迦・頻婆娑羅・韋提希・阿闍世・提婆達多、その外にも大臣
・門番・目連・阿難、等々がいる。ここで問題になるのは、「権化の仁」という言葉である。権化
の仁とは、遠くにいるはずの偉大な聖者が、仮の姿で身を落とし、我々の前に現れてきて下さった
方という意味である。権化の仁は、誰を指しているのか。ここが問題になる。韋提希を親鸞は権化
の仁と呼んでいるのは間違いがない。それでは韋提希だけが権化の仁なのか、韋提希は例示であり、
王舎城物語の登場人物は全て権化の仁なのか、その解釈で意味が大きく変わってくる。

 韋提希だけなのか、王舎城物語の登場人物は全てなのか。この問題は、過去に二転三転している
難しい問題なのだ。

 阿闍世を唆した提婆達多について、法華経は言う。「提婆達多却って後無量劫を過ぎて当に成仏
することを得べし。天王如来 〜 世界を天道と名けん」。遠い将来であるが、提婆達多はやがて
仏になる。天王如来と名乗り、天道という名の浄土を作るだろう。

433 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/05(土) 10:35:07 ID:Ua9n4pae
 父を殺した阿闍世について、普超三昧経は言う。「文殊に従って懺悔して柔順忍を得、 〜 の
ち、当に作仏して浄界如来と号く」。文殊菩薩に従って懺悔し、やがて浄界如来という仏になるだ
ろう。
 釈迦に筋違いな恨み言をぶつけた韋提希について、心地観経は言う。「衆生を度せんがために女
身を示現す、 〜 無縁の大慈、無碍の大悲、衆生を憐慈し、猶赤子の如し」。人々を救うため、
女性の姿を示し、母親が自分の赤ん坊に注ぐような心で人々に大慈大悲を寄せているという。
 天台宗の実質的開祖である天台智(538〜597年)などは、韋提希を偉大な仮の菩薩と評価し
た。

 ここまでの先人達は、王舎城物語の登場人物を、浄土教という重要な教えを開くため大事な役割
を果たした重要な人々として、最大限の尊敬を寄せているということがわかる。

 これに対して異議を述べたのが善導大師(613〜681年)である。善導は観無量寿経の一節を引
用する。観無量寿経の中で釈迦は韋提希に言う。「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣(るいれつ)にし
て未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」。善導大師は、観無量寿経の「凡夫なり」という言葉
に注目する。
 善導大師は、観経疏の「序分義」でいう。「韋提は現にこれ菩薩の仮に凡身を示し給いしもの、
我等罪人比及するに由し無しと。この疑を断ぜんがための故に、如是凡夫と言うと明すなり」。
 善導大師は、観経疏の「序分義」でいう。「韋提希は、本来は菩薩であるが、仮に身を落とし、
あたかも凡夫のような姿を取ってきた方である。我々のような罪人とは、本質は比べ者にならな
い」と。このような考えがある。しかしこの考えは間違えだろう。このような間違った疑いが起こ
らないように、観無量寿経では敢えて『汝はこれ凡夫なり』という言葉が加わっている。

434 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/05(土) 10:40:24 ID:Ua9n4pae
 この問題について、教行信証講義「赤沼智善・山辺習学」は言う。

 もし聖道門の諸師(天台大師など)のように、韋提希夫人等が智徳円満の聖者であるとするなら
ば、『観経』一部はこれら聖者のために説かれた教であって、真実の凡夫の救わるる教ではなくな
る。弥陀の本願は悪人凡夫のために起して下された大慈悲の結晶〈かたまり〉でなく、凡夫救済の
道がここに全く途絶えて仕舞うことになるのである。こうなっては、本為凡夫、兼為聖者という弥
陀如来の本願の覚召に乖く許りでなく、全く釈迦如来のこの世へ出現し給うた本意が隠れて仕舞う
ことになる。善導大師は、自分のお心に頂かれた領解から、古今の諸師を揩足して、大師独り、韋
提希夫人等を真実の凡夫と見込れたのである。こうなって初めて、本為凡夫の浄土教が生きて来る
ので、我々のやうな愚痴な者でも救臍せられるという大希望が各〈おのおの〉の胸に湧いて来るの
である。

 確かに、教行信証講義の説明は分からないではない。問題はその次である。教行信証講義「赤沼
智善・山辺習学」は言う。

 処が、不思議なるかな、一代全く善導大師の念仏を祖述し給うた親鸞聖人は、更に善導大師のこ
の見方に反して、これら韋提希夫人等を大権の聖者と拝まれたのである。このことは、今の「総序
の文」に見ゆる許りでなく、『浄土和讃』の中には明に、

弥陀釈迦方便して 阿難目蓮富楼那韋提 達多闍王頻娑婆羅 耆婆月光行雨等
大聖おのおのもろともに 凡愚底下のつみひとを 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり

と示し給うてある。親鸞聖人の御思召から頂くと、これら韋提等の人々は皆、本地は、果上の大菩
薩であって、その本地の大菩薩が仮に人間と顕われて心想羸劣の凡夫の姿を示し私共を浄土へ誘引
せんがために、一場の芝居を演じて、いかに悪逆の凡夫でも、女人でも、ひとしく、弥陀如来の救
済に預るということを身を以て教えて下されたのであると窺われたのである。

435 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/05(土) 10:51:42 ID:Ua9n4pae
 前置きが長くなった。「韋提希夫人等を大権の聖者と拝まれた」という「等」が問題になる。阿
難・目蓮・富楼那・韋提・達多・闍王・頻娑婆羅・耆婆・月光・行雨はすべて王舎城物語の登場人
物である。その全てを権化の仁といっているのだろうか。教行信証講義の提起しているここを問題
にする。

436 :神も仏も名無しさん:2008/04/05(土) 10:55:10 ID:3agRU7lw
不参加に投票しようぜ!!

[アンケート]五輪開会式ボイコット問題、日本はどうした方がいい?
ttp://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizvotes.php?qp=1&poll_id=2038&typeFlag=1



これを見た人は他のスレにも貼ってほしい


437 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/10(木) 09:42:04 ID:N6UEwWOI
 僕は、教行信証講義「赤沼智善・山辺習学」を従来説と呼ぶ。教行信証講義を従来説と呼ぶこ
とが本当に正しいかどうか、その辺はよくわからないが、おそらく現代の教行信証論は、ほとん
どがこの本を参照しているだろう。その意味でこの本は現代の浄土真宗界では古典と呼んでいい
と思う。

 教行信証講義は、「韋提希夫人等を大権の聖者と拝まれた」という。その根拠を検討しよう。
従来説の教行信証講義が言う根拠は親鸞の和讃だ。もう一度引用する。

 弥陀釈迦方便して 阿難目蓮富楼那韋提 達多闍王頻娑婆羅 耆婆月光行雨等 大聖おのおの
もろともに 凡愚底下の罪人を 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり

 阿弥陀仏と釈迦仏は、巧みな方法を使った。阿難・目蓮・富楼那・韋提・達多・闍王・韋提・
耆婆・月光・行雨等、こうした人々に対し、大聖つまりお釈迦様は全てを包含された。平凡で愚
かな罪人を、阿弥陀仏の誓願の中に巧みに誘い込まれたのである。親鸞はそんな風に歌っている。

 韋提は韋提希という意味である。達多は提婆達多、闍王は阿闍世である。王舎城物語の登場人
物はこれだけではない。親鸞は主な登場人物を列記しているだけである。
 この和讃で誰かを権化の仁と呼んでいるだろうか。阿難から行雨等は全て方便の客体である。
方便の主体は弥陀釈迦である。大聖とは釈迦を指す。釈迦を大聖と呼んでいる他、誰かを権化の
仁と呼んでいる事実はない。
 阿難や目蓮も含め、親鸞は、富楼那や韋提もすべて凡愚底下の罪人とよんでいる。罪人とは犯
罪者という意味ではない。自分たちだけでは救いを得られない人という意味だろう。

438 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/10(木) 09:42:34 ID:N6UEwWOI
 ここでは韋提を富楼那・達多・闍王と同列に扱っている。しかし、教行信証講義が引用してい
ないもう一つの大事な和讃がある。そこでは親鸞の主張が明確に現れていると思う。

 釈迦韋提方便して 浄土の機縁熟すれば 雨行大臣証として 闍王逆悪興ぜしむ

 浄土教を開く機縁が熟してきたことを見計らい、浄土教を開く証として、雨行大臣を使い、釈
迦と韋提希は巧みな方法で闍王に逆悪を興させた。親鸞はそのように言っている。
 少し解説が必要だ。阿闍世は提婆達多からある唆しを受けた。不安になった阿闍世は、部下で
ある雨行大臣に相談する。雨行大臣は提婆達多の言葉に間違いがないことを告げ、阿闍世は父を
つかまえる。阿闍世は父(頻娑婆羅)を殺し、父を庇おうとした母(韋提希)を幽閉する。

 この和讃で注目すべきことは、韋提希は雨行大臣や阿闍世と同列ではないということである。
韋提希は釈迦と共に方便行為の主体になっている。雨行大臣と阿闍世は方便行為の客体である。
そうであれば、教行信証の前序の言葉も、この文脈で読むべきだろう。

 教行信証の前序は言う。
 釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済
し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。

 権化の仁とは韋提(韋提希)だけをさし、権化の仁には、王舎城事件の登場人物であっても韋
提希以外は含まないと考えるべきだろう。「韋提希夫人を大権の聖者と拝まれた」というべきで
あり、「韋提希夫人等を大権の聖者と拝まれた」という教行信証講義(従来説)は誤りであると
僕は考える。

 阿弥陀仏・釈迦仏を別格とすれば、親鸞の考えでは韋提希だけが権化の仁である。これはどう
いうことを意味するのか。ここから親鸞の女人往生・女人成仏観を考えてみたい。

439 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/10(木) 19:47:15 ID:N6UEwWOI
 追記
 教行信証講義は、インターネットで公開になっています。

http://www.seppou.com/03siryou/akanuma/kougi1-2.html

 (1-168)という文字列を検索すると

 〜 足して、大師独り、韋提希夫人等を真実の凡夫と見込れたのである。 〜 親鸞聖人

の御思召から頂くと、これら韋提等の人々は皆、本地は、果上の大菩薩であって、 〜 
                    ~~
身を以て教えて下されたのであると窺 〜

 とあります。この部分を問題にしています。

440 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/20(日) 13:41:47 ID:+gLIXNEz
 遅れています。続きは近日中に書きます。 m(_ _)m

441 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/20(日) 21:36:40 ID:+gLIXNEz
 興味深い記事を見つけました。鎌倉から室町期、先人達はどのよう
な本尊を使っていたのか、存覚さんが教えてくれています。

【浄土の真宗】がんばれ親鸞会
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1171329640/355

442 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/21(月) 12:10:19 ID:GJmtLQ9b
 親鸞の意識を考えよう。韋提希は釈迦と並んで方便の主体である。雨行大臣・阿闍世などは方
便の客体である。教行信証の前序が言う「権化の仁」もこの文脈で考えるべきである。親鸞は、
在家で女性である韋提希を、阿弥陀や釈迦と同等の存在としてこれを浄土教の創設者に加えたと
いうことである。

 これは、従来の仏教の考えにはなかった考えである。法華経は言う。「女人の身には猶お五障
あり、一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身
なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん」。法華経では、最後は龍女が男子に変成して仏に
なるという話になっているが、女性が、女性のまま、まして在家のままで仏になるという発想は
ない。

 仏とは教育者だ。古代では、基礎学習について男子を女子よりも優先的に教育し、より早く社
会に輩出しなければならないと考えていた。女子にも教育の需要は当然あったろうが、男子に対
する需要の方が圧倒的に高かった。男子教育を優先しなければ、社会の需要を満たせない。教育
は命がけの仕事であり、教師は生徒と、肉体的にも精神的にも命がけで格闘する。仮に、女性教
員であっても、男子生徒に対しては男勝りの戦いが要求される。仏教は、仏つまり教育者は、原
則的に男子に限ろうと言う古代の考えは納得できるだろう。
 しかし、親鸞は、人々を教え導く教育者、つまり実質的な仏としての働きを女性の中に認め、
その具体例を韋提希の中に認めた。

 親鸞は、浄土教に新たな視点を持ち込んだというべきだろう。浄土教とは何か。それは、他の
仏教の教えが、実質的に男子中心の仏教であるのに対し、これは女性が中心となる仏教である。
現代の日本にも多くの女子校・女子大学というのがある。現代日本の女子校・女子大学は男子の
入学を認めない。学校という形を取れば、僧寺は女人禁制、尼僧寺は男子禁制が原則となる。親
鸞は浄土教を学校教育という舞台から社会教育という舞台に移した。社会教育には男子・女子の
区別はない。しかし親鸞は、浄土教創設者の一人に韋提希を配置した。浄土教による教育の主眼
は女子教育にある。そのように考えたのだろうと思うのである。

 女人往生論・女人成仏論を終わります。

443 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/21(月) 12:10:58 ID:GJmtLQ9b
あげ

444 : ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/04/21(月) 14:17:23 ID:hwbepUGW
             / ̄ ̄ ̄ ̄\
             (         )
              |ミ/  ー◎-◎-)
            (6     (_ _) )
             |/ ∴ ノ  3 ノ
             \_______ノ
                /⌒∨⌒〉
              ミ二二ミ/
              /   /
           ( ⌒ε= ⌒ )
            | )  |il ̄( |
            | /   |‖  | / | l| ブーッ!!
           彡ヽ   | l|  ノミ  ||
        ‖l      | ||     l
         | |     丿ヽヾ、
          |   (⌒    丶⌒ヽ
           (´⌒  ⌒  ⌒ヾ
          ('⌒ ; ⌒   ::⌒  )
         (´     )     ::: )
         (´⌒;:    ::⌒`) :;  ) 
         (⌒::   ::     ::⌒ )
          (    ゝ  ヾ 丶  ソ
          ヽ  ヾ  ノノ  ノ

445 :神も仏も名無しさん:2008/04/22(火) 18:47:09 ID:iPZ4m7Nz
無評判無節操無力無知無駄無能無法無策無情無理無頓着無機脳無用無益無智無恥
馬鹿死ネクタバレ消エロ失セロ潰レロ,-――――――-.アホ間抜ケドジ怠ケ者無縁仏無効無役無視無駄骨
最低以下下劣下等種族クズ /排泄物人間之屑 |ポンコツトンチキガラクタカスゴミアメーバ無防備無縁
外道ウジ虫ガン細胞無慈悲/ 蛆虫悪魔性格障害|劣等種族下衆野郎腐レ外道邪道害虫
疫病神病原体有毒物質 / 極悪非道腐臭精神 |ウィルスバイ菌汚染源公害ダイオキシン
アメーバダニゴキブリ渡海難 l" 宇宙一之精神障害者渡海難発ガン物質猛毒毒物シデムシ
糞虫野郎ホラ吹キ糞,、_lー-―――――‐--、/l毛虫ボウフラ芋虫掃溜汚物ゲロ
基地外デタラメ渡海難 i ト、ミミ ,r‐- 、``'ニ=‐、.彡リ穀潰ロクデナシゴロツキヤクザ者
犯罪者反乱者痴漢ヾ,iパ,.ィ^'''‐、  _,,..  彡'i)社会ノ敵前科者インチキ渡海難
道化師危険分子痴呆 `、j,'  `‐-‐ノ^{" `j-.ハン ゴミ虫毒虫便所コオロギ詐欺師
魔物妖怪悪霊怨霊死神 i,   ` ,、/ i`~~~ ,r'貧乏神奇天烈奇人変人毒ガス
野郎畜生鬼畜悪鬼クソブタ 'i  ,r'ヽ、 _,〉  /ソマンマスタードガス渡海難ブタペテン師白痴
カビ腐敗膿下劣下等生物 i,  ミ=_‐_-, 'i /邪気邪鬼ストーカークレイジーファッキンチシット
小便便所ノ落書渡海難 ハ;;ヾ、‐‐-、  ノ´障害物邪魔者除ケ者渡海難カビ腐ミカン
土左衛門腐乱落伍者/ `  ;`‐---‐'i':/ \腐臭犯人ナラズ者チンカス膿垢フケ渡海難


446 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/23(水) 14:41:49 ID:dekAveB5
 浄土真宗の基盤は五会念仏にある。僕はそう信じている。鎌倉期から室町期にかけ、浄土真宗
の先人達は、篤志家の家に集まり、仏像・名号を安置し、そこを道場として、仏前で三十分なり、
一時間なり五会念仏を一緒に称えあったんだろう。五会念仏の後は、座談をしたんだろうと思っ
ている。蓮如上人がいう「物を言え、物を言え」というのは、その座談の時のことだろうと思う。
 禅寺でも、座禅をした後、座談をする。座談は非常に重要だ。かつての念仏道場でも、座談の
時、互いに感じたこと、思ったことをその場で言葉にし、その思いを人々が互いに共感しあい、苦
しみや悲しみを互いに共有し合ったことだろう。僕も五会念仏の後の座談を重視し、今年の三月
に行わせて貰えた念仏研修でも座談の実施を提唱した。

 複数の人が一緒になって五会念仏を称えたなら、是非、その直後に座談を行って欲しい。念仏
はただ称えても助からない。称えっぱなしではもったいない。五会念仏からは様々な気づきが生
まれる。生まれた気づきは、放っておくと忘れてしまう。気づきは、気づいたというその事実に
も気づいていくことが必要なのだ。これが自然にできる人とできない人がいる。気づいたという
その事実に気づいていくという作業は、座談を行うと回りから援助して貰える。座談は、五会念
仏で生まれた気づきに気づいていく作業を援助する。座談を重ねていけば、やがて座談がなくて
も、一人で五会念仏を称え、一人で自力で気づきに気づいていけるようにもなるだろう。

447 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/23(水) 14:46:29 ID:dekAveB5
 座談は無駄話ではなく、効果的に行っていく必要がある。それはどの様におこなうのか。ぼく
は一つのスタイル候補として、カウンセリング方式を念頭に置いている。これは、米国心理学者
の故ロジャーズ博士が提唱した方式だ。グループカウンセリング、エンカウンターグループ(出
会いグループ)などとも言われ、特にベトナム戦争で傷ついた米兵の心の科学的な治療法として
絶大な効果を発揮したと聞いている。ロジャーズ流は、故友田博士などが日本で普及させ、日本
でも多くのカウンセラーがこれを勉強している。この方式は、カトリックとともに、かなり日本
の禅宗の影響を受けていると聞いている。
 五会念仏に賛同してくれて、自分も五会念仏を内容とした念仏道場を主宰してみたいと思う人
がいれば、現代であれば、是非カウンセリングを勉強してほしいと思う。無論、カウンセリングは
ロジャーズ流だけでなく、世界的にはさまざまな技術が研究されている。僕は、ロジャーズ流し
か知らず、ロジャーズ流が一番いいと思っている。

 カウンセリングの学習会は各地で開かれている。無論、大学に入って勉強するというのも選択
肢の一つだ。大学以外でも開かれている。僕が尊敬していて、僕がかつてカウンセリングを教わ
っていた先生も、いまなお健在で盛んに学習会を行っている。近いうちにその先生を囲んだ数日
間の泊まり込み学習会もあるようだ。僕は、多忙で参加する予定はないけど、参加してみたいと
思う方には案内のURLなら紹介できる(tkatasi@mail.goo.ne.jp)。
    (2ちゃんねるでの直接掲示は憚る)。
 僕には他人にカウンセリングを教える力はない。五会念仏に心動かされ、その後の座談も主宰
してみたいと思う方、心動かされる方は、そんな心理学の門も叩いてみてほしい。
                                  数日間、カキコ不能

448 :神も仏も名無しさん:2008/04/27(日) 09:39:03 ID:MQASBshV
はじめまして。いつも先生のスレ未熟ながら拝読させていただいてます。
私は26歳の予備校生の男です。実は先生にご相談があり、見当違いな書き込みさせていただいたのですが、私は来年大学へ行って四年間仏教を学びながら、
自分は何をして生きていくのか、どういう人間になりたいのか、ということをしっかり考えたいと思っております。
しかし、特に宗派的な信仰もなく人間的にもかなり未熟で浅はかな今の私には、どの宗派の大学で学ぶことが最もよいのか日々悩んでいます。何か良いアドバイスいただけないでしょうか?
お願いします。


449 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/04/27(日) 10:39:50 ID:U5v62+P8
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>448 大学へは行かないほうがいいよ〜ん。
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   親鸞会に勧誘されちゃうから。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  それより僕と一緒に座禅念仏やらない?。
   (__/

450 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/27(日) 15:17:30 ID:JWywp8qD
>448
 フリーメールで結構ですからメールをください。
     tkatasi@mail.goo.ne.jp

451 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/29(火) 19:50:27 ID:Os6xAedS
 念仏研修を3月上旬と3月下旬の計2回ほど、愛知県で行なわせて貰えました。恐らく徳川幕
府が天下を統一し、念仏道場が事実上、強制的に終息させられてからおよそ四百年ぶりの念仏道
場の復活の一瞬だったと思っています。平成の念仏道場はどのように再開したか。報告しておき
たいと思います。
 お寺の一間を使わせてもらいました。いずれも、参加者は十人足らず。坊さんもいれば、在家
の人も来てくれました。念仏道場の提案・場所提供・呼びかけ・接待してくれたお寺には心から
の敬意と感謝を表したいと思います。
 オリエンテーション・聖教拝読・称名・座談というスケジュールで行いました。オリエンテー
ションは、実際には一時間程度かかりました。ほとんど僕とは初対面だったので、僕は、プリン
トを渡して経歴を説明し、自己紹介しました。
 鎌倉時代から室町・戦国時代にかけての念仏道場をできるだけ文献に忠実に復活してみたい。
僕は、そのように言い、文献としては、教行信証・五会法事讃略抄・至道抄・蓮如上人聞き書き
を挙げました。

 念仏道場は聖教拝読から始めました。かつて、人々は篤志家の一間に集合し、文字を読める者
が、宗祖あるいは蓮如上人からの手紙を代読したことでしょう。あるいは、文字を読める者がリ
ードしながら阿弥陀経・正信偈・和讃などを読んだのだろうと思います。一番最初の時には、聖
徳太子和讃を読みました。親鸞の時代の念仏道場の初期の精神を、源流に戻って体験したいと考
え、念仏道場は、関東の太子堂で行われたという予想を立てたからです。また、阿弥陀経和讃を
読みました。比較的短いと言うことと、念仏道場の経典上の根拠は、阿弥陀経にあると考えたか
らです。

 一度の称名は三十分間行いました。仏壇用の蝋燭が燃え尽きるのに約三十分、線香が燃え尽き
るのに45分かかります。この時間は、かつての先人達が仏道修行の最小の時間単位として考え
た長さだろうと考えます。線香の燃焼時間、あるいは蝋燭の燃焼時間をいつ統一したか、それは
分かりませんが、恐らく先人達の称名念仏の最小単位もおそらくそのようなものだろうと思いま
す。                        (つづく)

452 : ̄ ̄ ̄l/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/04/29(火) 20:05:59 ID:PPJmvEX0
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人_____,,)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) )
   ノ|/ ∴ ノ  3 ノ、
 /   \_____.ノ  ヽ
/   ,ィ -っ、        ヽ
|  / 、__ う 人  ・ ,.y  i
|    /        ̄ |  |
 ̄T ̄      x   9  /
   |   ヽ、_  _,ノ 彡イ
   |     (U)    |

453 :神も仏も名無しさん:2008/04/29(火) 20:15:02 ID:rJGepC9d
親鸞聖人 蓮如聖人
阿弥陀如来様 ますます御開運がありますように

454 :神も仏も名無しさん:2008/04/30(水) 04:19:27 ID:6gQwOkDy
昔お寺に行ったとき、「きーりょーむーりょーじゅーにょーらいかーわーむーかしーぎーこー」で全てが言い尽くされると聞いた記憶があります
どういう意味ですか?
(漢字分からないし、間違ってるかもしれません。ごめんなさい)


455 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/04/30(水) 19:35:24 ID:+bDxhHoV
>454
> 昔お寺に行ったとき、「きーりょーむーりょーじゅーにょーらいかーわーむーかしーぎーこー」
で全てが言い尽くされると聞いた記憶があります
> どういう意味ですか?


帰命無量寿如来(きーみょうーむーりょうーじゅーにょーらーいー)
南無不可思議光(なーむーふーかーしーぎーこー)

 「お寺に行ったとき、 〜 聞いた」。
 そのお寺さんに聞きに行くといいと思いますよ。そこのお寺さんには、そこのお寺さんの話の文
脈があるでしょう。

456 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/04/30(水) 19:48:15 ID:+JzKvdrW
                  / ̄ ̄ ̄ ̄\
                /         \
                (           )
                 |ミ/ー――◎―◎-)
               (6      (_ _)  )
                 |/  ∴ ノ  3  ノ
                 _ \________ノ、,
           _,、、-‐'´  l   `.: 、_、. '´  .l  ~`'‐ 、
         ,、 '´                      `' -、
          ,'       ヽ            ,__..      ゙'.、
        i          ` -      ‐' ~         }
         l    、                         i  
        ゙、    ヽ;                   /     /
        ゙,     Y        ヽ/       '.     /
         ゙,     ,"         l        '、   /
           ゙,   .i          .l         .  /
           ',.   {.           :|         i /
       ,、-‐"',.   ';.           |         ! /
    ,、 '´    ',   '、         ;::        ノ /
   ,イ      .i    ` 、      ,ノ'\..     ,、 ゙ /
  /:::゙,       i     `i'‐---‐''"   ,:アツ''''"~  /
  /:::::::\      i     l  : ;    ;、.イ /: :    ./

457 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/01(木) 12:12:39 ID:YPd2OUxZ
 聖教拝読の時は、節を付けなかった。なるべく原点に戻ろうという考えだった。原点というの
は、通常、ほとんど飾りがない。本質だけをわしづかみにする。装飾を排するという意味で節は
いらないと思っていたが、果たしてそれでよかったかどうか。一抹の疑問もある。
 宗祖の実弟は尋有僧都と仰る。僧都といえば、源信僧都と同格で、天台宗の中では法然上人よ
り上位に立つ方だ。帰洛後の宗祖は、この尋有僧都の僧坊に寄宿していた。尋有僧都は、天台声
明の正統な伝承者で、『魚山声明相承血脈譜』という、師子相伝の声明の系図の中に載っている
という。大原には『引声念仏相承血脈譜』という系図もあるという。引声念仏とは、『阿弥陀経
』の一字一字に長大な旋律を付けて唱えられる声明曲で、天台では、声明に相当熟練した者に伝
授される声明曲だそうだ。その血脈譜の中に、「善信・本願寺開基」という名があるという。(
http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/34731171.html

 親鸞は、多数の和讃を残している。念仏道場で一度は親鸞の原点に戻ろうとするなら、やはり
声明として、節もきちんと付けて拝読すべきだったのかも知れない。装飾は排するという考えは
重要だと思うが、それが全てでは無いかも知れない。

 称名念仏では五会念仏を称えた。座禅して称えるということに抵抗を示す人はいなかった。女
性には予めスカートではなく、ズボンをはいてくることをお願いしていた。
 結跏趺坐又は半跏趺坐を原則とした。女性は、結跏趺坐や半跏趺坐にこだわらず、正座でもい
いだろう。足が曲がりにくければ、胡座でも、椅子座でもいいと思う。
 臨済・曹洞などで使用している坐蒲の代わりに座布団を二枚重ねした。坐蒲とは、禅僧が坐禅
の時に使うクッションだ。親鸞の時代、はたして坐蒲を使用していたかどうかは疑問が残る。現
代の禅堂では、常識のように坐蒲を使用しているが、鎌倉時代には坐蒲は無かったという話を聞
いたことがある。事実、鎌倉の大仏も平等院の阿弥陀像も、坐蒲を使用していない。しかし、こ
れがあると無いとでは体の負担が大きく違う。これは、現代の禅寺の作法に従った。

458 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/01(木) 12:13:12 ID:YPd2OUxZ
 警策は使用しない。警策は、禅寺で修行中、修行僧の目を覚まさせるために使用する肩叩き棒
だ。五会念仏では声を出すことからこれが眠気を払う。従って警策は必要がないと考える。ただ
し、座禅の時の姿勢をチェックする人がいてもいいかも知れない。

 自分でいろんな問題点を抱えながら五会念仏を始めると、いろいろなことが起きる。例えば、
問題がどうでもよくなって、あれほど考えていた問題がすぐに消えてしまう場合がある。消えて
しまえばそれでいい。顕在意識では重大な問題だと思っていたが、自分にとって大きな問題では
なかったと気づかされた証拠である。
 大きな問題を抱えて称えだすと、自分の声がうるさくて邪魔になることがある。そんな場合に
は、敢えて声を出す必要もない。黙って座禅の姿勢で坐っていればいい。こうすると、様々な雑
念が生まれてくる。雑念が生まれてくることは、人間の生理として自然なことだ。しかし、生ま
れた雑念を意識的に追いかけるようなことは止めた方がいい。雑念を追うと妄想が膨らむ。オリ
エンテーションの時には、二心は追わないでほしいということだけは言った。二心は、五会念仏
で意識的に声を出すと消えていく。

 改邪鈔は言う。「まったく聖人の仰せとして、音曲を定めて称名せよという御沙汰なし」。こ
れを根拠に五会念仏を批判する人がいる。インターネットを検索すると、五会念仏が声明と関連
して記載してある。五会念仏は声明ではない。音曲ではない。五会念仏は真の禅門であり、これ
は如来禅である(五会法事讃略抄)。如来禅は音曲ではない。如来禅は音色を作曲することでは
ない。これは、達磨大師の禅を継承した法照禅師が、唐の時代に提唱し、円仁大師が招来した称
名法である。親鸞が提唱した念仏三昧法である。呼吸の出入りに合わせれば、誰でも一気に禅定
に入る。これを声明の一つと主張することは、宗祖の考えに反し、真宗の念仏三昧の本質を破壊
する行為に等しいだろう。

459 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/01(木) 12:13:52 ID:YPd2OUxZ
 五会念仏は、5回の念仏を1サイクルとし、30分では約60サイクル称えた。回りの外の人
の称名念仏の声も聞きながら、それに合わせながら自分も称える。ここに全員の、無意識の共同
作業が行われ、心が通い合う。

 存覚は至道抄で言う。「観念法門には般舟経」によりて入道場念佛三昧の法をあかせり。この
ゆへに穢土をもて淨土に准じ、私宅をもて道場に擬して、本尊を安ずる淨場とし、念佛をつとむ
る會座とするなり。」
 善導の観念法門では、般舟経に基づき、道場に入って念仏三昧を実践する法を明にしている。
善導の教えに基づき、淨土に準じた形を穢土に形成し、個人の家を極楽浄土の道場になぞらえ、
本尊を安置し、極楽浄土の道場として称名念仏を称える会合を行う。このとき、四百年ぶりに今
生に極楽浄土が出現したのだと僕は思っている。

460 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/01(木) 12:38:03 ID:YPd2OUxZ
 「五会法事讃略抄」について、僕が書いた記事をそのままコピーペース
トして自分のホームページに使用している人がいる。

 2ちゃんねるの中でのコピペは覚悟の上だが、それ以外の場所でコピーさ
れることは、嬉しいものではない。自分の分身が人質に取られている気分で
ある。

 インターネットでは、著作権をがみがみ言ってもしょうがないのかもしれない
が、文章をホームページで引用するなら、事前に連絡してほしいものだ。僕は、
メールアドレスを公開している。連絡あれば、僕は敢えて拒否することもしない
だろう。その代わり引用元をきちんと示して欲しい。

 無断で引用するだけではなく、どうも僕の主張を曲解して自分の主張を書い
ているようだ。

 「宗祖 親鸞聖人のみ教えを仰ぎ、ご本尊 南無阿弥陀仏 を念じさせていただ
き、仏のおはからいのまま行に仕え、信を崇めさせていただきます。」と言いな
がら、曽我量深、安田理深を引用している。

 宗祖 親鸞聖人のみ教えを仰ぎ、ご本尊 南無阿弥陀仏 を念じさせていただい
ていると格好いいことを言うなら、現代社会の最低の常識は守ってほしいものだ。

 曽我先生は立派だ、安田先生は立派だと言っているどこのだれとも分からない
人に、遠慮会釈無く自説の踏み台にされるのは、気持ちのいいものではい。 
 
 

461 :___________:2008/05/01(木) 14:08:31 ID:3l3ROwG3
    ○
     O
      o                       と
       。 ,. -ー冖'⌒'ー-、             思
       ,ノ         \            う
       / ,r‐へへく⌒'¬、  ヽ          キ
       {ノ へ.._、 ,,/~`  〉  }    ,r=-、  モ
      /プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く    /,ミ=/  ヲ
    ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐'  リ,イ}    〃 /   タ
   / _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ    〃 /    で
  ,/ └' ノ \   こ¨`    ノ{ー--、〃__/    あ
  人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\   っ
. /   |/ |::::::|、       〃 /:::::/    ヽ  た
/   |   |::::::|\、_________/'   /:::::/〃

462 :神も仏も名無しさん:2008/05/02(金) 22:28:24 ID:eNL1EZIm
お久しぶりです。
長野から念仏研修会に参加させて頂いた在家の者です。
五会念仏、続けております!
発声と呼吸法がミソですね。
勤行も大谷派のものに変えました。
26日、長野へ聖火リレーが参りましたが
私は善光寺の追悼集会に参列
その後駅までチベット旗を手に行進いたしました。
またの研修会、楽しみにしております。

463 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/05/02(金) 23:17:06 ID:IqkZNwDW
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>462 五会念仏オナニー続けてくれてありがとう。
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   フリーチベットの次はフリーセックスだよ。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  
   (__/

464 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 05:47:46 ID:8i6PiAym
渡海 難様へ。
はじめて書き込みさせて頂きます。
突然の書き込みが、レスの流れを絶つようで大変恐縮ですが、相談にのって頂けませんでしょうか。
私には親鸞会に入会している友人がいます。信心決定を目指して富山に通い、4年になるみたいです。
彼は実家暮しで月曜から金曜までアルバイトをしています。アルバイトで稼いだお金は、ほぼ全て親鸞会に布施しています。そして毎週土日に富山に行くという生活をしています。今までに何百万という大金を布施しています。
なんとなく怪しく感じ、私なりに親鸞会について又高森氏について調べてみました。親鸞会に否定的な意見もありましたが、同時に肯定的な意見もあり、正直私には結論が出せませんでした。
しかし、やはり何かおかしいのではないのか、という印象が強いです。なにより、布施が大事とは言っても、お金がかかりすぎているように思います。
そこで、ここ2ヶ月間、私なりに調べた親鸞会と高森氏の矛盾や問題点を指摘しながら説得を重ねました。仏教や親鸞や釈迦について勉強するのは賛成だが、親鸞会はやめた方が良いのではないのか、と。

465 :464:2008/05/03(土) 05:53:20 ID:8i6PiAym
続きです…。

しかし全く聴き入れてはもらえず、仮に高森氏が人を危めるような事があろうと逮捕されるような事があろうと高森氏を信じている、との事でした。
君はこのままでは地獄行きになるよ、とも言われました。
もうこれ以上説得しても無理だと考えるようになりました。なんとか彼を説得する方法はないのでしょうか?
渡海 難様が考える、彼を説得出来るだけの、親鸞会、高森氏の問題点を教えて頂けないでしょうか。
彼には基本的に、論理や理屈が通じず、高森氏が正しいのは絶対だ、というような類の主張をします。
一見相手の論理が正しく見えても、仏教が正しいのは絶対なのだから、その論理は実は間違っている、という感じです。
私は、仏教が間違ってるとは言ってないよ、高森氏に問題があると感じるんだよ、とも主張しましたが、高森氏も絶対だと言います。
冒頭書きましたように、突然このような書き込みをしまして恐縮ですが、お時間ある時で構いませんので、教えて頂ければうれしいです。
なお、これは携帯から書き込んでいますので、改行等見にくい箇所があると思います。その際はご容赦下さい。
失礼致します。


466 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/05/03(土) 10:18:49 ID:Vo3BHW+I
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>464-465 親鸞会?。そんなの知(ん)らんかい。
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   そんなことより、僕と一緒に五会オナニーしようよ。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  友達も誘って僕のところへおいで。
   (__/

467 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/05/03(土) 10:21:34 ID:Vo3BHW+I
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) ゴールデンウィークにつき数日間カキコ不能
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   と言いながらどこかでカキコしてます。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  だって渡海難は2ちゃんねる中毒なんだもん。
   (__/

468 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/03(土) 10:23:53 ID:56mccbYh
>>462  こんにちは。
>長野から念仏研修会に参加させて頂いた在家の者です。
 その節は、長野は季節外れの大雪の中、午前中からご参加ありがとうございました。

>五会念仏、続けております!
 そうですか。それは何より嬉しいたよりです。

>発声と呼吸法がミソですね
 全くそうですね。しかも、五会念仏は呼吸法とぴたりと合致する。
 あれは先人が経験の中から見つけ出した紛れもない大変深い知恵だと感心しています。

> 勤行も大谷派のものに変えました。  なるほど。そうでしたか。

>チベット旗を手に行進いたしました。 なるほど。そうでしたか。

469 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/03(土) 10:24:41 ID:56mccbYh
>またの研修会、楽しみにしております。

 そうですね。近いうちに、先だってのお寺で、多分、また呼んでくれるでしょう。
 例のお寺では、僕を呼んでくれたのは二回だけど、その外にも五会念仏称名会は時々やってい
るそうです。
 プログラムは極めて単純ですから、真剣に信心を求める人々の中では、今後は、全国でも復活
していくと思います。そう言う意味で、僕は非常に楽しみにしています。

 北陸地方に、親鸞聖人が一泊しただけでその後、数百年にわたって浄土真宗のお寺として今日
に続いているお寺があるそうです。一泊の中で何を伝えたのか。多分、この五会念仏なんだろう
と思っています。親鸞が一泊しただけの時間で、そこのご亭主が、お釈迦様や弘法大師などが開
いたような凄い悟りなどを開けるわけはない。難しい理屈抜きで、おそらく貴方のように「おお
これいいじゃんか。おもしろいじゃんか」と、ポンと膝を叩き、胸の支えが下り、それ以後、念
仏が絶えなくなったということだろうと思います。
 僕は他人に対し「お前には信心などはない」と冗談めいて毒づくこともありますが、基本的に
は、相手の信心の見定めなどはできる資格はない。その能力もない。でも、「五会念仏を続けて
います」と言う貴方の言葉を親鸞聖人が聞けば、恐らくにっこりすることでしょう。拈華微笑。
親鸞聖人のそんな顔が、今、浮かんできました。

470 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/03(土) 11:14:12 ID:56mccbYh
>>464
>今までに何百万という大金を布施しています。        ウーム。大分、深刻ですね。

>親鸞会はやめた方が良いのではないのか、と。        全くそうですね。

>なんとか彼を説得する方法はないのでしょうか?       ウーム。

>彼を説得出来るだけの、親鸞会、高森氏の問題点を教えて頂けないでしょうか。

 親鸞会の問題点の指摘だけなら決して難しいことではない。貴方もご指摘のように、莫大な布
施を吸い取るなどというのは、まさにその典型ですよね。でも「説得できる」という条件が付く
と、頭を抱えてしまう。嵌り込んだ人は、理屈がほとんど通らない世界に渡っている。

>なにより、布施が大事とは言っても、お金がかかりすぎているように思います。

 まさに、仰るとおりです。人には信教の自由があるから、何を信じるのもいい。それに伴って
信者に布施を求め、常識的範囲でそれに応じるというのであれば、何も問題はない。しかし、人
生が破壊されるような非常識な布施を求められ、信者がそれを断れない心理になっていれば、こ
れは別の問題だ。しかし、この解決は容易なことではない。


471 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/03(土) 11:17:08 ID:56mccbYh
 その方は、インターネットは見ない方なんでしょうか。2ちゃんねるを含め、アンチ親鸞会系
のインターネットのホームページは、脱会運動にかなりインパクトがあるようです。
 親鸞会では信者にインターネットを見ないように指導しているそうですから、確かにその効果
は限定的であることは事実でしょう。しかし、インターネットを見ない人には、インターネット
の一部の記事をプリントして相手に渡すというのも、一つの方法でしょう。
 決め手になるという保証はありませんが、高森氏の盗作問題を扱っている記事は、脱会運動で
インパクトがあるようです。

 ●宗教法人浄土真宗親鸞会 被害家族の会 (http://homepage2.nifty.com/nonsect/)とは、コンタク
トをとったことはありますか?

 このURLは、約10年間、一貫して使用されています。親鸞会批判の声は、ペンネーム「デ
カルト」さんの、「カルト被害者の会」「ハトの会」のホームページ・掲示板が事実上の原点だ
ろうと思っています。その後、「イーグルヘッド」・「2ちゃんねる」と続いていきました。ペ
ンネーム「ノンセクト」さんは、「カルト被害者の会」「ハトの会」のころからのアンチ親鸞会
の論客の一人です。僕は、ずっと注目してきました。
 今、ノンセクトさんは「カルト被害者の会」にどういう形で参加されているのか、よく分かり
ませんが、被害家族の会は大きく充実してきていると思います。最初はメールか何かで接触する
のもいいでしょう。法律的なことは、弁護士もいるようです。

 机上の理屈だけであればいくらでも発言できますが、脱会となると、机上の理屈では手に負え
ません。万能薬はどこにもないということは覚悟した上で、しかし、どこかに解決のかぎはある
はずです。希望を捨てないで、最初はインターネットから始めて相談先を探すのもいいでしょう。

472 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 11:41:24 ID:kbTatPTB
>>464さんへ

精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。

▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)


※以下の文を10回暗誦して反省してください。

荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

473 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 11:44:34 ID:kbTatPTB
     ∞〜プーン       〜
      / ̄ ̄ ̄ ̄\   〜 プゥーン
     (  人____)  〜
 〜∞  |ミ/  ー◎-◎-)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 プーン (6     (_ _) )<オレはこう見えても結構モテるんだぜ!!!!
      |/ ∴ ノ  3 ノ  \_________
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   | プーン〜∞ 
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |  
       |   ┬    |
◆渡海難の正体◆
・引篭り歴10年以上・童貞、彼女&女友達無し(というか友達1人も無し)
・身長159cm以下体重75kg以上 体脂肪率38%以上 ・年賀状は1枚も来た事が無い
・3流大学卒、アニメサークル所属、合コン歴無し ロリコン
・今行きたい所:秋葉原、オタワ(カナダの首都、ヲタクが集まる所だと思ってるらしい)
・前科5犯(万引き、食い逃げ、性的暴行、強制猥褻、痴漢(存在自体が痴漢))
・好きなゲーム:ゲーム関係なんでも、但しホラー以外(ションベンちびって3日以上放心状態になるから)
・所持エロゲーは軽く1000を越える
・コンビニの処分された弁当しか食べられない、というか最近家族に手料理を作ってもらってない
・風呂には3日に1回しか入らない ・50M走タイム11秒5以上 ・自分の年齢=彼女いない歴
・AV、アニメビデオを1日最低3回は見る ・“ラップ”と聞くと「サランラップ?」とボケでなくマジで答える
・趣味:2CH心と宗教板への書き込みをすること、座禅念仏(五会念仏)
 そして浄土真宗関連スレ、親鸞会関連スレを見つけるとここぞとばかり攻撃し、チンポをこすりながらレスを待つ
・カラオケで歌うのはいつもアニソン、というか友達がいなくてカラオケも行けない
・真宗教団と親鸞会と真宗の僧侶を目の敵にしている ・ギャルゲグッズを多数所持
・メル友募集をしても女性からは1通も来ない、(ネカマからは来る、しかも普通に女と勘違いする)
・自分にレスする者全員に対して「ボーズ(坊主)」「親鸞会」と言う恥知らずのリアル精神病患者

474 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 11:47:04 ID:kbTatPTB
念仏宗渡海会(「こんにちは会」ともいう)
・教祖 渡海 難(「とうみかたし」と読む) ←渡海紀三朗文科相とは無関係
・会費 4000円
・HP  ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~propatent/
・根本聖典(?)親鸞の思想と教行信証(世界数ヶ国後に翻訳されると本人が称している)
「親鸞仏教の正当性を問う」ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/970/970632275.html
「親鸞仏教の正当性を問う(パート2)」ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/975/975404451.html
「親鸞仏教を見直そう。」ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/979/979297776.html
「親鸞仏教を問う(V)」ttp://life.2ch.net/psy/kako/1000/10001/1000165825.html
「親鸞仏教論 W」ttp://life.2ch.net/psy/kako/1012/10129/1012997700.html
「□■ЯЯ親鸞仏教(浄土真宗)質問箱RR■□」 ttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1123906853/
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○」 ttp://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157628310/
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○」 ttp://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179146870/
・教義 渡海教祖の思いつきで右に左にコロコロ変わる。ある時はお釈迦さまの代弁者となり、ある時は親鸞思
想の代弁者となる。大川隆法の「霊言」のようなものである。
ちなみにカルト教団に「サタン」とするものがあるのと同じく念仏宗渡海会にも「親鸞会」や「浄土真宗のお坊
さん」というサタンが存在し、自分に都合の悪い者がいると「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」と言って決め
つける。
ちょうど創価学会の「日顕宗」のようなものと思えばいいだろう。
・会員数 ゼロ(笑)
・教祖の性格 一言で言えば基地害、電波。独善的で絶対に他人の言うことを聞かない。
裁判の時弁護士が使うような論法で次々と質問をはぐらかす。
・活動 2chでの布教活動を主とする。
あと、彼にとってのサタンである親鸞会の退会者に狙いをつけて退会者狩りを行うが念仏宗渡海会の信者になっ
たという話は聞いたことがない。
渡海会には「座禅念仏」という行があるそうだ。それを真宗関係のサイトで説いて回った所、次々
と拒絶されている。
あと「ああ先生」という呪文もある。詳しいことは分からないが人の意見を聞かない奴に先生もヘチマもあった
ものではないが。

475 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 11:54:03 ID:kbTatPTB
渡海難のカキコパターン

1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習者を装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが
始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「お坊さんですね」(最近はこのパターンが多
い)か、「親鸞会ですね」と寺や親鸞会批判をする。(大概は奴の妄想)
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 明後日の方向にひたすら答えにならないレスを乱発し、スレの流れをかく乱する。もしくは「仮説」に逃げ
る。「ウソも100回言えば」のクチでそれに騙されて「渡海は真の論者だ」という信者はこの8のシチュエー
ションから生まれる。(9もしくは10へ)
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をして他スレを荒らしに行く(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がったり、他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐
れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。

476 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 11:59:23 ID:kbTatPTB
もう渡海難の話題はうんざりだろうけど、まだまだ出現するかもしれないので、
特定するためプロファイリングしてみますね。

渡海 難 とはこんな人物

 ●年齢は60歳くらい

 ●浄土真宗、真宗の僧侶、親鸞会に深く怨みを持っている

 ●来世を否定して、現世を肯定

 ●阿弥陀仏は架空の存在と主張

 ●親鸞聖人が問題を解決したから、我々は世間のことに努力すれば良いと
  「十劫安心」まがいのことを言う

 ●カウンセリング、自律訓練法など、いろいろな事を経験したらしい

 ●正規の宗教教育は受けておらず、すべて独学のようだ

 ●座禅して念仏せよと主張するが、その目的は不明
  ココロが癒されて身体に良いのかな?




477 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 17:57:37 ID:8i6PiAym
渡海 難様へ。
早速の、また丁寧なレス、誠にありがとうございました。実は、私はパソコンを持っておりません。先程の書き込みを携帯で行いましたのは、その為です。
しかし、渡海 難様が言われるようなインターネット上の高森氏の問題点につきましては、パケット定額制の携帯を使ってアドレスを調べ、彼のパソコンに送るという方法で今まで行ってきました。
おそらく、ネット上に存在する親鸞会と高森氏に関する問題点の殆どを彼に送っています。
又、携帯でも見れるようにと思い、こちらで要点をまとめてメールにして送ったりもしました。しかしながら、まるで効果がありません。
盗作の箇所についても、比較出来るようにまとめて送りましたが、それは盗作ではなくて引用だ、と彼は主張します。
御本尊問題、高森氏自身の信心決定にいたる過程や贅沢な生活、マインドコントロールの疑い、集金システムの構築、親鸞会内に信心決定した信者が殆どいない、などなど、その他の問題点についても指摘しましたが、効果はありませんでした。
とにかく終始、ああ言えばこう言う、という感じの反応です。私としては屁理屈にしか聞こえないのですが、彼は自信を持っているようです。

478 :477:2008/05/03(土) 18:00:30 ID:8i6PiAym
…続きです。

もちろん、どんな宗教を信仰しようが、自分のお金や財産を誰に使おうが、その個人の自由なのは承知しています。
でも私は思うのです。遠い将来、彼が莫大なお金と時間を間違った事の為に消費してしまったと、後悔する日が来るのではないかと。
彼とは中学時代からの付き合いです。出来る事なら早く気付いて欲しいと願っています。
以上、長々と読みづらい文章を書いてまいりましたが、もし何かアドバイスやヒントのような事、またなにより、高森氏の致命的な問題点等ありましたら、教えて下さればうれしいです。
彼は、親鸞証人の教えを100%過不足なく現代に伝えて下さっているのが高森氏であると、よく主張します。
ですので、親鸞証人と高森氏の考えと行動の違いを渡海 難様に教えて頂き、それを突破口に出来ないかと考えております。
渡海 難様がお忙しいかも知れないのは、重々承知しておりますので、お時間ある時で全くかまいません。
それでは失礼します。丁寧なレス本当にありがとうございました。

479 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 18:11:42 ID:8i6PiAym
>>472
渡海 難様を批判することが、悪い事とは思いません。しかし、あなたの様な批判の仕方は、良くないと思います。
おそらく、あなたにはあなたの考えがあるのだと思います。であれば、なおさら正しく批判するべきだと思います。
あなたが行ったこれらの批判が、逆にあなたの価値をおとしめているように感じます。
あなた自身の為にも、正しい批判をして、有意義なスレにして欲しいと願います。批判自体は悪いものではないと思うからです。

480 :神も仏も名無しさん:2008/05/03(土) 19:22:34 ID:7yE+mRxh
          渡海 難
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
  /;;;:::::::::::::::\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ             . 川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
 /::::  /::::::::::::    |::::|                川川::::::::ー◎-◎-)
(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ渡海 難様ぁ〜
 \::::: \:::::::   (::: |    ,.:':'゙'゙'゙:゙'゙':';.,      川川;;;::∴ ノ  3  ノ
 /:::\::::: \:::    ヽ|  r゙ ,.: :;;;:: : : : :;          \_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
/::::   \::::: \::: ヽ )  | : ::::~';::--ー'ー-----ーー;;:'゙ .: :` ‐- 、  |
|:::      \::   ̄ ̄⊇) ,i    ::::::::::::::::::::::::::::::: ::: :ヾ        i
|:::::::      \;;;;;;;;;;;(_r'     ::::::::::::::::: : : :::::: :::::  ::::. .      / ←渡海教信者ID:8i6PiAym
\::::::::::   ミ(;;; );; ) |      :::::::::: : : : : ::: ::  ::         イ
  \::::::::::::   ) )   i      : : ::::::::::: : : ::::::: :         |
    )::::::   / /   |      ,.;イ-- .,           ,... -' i
   /:::::::::  / /    i      ,.;':/   ゙'ー-.,_ i    ,.イ::  /
   /:::::::  / /     .i::::   /:/        ̄i   / ゙i   |
 /:::::   (_(_    │::  ノ::/         |   i   |  |
(;;;;;;;;;;;__っ)))つ))   r':: イ:::::i゙            |  |   i   |
              |:: | ヽ '-.,         ヽ 〈    ヽ ヽ.,
              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

481 :神も仏も名無しさん:2008/05/05(月) 17:30:47 ID:WHucgwqT
お前ら、本当にくだらないな
くだらなすぎて、涙が出てきそうだよ
せめて「歎異抄」を読んで、出直して来い

何をしたところで、所詮人間なんて煩悩まみれの愚か者に過ぎないから
浅智恵を働かせて、ばかばかしい論争をするようなことは止め
ひたすら阿弥陀仏にすがって念仏を唱えろってこと

真実はその一点しかない

クソスレたてるなよ 終了

482 :神も仏も名無しさん:2008/05/05(月) 22:19:15 ID:hncItJh8
>>481
歎異抄?くだらないな
くだらなすぎて、涙が出てきそうだよ
せめて「教行信証」を読んで、出直して来い

>>念仏を唱えろってこと
 これはそのとおりだな

483 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/05/05(月) 22:33:58 ID:FfxclYh4
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>481-482 おまいら坊さんか?。本当にくだらないな。
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   くだらなすぎて、涙とザーメンが出てきそうだよ。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  「歎異抄」「教行信証」を読む前に、2人とも馬のションベンで顔洗って出直して来い。
   (__/

484 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/08(木) 14:08:18 ID:QryzDHvn
>459

 念仏三昧(五会念仏)のとき、携行している人は数珠を手にしてもらった。持つ手の形は、鎌倉
の大仏、あるいは平等院の阿弥陀仏の組み手に習った。いずれも、数珠を持っている手である。お
そらく、鎌倉の大仏も平等院の阿弥陀仏も、五会念仏を行っている姿勢だろうと思う。先人達は、
仏像から、五会念仏の方法を教わったんだろうと思う。

 「もし始行の人の念は、数を記する、また好し。これまた聖教に依るなり、と。(行の巻)」念
仏のビギナーは称える念仏の数を数えていくのもいいでしょう。聖教に書いてある。親鸞のこの教
えに習い、念仏五回を一サイクルとし、一サイクル称えたら数珠玉を一つ一つ移動していった。こ
うすると手の雑念が消えていく。珠の数が二十個の場合、ほぼ十分で一周する

座禅の時の目は開いても閉じてもいいと言った。鎌倉の大仏は閉眼している。平等院の阿弥陀仏
は開眼している。僕は、禅寺では眼を開けるのがいいと言われた。口から念仏の声を発しないとき
には開眼の方がいいだろう。しかし、念仏の声を出すときには、閉眼でも開眼でもいい思う。

 五会念仏から座談に移るにあたって、ワンポイントを置いた。深い禅定の中からいきなり覚醒の
世界に移ると体が疲れる。禅寺でも、長い坐禅の後、経行(きんひん)といういわば歩行禅を行う。
念仏もこれに習うといい。いわば歩行念仏を行う。経行の例にならって、足を踏み出すたびに南無
阿弥陀仏と称えながら、ゆっくり室内を歩行した。
 恵信尼公の手紙には、親鸞の息子の栗沢信蓮房が不断念仏を行いに山寺に入ったという記述があ
る。不断念仏とは、堂内の阿弥陀仏像の周囲を、口に阿弥陀仏の名をとなえ、阿弥陀仏を念じなが
ら九十日の間歩き回る行である。いわば歩行念仏である。歩行念仏は、親鸞も行っていたと思うの
で、九十日間ではなく、長時間座ったときの疲れを取る意味で、五会念仏の最後に部屋の中を一周
した。

485 :神も仏も名無しさん:2008/05/08(木) 21:29:51 ID:+XrneOmn
長野のEです。
念仏研修のときは左回りに歩きましたが
後から思うに、右遶、右回りが正しいのではと。


486 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/11(日) 13:03:18 ID:0Kp2ZmXg
>485
>後から思うに、右遶、右回りが正しいのではと。

 そうかも知れませんね。

487 :神も仏も名無しさん:2008/05/11(日) 13:26:21 ID:NfbKvjzH

               / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              | そうかも知れませんね。
               \___  ______________
                     V
       ___  _                     / ̄ ̄ ̄ ̄\
      r'⌒';=〔X〕=:、     / ̄ ̄ ̄ ̄\     (((((^)))))))) .|
       川_ノ从仆从))   (  人____)     | =   \ミ|
       | |_」O  Oy     |ミ/  ー◎-◎-)     [¬]-[¬]一 6)    
       | .人ひ − ノ|    (6     (_ _) )     < 「、   >  |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
      `⌒ニ| 匸⌒'   _| ∴ ノ  3 ノ     .| (一)  ||| ./  <  後から思うに、右遶、右回りが正しいのではと。
        f´\〔X〕フ、  (__/\_____ノ       \___/\  \_________ 
       !__j_》、___,》_)  / (__))     ))      ((    ((\|/|⊃
       〔>ヽヽっ./ /〕 []_ |  |  渡海 難ヽ      .|長野の|\/
        ム/i\_)_∧j |[] |  |______)     |    E|ノ
        /\i    i∧  \_(___)三三三[□]三)    .(三□三三)
     /:::/::`ー一ヘ::::ヽ  /(_)\:::::::::::::::::::::::/      |::::::|:::::::::::|
     く::/:::/:::l::::lヘ:::ゝ::::ゝ| Sofmap|::::::::/:::::::/       .|::::::|:::::::::::|
     `´^ト‐iー'i_´ー ^´ (_____);;;;;/;;;;;;;/        |;;;;;;|;;;;;;;;;;|
        f`f⌒if⌒i      (___|)_|)        (|__(|__)
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

488 :神も仏も名無しさん:2008/05/12(月) 11:10:31 ID:S/s7zt2G
>>487
あなたもどうですか。

489 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/13(火) 13:57:53 ID:xMJMgXM4
  念仏研修会 第3回目
 6月14日 午後    念仏と座談
 時間割の詳細は未定です。

 場所 愛知県 (名古屋地区)

 五会法事讃略抄(親鸞真筆)・至道抄(存覚著)・御文(蓮如著)などを骨格ベースに、
鎌倉・室町期の真宗の念仏道場のスタイルを復活させ、座禅しながら五会念仏(念仏
三昧)を勤修します。
 問い合わせ先  tkatasi@mail.goo.ne.jp 渡海 難

490 :神も仏も名無しさん:2008/05/13(火) 14:10:48 ID:rEDu4fm4
>>489
マルチポスト荒らしはやめろ

        /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \   パー───ン       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
      <       (☆)   〉                     /               \
       \ =======,/                  (__i|__i|__リ     ;       |
        /~`ー=、=,=ィ.                  (   ;;    ∪     |
      /    (●)ヾ'(●) \                    ,◎─ 〃⌒)         |
      |    "⌒(__人__)⌒" |    _'そ       (o,;(´   ´_'ノ     ,; ′;| ´  ;  '
.     \     `ヾ┬ノ´ ,/〔ニ二【@】        ゝ   u.  ゞ    ,●";`‘,`・    ;
       /⌒ ̄ ̄〃 ̄ ̄〆⌒'ニ)ソ  ̄ Y `       `i       ーーーーrーゝ
        ヾ  、__゙__il、_,ジ,イ            ヾ、__  ____-‐ー‐\
       |       o| = |_ノ               /´ ̄ ̄         ヽ
.        |          |    |               /    ゙ヽ  渡海 難   |
.      |       o|   .|               /     |           |
      |   ===   | ==|                /      |           |

491 :神も仏も名無しさん:2008/05/14(水) 18:33:31 ID:NeQ20rmM
おーい出番だよw
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1210755734/

492 :神も仏も名無しさん:2008/05/15(木) 02:02:35 ID:Y56rpJeJ
浄土の真宗 親鸞会vs華光会
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210510192/

493 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/17(土) 14:02:28 ID:Bwlt0J5U
 念仏研修では、歩行念仏で室内を一周した後、念仏していた元の場所に全員が戻った。
 念仏中、帰宅以外は原則として退席禁止とした。座談の時は、トイレなどに行くことは自由と
し、茶菓子なども出してもらった。姿勢も、互いに自由な姿勢を取ろうと言った。

 座談では、できれば仏教教義の話はしない。その瞬間、その瞬間に自分の中で湧いてきたこと、
それを語ってほしい。オリエンテーションの時にはそう話しておいた。自分に起きたこと、自分
に感じられたもの、それに気づいていこう。座談は、自分の気づきに気づくというのが最大の目
的である。僕は、世話人という名称で座談に参加した。世話人の役割は、鏡になることである。

 念仏するだけで自分の気づきに気づければ一番いい。仮に念仏がなくても、日常の中で様々に
気づければ、それに越したことはない。しかし、人生の中で身動きができなくなるというのは、
日常の生活の中で必要なことに自分で気づけなくなることだ。要するに、何をしていいのか、何
をしていけないのかが分からない。これが人生の危機である。念仏三昧は、その大事な気づきを
促進してくる。
 念仏三昧(五会念仏)だけで気づけるようになればそれは理想だろう。しかし、気づけても、
気づいたということを自分で気づけないと、人はそれをすぐに忘れていってしまう。忘れてもい
いような気づきであれば問題はないが、自分の人生にとって、重大な気づきがそのまま記憶から
流れてしまえば、残念なことである。

494 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/05/17(土) 14:03:20 ID:Bwlt0J5U
 気づきは、他人に話すことで自覚されてくることが多い。「自分はこんなことを感じたんだ」
ということ、これを他人に話ができると、それは、自分の自覚となって定着する。話す相手がいな
ければ、忘れてしまうことがおおい。

 鏡とは聞き役である。自分は何を気づいたのか。何を感じたのか。参加者は鏡になってくれる
人に向かって話をする。そうすると、自分の姿が見えてくる。自分はこんなことを思っていた。
感じていた。それに気づく。鏡は、鏡の前の形状を相手に映すが、鏡の前から移動すると、それ
までの映像を一瞬に消してしまう。つまり、後に残さない。鏡はそういう役割をする。
 鏡役と言っても、他の参加者と本質的に何かが違うと言うことではない。座談では、お互いが
お互いの鏡になることが必要だ。鏡は論争をしない。鏡役が一人もいないところでは、話は平行
線で言い合うだけになる。結局、やかましいばかりの無駄話になり、疲労感だけがたまる。そん
な中で、鏡役が一人でもいると、話し手は気づきを気づくことができるようになる。これが大事なこ
となのだ。僕はそう思っている。

 鏡役は固定的である必要はない。しかし、互いに言いたいことを言っているだけで、だれも鏡
役にならなくなったとき、自分はかならず鏡役を果たそうと心に決めている人が座談では必要な
のだ。世話人とはそういう役回りである。
                                (続く)

495 :神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 14:07:08 ID:yrIWOjnf
               _,. -‐1    ,. - ‐:‐:‐:‐:‐- 、
          _,. -‐:'´: : : : : |  , :'´::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.丶
     ,.イ ,.-:'´: : : : : : : : : : : ! /::.::.::.;.ィ::; ヘ::.::.::.::.::.::.::.::.::.:\
      /: ∨: : : : : : : : : : : : : : :l'/l:/::./ ,':/  i::.:ト、::.l、::.:!::.::.::.::.',
  ,. -:' : : : : : : : : : : : : : : : : : : : -┴-'.._l/    l:| i::| i::l::.::.::.::.::i
 ー‐ァ: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :`ーァ  l|  l|  l:|::.::.::.::.::|
   /: : : : : : : : : : >>1: : : : : : : : : : : : : : : :/  ー‐‐---、!ヘ::.::.::.::| 
  ,': : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :/    ┬--、  }::.:/::.!
  ! : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ;.イj     {辷リ ′/::/!::/ >>1 ここはテメエの日記帳じゃねえんだよ。
 ノ: : : : : : : : : : : : : : : : : : :.:.:.:.:.. : :、/     ;         /〃ノ:/
´. .:.:.:.:.:.:.:.: : : .:.: : : .:.:.:.. : : :.:.:.:.:.:.:__:.:.ヽ   r―-,    /-:'´::;′   チラシの裏にでも書いてろや。
`ー---;.:.:.:..:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:...:.:.:.:.:.:.:.V ̄`ヽ、 `ー‐'   ィ;、:::∧:{
    /:.:.:.:._:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.|'´ヽ  rく` ト、. -‐'´ | `:く `
   厶-‐'´ |:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ト、:.:.:.|  _,.-‐! \  __,,. -‐''´ }‐:、
       _l;.ィ´ヽ:./ヽ:|'´ ,>‐'´: : く    ∨       > \
   _,r{`7  ̄{ ̄} ̄¨`‐く__ヽ_;,: -‐; :\       _,.-:'´: : : : : :>、
 ,.イ | 〉´ ̄ ̄ ̄:  ̄`ー‘v'´>‐_く : : : \___,,. -‐:'´: : :ト-、_;,.-'´  ヽ
r'l ! ,し′: : : : : : : : :}_ノ/ __,,.ヽ: : : : : : : : : : : : : : V       l
,Jー'´: : : : : : : : : : :`辷'_,,、 '; : : ∧: : : : : :_; -'´         |
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